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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第二章 初日

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36.過去の光景 ★

本日から第二章です。

ブクマ登録、評価、誤字報告 本当にありがとうございます!

 雲一つない快晴。外から降り注ぐ光で透過するステンドグラス。礼拝時間が終わりに近づき、人影も少なくなった教会。

 入り口に一番近い椅子の隅で、ずっと座り続けていた少年の姿を……男は、今でも鮮明に思い出せる。


「……なにか困りごとかな?」


 怯えないようにかけた声に対し、大きく跳ねる身体。己の姿を見上げ、揺らぐ黒い瞳だって……グラナートは、忘れたことはない。


「あ……っ……し……しさい、さま」


 一度絡まった視線が、すぐ地面に落ちる。それは自分の瞳の色に怯えてか、見つかると思わなかったからか。

 ……あるいは、話しかけられるとすら思っていなかったのか。

 どれであれ怖がっていることには変わらないと、椅子は使わずその場で屈む。

 より近くなった目線。そこからうかがえる顔色は、とてもいいとは言えない。


「す、みません、ぼく……あ、わ、わたしは、」

「喋りやすいほうで構わないよ。君のお父さんに言う人は、ここにはいない」


 ぎゅう、と握られたズボンの皺。その指先に込められた力は抜けず、可哀想な程に強張った身体に抱くのは哀れみではなく僅かな怒り。

 どのように子を躾け、育てるか。それは家庭によって違うし、軽率に違うと否定することもできない。

 自分の父親に怒られる、という恐怖は普通の子どもでも抱く感情だ。

 ……それが、その本人が悪いことをしたか、ただ話し方を間違えたかの違いはあるだろうが。

 貴族ならともかく、平民である彼にここまで強要する必要はあるのかと。そう考えてしまうのは、他でもない親友の息子だからだろう。


「私でよければ話を聞くよ」


 内緒話にしようと耳の横に手を当て、顔を傾けても聞こえる声はない。だが、少し顔が上がっただけでも無駄な行為ではなかったはず。


「もちろん、話したくないなら話さなくていい。ここにいるのが落ち着くなら、いくらでもいていいんだ」

「……どうして、しさいさまは、やさしくしてくれるんですか?」


 眉間を寄せ、見上げてくる不安そうな表情からして、本当にわからないのだろう。

 どうして僕なんかに親切にしてくれるのか。どうして、僕みたいなのを気にかけてくれるのか。

 少年にとってあまりにも難解な答えは、本当はとても簡単なこと。


「困っている人を助けるのが、私たちの役目だからだよ。君は今困っている、だから私は君を助ける。……それじゃあダメかな?」


 それは、教会の従事者として模範的な回答だろう。そこに偽りはない。だが、それだけでないことは……まだグラナートと、一部の者しか知らないこと。

 真実を笑顔で隠したまま問いかける男に、少年の表情は曇ったまま。


「……でも、しさいさまも、同じだと思うから……」

「同じ? なにとかな?」


 強く結ばれた唇は拒絶ではなく恐怖だ。僅かに抱いた期待が否定されることへの、無意識から来る防衛。

 言って傷つくより沈黙していた方が傷つかないと学んでしまったのだろう。それだけの回数、そうされてきた事実に湧く感情を腹の底で抑えつける。

 男に許されているのは、微笑みながら待つこと。そう、大丈夫だと信じてもらえるように待ち続けることだけ。

 ちらり、揺れていた黒が男の目と絡む。ゆっくりと抜けていく肩の力と、まだ掴まれているズボンの皺。矛盾する反応を、焦れったく思うことはない。


「……ぼくの、妹のせんれいは……しさいさまもいっしょにいたんですよね」


 やがて口に出たのは、予想していたうちの一つだった。

 彼にとって最も気になることで、それ以上に触れられたくないこと。それも当事者となれば……相当の勇気が必要だっただろう。


「えぇ、実際に洗礼を行ったのは先代……私の前の司祭様だけど、一緒にいたよ」

「……ふつうなら、せんれいをおこなったら、かごをくださったせいれいさまの名前がわかるって……でも、メリアのけっこんするせいれいさまの名前は、わからないって……」


 徐々に、声が小さくなっていく。どんな小さな音も聞き漏らさないよう耳を澄ませれば、強まる指先の音を知る。白く変色した手を包むのは、今の男には許されないこと。

 確かに彼の妹、メリアに加護を与えた精霊の名は明かされていない。花嫁として迎えるのにその名を明かさないなど、前代未聞のこと。

 だが、その原因は明確だ。ただ露見していないだけ。決してグラナート……否、教会側が見過ごしているわけではないのだ。

 許してなどいない。彼の仕える女王陛下に命じられたとおり、その時を待っている。

 ……奴らが正しく裁かれる。来るべきその日を。


「おとうさ……父も、母も。王さまも、それはしかたのないことだって……でも、ぼくは……」


 大きく息を吸い、そうして吐く。うかがわれた顔色は、彼の言葉を遮るものではない。


「……ぼくは、そのままじゃダメだって、思うんです……」

「どうして?」

「だって、せいれいさまのおよめになったら、そのせいれいさまのお手つだいをすることになるんでしょう? それなのに、どんなせいれいさまか、わからないままなんて……なんだか、ちがう気がするんです」


