372. 目覚めの希望
「……つまり、フィリアのおかげで俺たちは生きているし、ここで流れている時間は現実に比べて遅い。巻き込まれている人間は想定通り俺を含めて三人で、サリアナが関与している可能性もある……と」
早い時間に家に帰ったのが、逆に功をきした。
学園から帰ってきたペルデと合流し、説明を終えてもしてもまだ外は明るく、ヴァンが帰ってくるまでに話はできるだろう。
「で、結局助かるにはこっちでなんとかする必要がある、と」
「概ね合っています」
現状の確認ができたのは大きいが、結論は変わらず。溜め息は疲れか、落胆か。
足を組み、ベッドに座らせたゼニスを見つめる視線は鋭く。対して、立ったまま見つめるディアンの視線は問いを探して俯いたまま。
「メリアが僕の目に気付いたのは、やっぱりフィリア様の影響があったからだろうか」
「否定はできませんが、直接触れているのはあなた方二人です。それに、メリアと彼女の縁は既に切れています。おそらく、他の要因でしょう」
「他って?」
「今の時点では……」
ペルデと違い、メリアの加護は剥奪された。その身体に刻まれた烙印は、文字通り愛し子としての権利を焼き切ったのだ。
縁を元に戻すことは容易ではない。違うと考えた方が自然だ。
「基本的に、この夢を作った精霊はアンタの意識に合わせるように動いているんだろ? なら、その為じゃないのか。……そもそも、なんで犯人はこんな回りくどいことをしている?」
「……どういうことだ?」
「取り込むだけが目的なら、違和感を抱かないように立ち回る必要はないってことだ」
背もたれに腕を預け、体勢を崩す姿に懐かしさを抱くのは、ディアンにとっては半年前の光景だからこそ。
共に席を並べ、イズタムと共に勉強していたのも、ペルデにとっては知らない未来。
それでも身体の癖は抜けていないと、見つめる目に籠もる感情をペルデは見ないまま。
「わざわざ俺とメリアを取り込んでまで、この夢の精度を高める必要があった。それも、こうして協力するリスクがあるっていうのに、記憶だけじゃなくて本人ごとだ。……アンタ、この夢は二回目だって言ったよな。一度目はどうやって抜け出せた?」
協力したところで逃げられないという自信があったか。そうではなく、そのリスクを冒してまで精度を高める必要があったとしたら。
無意識に遠ざけようとした記憶は、強い拒絶から。夢と分かっていてもおぞましい一連に、不快感を抑えきれない。
……この感覚さえも、精霊によって与えられたとすれば?
「……全員にサリアナ付きの騎士になったことを祝福されたのと、エルドが存在しないと言われて……僕が望んだことだと言い聞かせられるのに耐えられなくなって、気付いたら」
思い出そうとする度に吐き気が込みあげ、苛立ちと虚無感が襲いかかる。
二度目が始まってから、淡々と認識していたのが信じられないほどに。酸味が滲んだのは錯覚でも、思い出せば不快感はもう拭えない。
「つまり、あんまりにもアンタとの認識と乖離しすぎたせいで逃げられたのを学んだってわけだ。だから、俺たちを取り込んでまで夢の精度を高め、離れすぎないように調整している。ラインハルトについてはついでだろうが、関係がある以上、補填程度には使える」
ペルデやメリアに比べれば微々たるもの。だが、この夢のサリアナがラインハルトの記憶からも補われた偽物であれば、確かに利用価値はあったのだろう。
加護を剥奪されたのは彼も同じ。取り込まれて死んでいないだけ、まだよかったと言える。
この状況が続けば、そのかぎりではないが。
「意図的違う状況にまで持っていければ、出られる可能性はあるかもな」
「今でも大分違うけど、まだ足りないということか」
「違和感程度じゃ、すぐに調整されて押し切られるだろ」
心当たりは十分に。ペルデの仮説があっているのなら、目の色が違うと気付いた時に反応しなかったのも納得がいく。
あのまま全員から指摘を受けていれば、収拾がつかなかっただろう。そのまま破綻し、抜け道を見つけられる可能性があった。
この会話も聞いているだろうに妨害しないのは、妨げる方がリスクがあると判断しているのか。
……それとも、全てが見当違いなのか。
「調整するとしても、記憶を元にしているのなら限界があるはずです。全く違う未来……違う展開へ誘導できれば、あるいは」
「そもそも中立者がいないことになってるなら、その時点で実際とは違うことになる。順当に行けば、あの女の騎士になることだが……」
「いや……」
確信はないが、それは違うと否定する。
かつての憧れ。かつての指標。今は、もう未練もない道。だが、実際に歩んだ先を想像できないわけではない。
