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03.姫様

  ……どうやら、ラインハルトの虫の居所も、自分の当たり所も相当悪かったようだ。

 これがもう何度目の溜め息かも数えきれず、未だに痛みを訴えている腹部に手をあてがう。

 全ての授業が終わっても、敷地内に残っている人数はまだ多い。

 友人と遊びに行く者。残って勉強をする者。ただ単に時間を潰す者。その理由は様々だろう。

 手早く荷物をまとめ、部屋を出た足が向かうのは学園の外か、図書室か。葛藤は数秒だけ。決断した身体は、真っ直ぐ外へ向かって突き進む。

 普段は図書室に寄ってから帰るが、どうしても気分がのりそうにない。

 それは模擬戦の結果を思い出すからか、先の授業が頭によぎるからか。

 どちらであれディアンに良いものではなく、こんな心境で学ぼうとしてもろくに集中できないことは経験済み。

 遊ぶ暇などない。勉強しないのであれば、家で剣を振るうべきだと理解している。

 だが、これから向かう場所は決して遊ぶためではない。求められている知識とは違うだろうが、それでも必要なことには変わりないのだと。言い聞かせるのは頭の中にいる父親か、自分の罪悪感に対してか。

 答えは出ないまま、足は進み続ける。知らず歩調が早まるのは、無意識にこの場からの逃走を望んでいるのだろうか。

 逃げたところで明日の朝には再びここに戻り、変わらぬ評価を下されるというのに。嗤われ、侮辱され、そうして囁かれるのだ。なぜ彼だけああなのかと。

 そう、だから逃げているのではない。無駄にできる時間がないから急いでいるだけ。それだけだと、止まらぬ言い訳は目的の場所に着くまで続くのだろう。

 外に出るなり、日差しがディアンを照らす。舗装された道は明るく照らされ、まだ夕方が遠いことを示している。

 日が沈む前に戻れば怒られることもないし、妹に勉強を教える時間もある。

 余裕があると分かっても足は止まらず、息が弾み始める。鍛錬のために走って向かうのも一つかと、踏み出した足は強く地面を踏みしめた。


「――ディアン!」


 ……だが、その足が蹴り出されることはなかった。

 高揚した気分が沈み、冷水を浴びたように頭の先が冷えていく。

 鈴のような可憐な声に呼ばれたのは、明らかに自分の名前。

 聞かなかったことにするのは許されない。そう、記憶通りの相手であるなら、絶対に。

 一度、大きく目を閉じる。それからゆっくりと開き、呼吸を整えながら後ろへ。

 真っ先に視認したのは、後ろから慌てて追いかける従者を気にもせず、美しいバターブロンドが風を受けてなびくその光景。

 編まれず遊ばれたままの毛先の一つ一つが太陽を浴びて輝くその様。

 額の中心で左右に分かれた前髪。本物と見間違うほどの輝きをもつブルーサファイアの瞳。全ての淑女が羨み、全ての紳士が抱く理想の姿。

 たとえ同じ制服姿だとしても、その滲み出る高貴さが霞むことはない。

 自分を見つけ、嬉しそうに駆け寄ってくる彼女が目の前に来るよりも先に腰を折る。そこでようやく、視線が絡まないよう目を伏せることを許された。

 声をかけてきた相手がいるのに顔を合わせないのは失礼にあたるだろう。だが、彼女に対してはそれが許される。

 今、ディアンの目の前にいる女性はその敬意を受けるべき相手であり……絶対に、そうしなければならない方なのだから。


「……ご機嫌麗しゅう、姫様」


 視界を塞げば、他の感覚が研ぎ澄まされていく。そうでなくとも、彼女の後ろから続く甲冑の音は聞こえていただろう。

 むしろ、目を伏せるのは彼女ではなく、彼女に付き従う彼らを見たくなかったからかもしれない。


「ディアン、ここは学園内よ。顔を上げて。それと、その呼び方も止めて、以前のように名前で呼んで?」


 よく通る美しい声がディアンの名を呼ぶ。目を開けば、真っ直ぐに見上げる瞳を黄金の睫毛が縁取っていることだろう。

 だが、その光景を見ることは許されないし、ましてや彼女の要望を叶えることだって。

 閉じたままの視界が一層暗くなる。追いついた従者が日傘を差し出したのだろう。

