58.密室
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「ペルデ!」
名を呼ばれ、大きく肩が跳ねる。その様だけなら小動物。男としてはなんとも頼りないが、その怯えようは彼本来の性格とはまた違うもの。
顔こそ合わせど視線は交差せず。足は引いたまま、早く立ち去りたいと隠しもしていない。いや、本人にすればこれでも繕っているつもりだろう。
だが、野次馬も、その彼の腕を掴んでいるサリアナも……そして、ラインハルトも助けることはない。
先の一般人は別だ。あの男は本当になにも知らないし、平民に関わらせる理由もなかったからだ。
だが、ペルデは違う。教会に属さぬままその内情に精通する隠し事のできない男。秘匿主義である教会にとっては、致命的な存在。
本来なら、王族と教会の者が密になることをオルレーヌ側は良しとしない。
英雄という繋がりがなければ、この学園に通うことも許されなかっただろう。当時も司祭への交渉が難航したと聞く。
それはともかく、サリアナ同様……いや、それ以上にグラナート司祭は彼に甘い。
一般人に割く時間などないはずなのにわざわざ精霊学を自ら教えるぐらいだ。学園ではなく、今は教会に身を寄せていても不思議ではない。
そして、それは口止めされているのだろう。そうでなければ、こんなにも自分たちに怯える必要はない。
詰め寄られればすぐにボロが出る。全くもって、教会には相応しくない男だ。
「ペルデ、ディアンのことをなにか知らないかしら? いいえ、ペルデでなくても、グラナート司祭ならなにかご存知のはず!」
内容があの男というのは気に食わずとも、これも教会の内情を知れるチャンスだ。思わぬところから弱みを引きずり出せるかもしれない。
だからこそ、詰め寄るサリアナをラインハルトが止めることはなく、一番近い教室から人を払うようにと指示を出す。
「し……しり、ません」
絞り出した否定に力はない。視線も泳ぎ、明らかに挙動不審だ。なにかを知っていると全身で表現している。
「知っているのね! お願い、おしえてペルデ! 一週間前、あの人になにがあったの?」
そして、あの男に並ならぬ執着を抱いているサリアナが素直に聞くわけもない。
「ほ、本当に、本当に知りません……!」
「ペルデ!」
「落ち着け、サリアナ」
準備が整い、声をかければペルデの表情がますます強張る。
ラインハルトの声が助けではなく、己の逃げ道を塞ぐものだと理解しているからこその反応。
その一挙一動こそが、全てを肯定している。
そう、彼は知っている。司祭に止められるほどの情報。ディアンだけではなく、内情に関わるなにかを。
「こんなところではペルデも話せないだろう?」
故に、聞かねばならないと。逃がすわけにはいかないと。
哀れな程に青ざめるペルデは、されどサリアナの手を振り払えぬ腕は引かれるまま中へ。
縋るような視線は、ラインハルトに向けてではなく、彼が閉めた扉に対して。
そのまま立ち塞がる騎士に怯えたのか、他の逃げ道を探そうとしたのか。咄嗟に逸らした目は、サリアナによって無理矢理正面へと戻される。
展開される防音魔法。これで外から聞かれることも、中から助けを求めることもできない。
もっとも、王族に連れられた一般生徒を助けられる者など、この学園にいるはずもないが。
「ここなら誰にも聞かれないわ。お願い、教えて!」
彼女の目には、彼の怯えた姿など見えていない。血の気も引き、汗もかいている。なにも知らなければ体調不良で今にも倒れそうだと思っただろう。
一歩引いた足は最後の抵抗か、それも無意識の行動か。
他の生徒ならラインハルトもここまではしなかったはずだ。妹の暴走を止め、早々に帰した。先ほどのように。あの巻き込まれた生徒のように。
だが、ペルデは違う。どんな些細なことでも聞き出さなければならない。それがあの加護無しについてのことでも、そこから教会の内情について知れるはずだ。
少しでも隙があるなら突くのは当然のこと。
それが教会……否、あの忌々しい聖国についてなら誰だって。
嫌悪を表面化するほどラインハルトも馬鹿ではない。下手をすれば反逆とも捉えかねず、王族とはいえなにかしらの処罰が科せられる可能性もある。
だが、これは妹が恋慕している相手について話を聞いているだけだ。
その結果、ペルデがなにか情報を漏らしても、それはラインハルトたちのせいではない。
「は、っ話すようなことは、なにも、本当に……」
否定すればするほど苦しいのは本人も分かっているだろう。それでも止められないのは、逃亡本能からだ。
巻き込まれたくないと、ろくなことにならないと。もう長年の間に染みついた記憶が、彼の理性を惑わしている。
ああ、まさしく……この状況にうってつけの精神状態。
「――ペルデ」
離れているはずのラインハルトでも聞こえそうな程に、ギュウと強く握られる腕。痛みに顔をしかめ、反射的に顔を見たペルデの顔が強張り、固まる。
見つめ合う姿だけを見れば逢い引きのようだ。彼女の声しか聞けず、頭の中は呆け、ろくに考えられない。
固く結ばれていた唇がほどけ、力が抜けていく行程に、改めてサリアナの才能を惜しむ。
