379.城の地下にて
ディアンが想定していたとおり、地下は難なく入り込むことができた。
魔術で姿を隠していたとはいえ、杜撰な警備と呆れることはない。無意識に、相手を人間と認識している以上、ディアンの魔術が破れるはずがないのだ。
薄暗い空間。石で作られた壁。廊下に敷かれた絨毯がなければ、もっと殺風景だっただろう。
最低限の装飾は、王族だけではなく聖国の者が通ることを想定しているのか。
想像よりも深くにあったのは、門から発せられる魔力の影響を緩和するため。
本来なら被害を考え、街や村からは遠く離すべき物だ。
城の地下にあるのは、当時の状況を考慮して特例として許されていたこと。
目視できる範囲まで近づかなければ、通常は害を受けることはない。……だが、見えずとも妖精の行き来はある。
結果として、これもサリアナの罪を増やす要因になったのだろう。
この城に門がなければ、妖精の羽を捥ぎ、禁忌の異物を作り上げるなんておぞましい所業は起こらなかったはずだ。
「概ね、中は合ってるな」
「……見たことが?」
「ちゃんと覚えているわけじゃないが、サリアナに連れて行かれる時に」
軽く吐き出されても、細まる瞳までは誤魔化せない。
過去で片付けられなくとも、当時の記憶はまだ鮮明に残っているだろう。今のペルデにとっては、まだ一か月も経っていない出来事。
監禁され、目の前でミヒェルダが殺されかけて。そのうえ、聖国まで拉致された。
それも、単なる気まぐれで。もしディアンを連れ去る事に成功していれば、アンティルダまで連れて行かれたという。
今の彼に記憶がなかったのは幸いか。いや、そう思いたいのはディアンだけなのか。
「なら、ここもペルデの記憶で補われている可能性が高いな」
「俺だけじゃない。メリアも通ったし、サリアナの疑いも晴れていない。取り込まれている全員が知らない場所なんて、それこそ国外ぐらいじゃないか」
「いや……殿下たちは外交にも行かれている。……そもそも、街の外に出られないんだから、確かめようもない」
確かめられるのはこの街と、隣町に向かう森だけ。整合性の作用は把握できない。
そもそも、確かめられたとしてもサリアナが本物であるかの決定打には成り得ない。
疑おうと思えば、どこまでも怪しく思えるのだから。
「どうした」
「いや。……やっぱり、大人しすぎると思って」
「サリアナか」
騎士にならない、と断言したわけではない。だが、ディアンを望むサリアナにとっては、気持ちが離れているだけでも大事なはずだ。
それこそ取り乱し、詰め寄ってもおかしくないほどには。
あなたなら大丈夫と繰り返し言い聞かせ、諦めないようにと手を掴み。そうして、何が何でも引き止めようとしただろう。
そうして、また。皆の前で諦めないようにお願いしたはずだ。
あのサリアナが、メリアの登場だけで怯むとは考えられない。ましてや、そのまま引き摺られていくなど。
「騎士になることで一度逃げられているわけだから、犯人の精霊が調整している可能性もあるが……違和感があるのには同意する」
「演技なのか。あるいは、僕たちだけでなく、メリアとラインハルト殿下の意識を統合しているからこそ、齟齬があるのか……」
立場が違えば、抱く印象も変わる。妹として、友人として、悪魔として、元凶として。
一つに偏ることはできず、全てを完璧に模写することもできない。どれだけ似せようとも、本物に成り得ることはないのだ。
それでも、やはり断言はできない。もし本物なら、相応の対策が必要になる。
今でも警戒を怠っているわけではないが……確実に立ち向かうべき敵が明らかになれば、まだ心構えもできる。対策ができるなら、打てる手も増えるだろう。
夢から醒める切っ掛けになるかは、また別の話ではあるが。
「メリアたちの方は?」
「いつも通り、ずっとアンタの話をしていた」
「……僕の?」
「お兄様がお兄様が、って。ただ、違うのは文句じゃなくて勉強を教えてもらったとか、何をしているか応えるのに必ずアンタの名前が出てきたってところだな」
以前の光景ならば目に浮かぶ。ひどいと喚き、意地悪をされたと訴え、そうして父と同じように、ラインハルトも彼女を宥めただろう。
だが、今回はメリアとはまだ良好な仲を築けている。過ごす時間が増えれば、話題に上がる回数も増えるというもの。
悪意だろうが好意だろうが、ラインハルトの心象が悪い事には変わりない。
前者は、『花嫁』であるメリアを虐げることに。後者は、メリアを『花嫁』へと近付けることに対して。
