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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第二章 初日

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52.魔術疾患

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「……魔術、過敏……?」

「魔術過剰とも呼ばれているが、どちらも同じ現象を指す。人間が蓄えられる限度量を超えた魔力、または魔術を長期間にわたって注がれることで生じる病のことだ」


 聞き覚えはあるかと問われ、首を振る力もなく。だが、その反応でエルドも理解できただろう。


「周囲の環境によって患う場合もあるが、他者から意図的に引き起こされることもある。お前のそれがどちらによるものか確かめる必要があった。……そして、お前は誰かによって、病にかかってしまった」

「……そ、んな、」


 ありえないと、否定するのは言葉だけ。誰かによって意図的に……病気に、なった?

 誰が、なんの目的で。そもそも、そんなの今まで気付きもしなかった。

 なにか勘違いしているんだ。だって、そんなの、


「発作にはいくつかの条件がある。お前の場合、それが日常生活に関与してなかったから気付けなかっただけで予兆はあったはずだ。……そうでなきゃ、こんな重度になるまで無事でいたほうがおかしい」


 吐き捨てた言葉はディアンにではない。彼をこうしてしまった原因へ。病に侵させた顔も知らぬ誰かに対して。

 予兆。重度。いくつかの、条件。

 どれも心当たりがない。彼がこんなにも苦々しい顔をするほどの病が自分にあったなんて、信じられない。

 なにもおかしいところなんてないはずだ。なにも、変化なんてどこにも。


「……ディアン。お前、今までどんな訓練を受けてきた」

「くん、れん……?」

「ノースディアには王立学園があったな。剣術はそこで習ったのか、それとも父親か」


 頭が回らないのは、酸欠のせいなのか。真実であると認めたくない故の抵抗なのか。鈍い思考で答えられるのは問われたことだけ。


「ほとんど、は、自分で……授業でも、やってました、けど……」

「遅延魔法をかけていたのはどっちだ」


 息が止まる。なり損ないが喉を鳴らし、無意識に力んだ手は握り返される。揺れた瞳を誤魔化すことはできない。

 どうしてと問い返すほど……ディアンは、愚かにはなれなかった。


「……ち……ちの、命令で。先生たち、から」

「いつからだ」

「わ……わからない。でも……たぶん、さいしょから、ずっと……」


 思い出すのはグラナートの元に置いてきた書類。捏造された解答用紙。入学当初から偽っていたのが、座学だけとは思えない。

 最初からだ。魔術も、剣術も、あの時からずっと妨害されていたはずで。


「剣を振るった時、身体が重くなっただろう。痺れと呼吸も、ここまでひどくなかったかもしれないが、違和感はあったはずだ。大して動いていないのに。頭で理解しているのに。……わかっているはずなのに」


 震えが止まらない。もう殺意を向けられていないのに。終わったのに。息が苦しくて、身体が重くて、考えられ、なくて。

 そう、これは……これは今までと、同じ。


「この病を患うほとんどが子どもなのは、まだ身体ができあがっていないからだ。成長過程で魔力器官も安定してない時期に、外部から干渉を受ければ当然。……そうされてきた時期が早く、長いほどに重症化する」


 言葉が頭の中に入ってこない。聞かなければならないのに、考えなければならないのに。でも、考えたくなくて。聞きたくなくて。認めたくなくて。

 ……それでも、身体は重いまま。耳を塞ぐことも、できないまま。

 ああ、違う。聞かなければ。だって、彼が話している。彼が、エルドが聞けといった。だから、聞かなければ。


「お前の発作の条件は、敵意を持った相手がいる状況で武器を構えることだ。それも、危険だと自覚するほどに強く出る傾向にある」

「構えた、時点って……そんな……ありえない……」

「言っただろ、だから病気なんだって」


 否定は手を握られて塞がれる。滲む汗は冷たく、抱きしめられる温度がなければ凍えていただろう。だって、こんなにも震えが止まらないのだから。


「ベルが鳴れば餌が出てくると覚えた犬と同じく、剣を構えるごとに付与されていた反作用魔術によって身体は不調をきたし、それが普通だと脳が誤認した。だから、実際に魔術がかけられていなくても、脳はそれを再現しようとする。なぜなら、お前の身体にとってはそれが普通であり、当然だからだ」


 聞いている。聞こえている。なのに理解できない。したくない。

 それでもエルドの声は止まらない。だから、聞かなくてはいけない。そうだと理解している。それだけが、わかっている。


「この病は治癒魔法では治せない。だからこそ、教会は成人を迎えていない子どもに対して必要以上の魔術は禁止しているし、こんなもん発覚すれば重罪だ。そして、分かった時点で……その者は、保護に値する」


