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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
幕間  一週間後の彼ら ★

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64.ダヴィード王

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「お父様……」

「ならぬと言った」


 聞き間違いではないと、再度告げる声は決して大きくはない。だが、この狭い部屋であれば十分だ。

 聞こえぬはずがない。ただ、聞こうとしないだけ。

 瞳に陰りが見えるのは、そんな娘に心を痛めているからなのか。

 一人の父親として、励ましたい気持ちがないと言えば嘘になる。

 彼はきっと大丈夫だと、必ず生きていると。根拠のない希望で励まし、気の済むまで探させることだって彼ならできるだろう。

 ただそう命じればいい。そうすれば、人々は彼に従う。どんな疑問も、感情も、彼にはねじ伏せられるだけの立場にあるのだから。


「現実を受け入れよ、サリアナ。ディアンは死んだのだ」


 ……だが、不可能だからしないのと、可能であってもやらないことは、決して同じではないのだ。


「死んでいないわ! あの人がこの程度で死ぬわけがない!」

「仮に生きていたとしても、ただの平民のために兵を動かすわけにはいかぬ」


 確かにディアンの立ち位置は特殊であろう。

 英雄の息子。『精霊の花嫁』の兄。王族とも関わりがあり、教会とも繋がりがある。

 それでも、ディアンは平民だ。英雄そのものでもなければ、なにか功績を立てたわけでもない。まだ学園を卒業すらしていない……ただの、一般人。

 兵とは、国の為に従う者だ。その糧は同じく国民の血税によって賄われている。

 それなのに、家出した青年を連れ戻すためだけに兵を動かすことなど民が許すことはないだろう。

 その非がどこにあろうとも。どんな事情があったとしても。それは、許されてはならないことで。


「そんなっ……お父様は彼が心配ではないのですか!?」


 それはサリアナもそれは理解しているはずだ。もし他者であれば慈悲であっても口には出さなかったはずだ。

 国は民を支えはするが、直接助けることはない。だからこそギルドがあり、他国とはいえ教会もある。各々の役目を外れれば、途端に国は崩壊してしまうだろう。

 分かっているはずだ。分かっていて、彼女は本気で言っている。なぜ、そうしないのかと。


「グラナート」

「……ええ、許可します」


 たとえ同じ英雄としても、この場に限っては女王の代理人。そんな相手に、それだけで会話を済ませるのは本来不敬である。

 それをグラナートが咎めないのは、それだけひどい状況であるということだ。

 目配せし、控えていた王国の騎士がサリアナの元へ向かう。

 表情こそ変わりなく、しかし胸に抱くのは困惑か、呆れか。


「娘は錯乱しているようだ。……事が落ち着くまで、部屋で休ませよ」

「お父様っ!」


 どれだけ悲痛に叫ばれようと聞く耳はない。どれだけ留まろうとも、屈強な男たちの前では無力にも等しい。


「まだ遠くに行っていないわ! 今ならまだ間に合うはず! お父様――!」


 扉が閉まれば、声も遮られる。無理矢理連れて行かれる足音も聞こえず……響くのは、男の長い溜め息ばかり。


「……見苦しいところを見せてしまった。だが、どうか理解してもらいたい。あれは相当に、あの者を好んでいたからな。」


 眉間に刻まれた皺は深く、吐き出された声は低く。目元を抑え、響く痛みに耐えようとしても取り除けぬまま。

 教会からの要請。許可もないまま使役された兵士たち。娘の暴走。学園での不祥事。そして……かつての戦友が犯した罪。

 この数日で起こった一つ一つが胸にのしかかるように重く、されど二度目の溜め息はない。

 全てがそうでないとはいえ、こうなった原因は男自身にもある。吐き出して楽になる権利など、彼には存在しないのだ。

 耳に届くのが遅すぎた……というのは、真実だ。だが、気付ける一端はあったはずだ。

 最終的に折れたのは自分で、それがどんな結果を招くか理解していたはず。

 ただ、目を瞑り続けた代償がここまで膨れ上がるとは夢にも思わなかったのだ。

 ……それこそが、男の言い訳であるのか。


「それが自分の父親の手に殺されたなど、受け入れられるはずもない」

「――違う!」


 否定が飛ぶ。だが、返される青に温度はない。そして、同じく静観している赤も。言葉こそないが、抱いている物は同じだろう。


「……私、は……」


 ……そして、咄嗟に叫んだヴァンが誰よりも、そう言う権利がないことを理解している。

