384.変化の兆し
紡ぐよりも早く、言葉は音となる。ディアンではない男の声。淡々とした響きに、思い浮かべた人物は入り口の方向から。
ノックもなく入室したペルデが、ディアンたちを見据える光はまるで、加護を宿したかのように強く。
「ペルデ? どうしてここに……」
ディアンがペルデの部屋に行った記憶がないのと同じく、ペルデがエヴァンズ家の屋敷を訪れたことはない。
当然だ。現実では避けたかった相手の家など、好んで近づくはずもないのだ。
従者たちがここまで誘導したことにも、ペルデが来ていること自体にも戸惑うディアンに対し、ペルデの様子だけは変わらない。
「グラナート司祭からの遣いで来た。……で? メリアの見舞いにしては、随分と荒々しいようですが」
真っ向から対峙するペルデに対し、見据える青の笑みは変わらない。
メリアを離した手は前に。指を重ね、首を傾げ。トン、と近づいた一歩に、榛が揺らぐこともない。
「…………騎士にならないって、どういう意味かしら?」
「ああ、言葉が足りず申し訳ありません。正しくは、加護の状態が分かるまでは、ですが」
瞳が細まり、睨み合う。怯むことも、どもることもなく。淡々と言葉を述べるペルデの姿に重なるのは赤い影。
似通う仕草は、記憶を取り戻したのか。それとも、今も繋がっていることの証明なのか。
「現在、ディアンは教会の預かりとなっています。住居を移すなら、グラナート司祭の許可を」
「聞いていないわ、そんなこと」
「たかが平民の個人的な事情を、教会の従事者でもない俺が、なぜ? それに、『花嫁』を保護するなら、城ではなく聖国が妥当でしょう」
鼻で笑う音に、美しく整えられた眉が僅かに寄る。
相手がラインハルトであれば噛みつき、否定し、騎士になるのだからと無理矢理言い伏せただろうが、ペルデが相手というのでサリアナも戸惑っているのか。
あるいは、述べられる言葉が正論であるからこそ、いつものように否定できなかったのか。
どれだけサリアナに贔屓されようと、ディアンの立場は平民。そして、ペルデは教会に従事しているわけではない以上、彼も同じく平民。
わざわざ、王族相手にたかが一市民の事情を伝えるなどあり得ないこと。
……そして、『花嫁』が本来いるべき場所は、そもそもこの国ではない。
「メリアを住み慣れた場所から離すなんて……!」
「屋敷から離れるのなら、どこも見知らぬ場所でしょう。これも『精霊の花嫁』を守るためです。……ディアンさえ一緒にいるのなら、メリアは我慢できるんだろう?」
ディアンを説得するためにふるった言葉が、そのままサリアナへ突き返される。手袋に包まれた指が握られたのを見て、反論が出ないのを知る。
あのサリアナが、押されている。考えられない光景も、考えれば道理は通る。
今のペルデに洗脳は効かず、告げる言葉は正論だけ。ディアンのように、大丈夫だと繰り返し言葉を被せることはできない。
ディアンがこの光景を想像できなかったなら、当たり障りのない再現しかできない。
普段通りの光景に、ペルデという異物が入ったからこそ、対話が成り立ったのだ。
「そもそも、本当にメリアの一存だけで決められると? ……説得の相手を間違えていますよ、殿下」
双方微笑み、されど目は笑わず。息が詰まる空気は、一つの瞬きで終わる。
「……ええ、そのようね」
「念のために申し上げますが、教会へは先触れを。こちらとしても、殿下を追い返すのは偲びありませんから」
すぐに会えるとは思うなと、釘を刺すペルデに青が細まる。それでも揺れることなく、逸らすことなく。ようやくメリアから手を離し、ディアンに向き直るサリアナの顔は、いつもの通り。
「また近いうちに会いましょう、ディアン」
微笑み去るサリアナを、扉が閉まるまで見送り。息を吐くペルデとようやく向き直る。
向けられる視線への呆れは、ディアンにも対して。
「ありがとう、ペルデ。……どうしてここに?」
「メリアの見舞いに来た。『……あと、急ぎ共有したいこともな』」
続けられたのは念話にて。そんな様子をおくびにも出さず、荷物から取り出した小さな箱はメリアの手元に。
「はい、これ」
「あ、りがとう。……ボール……?」
「ゼニスと取ってこい遊び、したことないんだろ?」
