327.迫る者
「なぜ話さなかった?」
並び続ける列を横目に部屋に戻ってきて。結局、男の狙いも目的もわからないままだったと、言い知れぬ感情に翻弄されたまま食事を終えた途端にこれだ。
帰ってきてから一言も話すことなく、静かに食べ終わるのを待っていたとは思えないほど、聞こえなかったと惚けるにはあまりに強い響き。
「……何のことだ」
「そいつのことだ。ミヒェルダとやらに話す機会はいくらでもあっただろう」
惚けるつもりはない。単に、どれのことか当たりが付けられなかっただけだ。
示した先、ペルデが使っていた食器に触れようとする小さな姿。
先ほど与えたパンはもう食べてしまったのかと、遮った指にしがみ付かれて困惑する。
羽のない妖精。存在しないはずの地から来た異端の姿。
なぜ、この男がミヒェルダとの対話を知っていたか。もはや、それも些細なこと。
「……時間も限られていたし、そもそも聞かれなかった。必要な情報だけに絞っただけだ」
「教会の従事者には、精霊に関する全ての事象を報告する義務が生じる。妖精とて例外ではない。お前はまだ正式に従事しているわけではないが、選定者のそばにいる以上、その責務はあるはずだが」
下手な言い訳だと深緋が歪めば、榛色は細まる。
女王から厳命されていることだ。いかなる事象であろうと、精霊に関することは報告する義務がある。
まだ成人を迎えていないペルデは、正式に従事していない。それでも、立場を考えるのであれば、義務には従うべきだ。
たとえ特例であろうと、成り行きであろうとも、ペルデは誰よりも精霊に近い者のそばにいるのだから。
「女王陛下が知りたいのは、あなたの計画についてだ。羽のない妖精に何かできるわけもないし、あなたの計画には関係ないと判断し、伝えなかっただけだ」
「なるほど。では、俺の企みに目処がついたというわけだ」
沈黙は肯定と捉えられず、鼻で笑う息が鼓膜を叩く。だが、その瞳に面白みはなく。覗く瞳孔は赤々と燃える。
「もう一度問おう。なぜ話さなかった」
「あなたにとっては、知られない方が都合がいいだろう? 理由なんてどうでも……」
「ペルデ」
逃げるなと、捕らえる声がペルデを離さない。そもそも逃げる場所もなければ、身を隠す場所もない。
どれだけ距離がはなれていようと、この部屋には二人きり。解放される手段はないのだ。
似た部屋。似た状況。されど、幻覚が重ならないのは、貫く瞳がペルデを焼いているから。
同じ赤。されど、違う光。
「…………言っても、信じられるものではないだろう」
「なぜ」
咎める声は休む間を与えない。沈黙は少しの躊躇いから。行き交う空気を一度閉ざして、吐いた息に乗せられた心労は僅か。
「……妖精にとって、羽をもがれることは、命を失うに等しい苦痛だと」
「それで?」
「羽をもがれたうえで生きている個体がいるなんて。それも、加護のないアンティルダから連れてきたと言って、誰が信じる」
「だが、実際にこれは生きている」
自分の話題と理解しているのか。小さな緑の瞳から感じ取れるものは、無垢とも言える感情だけ。
ペルデの指に触れたまま頬を寄せる姿は……やはり、苦しんでいるようには見えず。そして、確かにここにいると証明するもの。
「現にお前に触れ、お前に語り、お前はそこにいると認識した。それでも、あり得ないと否定するか?」
「いることと信じられるのは異なる話だ。……それとも、彼女を女王陛下の元にお連れして証明しろとでも?」
このまま彼女を持って扉を抜けるだけで証明できるだろう。ペルデの幻覚ではなく、確かにここにあると。
理屈はわからずとも、アンティルダには妖精が存在し、羽を失いながらも生きているのだと。
だが、ペルデの手は動かない。彼女を持ち上げることも、振り払うこともなく、ただ触れ合ったまま。
それすらも見通していたと、男は目を細め、笑う。
「まさか。俺の妖精を奴らの元に晒すなど、それこそおぞましいことだ」
「……俺の妖精?」
「なんだ、もう分かっているものと思っていたが……まぁいい」
瞬きの間に姿が消える。思わず探した姿は、男の手の上。それも柔く握った瞬間に消えて、見えなくなる。
その行動にも、発言された内容にも追いつけず、揺れる瞳は再び向けられる深緋によって定まる。
細められた目の奥。煮える血の色。じくじくと疼くのは目蓋の奥か、左腕か。
「そろそろ頃合いだろう。お前についても概ね理解できた。答え合わせといこうじゃないか」
「なにを……」