嫌われるのは避けられないが、その意味合いは大きく異なる。
ラインハルトに現実の記憶はない。だが、無意識にでも覚えているはずだ。
彼女を『花嫁』にすることは、すなわち彼らを引き裂くということ。
文字通り全てを捨ててまでメリアを選んだ彼にとっては、たとえ意識になくとも耐えがたい展開だろう。
所詮は夢。確証もない一時的な措置。どれだけ夢が変わろうと、現実では違う。
そう分かっていても気が重いのは、一瞬でも自分とエルドに重ねてしまったから。
「……殿下には、恨まれそうだな」
「腕を切り落としたのに比べればマシだろ」
今さらだと吐き捨てられ、苦笑しながら石から手を離したのは、握っていた自覚ではなく目的地に辿り着いたから。
仰々しい扉を見れば、見覚えがなくともこの先に何があるかは明確。
本来なら聖国の騎士が見張りを務めているはずだが、影も形もなく。なんなら、扉自体に鍵も細工もされていない始末。
「君が実際に来た時は、誰かいた?」
「いや、事前に排除されていたんだろ。今回はそこまで手が回らなかったか……そもそも、ここを守る必要すらないか」
可能性としてあげながら、ペルデも薄らと気付いているのだろう。それは、より精霊に近づいたディアンも同じ。
ゆっくりと、警戒しながら覗き込んだ先。踏み込んだ中は、廊下以上に薄暗く、目を凝らしてもよく見えない。
だが、僅かに捉えた輪郭は、既に違うと理解させるもの。
光を浮かび上がらせば、今度こそハッキリと違和感を与えてくる。
確かに精霊門だとわかる。そこに存在もしている。だが、ないのだ。
言うなれば、まるで蜃気楼のように細部がほどけ、煙が形を取っているかのよう。
幻覚というには形がなさ過ぎる。そして、その形状さえも、記憶にあるものとは異なっている。
「なんだこれ……お粗末にもほどがあるだろ。精霊なら全員知っているもんじゃないのか」
ペルデでも分かるほどに、ここまで侵入することを想定していなかったのか、慌てて保管したと言われても納得するほどに拙いもの。
だが、城の地下にあるのは、精霊が自ら用意したものだ。
教会が臨時で作る物ならまだしも、その精霊が慌てたとはいえ、ここまで稚拙な造りにするだろうか?
「……いや、人間界に通じる門は精霊王が管理されている。長い間見ていないなら、細部を再現できないのも理解はできる。それに、人間界を覗くだけならオリハルコンがあれば十分だとエルドからも聞いた覚えがある」
実際、エヴァドマで宣誓した際、豪腕が愛し子に裁きを下すのにもオリハルコンが用いられたと聞いた。
そもそも、精霊門は人間界に魔力を通すために作られたもの。精霊界で幻覚に管理されているのなら、形状自体知らない精霊がいてもおかしくはない。
だからこそ、なぜ門を通じてあの黒い靄が通っていたのか。
ディアンが襲われてから、より一層厳重に管理されていたはず。そうでなくとも、誰かが通ったなら分からないはずがないのに。
「お前や俺が襲われた時、必ず門を通じてきたって言ったな。門を通らなくても人間界に来れる方法は?」
「僕が知るかぎりは……でも、知らないだけで方法はあると思う。実際、そう考えないと納得できない事態ではあるし」
現に、アンティルダに門はないのにペルデは襲われた。
詳しい状況こそ分からないので憶測でしかないが、もしかすれば、自ら門を作った可能性もある。
アンティルダがサリアナの助力を得て門を作れたのであれば、精霊である彼らも同じ。そもそも、人間界に通じる門を管理しているというだけで、作れないとは言っていない。
必要がない、といえばそこまでだが……詳細はゼニスに聞かなければ分からない。
進展というほどの情報ではない。だが、それでも確かな一歩だ。
そもそも、最初から門が使えるとは思っていなかった。事実を確かめられただけでも、成果と言えるだろう。
「ゼニスなら、何かわかるかも。そろそろ戻ろう。これ以上は怪しまれるし……」
「なんだ?」
「……そろそろ助けないと、ゼニスの毛が剥げているかもしれない」
冗談ではなく、割と本気で。ストレスと物理の両方からも危ぶまれる。
特に今日はずっとメリアに抱かれているし、時折興奮して撫で回しているだろう。
「剥げるより絞め殺されるのが先だろ」
その一部始終を散々見せられただろうペルデの呟きもまた否定できず、ディアンは苦笑するしかなかった。
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