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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第三章 一週間

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66.やはり苦し

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本日からディアンたちの視点に戻ります!


 ――深く、息を吐く。

 肺を満たす空気は、煮えた頭に冷静さを取り戻すのに十分なほど冷たい。

 一度瞬いて、それから意識を集中させる。手のひらから、矛先へ。煌めく先端と、穿つべきその場所へ。

 波打つ水面が太陽を反射して煌めく。否、それは水だけではなく、その中にいる者もだ。身をくねらせキラリと光る表皮。規則正しく並んだ鱗。

 自分を惑わそうとするその光ではなく、奴らがどう動くのかを、じっと見極める。

 足元を流れていく水の感覚が消える。肌を舐め、淀みなく流れていく音が小さくなっていく。

 ゆっくり、ゆっくり。鼓動の音も聞こえなくなって、支配するのは耳鳴りのような静寂。

 まるで挑発するように揺れる尾ひれも目に入らず、持ち上げた手が狙いを定める。

 水の屈折があるから見た目よりもずれた位置へ。ためらうことなく、ひと突き。

 頭の中でなぞってから、もう一度息を吐いて、吸う。

 そして、僅かに呼吸を止めて――その一撃は、見事に突き刺さった。

 ……岩と岩という、なんとも微妙な隙間を。


「……はぁ」


 固い拒絶はディアンの望んだものではなく、逃げ惑う獲物たちを見送ってから槍を引き抜く。

 静寂は去り、戻ってくるのは己の溜め息と水の流れ。そして、遠くで火が焚かれる音。


「また逃げられたか?」


 声に反応し、振り向いた先ではエルドが枝を折っているところだった。

 ニヤニヤと笑う顔はなんとも意地が悪く、しかし逃げられたのは確かに事実。


「……次は捕まえます」


 手汗を拭い、それから槍を持ち直す。足先で蹴る川の流れは緩やかだが、地の利は相手の方が一枚も二枚も上手。

 新たな獲物を探している間、見えはしないがエルドがまだ笑っていることに気付いても反応せず。

 そうだと気付いて躍起になっているディアンを、やはりエルドは笑い見守る。

 唯一冷静なのは、一向に成果を得られない狩りを見守り続けているゼニスだけであろう。


 ディアンが屋敷から逃げ、王都を離れてもう一週間が経った。

 初日こそ一言で語るには激動すぎる一日だったが……この数日は、不安になるぐらいに順調だった。

 魔物に襲われることも、父親からの追っ手が来ることもなく。英雄の息子を探しているという情報もなく、発作も起きず。

 本当になにもなく……普通に旅を続けられている。

 だからといって変化がないわけではない。物陰からの音にいちいち驚くことも、咄嗟に障壁を張ることも……まぁ、全くなくなったといえば嘘になるが、その頻度は明らかに減った。

