49.偽装工作
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町からそう離れていない木々の中。流れていた川の近く。
都合良く作業場になりそうな岩もあり、一連の流れを聞くまでは順調だったはずだ。
結局、哀れな兎は目覚めることなく息の根を止められ、仰向けに置かれ……その腹を捌かれたところから、もう無理だった。
どうダメだったかは詳細を省くが、簡単に言えばまだ解体の『カ』の字も始まっていない段階とだけ言っておこう。
見ていられたのは数分にも満たず、下手をすれば一分も経っていないかもしれない。
慣れた手つきで捌いていくエルドの笑い声は、完全にディアンの反応を楽しんでいたし、早々に降参するのも想定内だったのだろう。
それでもめげずに見ようとするも「無理して吐かれたら飯が不味くなる」と言うありがたい制止によって火の番を任され……再び兎だったモノを見たのは、焼く直前になってからだった。
正直食欲も湧かなかったが、それも全て慣れだと言い聞かせ。最後には完食しきったあたり、案外自分も図太かったのかもしれない。
……とはいえ、次から捌けるようになるとは、やはりまだ思えない。
「落ち込んだか?」
骨を処理し、たき火を突いていたエルドの問いに首を振る。
いや、落ち込んでいるのはそうだが、そんなに深く考えていないというか……。
「……これも、経験ですよね……?」
「おう、経験経験。あんだけ食えてたら、あと三回もすりゃ捌けるようになるんじゃないか?」
「三回……」
多いのか少ないのか微妙なところだが、ディアンの体感では本当にそれだけで済むのかというところ。
正直、そんな回数で肉の解体までいけるなんて想像ができない。
「まずは中身に慣れるところだな。皮剥ぎまでいけば、あとは調理と変わらん」
簡単にいうが、そんなにうまくいくかどうか。そればかりは次の機会に恵まれた自分にしかわからないだろう。
次はなるべく匂いを嗅がないようにしよう。それだけでもだいぶ変わってくるはずだ。……多分。
「ま、諸々のコツは次の時に教えてやる」
「ありがとうございます。……あの、先に聞いておきたいことがあるんですけど」
作業しながら聞いた方が覚えやすいのは分かっているし、それはエルドも同じだろう。それでも、ずっと浮かんでいる疑問を解消したく、指差した先には小さな器が一つ。
「血を置いておくのには、なにか理由が……?」
風で揺れる中身を見ないようにしても、その存在が消えることはない。
兎一匹から取れる量なんてたかがしれているが……なぜ、あんなものを溜めておくのか。
料理で使うわけでもなし、かといって他の用途で使うには扱いが雑。
そもそも、獣の血液を流用するなんて聞いたこともない。これこそ知識不足だ。
いや、もしかしたら聖国の習慣で、食用にした獣への供養で使うのかも……。
「ああ、あれは今回限りだ。普段は最初から川で洗い流していい」
「……ん?」
浮かんだ可能性が最初の否定で消し去られていく。
今回限り。今回だけ。今後はない。……わざわざ血を溜めておく必要があるのは、今だけ。
供養でも、別の利用方法でもない。ますます謎が深まり、頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。
「では、何のために?」
「……いけるか?」
答えは得られず、問い返したのもディアンではなくゼニスに対して。あの会話だけで何を示したか理解したらしく、一つ吠えるのは同意の表明か。
よし、と声を出したエルドがディアンの元へ向かい、傍らに置いていた荷物の元へ。
「悪いがもらうぞ」
「え、ちょっ……何して……!」
制止の声よりも、目的のモノを抜き取られる方が早かった。
手には昼に脱いだままだった服と、売ろうとしていた筆記用具がいくつか。これもだな、と追加で取られたブローチを取り返そうとした手は空を切る。
「服は自宅から持ってきたんだろうが、こいつは父親からの送りもんか?」
こいつ、と見せられたのは今抜き取ったばかりのブローチだ。
確かにディアンのには間違いないが、贈り主は父ではない。
「父ではなく、幼なじみで……というか、急に何をするんですか」
「幼なじみね……ずいぶんと良い品だ、今でも付き合いはあるんだろう?」
眺め、裏返し、隅々まで観察しているのはサリアナから賜ったものだ。
