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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
~婚約式編~

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328.むかしむかしの

「心配するな。これは単なる気まぐれ。お前が正式に加護を賜っていない以上、これは加護の与奪には該当しない。お前が恐れる事態にはならん」

「……そんな言葉を、信じられると?」

「信じようが信じまいが、どうするかはお前の勝手だ。ただの憶測で満足し、何も得ぬままその日を迎えるか。それとも、罠と疑いながらも真実を知るか。どちらであろうと、()は歓迎しよう」


 笑う顔。歪む唇。笑わない瞳。見つめる深緋。握り締めた手の中、汗の不快感ごと滲んで消える。

 揺さぶられる理性がペルデに問いかける。本当に、そこまでして知る価値のある真実なのか?

 結局はペルデだけが語り、何も知ることはなく。いいように使われるだけで、何も得られないのでは?

 本当に全てを明かされるとして……それは、自分の身を挺してまで得る必要が、あるのか。

 手は伸ばされたまま。男はペルデの選択を待っている。

 王として。アンティルダとして。……その地を統べ、守る者として。

 太ももの裏で押した椅子はひどく重く、床に擦れる脚の音はそれ以上に耳障り。

 地面に落ち、再び上がった視線は、まだ向けられている指先に向けて。

 足が強張っていたのは、一歩踏み終えるまでのこと。やがて距離は縮まり、文字通り手を伸ばせば触れる場所へ。


 指先が震える。信じるわけじゃない。どうしても明かしたい訳でもない。この先は、ペルデには許されていない知識だ。人が知ってはならない領域。

 もう後戻りはできないと、本能がペルデを引き止めようとする。エルドから与えられた施しとは違う。この先は、明らかな禁忌なのだと。

 ペルデは、人だ。どれだけ精霊に翻弄されようと、人が許されざる領域に身を浸していようと、ペルデはまだ人なのだ。

 だからこそ、触れかけた指先が恐怖で弾かれる。引いた距離はほんの数センチ。たったそれだけの距離は、遠ざかったとは言えない。

 ゆえに、今度こそ触れるまでにかかった距離だって、あまりに短かった。


「意気地無しめ」

「――っぐ、ぁ……!」


 僅かに吐かれた息。絡む視線。歪む深緋は笑み、されど蔑むものではなく。まるで慈しむかのように見えたのは、温かさを感じたからだろう。

 否、それこそが錯覚だと嗤うように、燃えるような熱さがペルデに襲いかかる。

 度々感じていた熱さなど比較にもならない。沸騰する血液に流し込まれる灼熱が末端へ駆け巡る。

 吐く息で喉が焼け、少しずつ身が削がれていくかのようだ。

 熱い。熱い。熱い! 流れる涙さえも熱くて熱くてたまらないのに――どうして、こんなにも心地良く感じてしまうのか。

 耐えがたいはずなのに、苦しいはずなのに。だけど、苦しくなくて、痛みすらなくて。

 与えられる熱のせいか。それとも、人の身に余る魔力に脳が焼かれたのか。そうでなければいよいよ狂ってしまったのだと、崩れ落ちる身体は男に抱きとめられる。

 注がれる熱は、手の平から全身へ。触れる全てから余すことなく与えられて、燻っていく。

 のぼせた頭はろくに回らず、脱力した身体は支えられたまま。