 兎の解体も数をこなしていないので慣れたとは言えないが、比較的直視できるようにはなった。おそらく次は捌けるだろう。多分、おそらく、きっと。

 わざわざ語るべきことではないこともいくつかあるが、その時は全て新鮮に思えたし、貴重な経験だとも理解している。

 それだけディアンが世間に疎く、今までの世界が狭かったということだ。

 本当にエルドがいなければ、今ごろひどい変わり者として見られていただろう。早々に憲兵に突き出されて連れ戻されたか、牢にぶち込まれていたか。

 いや、それ以前に野垂れ死んでいたのだったか。なんせこの身体は……まだ、戦えないのだから。

 相変わらず役に立っているとは思えないし、無力なままだ。足を引っ張っていないことだけが幸いか。

 そんな立場で、こんなことを考えてはいけないのだろう。でも、ディアンは今、この生活をとても楽しいと思っている。思って、しまっている。

 今ごろ王都では、自分はなんと言われているだろうか。姫との約束を守らなかった無礼者。英雄の息子なのに全てから逃げ出した卑怯者。

 さすがに罪人扱いされてはないだろうが……そう思われていても、おかしくはないだろう。

 実際、自分は『精霊の花嫁』に『ひどいこと』をしていたのだから。聖国の基準で言えば不敬罪に当たるだろうか。

 もしエルドに正体を知られれば、保護ではなく罪人として連れて行かれるようになるのだろうか。

 ……いや、おそらくもう、


「まだか?」


 魚影を探していたはずが、いつの間にか思考に耽っていたようだ。立ち止まったままのディアンを不審に思い、そう声をかけるのも当然のこと。


「いえ、探しているところです」


 もう一度槍を持ち直す。持ち手から先まで、同じ光量を放つそれはエルドが作り出した武器だ。

 太陽とは違う光に揺れる水面に、実はこれに反応して魚が逃げているのではとあり得ない予想を立ててしまうほどにはディアンも追い詰められているらしい。

 今日だけではない。こうして魚を捕ろうとした時から全敗だ。

 そもそも、武器の携帯を許されていないはずのディアンがこうして槍を握っているのには訳がある。

 試しに魚でも捕ってみるかとエルドに言われたのが四日前。目の前で軽々と捕まえた彼に対し、同じように挑戦したディアンが捕まえたのは一匹もおらず。

 まぁ、彼ならこれぐらいはできるだろうと、他と同様にそう納得するはずだったのだが……どういう訳かそれではどうも落ち着かず。

 しばらく川が近い道というのも相まって、昼飯の時だけこうして魚を捕るようになったのだが、未だに成功した試しはない。

 なぜこうも躍起になってしまっているのか。苛立ちとも対抗心とも違うなにかに翻弄されながら、もう一度突き立てたはずの先で貫いた獲物はなく。


「おーい、昼飯はまだかー?」


 ……先ほど苛立ちはないといったが、結果を知っているはずなのにわざと聞いてくる点に関しては意地が悪いと言わざるおえない。


「……もう少し、待ってください」

「もうそれ五回目だぞー」


 聞き飽きたし待ち飽きたと、合図と共にゼニスがディアンの方へ向かってくる。正確には、ディアンから離れた位置。逃げたばかりの魚の元に。

 荒々しい入水の後の動きは静かに。数秒後、前足で弾き飛ばした水に紛れるのは美しい曲線。

 勢い良く叩きつけられた身体がビチビチと跳ね、川に戻ろうとしても住み処は遙か遠く。ちょっとやそっとではもう届かない位置へ。

 続いて二匹、三匹と。もはやディアンの格闘具合と比べるのも愚かなほど、必要な狩りは数秒で終わってしまった。

 自慢するでもなく、哀れむでもなく。もう終わったぞと、そう視線を投げかける青は早々に陸に戻り、獲物を口に主人の下へ。

 一人につき一匹。……これ以上の狩りは、確かに不要だ。


「まだ慣れてないうちは仕方ないって。コツが掴めるまでは遅延魔法をかけるのも手だぞ」


 受け取ったエルドが手早く下ごしらえをしていく。まだ息はあるものの、腹を割かれてはもう長くないだろう。


「お前がかけられるのがマズいだけであって、かける方に回るのは問題ない」

「でも、それは……」


 確かにそう説明は受けたし、忘れた訳ではない。必要にかられればそうするし、その時はためらってなどいられないだろう。

 そう、そうしないのは必要がないから。そうしなくても、いいからで。


「それは?」


 言葉を濁せば追求される。聞かれたくないことに限って、こうして催促してくるのは彼の勘なのか、自分がそれだけ分かりやすいのか。

 こうなった場合、エルドが見逃してくれることはなく。残されているのは、早々に諦め口を割ることのみ。


「……卑怯では、ないですか」


 言ってから、気付かれぬよう息を吐く。

 確かに遅延魔法をかければ捕まえやすくはなる。簡単に、とは言わないし、それでも逃がしてしまうことはあるだろう。

 だが、コツを掴むまでは魔法に頼るのも手段の一つだ。分かっている。分かっていても、それは違う気がする。

 襲われていて逃げるのは当然だ。捕まれば食べられる。食べられれば、死んでしまう。

 一方、こちらは腹は減るが死ぬわけではない。無理に捕まえなくてもなんとかなってしまう。

 エルドからは非難されるかもしれないが、そこまでせずとも狩る必要はないのだ。

 捕まえやすくなるかどうか、変わるのはそれだけで、やっていることは変わらない。分かっているのに、どうしてもディアンの中では抵抗が強いのだ。


「そりゃあ、なんに対してだ?」

「なにって……」


 問われ、答え、止まる。濁したのではない、答えられなかったからだ。


「別に正式な試合でも、誰かが判定するわけでもない。単なる狩りに卑怯も正当性もないだろう」

「それは……そうなんですが」

「魚相手に特別な義理があるのか? 溺れたところを助けてもらったか、落とした物を拾ってもらったか」

「いや、ありませんけど」


 真顔で問われると、冗談なのか本気なのか疑いたくもなる。

 そして、冗談と分かっていても否定したくなるのはやはりその例えが極端すぎるからだろう。


「なら、なぜ兎には良くて、魚相手じゃだめなんだ?」


 否定はできても、頬杖をつきながら見据え、問いかける薄紫に二言目が出ない。

 義理などない。恩もないし、恨みもない。魚だからとか、兎だからとか、そういう理由でもない。

 でも、なににと聞かれたら……やはり、答えられる対象はなく。


「……別に、無理に捕まえなくても……お腹は空きますが、死ぬわけではないし……そこまでする必要は……」

「獣にとっちゃ、腹が減ってなくても食えるときに食うのが普通だし、そこまで考える余裕もないだろう。弱者が強者に食われるのは自然の摂理であり、それは人間でも変わらない。違うのは、そこに情けをかけてしまうところだろうな」


