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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
~婚約式編~

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閑話⑧精霊の伴侶として

本日より、一週間おきに番外編②の閑話を投稿再開致します。

今回は「304.望まぬ会合」後の、エルドとディアンの会話です。

「……悪い、ディアン」


 見上げた顔から感じ取れるのは、反省よりも、衝撃といったところ。

 ディアンが感じとった以上の意味が込められていると察すれば、読んでいた本を閉じたのはすぐのこと。


「今回の儀式についてですか?」


 ノースディアが聖国の預かりとなり、早一か月。他国からの評価はディアンも知っていたことだ。

 精霊の裁き。聖国による侵略。

 精霊信仰こそまだ揺らいではいないが、ノースディアがなくなった影響は想定以上だった。

 門は一部の地域を除いて閉ざされ、すでに影響が出ている場所もある。

 土地は枯れ、水は干からび、留まっていた者たちも他国に避難しはじめたとは最近の話だ。

 実際に目にしていなければ、門が閉じているなど信じられないだろう。他国からの心象も察するところ。

 サリアナたちは……いや、ノースディアはそれだけのことをしたが、見せしめのように捉えた者もいただろう。

 禁忌の魔術を用い、数多の人間を狂わせたこと。

 誤った者を『精霊の花嫁』と吹聴していたこと。妖精への危害と、自他国共に多大な影響を与えたこと。

 人間の範疇で裁ける範囲ではない。されど、精霊の力によって支配された、と囁かれても否定はできない。

 今回の婚約式がどこまで抑止になるかはともかく、放置しておくこともできない。

 不安がないと言えば嘘にはなるが、必要と理解しているからこそディアンは納得したし、エルドにも説明したはずだ。


「イズタムも言っていましたが、予測できていたことです。人前に出るのに抵抗がないと言えば嘘になるけど、納得していますよ」

「そっちも確かに悪いと思っているが……」


 ますます寄せられる眉を見て、僅かに目が逸れた隙にほんの少し口端をあげる。

 空気を読んだゼニスが足元から抜け出すのを見送り、叩いて示したソファーへ座る薄紫と向き合う。


「僕に怒られるようなことを?」

「いや、怒らないだろうが……俺の気持ち的に、落ち着かなくて」


 煮えきれない答えは、まるで謎かけのよう。

 以前なら待つしかできなかったが、歯切れの悪さの正体に気付く程には時間を重ねてきたと実感し、エルドと対照的にディアンの顔は綻んでしまう。


 こうして言い淀む時は、エルドとしてではなく、ヴァール(精霊)としての感情だと決まっている。

 エルド自身の感情と、理解しながらも抑えられない精霊としての本能。ディアンという愛し子を得たとしても変えられないもの。

 一線を越えることはなくとも、止められるものではなく。割り切れるほど吹っ切れてもいない。

 ディアンの愛するこの男は強く、なによりも頼りになって。でも、時に臆病で。

 そんなところまで愛おしいと思っている時点で、すでに精霊に馴染みきってしまったのか。あるいは、惚れた弱みというものなのか。


「浮気でもしましたか?」

「…………似たようなことは」


 素直に認めるあたり、本人も反省した後らしい。わざと俗な言い方をしたが、あながち間違いではなかったようだ。

 以前ならディアンから言い出すこともなかったし、からかうこともなかった。動揺し、混乱して。話し出すのを待っていただろうが……そんな自分の変化にも苦笑し、持っていたままだった本は机の上へ。


