368.辿らなかった道の一つ
家に着く頃には、丁度西日が差していた。
執務室に父の姿はなく、こんなところまで都合がいいのかと笑ったのは順調すぎるせい。
この夢で実際に機能していなくても、概念としては十分な効力を発揮する。納得はしなくとも、教会として命じられたことなら、さすがの父も拒否はできない。
書面にはしばらく教会に通うと書いてあるが、実際は立ち寄る必要がないのもグラナート司祭からも言われている。
これで、明日から本格的に調査が行える。ペルデの記憶も一部ではあるが戻り、協力を取り付けることができた。
巻き込まれた人間の見直しと、ディアンが知らなかった情報まで。少しずつだが、前に進んでいる。
……おそらく、ペルデの記憶が戻ったのは、接触だけが理由ではない。
すでにペルデはアンティルダの愛し子となり、聖国との関わりは途絶えた。
明確な盟約違反であり、これだけの事態をアンティルダだけで解決するほど、ジアード王も愚かではない。
この夢を引き起こした原因がディアンにあるなら、その責任を聖国に問うのは当然。
ペルデが襲われて夢に引き摺られたのなら、今の彼は魔力負荷に侵されていると考えられる。治療のためにジアード王が魔力を流した結果、思い出したと考えるのが自然だろう。
ただの人間ならそうはならなかった。だが、ペルデはアンティルダの愛し子。そして、仮とはいえジアード王の伴侶となった。
実際に夢の中で接触できなくとも、影響を及ぼす可能性はある。
ディアンも、魔力負荷で倒れたのではなくとも症状としては同じ。ならば、エルドが何もしないはずがない。
……だけど、何も感じない。
意識を集中させ、握り締めていた首飾りの温もりを得ようと目を閉じて。だが、無機質な痛みしか返ってこない。
馴染み深い魔力も、いつも感じていた温もりも。ずっとそばにあった、エルドの気配も。
徹底的に遮断されている。夢という無意識下にあるだけでは説明ができない。
自分を夢に留めるのに、最も障害になるのはエルドの存在だ。だが、夢の中から消したところで、妨害されないわけではない。
感じずとも、ディアンは信じている。彼はそこにいて、自分を助けようとしていることを。自分との誓いを守ろうとしてくれていることを。
だから不安に思うことはないと、手放した痛みはまるで言い聞かせるように。
手紙を置き、部屋を出る。ヴァンは今日も遅いようだ。なら、小言は明日で済むと安心して、昔ならずっと憂鬱だっただろうと苦笑する。
諦めたというよりは、まるで図太くなった。あるいは、受け入れたと言うべきか。
ディアンにとって、この夢は全て終わったこと。繰り返されようと、やり直させられようと、なにも変わらない。
下された処分も、末路も。自分が選んだ道も。……すべて。
「ああ、やっといた……」
あとは自室に戻るだけと、歩き始めたディアンを気怠げな声が引き止める。
メイドにあるまじき態度。常識的に考えれば、雇用主の家族にする対応ではないが、違和感がないのは、これもディアンの日常の一部だったから。
違うのは、彼女たちが自分を探していたこと。
「メリア様がお待ちです」
「……メリアが?」
疑問はさらに膨れる。自分から向かうことも、来るなと拒絶されたこともあるが、自ら呼びつけるなんてなかった。
これも夢の影響かと、不満げな誘導に従って部屋に入れば、可愛らしい装飾に出迎えられるのも記憶通り。
「遅いわお兄様! 私を待たせるなんて、ひどい!」
侍女に囲まれ、カップを傾ける姿も見慣れたもの。そして、その目が苛立たしげに睨んでくるのもいつもの通りなのに、なじる言葉が噛み合わない。
「え……あ、あぁ。ごめん。少し用事があって……それで、どうしたんだ?」
「どうしたもなにも、お兄様が言い出したんでしょ!? 私に教えてほしいって!」
瞬き、考え。数秒を要して、やっと思い出したのは朝の会話だ。
その場しのぎの嘘と、冗談でしかなかった要望。実際に調べるはずがないと決めつけ、すっかり忘れていたお願い。
机に並ぶのは、紅茶のカップとお茶菓子。そして、ディアンが考えていた通りの本。
現実には捨てられたそれは、あるべき場所に置かれたまま。
「……調べた、のか?」
「かっ、確認しただけよ! 間違ってないだろうけど、一応っ!」
分かりきった見栄を正すつもりはない。
娯楽小説しか好まず、精霊史も世界史も学ばず。自分の欲求のまま過ごしてきたメリアが。
何度勉強するよう咎めても拒絶し、ひどいと喚き続けた、あのメリアが……精霊の本を、読んだ?
受け入れがたいが、態度も状況も事実だといっている。
当時、あんなにも言い続けた時は頑なに聞こうとしなかったのに。朝の些細な一言で……本当に?
だが、メリアが語り出した内容は、ディアンも知っているものだ。つまり、史実に正しく、間違えていない。
本を読んだ後なら当然と言えるだろう。だが、その当然こそが、メリアにとってどれだけ大きな変化か。
巻き込まれている、はずだ。ペルデの話を考えても、彼女も夢に取り込まれた側で、架空の存在ではない。
素直に言うことを聞くなんて、それこそ都合が良すぎる。あり得ない、と一蹴するのは容易だろう。
……だが、思い返せば。かつての自身の対応は、たしかにひどかったかもしれない。
『精霊の花嫁』だからと言い聞かせ、叱り。口調も穏やかとは言い難かった。
していた事自体は間違っていないと今でも思う。だが、そこに彼女への苛立ちが含まれていなかったと言えば、嘘にはなる。
当時のディアンに余裕はなかった。
努力の成果は出ず、蔑まれ。認めてもらいたい存在には咎められ。自分の無力と、不甲斐なさと。それでも、進まなければならない重圧。
せめてメリアだけでもと、英雄の子として相応しい姿を無意識に求めていたのかもしれない。
いつものように叱らなかった。いつものように咎めなかった。
たったそれだけ。だが、それこそが、メリアにとって必要な対応だったのかもしれない。
あるいは、巻き込んでいる相手にすら、ディアンの都合よく動く力が働いているのか。
「――だから、フィリアは結婚できない。ほら、合ってるでしょ!」
教える、と言いながら問いかけるあたりは詰めが甘いが、指摘すればそれこそ逆上するのが目に見えて、笑う顔は穏やかなもの。
夢であっても彼女が学んだのは事実。それは間違いなく、かつての自分が望んだ行動。
「……ああ、すごい。さすが『精霊の花嫁』だ」
「そ、そうよ! 当たり前じゃない!」
ふふん、と胸を張るメリアと、それを褒めるメイドたち。
いつもと同じで、違う光景。似通っているところは確かにあるのだ。
……もし、あの時もこうして勉強して。メリアが『花嫁』としての教育を済ませたとしても、メリアが『花嫁』になれないことも、自分が騎士になれないことも分かっている。
だが、家出を決意した要因に、彼女への対応も含まれていた。
自分には努力を強いながら、メリアには望まず。そして、自分の努力は実らないように仕組まれていた。
……もし、メリアが学ぼうとしていたなら。彼女の対応だけでも、まともであったなら。
自分は不満を抱かず、家出を決意せず。言われるまま、騎士になっていたのだろうか。
なにか一つでも違っていれば、もしかしたら……。
「お兄様?」
「いや。……本当に、すごいよ」
たとえ、この行動が補正によるものでも、気まぐれであったとしても。学ぶことを選択したのには変わりない。
今は、その大きな一歩を褒めるしか、ディアンにはできなかった。
……たとえ、現実が変わらないと分かっていても。
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