「俺のことを知りたいんだろう? 俺の故郷のことも、俺の目的も、こいつのことも。なら、互いに腹を割って話そうじゃないか」
「……どういう、つもりだ」
理解できない。否、これは拒絶だ。理解したくないと、自分の何かが訴えている。
この感覚をペルデは知っている。何度も何度も味わった。何度も目を逸らしてきた。
遠ざけようとして、逃げ切ることができなくて。結局、全てを知ることになってしまった。
違和感としか言えなかった当時とは違う。これは、ペルデ自身を守るための本能。
踏み込んではいけない。……これ以上、踏み込まれては、ならない。
「理由が必要か? 暇つぶしでも、単に興味が湧いたのでもいい。……ああ、お前を気に入ったということにしておくか」
「ふざけるな」
「いいや。実際、これは単なる暇つぶしであり、お前に興味が湧いたのも事実。そして、お前の計画を助けてやろうと思う程度に気に入ったのも、嘘じゃない」
語りかけてはいけない。反応してはいけない。それなのに、言葉が途切れない。
食べたばかりの食事が胃の中で渦巻いて、汗が滲む。気持ち悪い。抗えない。
「なんのことだか。企んでいるのはアンタの方じゃ……」
「隠し事があるだろう。お前がバケモノと称する男にも、そのバケモノを迎え入れる精霊にも、お前の我が儘を容認した女王陛下にも、お前を息子と呼ぶ義父にも。まだ心を許しているだろうミヒェルダにさえも。誰にも言わず、秘め続けたことが」
深緋は確信をもって燃える。まるで肺から焼かれているように息が苦しい。
見たくないのに、目を逸らせない。分かっているのに。知っているのに。これはダメだと、理解しているのに。
「なにもかも半年前に露見している。今更隠し事なんて――!」
『アンティルダに亡命することもか?』
衝撃は痛みを伴わず。されど、脳が揺さぶられ、息が止まる。見開いた目の中、歪む深緋は確信を得たもの。
「な、んの……話を……」
もはや、繕うことすらままならない。舌は強張ってろくに動かず。それでも紡いだ声の、なんて小さく情けないことか。
どうして。なぜ。それこそ誰にも知られていないはずだ。
誰にも言わなかった。誰にも気付かれないようにしていた。それはペルデの奥底にしかなかった、本当の願いで。
「はて、俺は何も言っていないが」
事実、男は口にはしていない。先のミヒェルダのように、直接頭に語りかけたのだ。ペルデが逃げぬよう。全てを見通していると、突きつけるように。
「あえて声にしてもいいが、気になるというのなら魔術でも使うか?」
「つ、かえな、い」
「ミヒェルダとは熱心に話していただろう?」
「一方的にだ! っ……俺からは、できない」
口実ではない。実際、ペルデはその魔術をまだ会得していないし、必要だってないのだ。
それは本来、聞かせてはならない声を代弁するためのもの。
自分だけが習得できても、他の者が使えなければ意味がない。だって、考えていた唯一の場所には……そもそも、魔術さえないと言われていたのだから。
「なるほど。……なら、ここに」
不必要な知識を詰め込めるほどの余裕はないのだと、否定するペルデに文字通り差し伸べられる手。
「なんのつもりだ」
「そう怯えるな。魔術が使えるように手を貸してやる。お前にも分かりやすく言うなら、ただのお裾分けだ」
それを聞いて、どうしてその手が取れるという。
人間の道を踏み外そうとしていたディアンでさえ、あの子どもたちに過剰な影響を与えた。人ではない存在と共に過ごし、その魔力に浸され続けたからこそ、ディアンはもう人と呼べない存在になった。
それを分かったうえで、たとえ一時であろうとこの男の魔力を渡されるなど。その意味が理解できないほど、ペルデは愚かではない。
「必要ない」
「別に俺はこのまま話してもかまわんぞ。この部屋を離れている間に交信石が仕込まれていようと、今からの話を誰に聞かれようと、俺には関係の無いことだ」
真っ先に使い終わったばかりの食器を見やる。否、これがそうとは限らず、そもそもペルデでは探ることなどできない。
昨日のだって、壊されて初めて気付いたのだ。見えぬ場所。この男にさえ気付かないように仕込まれていたなら……それこそ、防ぐ術はない。
「思考を読み取るので十分じゃ」
「お前が話をしたいのなら、お前から語るべきだ。別に俺は聞かれても構わんからな」
聞かれて困るのはペルデだけ。だからこそ、この男は声にはしなかった。
そのうえで、ペルデに選ばせようというのだ。奪い尽くした選択を。残された唯一を、あくまでもペルデ自身が選ぶように。