 魔力は止まり、灼熱は途切れる。されど、ペルデの身体は熱にうかされたまま。零れる涙は、耐えかねた衝撃ではなく、胸に込み上げる感覚のせい。

 泣き叫びたい衝動と、締めつけられる胸底。懐かしいのに、辛くて思い出したくない。

 噛み締めた唇に、なにかが触れる。熱くて、温かくて、柔らかなもの。力が緩めば、汗で張り付いた前髪を払われ、それが指だったと遅れて気付く。

 触れるのも、見ているのも、この男の他にはいないのに。


「案外相性は悪くないようだ」

「……ぁ、……っ」


 目蓋を閉じても世界は回る。実際に自分ごと回っていると理解できたのは、そこがソファーだと気付いてから。

 横抱きにされ、より密着する身体。されど、気怠い指先はピクリとも動かず、見下ろす瞳から逸らすことだってできない。


「今なら感覚も掴みやすいだろう。なにか投げかけてみるといい」


 なにか、とは。投げかけるとは、どういう意味なのか。感覚も何も、熱くて、頭の中が飽和して、思考もろくにまとまらない。

 のぼせているような、焼かれているような。形容しがたい熱の中、触れた箇所の温度は一等高く、意識するほどに熱く、強く。

 まるで導かれるように、奔流に逆らって辿り着いた先。打ちつける感覚に頭の靄が晴れていく。

 これが魔力の譲与だというのなら。たとえ一時的なものであっても、こんなの、


『……どこが、お裾分けだ、この野郎』


 明らかに、その域を超えた干渉に悪態もつきたくなる。門で受けた時と比べてマシでも、到底人の身で受けていいものではなかった。

 不快感がないのが救いだが、それが何の慰めになったというのか。

 

『やはり、筋はいいようだ』


 明らかな侮辱の言葉に、それでも男の唇は笑む。むしろ、今までで一番楽しそうなまである。

 通じた、というよりは無理矢理繋がれたとも言えるが、感覚さえ掴めばなんとも呆気ない。

 途切れる様子もないと、確かめた深緋が瞬く。込められる光。その光は、ペルデの恐れるものと同じ強さを纏うもの。


『まず、我が国についてどこまで知っている?』


 どこまで、なんて。世間の噂と、エルドから渡された本。そして、男との会話で得た憶測だけがペルデの全てだ。

 知らないに等しいと訴える目は、語れという圧に推されて沈む。

 もう、熱で回らないとは言わせてはくれない。


『……遙か昔。精霊がまだ、人間界にいた頃。この聖国こそが、アンティルダの地であったと』


 否定はされない。だが、肯定もされない。ただ続けろと熱はペルデを促し、浮かれるままに記憶を綴る。

 今もペルデの自室にある禁書。記されたのは、アンティルダと聖国の因縁がいかに始まったか。

 昔、まだ精霊がこの地にいた頃。ここには一つの国があった。

 その地はある精霊に愛され、加護を受けていた。魔力に富み、土地は育み、飢えることも苦しむこともなく。

 そこに棲まう者は、隔てなく精霊の加護を受け、愛されていたという。

 精霊が人間界から去るように言われた後も残り続け、己の身が削られようとも、その精霊は民を愛し続けた。

 されど、ささやかな平穏は戦の精霊によって打ち砕かれた。

 原初の愛し子。すなわち、己の娘を人間界に降ろす際、シュラハトは彼女のための王国を作るため、元も魔力が多いこの地に目を付けた。

 戦いに敗れた精霊は不毛と呼ばれていた地……いまのアンティルダに逃げ延びたという。

 詳細こそ闇の中だが、その一件が決定打となり、現在のアンティルダは教会の支援を得ず、精霊の加護を賜ることもなく。魔力も聖水も、全てが失われた彼の地にて、不可侵条約を結ぶこととなった。

