51.返却
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声を出す間もなかった。瞬きすらできなかった。
ただ、気付けばもう終わっていた。終わっていたのだ、全て。
意識すらしていなかった。剣を握っていない右手なんて見ている場合じゃなかったから、だから――下から手を殴られ、剣を弾き飛ばされるなんて、予想すら。
じわり、痛んだのは首筋。ギラリ、光ったのは向けられた剣。カランと落ちたのは、空を舞った自分の武器。それは、全てが終わった瞬間を告げていた。
鼓動と共に痛みが増していく。薄皮一枚。実際に血は出ていない。それは偶然か、意図的か。真実などディアンには関係ない。
……死んだ。
死んだのだ。自分は死んだ。殺された。首を裂かれて呆気なく、一瞬で。
全ての力を出し切って、抵抗して、それでも――死んで、しまった。
ゆっくり、剣先が下ろされていく。そこに付着した赤はないのに、全身の血が抜けていくのは錯覚だとわかっているのに、手足は冷たく、重く。
崩れ落ちた身体が地面に倒れる。座ることすらできない。
重い。重たい。苦しい。起き上がれない。力が入らない。死んでいないのに、本当は死んでいないのに。
でも死んでる。死んだ。今、殺された。
なにもわかっていなかった。理解なんて、覚悟なんてできていなかった。また、したつもり。できていた、つもり。
結局、なにも……なにもできなかった、できないまま、死んで、
「っ……ぁ……!」
息のなり損ないが喉から抜けていく。苦しい。吸っているのに、吐いているのに、苦しい。苦しくて、なのに喉を押さえることもできない。
重い、重たい。指先すら動かない。
まただ。また同じ。死んでしまいそうなほどに苦しいのになにもできない。
ああ、違う。死んだ。死んだのだ。殺された。本当なら殺されて、死んでいて、だから、だから、
「――ディアン」
うずくまっていた身体が、誰かに起こされる。
違う、一人しかいないのに認識できぬまま。肩を抱かれ、手を握られ、抱きしめられて。背中を叩く優しい振動に……息が、戻る。
「ディアン、大丈夫だ。大丈夫。俺に呼吸を合わせろ」
「は……っ、あ……げほっ……!」
頭の奥も指先も痺れて、どれだけ吸っても苦しい。
トン、トンと。一定のリズムで叩かれるそれに合わせるのは難しくて。全然合わせられないのに、怒る声は聞こえなくて。
ゆっくり、ゆっくり。繰り返すごとに力が戻ってくる。
まだ痺れは強く、身体も動かない。呼吸だって苦しいけど……まだ、意識はここに残ったまま。
「そう、うまいぞ。いい子だ」
「っ……ど、うし、て」
やっと聞けた問いは自分の耳にすら聞こえないほどか細く。だが、男には届いていた。
目が細まり、眉が寄る。強まったのは、ディアンの手を握る指先だけ。
「手荒な真似をして悪かった。事前に伝えれば確かめられなかったし、こうしてお前に示す必要もあった。口で伝えるだけでは納得されないからな」
もう殺気も敵意もない。襲われないと分かっているのに、その理由がまだわからない。
「……なに、を?」
そうするだけの。そうしなければいけないほどに、確かめなければならなかったこと。そこまでしなければ自分が納得しないと。そう断言できる、理由とは。
「ディアン、悪いが先も言ったとおり、剣は返してもらう。そして、今後携帯することは許可できない。長剣もナイフも、武器と名称できる物は全て」
息が止まる。それは、まだ呼吸が整っていなかったからではない。
剣を返すのは構わない。最初からそのつもりだった。無理矢理渡したのはむしろエルドの方で、だから、それは分かっていたこと。
でも、そうじゃない。彼はそれ以外もダメだと言っている。戦うなと、抗うなと、確かにそう告げていて、
「だがそれは、」
「――ぼく、が、」
声が震える。わかっていたのに、こうなるって予想していたのに。それでも止まらない。
言う必要なんてないとわかっているのに、言ったってどうしようもないって、わかっているはずなのに。
「よ、わい、から……です、か?」
「……ディアン」
力の入らない指が強張り、呼吸が浅くなる。名を呼ばれたのは肯定だ。お前では無理だと、弱いのだと、たったその一言だけで。
わかってる。わかっている。自分が、誰にも勝てないことぐらい。最初からぜんぶ……ぜんぶ!
「落ち、こぼれで……っ、出来損ないだから……誰にも勝てない、臆病者だから……! 父さんの望んだ、騎士に、なれなかったからっ……!」
妨害魔法なんて関係なかった。自分が評価されないのはそのせいだと安心して、言い訳して、でも現実は変わらない。変わるわけがない!
どれだけ偽ろうと自分は弱く、誰にも勝てない。誰にも評価されなかったのは、その価値がなかったからだ!
浅ましくも期待していた。本当は、ちゃんと戦えるんだって。自分の身ぐらい、自分で守れるんだって!
勝てなくても、互角でなくても、それでも逃げ切るだけの力はあるはずだと!
理解したつもり? 今度こそ? 幸運は続かない? わかっていなかった?
――ああ、本当に! なにもわかっていなかったじゃないか!
「ディアン、」
「ぼく、の、努力がっ……たりなかったから……! えい、ゆ、っの息子、なのに! つよくっ……!」
「――ディアン!」
指先に走る痛みが、鼓膜を震わせる声が、見下ろす薄紫が、呼吸ごと声を止めた。
ぼやける視界に映る顔は険しく、恐ろしく。なのに、温かくて。
「聞け、ディアン」
どくり、どくり。鼓動と一緒に響く。強く、低く、唸るような声。
続きを聞くのは恐ろしいのに、聞かなければならないと理解している。感覚ではないなにかが、わかっている。
「自分を否定するな、ディアン。お前は十分強い。いや、強かったはずだ。この手を見ればわかる」
解放された手のひらを親指が撫でる。剣ダコのできた分厚い皮膚。何度も裂けては血に染まったそこを、何度も、何度も。
「誰よりも努力しただろう。誰よりも悔しい思いをしただろう。あらゆる罵声に耐え、嘲笑にも負けず、己の信念を貫いた。誰に評価されずともお前の強さは揺るぎない。たとえ誰からも勝利を得られずとも、お前が弱者であるはずがない。死が迫ろうとも恐怖に打ち勝ち、立ち向かおうとする者が……そう呼ばれていいはずがない」
涙を拭われ、視界が鮮明になる。見つめる瞳はやはり険しく、強く。……なのに、痛々しく。
「本来ならしかるべき評価をもらえたはずだ。その努力に相応しい賞賛を得られたはずだ。確かにお前は誰にも勝てず、戦うための知識も、それを補える経験だってない。だが、武器を持たせられないのは、お前が弱いからでも、努力が足りないからでもなく、お前を助けるためだ」
「……ど、う、いう……?」
息が漏れる。ディアンではなく、真上から。なにかに耐えるような、覚悟を決めたような、深い、深い息。
ゆっくりと瞬き、見下ろした目がディアンを貫く。僅かに揺れたように見えたのは……ただの、錯覚であったのか。
「……お前は、魔術過敏を患っている」
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