 間接的に甘いと怒られ、別の意味で返せる言葉がない。

 対等でありたいというのは、無意識に下に見ているということだ。いつでも狩れるという余裕。いつでも飢えを満たせるという、根拠のない自信。

 いざ窮地に迫られたとき、本当に獲物にありつけるかはわからないのに。満たせるときに満たしておかなければ、生き残ることはできないのに。


「狩りも漁も、それぞれのやり方があって道具もある。それは卑怯とは呼ばず、生きるための知恵だ。本当に対等ってんなら武器も道具も使わずに立ち向かわなくちゃならんだろ。そこに魔法という選択肢をくわえるのは、立派な戦略の一つだ」


 まぁ無理に使えとも言っていないがと、呟くと同時に手の中の感触が溶ける。光の粒は瞬く間に空気に消え、狩りの道具は失われた。


「早く上がってこい。冷えるだろ」


 素手で狩れるわけもなく、そもそも目的は達成されている。これ以上は無駄だと諦め、踏み出した地面はほんのりと温かい。それだけディアンの身体が冷えていたということだろう。

 もう定位置となったそこ。エルドの横へ腰を下ろし、手足を突き出して熱を受け入れる。その根元、串に刺された魚たちはまだ温まりきっていない様子。

 温度差に身体が震え、それだけ集中していたことを少し恥じる。まるで子どものようだ。必要なこととはいえ、しているのは水遊びと変わらない。

 思い返すまでもなく、ディアンにそうして遊んだ記憶はない。握っていたのは槍ではなく剣だし、そもそも川なんて来た覚えも。

 連れて行かれたとしたって、素足で水を蹴ることはなかった。

 いや、あったとしてもそれは鍛錬の一種としてだ。こうして魚を捕るなんて、きっと父は許さなかった。

 ……とはいえ、結局一匹も捕れてはいないのだが。


「ほら」


 差しだされた筒を受け取り、そういえば水分補給を怠っていたことにも気付く。

 本当に夢中になっていたと耳まで赤くなりそうなのを、流し込んだ水で誤魔化そうとして、


「ぐっ――ごほっ!」


 ……馴染みのある苦味に、思いっきりむせることとなった。


「あ、悪い。間違えた」


 なんとサラリとした謝罪だろうか。それでは到底許せないのに文句が出ないのは、舌にこびりつくソレに悶絶しているからだ。

 臭みがないのが幸い、などと思えるはずがない。

 奥から絞り上げるような、痛みさえ感じるほどの苦味。渋みもないし、痺れは苦すぎるゆえの錯覚だろう。だとしても、到底飲めるようなものではない。


「っ……っ……!」

「悪かったって、そう睨むな」


 随分と無茶を言う。一度ならず二度までも、どうして渡し間違えられるというのか。自分の所持品ぐらい分かるはずじゃないのか。

 それを言うと渡された自分が判別できなかったのも突っ込まれてしまう。ゆえに、紫は両手を上げる男を睨むしかなく。


「わ、ざと、ですよね……!?」

「わざとで渡すわけないだろ、一応貴重品なんだから」


 その貴重品を普通のボトルに入れないでほしいし、間違って渡してもほしくない。できれば二度と飲みたくなかったし今後も御免被る。

 そもそも、いつ補充しているのだろうか。可能性としてありえるのは、教会に立ち寄ったときが考えられる。そうなるとあの液体は教会からの支給品で……その時点で、一般人が口にしてはいいものではない。

 毒でも酒でもなく、薬の一種なら……いや、薬ではないと否定されたのだったか。では本当になにを飲まされたのか。


「……後で咎められたり、しませんよね」


 間違って渡されただけなのに、これで処罰を下されるのは正直理不尽である。


「怒られるとすりゃ俺だろ。……おい、ならいいやって顔するなよ」

「僕は飲まされた側の被害者なので」


 隠したつもりだが、隠しきれていなかったようだ。

 実際悪いのは間違えたエルドであり、自分ではない。勝手に飲まれた、と証言されない限りは大丈夫のはずだ。

 ……そして、彼がそう発言しないことも、もう分かっている。


「言うようになったなぁ、お前」


 呆れるような溜め息に、クツクツと笑う声が混ざる。

 だが、含まれている感情がそれだけではないことに気付いてしまい、むず痒いような感覚に目の置き場を失う。

 そうしている間に火に当たりすぎたのか、頬に上がった熱を冷ますために川に戻るのは本末転倒か。

 いや、まだ奥に残っている苦味をすすぐためだと言い訳し、覗き込んだ水面に煌めく鱗は笑うかのよう。

 見世物ではないぞと手を突っ込めば、笑う声の代わりに揺らめく尾ひれまでなんと憎らしいことか。

 勢いのまま口に含んで吐き出す苦味は……気のせいか、前よりもそう苦くないような気がした。

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