 加護のない地。ゆえに、アンティルダは、加護が失われた地であると。

 当時、ロディリアがどこまで関与していたかは分からない。だが、禁書に指定するのも道理だ。

 聖国、ましてや教会にとっては最大の汚点。まさしく各国で囁かれている精霊による略奪そのもの。

 もしこの男が、この事実を晒したなら、精霊信仰が傾くだけの惨事になる。

 事実、ノースディアは精霊によって奪われたも同然なのだから。


『禁書として扱いながらも、史実として残したモノは正しかったようだな』


 真実だと肯定する声に、小さく吐いた息はまだ熱を纏ったもの。

 感覚の戻りつつある指先で顔を拭おうとすれば、それよりも先に前髪を払われる。

 荒れた指先から伝わる温度は、やはり焼けるよう。


『古代語で書かれていただろうに、よく解読したものだ。その努力を讃え、いくつか訂正してやろう』

『訂正?』

『その精霊が愛したのは、土地そのものでも、そこで暮らす人間でもない。その地を統治する男こそが、彼女が真に加護し、愛したものだ』


 気怠さが引くほどの衝撃に目を開く。聞き間違いではない。そもそも、直接吹き込まれた言葉をどう聞き逃せたというのか。


『あんたが渡した本にも書いてなかった』


 聖国の禁書も、昨日読んだ物も、全てに目を通せたわけではない。

 だが、掻い摘まんで読んだ中に、そんな記載はなかったはずだ。他のどの国が認めずとも、当のアンティルダがその記録を残していないなんて。


『民に伝える必要のない記録だ。真実は、然るべき者のみが覚えていればいい』


 実際に語るつもりなどないのだろう。否、そもそもアンティルダの成り立ちを今の民がどこまで知っているのか。

 少なくとも、全てを知っているのはこの男だけ。


『その精霊が愛した男というのが、先代のアンティルダ国王か』

『いかにも』

『……あんたも、女王陛下と同じ、愛し子なんだろう』

『さすがにそれは気付いていたか』


 ふ、と笑う息が頬を掠める。細まる深緋。込められるのは、それこそ幼子の疑問に答えるような生暖かいもの。

 明らかに馬鹿にされている。この光を見て、今まで触れてきて、気付かないはずがない。

 一目見たときから分かっていた。ディアンとも、サリアナとも違う。されど、精霊と呼ぶにはまだ足りない。眩しくて、歪で、熱い光。

 人が視てはならないはずの……理解していてもなお、逸らすことのできない輝き。


『公にしていなくとも先代が人の道を逸れ、精霊の伴侶となってから僅か百年。シュラハトが祖国であった地を略奪したのは事実だ。それが、あの女の国を作るためであったこともな』


 その話は、彼の父親から聞かされた話なのか。語る口調は淡々として、それ以外の感情を見出すことができない。


『お前も言った通り、この地は魔力に富み、最高峰の山があったために信仰も厚かった。当時の精霊にとっては、これ以上ない魅力的な地だったというわけだ』

『山が信仰とどう関係が……』

『忘れたか? 当時は、天に近しき場所にこそ精霊がいると信じられていた。ゆえに、高地は精霊信仰者の祈りを最も集めやすい地であり、実際にアンティルダの精霊はそのおかげで生き延びていた。……そのせいで目を付けられたとも言えるがな』


 精霊が人間界から去り、一部の精霊だけが留まった当時。信仰を失い、存在できなくなった精霊は多かったという。

 人間たちの祈りこそが精霊を肯定し、存在を証明する。

 当時、アンティルダを加護していた精霊もまた、民と伴侶の祈りがあったからこそ百年以上耐えていられたのだろう。

 だが、アンティルダは精霊の加護の無い地。……もう既に、その精霊は存在を失っている。

 厳密には信仰だけでは生きていけないことは分かっている。だが、もし決定打があったのだとすれば。


『民ごと、奪われたのか』

『否。シュラハトが求めたのは広大な土地であり、それ以外の要素は全て不要であると切り捨てた。彼女の愛した民こそが、彼女に残された唯一だった』


 文字通り全てを奪われ、置き去りにし。残ったのは、彼女にとって最も慈しんだもの。

 それはシュラハトの慈悲ではなく、愛しい娘のための場所に、それまでの形は邪魔でしかなかったのだろう。


『ああ、庇うわけではないが、この一連は全てシュラハトの独断であり、原初の伴侶とその娘……今の女王は関与していない』

『知っていたなら止めていただろう』

『実際、露見した後、奴には厳罰が与えられ、ロディリアの父親に対する憎悪も増したとか。……まぁ、それも全てが終わった後だったが』


 僅かに逸れる赤。少しだけ強まる指。食い込む温度は、瞬きの間に消える。


『唯一の救いは、アンティルダを加護した精霊が戦わずして逃げたことだろう。相手は戦の加護をもち、そのうえ武具の精霊を率いていたとなれば、端から勝てるわけもない。恐れを成して逃げたと罵る者もいたが、誇りと称して無為に民を殺させるのに比べれば聡明と言える。たとえ土地を失おうとも、全てがなかったことにされようとも。彼女も、そして彼女の愛した者たちも、その誇りだけは穢されることはなかった』