「今はともかく、昔はそれしか考えなかったから、記憶を元に調整される可能性は高い。それに……一度目の夢では、騎士であることも目覚める切っ掛けになったから、向こうも同じ手は使わないだろう」
思い出せば背筋が震える。感覚に従うのなら、その道を選べば乖離できるかもしれないが……取り込んだ精霊も馬鹿ではない。
もっと決定的な、エルドの存在がない以上に、耐えられないもの。ディアンが想像もできない、受け入れがたいなにかが必要なのだ。
一人では想像もできない、なにか。
「そもそも、騎士にならなかったことに後悔していないのは、もう気付かれているだろうし」
「……それかもしれません」
「え?」
見上げる蒼の強さに、称されたモノに至らず。戸惑うディアンを可能性は待たない。
「ディアン、なにか思い当たることはありませんか」
「なにかって……」
「もし、あの時にこうしていれば。もし、こう言っておけば。どんな些細なことでもかまいません。この夢で過ごして、少しでも思い直したことはありませんか」
揺さぶりかけるのは、後悔の念だ。
ないと思っていたもの。今もそうだと思っているもの。自分では、違うと確信していたもの。
やり直したいなど願っていない。騎士になり、父に認めてもらう道はないと分かっている。本来の実力を発揮し、嘲笑われた記憶を払拭したいのでもない。
思い直したのは、一度だけ。ほんの僅かに抱いた可能性。後悔と呼ぶには、あまりにも些細な……抱いてしまった、罪悪感。
「……メリアが、精霊史について学びはじめた。前はどれだけ言っても聞かなかったのに。……僕が、怒らなかっただけで」
「あのメリアが?」
ペルデでさえ聞き返すほど、メリアは勉強が嫌いだった。
同年の子が学ぶ教養は元より、『花嫁』でありながら精霊のことさえも知るのを拒んだ。
読み書きを覚えたのも、本という娯楽のため。外出が限られた彼女にとっては、おもしろおかしく書かれた物語が最大の遊びだった。
今さら事実を正したとて、意味はない。
……だが、もし。昨日のように誘導できれば。少しずつ、彼女を学ばせることができれば。
責務のある人間ではなく、子どもとして扱い、対応していれば。あんな最後を迎えることはなかったはずだと。
「だとしても、メリアに資格はないだろ。それに、勉強程度であの性格まで直るとは思えない」
「ですが、この夢ならそのかぎりではありません」
ディアンが思い浮かんでも切り捨てられたのは、ペルデの言う通り結末が変わらないからこそ。
なにをしても、なにを変えても、『花嫁』にだけはならなかったという確固たる結末。
否定されてはいけないはずの未来に、淡々とした声がこだまする。
「フィリアの愛し子である特徴は残っていますが、齟齬が生じている可能性はあります。この夢において、メリアがフィリアの愛し子でなければ、可能性は――」
「あり得ない」
否定は存外強く、意識しても抑えられないほどに。
ぞわり、ざわり。背中をなぞられ、頭の中を掻き回されるような不快感。
なぜ、こう感じてしまうかの理由もわからないまま、首を振る動きは弱々しい。
「……メ、リアがあの状態で許されたのは、フィリア様の愛し子なのが前提で……」
「一度目の事を思えば、そのあり得ないことこそが、この世界を抜け出す切っ掛けになるはずです」
「だけど、」
「ディアン」
咎めるように、言い聞かせるように。淡々とした響きは冷たくも温かく、交差する紫は揺らいだまま。
「あなたが嫌悪を抱いている時点で、より可能性は高まりました。他に手立てがない以上、仮定であろうと動くべきです。……あなたが助かるためにも」
ゼニスの言っていることは、正しい。
一度目の流れをなぞるなら、この拒否感こそが辿るべき道だ。
なぜ、こんなにも否定したいのか。この嫌悪の正体はなんなのか。
理由はわからず、それでも……今は他に、方法は、ない。
「……そう、だね。ごめん。……わかった」
もう一度だけ深く息を吐いて、なんとか気持ちを抑える。
可能性を示しただけでこんなにも気持ち悪いのに、抜け出すにはまだ、足りない。
その穴を埋めるためには……メリアを、『花嫁』にしなければ。
「ひとまず、その方向で動こう。ペルデは引き続き、学園や他の場所で変化がないか確認しておいてほしい」
「……わかった」
時間も遅く、結論は出た。これ以上の収穫はないと声をかけたペルデが顔を上げる。
淡々とした了承に抱く疑問はなく。ただ、形容しがたい不快と不安だけが、ディアンの中に渦巻いていた。
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