340.思い出話
「ペルデ。本当に、身体はなんともないのね?」
厳重な警備の元、戻されたのは与えられている自室だった。
簡単な診察と問診が終わり、魔術疾患の発作が出ていないのも確認し。今はミヒェルダと二人きり、向かい合って座っている。
扉の外にトゥメラ隊がいるのはペルデも気付いている通り。警備というより、監視の印象を抱くのは、この数日のせいか。
結果を聞いてもまだ安心できないのか、今は素で接しているミヒェルダに緩く首を振る。
実際、身体はなんともない。多少凍えた程度で、移転による影響もほとんどないと言い切れる。
その寒さも、与えられたスープのおかげで内側から温められ、ほどなく冷え切っていた身体も元に戻るだろう。
そう、本当に……あんなことがあったとは、思えないほどに。
「……よかった」
ようやく安心したと、ミヒェルダが息を吐く。その眉は寄せられ、疲れも滲んでいる。
無理はない。突然王宮から姿を消し、完全に監視の下を離れ、危害がくわえられていてもおかしくない状況。
街にいることまでは突き止められても、ペルデが安全である保証はなかった。
「……心配かけて、ごめん」
「わかっているわ、ペルデ。無事だったならそれでいいの。……本当によかった」
ペルデに非があるわけではない。止めようとしたところで、どうにもならなかっただろう。
だが、心配させてしまったことは事実だと謝罪を口にすれば、やはり咎められることはなく、ここに戻ってきただけで十分だと慰められる。
「ジアード王は、なにか話していた?」
だが、いつまでも気遣うだけでは成り立たない。
問われ、迷うことなく首を振れたのも、この流れが分かっていたからだ。
本来なら、答えるべきだろう。禁忌と称されたローブの正体も、羽のない妖精のことも、ジアードがペルデに語ったことについても。過不足なく。
だが、目の前に居るのがミヒェルダでなくても。それこそ、女王相手であっても、ペルデは同じく口を閉ざしただろう。
これは語るべきではないと、ペルデのなにかが訴えている。
「本当に観光していただけだ。通行人と騒ぎは起こしたが、仲間のようにはみえなかったし……」
「……そう」
納得はしていない。だが、ペルデからはこれ以上情報が出ないと判断したのだろう。
決定的な証拠がない限り、罪に問うことはできない。疑わしくとも、状況だけでは裁けないのだ。
とはいえ、妖精の件がなければジアードもここまでの無茶はしなかっただろう。
ペルデを連れ出したのは、あくまでもついで。ペルデに語ったことも……ただの、暇つぶし。
理解しているはずなのに、腕に与えられた熱が剥がれない。
暇つぶし。ただの興味。ペルデの反応を面白がっていただけ。
そうだと分かっていても、刻まれた熱はまだここに残っている。
忘れかけていた感情。無くそうと思っていたもの。息を吹き返してしまった、重く、鈍く。……されど、あの時とは違うもの。
込み上げた息は疲れか。今後に待ち構えるなにもかもに対する憂鬱か。あるいは……まだ、釈然としない胸の内に対してだったのか。
「ペルデ」
答えは出ず、吐息に反応したミヒェルダの眉がより狭まるのを見つめる。
「疲れているところに聞きたくないだろうけど……グラナート様も、心配していたわ」
鼓動が跳ねる。きっと自身の眉は、彼女と同じぐらいに寄せられているのだろう。
聞くのはこれで二度目。だが、昨日に比べて心の中が凪いでいるのは……聞き慣れたからではなく、事実として受け入れたからだろう。
「……知っている」
溜め息は混ざらない。感情も含まれない。淡々と肯定するだけの響きに、目の前の青が心なしか沈む。
数日前なら、皮肉の一つでも言っていただろう。八つ当たりと理解しながら、受け止める彼女に甘えていたに違いない。
そうして返ってくる言葉に余計に苛立って、否定して。そうしてずっと、繰り返していたのだろう。
だが、そうしたところで事実は変えられない。
そう、グラナートは心配していた。その内情がなんであれ、ペルデの感情と重ならずとも、それは、事実。
……されど、それだけ。
「ねぇ、ミヒェルダ。小さい頃、一緒に雪だるまを作ったの、覚えている?」
唐突な話に、青が瞬く。思い返せば、昔話をペルデから振るのはこれが初めてだ。