 続く言葉に力はなく、最後には音すらなくなり。歯を食いしばろうとも、事実は変わらない。


「殺すつもりはなかった、などと言ってくれるな。お前がなにも与えぬつもりであったことは事実」


 まだ一週間なら、辛うじて生きていたかもしれない。だが、それは結果論だ。

 一週間でこの事態が明らかになっただけ。そうでなければ彼は閉じ込められたまま、そうして死んでいたことにも気付かれないまま。

 結果的に、ディアンは関係のない場所で亡くなった。だが、その原因がヴァンにあることは、どう足掻いても変えることはできない。


「どんな重罪人でも、ここまでの仕打ちはしない。……それは、聖国でも同じであろう」

「ええ。我らが女王も、死刑囚相手であってもこんな命令は下されない。……だが、」

「分かっている。……私も、同罪だ」


 咎める権利はない。そもそも、ここまで拗れてしまったのは自分が認めてしまったからだ。

 全てはあの日から始まった。あの時、あの瞬間から始まってしまったのだ。


「ヴァン。確かに、我々はお前に借りがあった」


 今でも思い出せる。かの精霊王の下に跪いたあの瞬間を。人類を守るために、援助を願い出たその見返りを求められた、あの時のことを。

『精霊の花嫁』

 確かにそれは、人にとって名誉なことだろう。我らを守り、加護する上位者と同じ存在となり、永遠の命を手に入れる。そうして後世を、かの者たちと共に見守り続けるのだ。

 本来ならこうして事前に知ることなどなく、選ばれた者のみに許されたそれは……ダヴィードにとっては、生け贄と変わらなかった。

 それが己の身体であれば差し出せただろう。腕でも足でも、全てが終わった後に。この地に平和が戻ったその時に。加護を返せというのであれば、それだって。

 人間にとって、加護を取り上げられることは身を切られるよりも辛く、恐ろしく。

 それでも、あの魔物たちの脅威から日常を戻せるのであれば。それで民が救えるのであれば、なにを差しだしても惜しくはなかった。

 ……だが、求められたのはこの国を担う子であった。

 いつかこの国を、自分の跡を継がねばならぬ息子たち。まだ腹の中にさえ生まれていない後継者。

 当時ダヴィードは王ではなく。側室どころか、正妃すらも存在しなかった。そんな余裕すらもない状態で、そもそも子を授かれるかも定かではなく。

 もしも一人しか授からず。それを『花嫁』として献上することになれば……いつか平和になった時代で、そんな火種を落とすことになれば。この国は内側から乱れてしまうだろう。

 愛するのは正妃ただ一人。形ばかりの側室を設けるつもりもなく、ましてやその子を成すなど。

 もし、求められたのが正妃との子であったなら。差しださねばならないのが、その子しかいなければ……。

 否、ただの言い訳だ。ダヴィードは恐れたのだ。

 まだ出会ってもいない子どもを。愛する者と授かった、我が子を失うことを。

 あの時、考える間はなかった。決断を迫られ、されど答えられず。そして……ヴァンが、犠牲を払った。

 そうしなければ魔物には勝てなかった。そうしなければ、今の平和はなかった。

 人一倍責任感が強く、約束を違える男ではなかった。他人にも自分にも厳しい男だった。ただ……致命的に、不器用な男だった。

 『精霊の花嫁』の件も、ディアンを騎士にするための躾も、成さねばならぬという彼の責務から。

 それなのに、どこでこの男は間違えてしまったのか。


「民のため、人の平和のため、お前の娘を犠牲にしなければならなかった。そうしなければなにも守れず、こうして言葉を交わすこともできなかった。……だからこそ、私はお前の願いを聞き入れ、ディアンの成績を改悪することも許した」


 英雄の息子。『精霊の花嫁』の兄。

 それだけで世間の目は厳しく、辛く彼らに向けられる。

 並大抵の努力ではだめだと。現状に満足させてはいけないのだと。

 努力を怠らぬよう、そして認められぬと腐らぬようダヴィードはそれを許した。彼の息子なら耐えられると。ディアンならば挫けないと。

 本当に彼が娘の騎士を望むのであれば、ヴァンの言う通りただ努力するだけでは到底たどり着けぬからだ。

 結果、彼はその努力を開花させた。

 騎士団に入るに相応しい男に。今までの悪評が嘘であったと、そう知らしめられるだけの実力を伴った者に。

 そうして、サリアナを任せられるだけの存在になったのだ。


「……だが、」


 否、なっていたはずだ。本当にそれだけなら。ただ、成績を偽らせただけならば。

 そう、見過ごしてはならぬそれに気付かなかったのは……他でもない、ダヴィードの罪。


「よもや、妨害魔法をかけ続けていたなど……!」


 知らなかったでは済まされない。未成年者への一定量を超えた負荷魔法は、聖国が全面的に禁止している。その期間が長ければ、そして強ければ強いほどに、その者の命を脅かすことになる。