とても軽そうな、しかし頑丈な作りの球体は人間ではなく子犬用の玩具だという。
指名されたゼニスの心境は手に取るように分かるが、同時にペルデの狙いも理解し、困惑する目からはあえて目を逸らす。
「ないけど、どうして?」
「中に閉じこもってると、余計に気が滅入るだろ。ゼニスも遊びたがってるし、いい気晴らしになると思って」
「……………………わん!」
やや長い沈黙の後、威勢のいい声と勢いよく振られる尻尾はさすがと言うべきか。
気乗りしないメリアも、ゼニスの様子を見て少し考え。それから、ディアンへと目を向ける。
「少しペルデと話をしているけど、僕たちも中庭に行くから」
「……ゼニスは、遊びたいの?」
最後の一押しの鳴き声。それなら仕方ないと、ゼニスを抱えて先導するメリアに続きながら、それとなくペルデと平行する。
『ごめん、ペルデ。助かった』
『別に、こうなるのは予想できたし。アンタが言ったところで、あの女は納得しなかっただろ』
本物であれば当然。ディアンの記憶から補われているなら、なおのこと。
サリアナはディアンの言葉に耳を傾けることはなく、否定は全て肯定へと捻じ曲げられてきた。
説得は意味を成さず、全ては自分に尽くすためと湾曲され。それが正しいのだと、周囲までも捻じ伏せる実力だってあった。
過去と割り切ろうとも、真実を知ろうとも。素直に納得するサリアナが想像できない時点で、ディアンに勝ち目はないのだ。
筋を通そうとすればするほどに、ディアンの認識に合わせようと夢が動くほどに。
『でも、あんな嘘を吐いて大丈夫なのか? 司祭様には協力を取り付けているけど、調べればすぐに……』
『預かってるのは嘘じゃないし、前例を考えてもアンタを騎士にするはずがない。聖国で保護するってのも正論だし、この程度で大きく変わるならとっくに手がかりも掴めてるだろ。……まぁ、まさか素直に引き下がるとは思っていなかったけど』
早々に中庭に着き、壁際に立ったまま。メイドと騎士に囲まれ、早速遊び始めたメリアを遠目に見守る。
最初は戸惑っていたが、軽く投げたボールをくわえて戻ってくるゼニスに愛らしさを覚えたのか。昨日の共有を終える頃には楽しそうな声が響き、ようやく見えた笑顔に胸を撫で下ろす。
「……昨日の件については分かった。俺も違和感には気付いていたし、アンタの行動範囲を狭めるための芝居と考えれば理由にも納得できる」
「グラナート司祭があの場に来たのは、ペルデが?」
「いや。出るつもりはなかったが、兵士に声をかけられてな。で、路地裏に入るアンタを見て……あとは知っての通り」
「よく間に合ったね。いや、そもそもメリアが無事でなければサリアナの訪問も成り立たないし、グラナート司祭が来るのも含めての計画だったのか……」
人混みも含めて精霊の意図であれば、道を開けるぐらいわけもないだろう。
結果として狙いは失敗に終わったが、メリアが外に怯えているのには変わりない。
グラナートもどこまで協力してくれるか。協力したとして、どこまで通用するのか。
今日は凌いだが、行動を制限されるのは今後に障る。
悩むディアンに対し、ペルデの表情はむしろ明るい。いや、吹っ切れている、というべきだろう。
「狙いはともかく、おかげで俺も調べがついた」
「これは……?」
「グラナート司祭の日記だ。……正しくは、グラナート司祭が持っていた、というべきか」
差し出した一冊の本に、どういうことかと見上げるも、榛は促すように細められるだけ。
分厚い表紙を捲り、最初のページから。確かめようとした一文字目から異変に気付いた紫が再びペルデと合わさる。
「これは……」
「それと、俺に関連性は見出せなかったが……その日誌と一緒に、この本が置かれていた。アンタなら分かるんじゃないのか」
続けて取り出されたのは、ディアンにも見覚えのある一冊。栞を辿り、開かれたページを突きつけられ、浮かんだ可能性が形を得ていく。
流し読み、辿り着いた最後の一文。示されたページの内容。
考えられるのは一つ。だが、認めるにはあまりに突飛すぎる。
でも、もしそうなら。この仮説が合っているのなら、
「……ペルデ」
その一言だけで確信を得ただろう榛に、迷いはなかった。
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