 だから、わざわざ反対の町にまで荷物を届けて偽装したし、面倒も見るのだと。全ての疑問はこれで晴らされたのだと。

 待ち望んだ答えを得られても、ディアンの震えは止まらない。なにも変わらない。息だって、苦しいまま。


「……ぼくが、病気……?」

「今まで、誰も気付かなかったのが不思議なほどにな」


 わざと隠していたわけじゃないんだろうと、背中をさする手は温かく、ディアンの身体は冷え切っている。


「僕は……剣を、握れない?」

「……正式な検査じゃない。だが、今までの反応からして確定だな。一昨日お前が気絶したのもこのせいだ。授業では気付かれないよう間接的に与えられていたからここまで強く出ることはなかったんだろうが……」


 ただでさえ長年にわたって遅延魔法が蓄積し、なおかつ弱っているところに直接付与されれば限界にもなるだろうと。冷静に語られる内容を、やっぱり認めることができない。

 だって、知らなかった。入学してからずっと、一昨日まで。捏造されていることも、妨害されていたことも、なにも知らなかった。

 そのせいで病気になったなんて。そのせいで、今もこうして苦しんでいるなんて。

 だって、これは父が……己を騎士にしたいと願って、そうしていたはずだ。だから成績だって捏造されて、ずっと遅延魔法もかけられていて。

 それなのに……剣を、握れない、?


「――ど、うして」


 ああ……寒い。寒くて、さむくて声が震える。目の前が滲んで、止まらなくて。息が、苦しい。

 握られた手が痛い。引き寄せられた背中だけでは足りない。

 どうして。どうして、こんな。

 望んだ成果をあげることはできなかった。一度だって父に認めてもらえなかった。それでも、努力だけは怠らなかったのに。

 決して無駄にはならないと。いつか、役に立つはずだと。痛くて、苦しくて、でもそれは鍛え方が足りないからだと。ずっと、ずっと。

 だって、それ以外に考えられなかったから。考えたくなかったから。

 なのに……!


「なんの、ために……ぼくは……っ……!」


 騎士にするために課せられていたはずだ。ディアンが望んでいなくとも、そのためにずっと、ずっと。ディアンの自覚も同意もなく、六年間、ずっと!

 その結果が剣すら握れないなど! そんな病にかかってしまったなど――ああ、ああ!


「……ディアン」

「どうして、こんなっ……こんな、ことに……!」

「大丈夫だ、ディアン」


 引き寄せられた身体が抱きしめられる。伝わる鼓動は強く、熱く。伝う涙が服を濡らしても止められず。震えた息が跳ね返る。


「お前は戦えない。だが、決して無力ではない。身を守る術をお前は既に持っている。……そして、お前の病気は完治しないわけじゃない」

「でもっ、それは!」

「ああ、時間はかかる。……だが、必ず治る。お前の努力を、決して無駄にはさせない」


 喉はつまって、しゃっくりを上げるばかり。声は出なくて、否定も肯定もできない。

 治るのだろう。彼が言うとおり、時間をかければ。その方法がわからなくても、いつか、きっと。

 だけど、そうじゃない。そうじゃないんだ。

 だって、ずっと、ずっと――!


「――が、んばって、きた、のに」


 ああ、違う。どうして、なぜ、こんな言葉ばかりちゃんと言えてしまうのか。言うつもりなんてなかったのに。聞かせるつもりなんて、なかったのに。


「……ああ」


 頭に手を添えられる。掻き混ぜられる感触に喉が引き攣って、息ごと声を止める。

 そうしないと溢れてしまう。叫びだしてしまう。押さえられなくて、だから、だから、


「わかってる。……わかっている」


 それなのに、背を叩く手は温かくて。声は優しくて。止められなくなる。溢れてしまう。

 ダメなのに。止めないといけないのに。

 だって、まだ頑張れる、まだ大丈夫、治れば、治れば今度こそ頑張れるから。時間がかかっても、また、だから、だから、


「お前は、十分がんばったよ。ディアン」

「――ぁ、」


 溢れる。こぼれる。止まらない。止められない。

 どうして。どうして、どうして、どうして!

 頑張ってきたのに、ずっとずっと頑張ったのに、どうして!


「あ、ああぁ、あ……ああああ……!」


 いよいよ泣きだしたディアンをエルドが引き寄せなければ、その声はどこまでも響いていただろう。

 夢中でしがみつき、泣き叫ぶ背を叩く手はやはり優しく、温かく。服が汚れることも厭わず、抱き留める顔は穏やかなもので。


「そうだよなぁ……頑張ったのになぁ……」


 悔しかっただろうと、囁く声はディアンに聞こえていただろうか。

 辛かっただろうと、慰める力は痛くなかっただろうか。

 その答えは得られないまま。……弱まる火の勢いは、まるでそんな二人を暗闇に隠すかのようだった。


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