 明確に言葉にできないのだろう。彼自身も、その感情をハッキリ認識しているわけではない。

 だが、決してそれは頭ごなしに否定されるものではないし、必要ないと切り捨てていいものでもない。


「だから、どのせいれいさまか、ぼくだけでもしらべようと思ったんです。でも、父も母もそんなことよりキシになるためにどりょくしろって……メリアも、せいれいさまについてべんきょうするのは、いやだって……」


 彼らがそう言っている光景は容易に想像できる。一方的に咎め、されど片方には全てを許し。少しでも嫌だと思った彼女が駄々を捏ね、喚き立てる姿まで。

 一度でも目にすれば忘れることはない。

 あの異様な感覚を。寒気さえ抱いたあの異常な光景を。グラナートだけは、絶対に。


「……しさいさまも、名前がわからないのはしかたないんだって、思いますか……?」


 やはり否定されるのだろうと。だけど、信じたいと。矛盾で揺れる瞳がグラナートを見上げる。

 誰かが不吉であると囁いた黒は、男の心を見透かすかのよう。こんな少年を巻き込んでいるという罪悪感と同時に、これはいい機会だと打算する己自身に苛立つ。

 本来なら、こんな目に遭うことだってなかった。加護がないと責められ、騎士になるよう強要され、抱いた疑問を全てねじ伏せられる。

 二年前のあの日。この少年が最初に洗礼を受けた日から、ずっと。あるべき形から外れ、歪み続けている全ては、彼が成人を迎えるまで続くのだろう。

 可哀想だと思う。哀れだとも思う。怒りも、後悔も、罪悪感だって確かにそこにある。

 それでも、男は命令を守らなければならない。彼らが女王陛下のために。そして、目の前にいる少年のために。いつか、この子が報われるその日のために。


「……なら、ここで勉強するかい?」

「えっ……?」


 答えではなく問いを返され、不安がっていた瞳がパチリと瞬く。

 ようやく年相応の顔になったと笑えば、どういうことかと困惑したまま見上げる目は透き通ったまま。


「確かに、私もどの精霊様がメリアに加護を与えたかはわからない。だけど、精霊について知りたいなら、教えることはできる」


 立ち上がり、ついておいでと手を招く。少し躊躇った後に響く小さな足音を確かめてから、一番近くの扉を開く。


「大丈夫だよ」


 一切の光が届かない室内。怯え、立ち止まる彼の手をそっと握り、棚にぶつからないよう中央へ。

 強く握り返された手を繋いだままカーテンを開ければ、眩しい夕日が部屋を紅色に染め、呻き声と共に隣の存在が目を瞑る。

 それも、ほんの数秒……歓声があがるまでの、僅かな間だけ。


「うわぁ……!」


 瞬き、見上げ、天井近くまである大量の本に首は忙しなく動く。

 これだけの量を見るのは初めてだろう。王城の書庫に比べれば少ないとはいえ、専門性ならこちらが圧倒的。


「これ……ぜんぶ、せいれいさまの本ですか……?」

「そうだよ。でも、全てではない。この教会で管理できているのは、そのほんの一部だ」

「こ……こんなにあるのに……!?」


 いち、に、さん。数え始めた指がすぐに下りる。とてもその小さな指では足りないし、グラナート自身も正確な数は覚えていない。

 だが、精霊について知りたいのなら……この国がどれだけ広かろうと、ここに敵う場所はないのだ。


「もしかしたら、メリアを受け入れてくれる精霊の名前は、ここにもないかもしれない。だけど、精霊について調べたいならここ以上の場所はないよ」

「あの……ぼくも読んでいいんですか?」

「もちろん。君なら好きに入っていいし、どれでも読んでかまわない。もしわからないところがあれば、私やシスターに聞けば教えてあげよう」


 そのために二人、新しく入ってきた顔を思い浮かべる。グラナートの知識量も相当だが、聖国から女王直々に派遣された彼女たちは言うまでもない。

 彼に精霊についての知識を授け、見守ること。

 そう言い渡された命令をいかに遂行するか、きっかけを探っていたが……向こうから来てくれたことを、素直に喜べはしない。

 少年自身が疑問に思ったことも、このタイミングで任務を授かったことも、全てが最初から定められていたかのように思えてしまう。

 そう、最初から。どう足掻こうと、彼に苦難が降り注ぐかのように。


「でも、今日はもう遅いから明日からにしよう」

「はいっ! あ……しさいさま、あの、」

「ん?」


 まだ繋いだままだった手が強く握られる。恐怖も怯えも感じないそれが喜びからだというのは……その笑顔を見れば、疑いようもなく。


「ありがとう、ございます」


 そうして、ようやく子どもらしく笑った顔が――目覚めと共に、黒い景色へと切り替わった。

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