「ペルデに助言をしたんでしょう?」

「……踏み込んだことは言っていないし中立者としての範疇だが、手を出したのは否定できない」

「そうだと思いました」


 精霊としての引け目を感じるなら、相手は人間に限られる。

 愛し子であるロディリアやイズタムにここまで反省するとは思えないし、グラナートはそもそも王宮には来ない。

 もっとも身近にいる人間となれば、ペルデだけだ。

 深入りするべきではないと自覚しながら手を貸したということは、よほど見ていられなかったのだろう。

 それだけの選択を、ペルデ自身が迫られている。


「……ペルデは、悩んでいるんですね」


 本来なら、ただの人間が王宮に滞在することは許されない。

 循環させている聖水、王宮内にいる愛し子たち、無数にいる妖精。各々から与えられる影響は、確実に彼の身を蝕んでいる。

 すでに人の身から逸脱したディアンはともかく、ペルデにとっては耐えがたい環境だろう。

 悟られないようにしているが、妖精を認識できるようになっているのは、グラナートを除いた全員が知っている。

 それでも王宮に留まることを望んだのはペルデ自身で、彼を巻き込んだ聖国は彼の願いを撤回することはできない。

 自分がどうなるか理解してなお、ペルデが聖国に留まるのは、彼の身に刻まれた恐怖から。

 実際にディアンが彼になにかしたわけではない。だが、半年前のノースディア崩壊において、すべての中心にディアンがいた。


 精霊王の意図。エルドの信念。サリアナの暴走と、後手に回るしかなかった教会。

 それぞれの事情と思惑により翻弄されたディアンは被害者で……同時に、ペルデにとっては加害者でもあった。

 当時、助けを求められたのがグラナートだけで、父からの信頼を得られると盲信していた子どもにできたことは、あまりに少ない。

 だが、ディアンが教会に通わなければ、ペルデの平穏は守られただろう。

 サリアナに目を付けられることも、自分の在り方に苦しむこともなく。葛藤は人としての範疇に収まっていたはずだ。

 すべてがディアンのせいではない。

 されど、無関係とは到底言えない。

 そして今、ペルデが抱えている問題についてディアンが触れることこそ、彼は許さないだろう。否、許されたとしても関与してはならない。

 グラナートとの関係も、今のペルデの立場も。ペルデ自身が選択しなければならないのだ。

 そして、その一因がディアンにあるからこそ、ディアンは知らない振りをしなければならない。

 彼の平穏のために。彼が選ぶ未来のために。

 もう、人ではない自分が手を出してはならないのだ。

 ディアンが彼を、友人と思っているからこそ。ペルデが、決してそうとは思わなくても。

 解放を望みながら、されど囚われ続けている彼を解放することが、ディアンにできる唯一の贖罪なのだから。

 ……そして、それは。命令でも、他者の説得でもなく。ペルデ自身の決別において選ばれなければならないことを、ディアンは知っている。

 思い出すことのないように。そうして、彼が悔い無き道を進むために。


「だが、自分の意思で選んでいる。多少自棄にもなっているし、完全に自由というわけにもいかないが……それも含めてペルデの意思だ」


 肩に添えられた手に指を重ねれば、伝わる温度がそっと溶けていく。ディアンが考えていることも、エルドには分かっているのだろう。

 人であるからこその葛藤。そして、人でなくなるからこその感情も。

 精霊の伴侶としての選択を、今も選び続けているディアンの揺らぎも。

 だが、これは慰めではなく事実。

 ペルデは選んでいるのだ。今も、自分自身のために。


「その為にも、お前に話したことはペルデに話すべきではない。いずれ彼が知ることになろうとも、求められる前から与えるのは違うことだ。知ることで広がる道もあれば、閉ざされる道もある。……わかるな、ディアン」


 脳裏をよぎるのは、儀式を行うと決めた日に語られた因縁。

 アンティルダの過去。聖国の成り立ち。不可侵条約を結ぶに至った経緯。そして、今のかの国の現状と、新たな王について。

 ペルデがアンティルダに向かうのなら、いずれ彼も知ることとなるだろう。だからこそ、今、ディアンから明かすことは決して許されない。

 選択に関わるのならば、どんな小さな一言でも、それは……加護を与えることにも等しいのだから。

 もうすでに、道は別たれている。


「わかっています、エルド」

「それと……ああ、その……」


 強い薄紫の光が、途端に萎んで深い溜め息が落ちる。

 次に来るだろう言葉も予想できて、先に言わないのはエルドの意思を尊重して。


「……今後も似たようなことが起きるが、俺の唯一はお前だ」


 振り絞る声は、本能と理性の葛藤からくるもの。ここでしないと言い切らないのも、また彼らしいことだ。

 分かっている。止められるものではない。精霊はどうしても、その煌めきに惹かれてしまう存在だ。

 だからこそ人間を求め、求められることを望み、今日まで生きてきた。

 そして、自ら生きようと足掻く力を。その強い光を前にして手を差し出すことをどうして止められるだろうか。

 だって、それがヴァールという精霊なのだから。


「今回のも、誤解を招く行為とは自覚している。それでも、お前以外に愛し子を設けるつもりはないし、中立者としての域を超えないように自制する。……お前を裏切ることだけはしないと、約束する」


 こうして口にしなければ、エルド自身が不安なのだろう。

 ディアンが信じていると信じていたって、疑わないと分かっていても、衝動は止められるものではない。

 以前ならまだしも、愛し子を得た喜びを知ってしまったのだ。その甘美な誘惑を、誰よりも恐れているのはエルド自身。

 だからこそ、彼の信頼を一身に受けて、ディアンの顔が綻ばないはずもなく。


「わかっています、エルド。……でも、そうですね」


 ペルデへの手助けも、助言も。そして、彼が行おうとする、あらゆるすべてが、自分を裏切ることはない。

 分かったうえで言葉を続けるのは、エルドの罪悪感を少しでも減らせると分かっているからだ。

 ……いや、結局は口実で、単に自分がしたいだけなのだろう。

 この狡さは一体誰に似てしまったのかと、笑う顔は薄紫にはどう映ったのだろうか。


「悪いと思っているのなら、今日はずっと一緒にいてください」

「……言われなくても」


 苦笑するエルドの頬を包み、まだ緩まない眉間の皺をそっと伸ばす。そうすれば、ようやく見慣れた笑顔がディアンに向けられ、漏れた息もいつもの通り。

 エルドにとっての唯一がディアンであるなら、ディアンにとっての唯一もまた、エルドだけだ。

 だが、他の存在がどうでもいい訳ではない。

 叶うのならば、ペルデにとってもっとも良い選択が訪れることを。彼が、自分の意思で道を開くことを。

 そのために、この儀式が何事もなく無事に終わることを、かの愛し子は祈る。

 ……それが、ディアンがペルデに対してできる唯一だった。

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