彼女もまた英雄の娘。精霊からの強い加護を賜った特別な人間。
あの男に絡んだことでなければその実力が発揮できないこと以外は、何ら欠点もなかっただろうに。
だが、その全ては……おそらく、無意識でのこと。
「一週間前、ディアンになにがあったの?」
だから、サリアナに自覚はない。自覚はないまま、ペルデの精神に呼びかけている。思考を溶かし、理性を塞ぎ、最も深い場所へ。
「――…………ディ、アン、は、」
呟かれた声に覇気はない。虚ろな瞳はなにも映さず、まるでなにかに操られているかのよう。否、実際に操られている。
彼女のそれに正式な魔術名はない。精霊の加護が為しえたのか、あるいは彼への執着によって編み出したのか。
皮肉にも、その術を最もかけたかった本人には通じず、こうして情報を聞き出す時にしか効果は発揮できていない。
だが、もしこれが他の用途で、誰にでも通用したのなら……それはきっと、洗脳と変わらぬ効果を発揮していただろうに。
末恐ろしい。だからこそ、その狭さが惜しい。
この力は国王も知らない。知られればすぐにでも教会から制限がかかるだろう。
知っているのはラインハルトと、彼の信頼する騎士だけだ。サリアナの護衛には口止めしているし、そもそもかけている本人に自覚はない。
彼女はただ、純粋にディアンを心配している。その真摯な対応に心を打たれた者が、親切に教えてくれる。
そう、目の前の光景も、ただそれだけのこと。
「夜に、教会へ……僕の父と、話を、」
「なんの話を?」
「成績が……捏造されていたと……ギルド長を通じて、王家の命で、先生たちに――」
「――なんだと?」
だが、反応したのはサリアナではなく、静観していたラインハルトの方だった。
捏造、王家の命。何一つ心当たりはない。捏造などいつしていた? いつだってあの男の成績はひどかった。剣も、魔術も、座学だって。誇れるものなどなかったはずだ。
なにも良いといえる点はなかった。それでは、一体なにを捏造したというのか。
「どういうことだ」
「妨害魔法を、かけられていたと。座学も、点数を減らされて、だから、本当は首席にだって、」
「――やっぱり!」
手が離れ、解放されたペルデが後ろへ倒れかける。その身体が持ち直したことも、サリアナが口元を覆ったことも、ラインハルトの目には映らない。
繰り返されるのはペルデが答えた言葉ばかり。妨害魔法、捏造、減らされた。
あり得ない。馬鹿馬鹿しい。そんなの……なんのために。
「ほら、お兄様! 私が言った通り、ディアンは弱くなんてなかった! あの人は私の騎士になれるだけの実力があったのよ!」
一人喜ぶサリアナの声も、鼻で笑いたいようなその内容も、言うつもりはなかったのにと口を押さえ震えるペルデの姿にも反応できない。
あり得ない。ああ、本当になんて馬鹿馬鹿しい。
なんの利益があって己の息子の悪評を広める父がいると言うのか。英雄である彼が、その一端を担うはずの男が……なぜ。
あり得ない。あり得るものか。そんな馬鹿げたこと。質の悪い冗談だ。
「くだらん。証拠もないのに、それをグラナート司祭が信じたと?」
「書簡が……っ……」
まだ効力が残っているのか、慌てて口を噤むも、出てしまった言葉はラインハルトたちの耳に届く。
あり得ない。……あり得ないはずだ、そんなもの。
「確かめないと……! ペルデ、すぐに教会へ行きましょう!」
「あ……っ……」
手を引かれ、扉を駆け抜けるなり防音魔法が解除される。もう遮る必要もないのだから当然だ。
遠ざかっていく足音。その一つがいかに拒んでいたか、それを知る者はいない。
すぐに追いかけていくサリアナの騎士を見送り、残ったラインハルトに向けられる眼差しは戸惑ったもの。
「いかがいたしますか」
「放っておけ。……あの加護無しが絡むと、言うことを聞かないからな」
今さら追いかけて止めようと無駄。すぐにでもサリアナは教会へ向かい、そうしてグラナートに問い詰めるだろう。
結局有益な情報は一つもなかった。分かったのは、この一件に教会が絡んでいるということだけ。
……それにしても、なんとくだらない。
役立たずの臆病者。加護も賜れなかった落ちこぼれ。英雄の面汚し。そんな男を妨害する理由なんて、本当にどこにあったというのか。
なにをせずともあの男は自ら落ちぶれていっただろうに。逆ならともかく、貶める理由なんて。
ああ、本当に。なんて杜撰な嘘であろうか。
そんなものを信じる司祭も司祭だ。以前からディアンに対して甘いとは思っていたが、よもやここまでとは。
本当に理解ができない。そう、こんなの嘘でなければならない。
そうでなければ、まるで……まるで、そうでもしなければ自分があの男より劣っていたみたいではないか。
誰よりも努力し、その賞賛を得た自分が。なんの努力もしなかった、あの加護無しよりも。
……ああ、それこそ。まさしく、あり得ない。
姿を見せなくなってもなお苛立たせるとは、どこまでも忌々しい。
いっそ本当にいなくなって、そうしてくたばってしまえばいいと。鼻で笑うはずだったその口からでたのは、醜い舌打ちのみだった。
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