学園に入って最初の誕生日にもらったのか、それよりも前か。記憶は定かではないが、手持ちのなかで一番高価なのは間違いない。
外に行くときは必ず持っていて欲しいと、会う度に念を押された記憶はある。
とはいえ、あんな高級なモノを持ち歩くのは抵抗があったので、ほとんど部屋に置きっぱなしだったし、今回持ち出したのは単に資金を作るため。
……いくらなんでも、一国の王女からの贈り物を売ろうとするなんて、薄情すぎただろうか。
「この筆記用具も同じ女からか?」
「そうですけど、なんで女性って……」
「なるほどなぁ。苦労するなぁ色男」
しみじみと言われても答えになっていない。名前が彫られているのでもなし、デザインが女性向けでもなし。単なる勘で当てられたのか。
いや、それよりも本当に、何のためにディアンの持ち物が必要なのか。
考えている間に、くたびれたシャツが丁寧に広げられる。かと思いきや、おもむろにナイフを取り出して、
「とりあえず腕あたりいっとくか」
その言葉を合図に、シャツが思いっきり切り裂かれた。
それはもう勢い良く、ビリビリと心地いい音が響く程には。
「……えっ、え!? なに……えっ!?」
「あ、いきすぎたか? ……まぁ、雰囲気さえ出りゃいいし、暴れたとすりゃこんなもんだろ」
突然の奇行に戸惑う間もエルドの暴走は止まらない。放置していた小皿を手に取り、あろうことかそのままシャツへとぶっかけ始めたではないか。
ダバダバと流れる赤黒は明らかに小皿の容量以上。
増幅魔法か? 水と違って簡単に増やせないはずなのに。
いや、そうではなく。そうでは、なく!
「これでよし」
「何が!?」
何がいいというのか。なにが良しというのか。
足元には切り裂かれた血まみれのシャツとズボン。それを袋に詰めようとする怪しい男。
ついでに押し込まれそうになっている筆記用具とブローチ。何一つとして大丈夫な光景ではない!
「本当になにやってるんですか!? たしかにもう売るつもりはなかったですけど、ブローチとかはまだ……!」
「見りゃわかんだろ、お前が死んだ偽装工作だよ」
結ばれた口は二度と開かないと思うほどに強く。背負わされたゼニスの顔はどこか不快そう。
そんな様子を気にもせず答えたエルドの声は、まるで天気を答えるかのように軽く、明るく。
「……ぼ、くが、死んだ?」
「そ、だから血が必要なのは今回だけ。他に取っとく理由はない。んじゃ頼んだ」
よろしくな、と背を一撫で。それを合図に走り出したゼニスは、あっという間に遙か彼方。白いからこそ暗闇でも見えていたが、もはや風景と見分けはつかず。
呆然と見送るしかなかったディアンの隣で、水の音が聞こえる。川だけではなく、吸い込まれていった血を洗い流す音が。
「外で死んだ奴は、大抵肉体の損傷が激しい。そんな身体を街中に持ってくるわけにもいかないから、死んだと確信できる証拠と遺品を教会に渡すことで死亡と見なすことができる。必ずしも個人を特定できるとは限らんが、あのブローチがあればそのうちわかるだろ」
後始末は進んでも、ディアンの理解が追いつかない。ただ、呆然と白い影を見送るばかり。
「それって、聞かれなかったら意味がないような……」
「ろくに戦えない奴が町の外に出たとわかった上で丸一日探して見つからなかったら、普通は死んだと疑う。遅かれ早かれ連絡がいくだろ」
「でも……ゼニスに運ばせたのでは、正式に受理されないのでは……?」
「タハマの町にいる司祭に連絡はしておいた。もう話はついてる」
勢い良く見やったエルドは、こんなもんかと地面を見下ろしている。そんな作業の合間に聞こえていい名前ではないのに、訂正する様子はなく。
「タハマって……ここから真反対にある町じゃないですか!」
「おう、さすがに知ってるか」
やっぱり馬鹿じゃないんだなと、笑う声が頭に入ってこない。
知っているに決まっている。王都の西、馬車でも丸一日かかる距離にある町だ。規模の程度はわからないが、ディアンの向かう候補から真っ先に外した程度には遠い。
道中も山を越えなければならないし、気軽に向かえるような場所ではないはずなのに。
「まさか、ゼニスを向かわせたのって……」
「他に行かせる場所もないだろうが」
「ここから何日かかると!?」
あまりにも無茶苦茶だ。王都から丸一日、ここから向かって帰ってくるのに何日かかると思っているのか。
確かに他の犬や獣に比べれば利口だし、足も速く見える。だが、いくらなんでも限度がある!