 だからこそ、それは戦ではなく略奪と称され。彼女は全てを失った。

 土地も、魔力も。愛する民以外の全てを。されど、それこそが彼女にとって最も大切なものであったと。

 だからこそ、彼女の愛した者は。守ってきた民の血は、今も続いている。

 加護をもたぬとされた地がもっていたそれこそが、今の教会が求める理念そのものとは。なんと、皮肉なことか。


『アンティルダはロディリアにとっては己の罪の象徴だ。必要以上に関与したくないのは、突きつけられたくなかったのもあるだろう。おかげで盟約を結ぶのも容易だったらしいが』

『……一度、和解を申し出たと』


 ジアードに寄越された本の中。禁書には綴られていなかった一連は、価値の違いを表している。

 おそらく、まだ先代がいた頃の話だろう。当時のことを、この男がどこまで知っているのか。

 ……そもそも、彼はいつ国を継いだ?

 加護する精霊が消え、残された伴侶である先代は亡くなった。だが、それはいつ?


『ああ、そこまで読んでいたか。言っただろう、全てが終わった後だと』


 ロディリアが気付いた時には手遅れだったと深緋は輝き、口は吊り上がる。その一連に対し読み取れるのは、嗤いではなく、呆れ。


『精霊にとって、最も重視するのは祈りと信仰。だが、それだけでは到底生きてはいけぬ。その唯一の想いさえ、土地を追われ、飢えに苦しめられ、それでも助けてくれぬ相手に、なぜ祈りを捧げることができる?』


 重なるのは、ほんの数時間前。今、こうして語る間も続いている儀式の一幕。

 縋る民に説き伏せ、祈りを捧げるよう諭した姿。教会の司祭らと同じで、されど意味合いの異なるもの。

 教会ではなく、精霊の伴侶として告げたあの言葉は、明確な拒絶と同じ。

 助けることはできない。その言葉が真実であろうとも、そのニュアンスを誰がどこまで理解していたのか。

 それは精霊の伴侶に限らず、精霊そのものこそ、人間を真に助けることはできないのだと。


『まさしく、アレは精霊にとって理想の伴侶であり、教会にとっても最高の代弁者。まったくいい催しだった』


 本当に彼は楽しんでいたのだ。あの一連も、ディアンの発言も。それを聞いて満たされていたエルドの反応も。こうしてペルデに語る今ですら。


『先のは極端な例であり、人災の一因もあったが……実際、姿も見えず、存在を確かめられず。それでも祈れば救われると説き伏せ、助けもせぬ存在を敬い続けよというのは横暴ではないか?』

『加護を与えた対価が祈りでは』

『たった一度祝福しただけで、それが一生を費やし祈るに値すると?』


 精霊にとって、ほんの僅かな力。愛し子として認知していない相手ならばなおのこと、それは微弱なもの。

 現に、ペルデもネロ()の加護を賜っているが、恩恵を得ていると実感することは無に等しい。

 教会で暮らしてきたペルデでさえそうだ。

 普通の市民であれば、その意識はもっと低く。懸命に祈る者でさえ、心から信じている者は数えられる程しかいないだろう。

 たった一度と、人間の寿命。釣り合うとは言い難い。

 それでも。


『……だとしても、人間は受け入れている。魔力を扱えるのも、自分たちの生活が豊かになったのも、精霊が存在し、加護しているからこそ。それがこの世界の理であり、変えることはできない』


 どんなに理不尽に思おうとも、それがこの世界だ。精霊と人間、双方のために定められ、教会によって整えられてきた道。

 精霊は人間に加護を与え、人間は祈りを捧げる。全ての万物は精霊の元に還り、そうしてまた巡る。人間の意思など関係ない。

 死から逃れられないのと同じく、それは世界を保つために受け入れなければならないもの。

 理解できずとも馴染まなければならない。不満を抱こうとも、拒絶することは許されない。

 もし、その道から外れようものならば、異常だと淘汰されるだろう。

 ……それこそ。これまでのペルデのように。違和感に訴え、指摘し、そうしてはね除けられてきた幼い頃のように。


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発売中の書籍も、よろしくお願いいたします!


挿絵(By みてみん)



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