いつだって苦しめられた記憶しかない。あのバケモノに関わり続けたことも、サリアナに巻き込まれたことも、父と呼んでいた相手に信じてもらえなかったことも。
なにかとつけては思い出し、纏わりつく重い感情を振り払おうとして、振り払いきれず。慣れたつもりで……結局、誤魔化し続けていただけ。
問われたミヒェルダも、そんなペルデを知っているからこそ、戸惑いながらも頷く。
「私から誘ったんだもの。覚えているわ」
「最初、俺はそれを断ったけど、結局は連れ出されて。そのうち夢中になって、昼過ぎまで遊んでいたっけ」
「できるだけ大きいのにしようって言ったら、持ち上げられなくなるからって逆に言われて。それでも、あなたより大きい雪だるまになったわね」
彼女にとって、十数年前など一瞬にも近いこと。今でも鮮明に残っているのだろう。
嫌がる小さな子どもの顔も。結局ははしゃいで遊ぶ姿も。教会の中に戻った後、その子どもがどんな顔をしていたかだって。
誰かと遊ぶなんて久しぶりで、それが警戒している相手でも嬉しくて。……楽しかったけど思い出したくなかったのは、どうしてもその存在が絡んでくるから。
「……本当は」
一度、途切れる。啜ったスープは温く、ペルデの心を落ち着かせるには冷たすぎる。
だからこそ、吐いた息に熱はなく。響きは固くとも、確かにその口で紡がれる。
「本当は、グラナート様と作りたかった」
それは、誘われたあの日。あの時に落ちるはずだった言葉。
本当は、父さんと一緒に遊びたかったと。一緒にいてほしかったと。せめて、できあがった雪だるまを見てほしかったと。
声に出なかった願いは、あの時と同じく、伝えたかった相手には届かず。ミヒェルダの耳には届く。
「……ええ、知っていたわ」
だからこそ誘ったのだと、言葉は続かない。
幼いペルデが、本当は誰と遊びたかったか。遊ばずとも、誰と共にいたかったのか。その感情を誰とわかち、聞いてほしかったのか。
その立場に替わることができないことも、それでは満たされないことも分かっていた。
言葉にしなかっただけで、当時のペルデも気付いていた。ただ、気付かないふりをしていただけだ。
喉を通る塩気は、やはり温く。噛み締めたのは苦々しい思い出。
せめて見てもらおうとその姿を探して。あの赤が、忌々しい黒と一緒にいた衝動を、今でも思い出せる。
あれが他の子どもだったら、ただの嫉妬で終わったのだろうか。ディアンでさえなければ、諦めもついたのだろうか。
……いや。いいや。
「きっと、あの時にはもう答えがでていたんだ。……ただ、俺が認めたくなかっただけで、ずっと誤魔化していただけ」
「ペルデ、それは……」
「ミヒェルダ」
否定はいらない。肯定だっていらない。それは、ただペルデの内を明かしただけのこと。
誰の意見も感情も関係はない。だって、それは事実なのだから。
スープに落ちていた視線は前に。そこに葛藤も、怒りも、諦めもない。ただ真っ直ぐに、自分を見てきた存在を見つめ、笑う。
「これまでありがとう。だけど、あなたは任務を全うしただけだ。グラナート様と同じように、正しく、女王陛下の忠実な部下だった」
だからこそ、幼いペルデは彼女を遠ざけようとした。彼女の真意に気付いてからも、自分から近づこうとはしなかった。
自分とは違うと。最後には父の味方になるとわかっていたから。信じきるには、あまりにも怖かったからこそ、感謝の言葉も今まで言えずにいた。
その決断を。彼女なら正しく悟ってくれると期待するのは……それこそ、ペルデの甘えなのだろうか。
「それでも、俺に優しくしてくれて。気にかけてくれて、嬉しかった。俺に姉さんがいたなら、ミヒェルダのような人だったのかもしれない。雪だるまの時だけじゃない。今までのこと、本当に感謝している」
まるで最後の別れのようだ。なんて、自分の語りまで白々しく。
正しく、これは別れの言葉だ。これまでの自分との決別。自分が先に進むために必要な言葉。
たとえ自己満足で終わろうとも。伝えることにこそ、意味がある。
グラナートでもなく、あのバケモノでもなく。ずっと、ペルデを見守り続けてくれた彼女だからこそ。
「だから、さ」
ずっと、心配し続けていた彼女のための。最後の言葉。
「……俺とグラナート様の関係で、もうミヒェルダまで悩む必要はないよ」