 この世界で虐待は、精霊侮辱罪に並ぶ重い罪だ。精霊からの授かりものを虐げ、その命を奪うことはあってはならない。

 嘘であれと願い、されど突きつけられた証拠は全てを裏付けている。間違いなく魔術過剰にも陥っていただろう。

 発作の条件こそ今では確かめられない。だが、彼が死んだ原因は、間違いなく。


「昔から魔術に疎い男だとはわかっていた。だが――!」

「待て! ……いったい、なにを言っている……?」

「呆けるつもりか!」


 誤魔化そうとしても無駄だと、そう詰ってもヴァンは動揺しない。

 本当に知らないと。初めて聞いたのだと、そう思わせるような顔でダヴィードを見返している。


「事あるごとに妨害魔法をかけるよう命じていただろう!」


 教師からの供述は、既にグラナートによって取られている。

 全ては命令に従いそうしたのだと。だから、ずっと負荷魔法をディアンに与え続けていたのだと。


「――馬鹿な!」 


 だというのに、ヴァンはまだ認めようとしない。声を荒げ、目を見開き、違うと噛み付いて否定するばかり。


「私が望んだのは試験点に関してだけだ! 妨害魔法など望んだ覚えはない!」

「まだ言うか! 私からの命令だと偽り、そう命じたのはお前ではないのか!」

「……静まりなさい」


 怒声が飛び交い、肌を刺す空気をグラナートの声が遮る。だが、その赤はダヴィードに向けてのもの。


「そもそも、彼らの話ではあなたの命令だという証言が取れている。こちらで預かっている書簡とは別に渡され、それは読み終えると同時に燃えてしまったと」


 言い終えてすぐ、シスターが取り出した石から流れる声は学園の教師たちのものだ。

 グラナートの言う通り書簡は二つ目があり、それに妨害魔法について記述されていたと。そして、それは証拠を残さないようにひとりでに燃えてしまったことも。

 どの教師も同じ供述をしたのは確認が取れている。あとは、それがどこまで真実か確かめるだけ。


「ヴァンに書簡を偽れるだけの技術はないだろう。……そうなると、あなたが命を下したのが正しいことになる」

「グラナート、確かに私は愚かな王であろう。だが、その程度の分別ぐらいはつく……!」


 宣言を立ててもいいと焦るダヴィードも、言葉を反芻し理解しきっていないヴァンも。その姿だけなら嘘を吐いているようには見えない。

 教師たちの言葉が偽りならば、彼らの独断かどちらかの命令になる。物的証拠がない以上、確かめるのは各々の証言しかない。

 だが、いくら口裏を揃えるといえど教師全員が同じように答えられる可能性は低い。ましてや聖国相手だ、少しでも矛盾が見つかれば間違いなく追求していただろう。

 そして、グラナートだって……かつて死線を共にしたとはいえ、盲目ではない。

 魔術の類には不得手なヴァンが書簡を偽造するのは不可能。そして、ダヴィードもヴァンに対する負い目のみで罪を犯すほど愚かではない。

 全員が嘘を吐いているのか。

 それとも……全てが、真実か。


「……真偽はこちらで調査しよう。もし偽りがあったとしても、相応の罰が下される」


 証拠もないのに言い合っていても埒があかない。

 いずれ真実は明かされる。そして、今すべきは……明らかになっている罪を裁くこと。


「どうであれ、ヴァン。お前がディアンを殺そうとした事実は変わらない」

「私はっ……!」

「思い至らなかった、などと言ってくれるな。……余罪も含め、処分が下るまで謹慎とする。我らが女王陛下はお前と違い、最低限の食料も与えてくださる。逃げずとも命まで取りはしない」


 控えていた聖国騎士がヴァンの横についても抵抗する素振りはなく、何も言わずに立ち上がる姿に滲むは戸惑いと……おそらくは、後悔。

 その内に抱えたものを知れることはないまま男が部屋から出れば、残ったのはかつての戦友二人。

 今は、その立場を違える者たちだけ。


「なぜ……」


 その疑問に答える者はいない。どうしてこうなってしまったのか。なぜ、こうなるまで……彼は、ディアンを放置してしまったのか。

 誰よりも責任感が強く、確かに厳しいところはあった。だが、それでも人としての道を踏み外す真似だけはしなかったはずだ。

 たとえ自分の息子を騎士にするために。そう約束を交わさせた責を取るために、厳しく接していたとしても。その限界を見誤るような男では、決して。


「ダヴィード王」


 昔なら、その疑問を酌み取った男は彼の名を呼ぶだけ。

 そして……その口から、答えが得られないことは、考えるまでもなく。


「どのような理由であろうと、ディアン・エヴァンズについて真相が判明するまで、これ以上の関与は禁ずる。……分かっていますね」


 脳裏に浮かぶは、生きていると信じて疑わなかった娘の姿。

 彼女は諦めないだろう。たとえ、本当に死体が見つかったとしても……それを認めることは、おそらく。


「……分かっております」


 本当に、どこから間違えてしまったのかと。

 一人残された男に答える声は、どこからも……どこからも、聞こえることはなかったのだ。


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