 馬車に乗り込むところでディアンを見つけ、制止も振り切り飛び出したと見える。予想もしない行動に対応が遅れても彼らを責めることはできない。

 サリアナ・ノースディア。この国の第一王女であり……ラインハルト殿下の、双子の妹。そして、彼女も英雄の娘と言われている。

 魔力量もさながら、その扱いも殿下に劣らず。知識でいうなら、この学園で学ぶことなど本来はないはずだ。

 城内にいる方が間違いなく安全で、時間も有意義に使えるはず。

 それでも、こうしてわざわざ馬車で通い、同じ時間を共有しているのは……それも、国王陛下のご意志であるのか、彼女自身がそう望んでいるからなのか。


「……私になんの御用でしょうか」


 考えたところで何が変わるわけでもないと、話を逸らして本題へ入る。

 ディアンは庶民で、サリアナは王族。本来なら声をかけてもらえる立場ではない。

 だというのに、ほぼ毎日のように呼び止められては会話を求められている。

 あり得ないことだ。しかし、実際にそれが成り立っているのは……他でもない、英雄である父親の繋がりがあるからこそ。つまりは、幼なじみというものだ。

 ディアンの中では、だった、と後に続くが、サリアナはそう考えていない。

 名前で呼ぶように要求したことからも、仲のいい友人のまま。どれだけディアンを含む周囲が諫めようと、彼女が納得することはなかった。

 無理だと否定すれば、それだけ躍起になる。その行き着く先を嫌というほど味わってきた。

 だからこそ、聞こえた望みを無視して話に入る。

 素直に話題が移るのが五割、話を逸らすなと怒るのが五割。


「ああ、そうだわ。お兄様がまたひどいことをしたのでしょう?」


 どれのことかと思考し、模擬戦のことだと当たりをつける。

 違うクラスでも話ぐらいは耳に入るだろう。実の兄なら、本人が望んでいなくても周りが教えてくれるものだ。

 いや、ラインハルトが勝った旨ではなく、ディアンが負けたという話の方が広まった可能性もある。どちらであれ内容も事実も変わらない。


「本当にごめんなさい。怪我は? まだ痛む?」

「……いいえ、姫様が謝ることはなにも。これは私の精進が足りぬ結果です」


 そう、怪我を負ったのは避けられなかったから。負けたのは、自分の努力が足りないから。相手が彼だからではなく、自分が弱かったせい。

 兄だろうと、幼なじみだろうと、彼女がそれを謝ることはないのだ。

 あの一件はディアンの実力が伴わなかった。ただ、それだけの話なのだから。


「殿下には、私の未熟さを見直す機会を頂けたことに感謝しております」

「でも、本気で蹴るなんて……いくらなんでもやり過ぎだわ」


 やはり本気だったのかと、思い出したように痛む腹を宥めることはできない。あの程度で済んだのだ、むしろ幸運だったと思うべき。

 不調を隠したつもりだが、寄せた眉を見られてしまえば意味は無い。


「まだ痛むのね? 医師に治療させるわ、一緒に――」

「いいえ、大した傷では。このようなことでお手を煩わせれば、父に向ける顔がございません」


 馬車を寄せられる気配に、慌てて否定をする。御者がいるとはいえ、姫と同じ馬車に乗るなど何と言われるか。それも、たかが授業で受けた傷を治療するためだなんて。

 そんなことが知られるぐらいであれば、一日中痛んでも構わない。

 誰が何と言おうと……それこそ、姫自らがそう言ったとしても、それだけは阻止しなければ。


「……自分のような未熟者にも、真剣に挑んでくださったのです。姫様のそのお気持ちだけで十分でございます」


 じわり、じわり。声にする度に、本当に痛むのは腹部だったのか。浮かべた笑みは、誰に気付かれないようにだったのか。

 答えを出す間も惜しく、深く頭を下げる。


「失礼致します」

「あっ、待ってディアン!」


 今度こそ踏み出そうとした足は、腕を取られたことで文字通り引き留められる。

 そこまでされて無視するなど、ディアンには到底許されない行為だ。ましてや、その華奢な手を振り払うなど。




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