「あいつなら夜明け前には帰ってこれる」
「どう見積もればそんな雑な計算ができるんですか!?」
何から何まで無茶苦茶だ。そう命じたエルドもエルドだが、素直に従ったゼニスもゼニスだ。あの不快そうな顔はそっちの意味が強かったのかもしれない。
「わざわざそんな遠いところにしなくたって……」
「念には念をだ。もし偽装とばれたって、探す方面は西側になる。普通の人間は、わざわざ反対の町にまでそんなことをする訳がないからな」
納得できたかと、見下ろす瞳は堂々としている。
言われていることは正しいし、その理論も分かる。逃げている最中の人間が反対方向へ引き返すとは考えない。
それを第三者の手に渡して偽装するなんてもっとだ。盗まれる可能性も考えずに依頼するなんて、どんな馬鹿でもやりはしない。死者から奪うのは重罪でも、生きた人間を騙すのは大して罪には問われない。
この世界では、死んだモノは全て精霊の御許に還るとされている。ゆえに死者が持っていたものは精霊の所有物であり、正当な理由なく盗むのは重罪だ。
届けないことに対して罰則はなくとも、それを意図して盗むことは禁じられている。
だから、教会に届けば基本的に遺品と認識されるし、いくらヴァンといってもそれは同じのはず。
だが、
「どうして……そこまで……」
そうする理由は分かった。その根拠も方法も、無茶苦茶だけどまだ筋が通っている。
納得できないのは、どうしてそこまでして、ディアンに協力してくれるかだ。
ただのお節介ではもう説明ができない。ただ見ていられなかったにしては、度が過ぎている。
見返りも求めずに、ここまでする理由なんて……一体。
「……そうだな」
聞いたところで、またはぐらかされると。前にも言っただろうと。想定していたどの答えとも違う声は低く、固く。
「そろそろいい頃か。これに関しては、お前も知っておくべきだろうし」
立つように促され、移動中に教えてもらえるのかと荷物を手に取るが、エルドは火の始末もせず立っているだけ。
違うのかと、もう一度置こうとした鞄は目で制されたことで手元に残ったまま。
「教える前に、一個確認しておきたいことがある」
「……なんですか?」
改めて向き直った男が、腕を楽な位置へと下ろす。右手は下へ、左手は腰へ。剣があったなら丁度柄がある位置だと、何もない空間を一瞥したのは無意識から。
「お前も知っている通り、俺は教会従事者だ。それなりの権力があり、魔力だってお前よりも遙かに豊富。攻撃も防御もそれなりに扱えるし、治癒魔法は朝飯前だ」
「改めて自慢しなくても存じておりますが」
思わず息を吐けば、笑う顔がどこか憎々しげに映る。
改まって聞かせられるのがそんな自慢では、嫌な感情を抱くのも当然と思われるが。
「まぁ聞けって。だからある程度の怪我は治せるし、なんなら致命傷だって……あー、すぐにとは言わないが、治せないこともない。それでも痛みまでは消せないし、確実に命を助けられるわけでもない」
「前半はともかく、それは普通では……?」
彼ほどの治癒魔法が使える者など、どこを探しても滅多にいないだろうが……そんな彼でも、助けられない命があるのは当然のことだ。
いくら教会の幹部で、女王に対してどれだけ不敬を働いてもある程度許してもらえて、その魔力も優れていて、魔法だって完璧に近くたって。それでも、あくまでも彼は人だ。人なのだ。
一度失った命を蘇らせるのは精霊にもできない。そんな精霊にも許されない奇跡を、人間である彼が為せるはずがない。
「そう、それが普通だ。それを、お前は理解しているな?」
だというのに、やたらと念を押される。そこまで彼を持ち上げた覚えはないし、治療に頼った記憶もない。
そもそも、この確認がディアンの抱いている疑問と何の関係があるのか。
「……理解している、つもりですが。認識が足りませんか」
「いや、ただの確認だ。お前なりにわかっているならそれでいい」
頷く姿は明るく、よしと呟く声も普通。違和感などないはずなのに、なにもおかしいところなんてないはずなのに、どうして目を逸らすことができないのか。
それがどうして紫ではなく、その左手であったのか。
「じゃ、始めるか」
――その答えは、甲高い音と共に与えられた。
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