324.僅かな共有
祝い。精霊への感謝。願掛けじみた言葉。緊張する者。堂々とする者。半信半疑な者。
老若男女。平民も、金持ちも、権力者も隔てなく、儀式は進む。
一人あたりの時間は三分にも満たない。だが、どれだけ早く終わらせようとも列は切れることなく、それこそ何百人と待ち続けていることだろう。
たとえ何時間かかろうとも、人生に一度とない機会を得るためだけに。
新鮮味を感じていたのは、謁見の人数が十人に差し掛かるまで。落ち着きなく待つ者たちの反応を見なくなったのは、それから何十人後のことか。
本来なら、ペルデもこの場で儀式を見届ける予定だった。一方的な言葉と、当たり障りのない言葉の往復を今のように。
ある意味では予定通りと言えるだろう。退屈だと思おうとも、ペルデにとって無意味と感じようと、この場に立つことからは避けられなかった。
……だが、ペルデの横に立つ男は違う。
再び肩を抱ける距離にいながら手を繋ぎ直すことも触れることもなく、男の目は絶えず眼下に注がれている。
深緋の行き先は、幕に隠れたディアンか。彼の言葉を代弁すると同時に牽制しているエルドか。見えぬ位置から監視しているロディリアか。それとも、この中に紛れている味方か。
どうやって情報を伝えるかは分からなくても、それ以外にこの男が儀式を見る理由があるとは思えない。
しかし、ペルデにその一連を遮る方法もなければ、特定する方法もない。ゆえに、疑問と予想は頭の中で堂々巡り。
あるいは、ここに来たのは本当に鑑賞するためで、隠れている味方など存在しないのか?
本当に、この光景を見るためだけに、ここまで?
それこそあり得ないと唇が歪み、笑みは再び押し込められる。
この男には狙いがある。どれだけ巧妙に隠そうとも、ペルデが突き止めることができなくとも、それだけは間違いない。
だが、それはディアンではないと、エルドが判断したのなら間違いないのだろう。
ならば、いったいなにを、
『――聞こえるかしら、ペルデ』
肩が跳ねる。鮮明な声は、まるで直接脳に吹き込まれたかのよう。全ての思考を攫うのは、ペルデの背後にいるミヒェルダの声。
『動かないで。直接あなたの頭に話しかけているの。……聞こえているなら、指を曲げて』
揺らいだ視線は前に戻り、ジアードから遠い側の手をそっと動かす。
ディアンがエルドにしているの同じ魔術を、ミヒェルダがペルデにかけているのだ。
『本当になんともないのね、ペルデ』
不思議なものだ。直接声が聞こえているのに、感情の起伏まで鮮明に伝わってくる。
不安と、安心。どちらもペルデの身を本当に案じていたもの。
既に問うた内容を繰り返すのは、疑いではなく確信を得たいから。
だが、確かめたいのはペルデも同じ。
「(ミヒェルダこそ、大丈夫だったのか)」
最後に見たのは、門が使えなくなるに至った事件以来。あれから三日しか経っていないのに、回復しきったとは考えられない。
今もどこか無理をしているのだろうと、思い浮かべた言葉は魔術を知らずともミヒェルダへと届く。
『私は大丈夫。今のうちに、いくつか共有させて』
「(……門に起きたことをよく覚えていないけど、あれから変化は?)」
辛うじて記憶に残っているのは、おぞましい多幸感と、黒に染まった視界。そして……男に呼びかけられ、与えられた熱。
焼けるような熱さは、肩を抱かれていた時以上に高く。忘れようにも忘れられない。
『女王陛下が仰るには、まだ精霊王からもアピス様からも返答はないと……イズタム様の調査では、現状あの黒い異物が出てくる可能性は低いけど、まだ安全ではないと仰っていたわ』
「(アンティルダの、他の使者は?)」
『今は一人ずつ隔離して見張っている。今のところ不審な動きもないし、こちらも問題ないわ』
地下か、別館の一室か。どちらであろうと、下手に動くことはないだろう。彼らの誰かが抜け出している可能性もこれで無くなった。
やはり、彼らはジアードの目的には関係ないのか。ペルデの予想通り、弟たちの行動は邪魔で……だが、対外的にそう見せているだけかもしれない。
あの時、男は否定も肯定もせず、ペルデの心情を掻き回すことで誤魔化した。
ペルデが得た情報はごく一部。それも信憑性に欠けるもの。
エルドに渡された日から儀式が始まるまで、毎夜眺めた本。こびりつくのは、奪われた地という呼称。
それがこの男の目的に結びつくか、否か。それすらも、導き出せない。
『ジアード王は何か言っていた?』
「(……いや)」
目が覚めてから今日まで、蘇るのは無意味なやり取りだけだ。
グラナートとの関係も、サリアナのことも、問われたのは確認の意味合いが大きく、得られた情報は本当にごく僅か。
引っ掛かるのは、羽をもがれたにも関わらず生きている妖精の存在。
彼女がこの男の目的に関与しているかはともかく、報告すべき存在には違いない。
……だが、実際に思い浮かべたのは否定だけ。
「(目的を特定できることは何も。聞かれたのは俺のことだけだ。選定者様のことも含めて彼が掴んでいる情報は多い。……グラナート様との正しい関係も知っていた)』
『……そう』
今は少しでも情報を共有するべきだと理解しても、なぜ答える気になれなかったのか。
目的には繋がらないにしても、重要な問題だと分かっているのに言えなかったのは、なぜなのか。
『ペルデ。グラナート様は心配していたわ』
僅かな葛藤は、知りたくなかった情報によってなぎ倒される。
今は、女王と共にこの光景を見守っているのだろう。ディアンを。エルドを。そして、おそらくは自分も。
狭めてしまった眉から力を抜き、そもそも彼女には見えていなかったと息を吐く。
「(それは、俺が情報を漏らさないかだろう)」
今のペルデは、仮とはいえ選定者のお付きだ。共にイズタムから学び、聖国の機密にも足を踏み込んでいる。
選定者になる前はともかく、人間の中では最も彼のプライベートを知る存在となってしまった。
聖国は言わずもがな、グラナートにとっては教え子以上の存在だ。いくら漏らさないと言ったところで信用できないだろう。
だからこそ、ペルデにも悟られぬよう通信石を仕込み、ペルデが裏切らないかを見定めようとしていたのだ。
「(選定者については何も漏らしていないし、話すこともない。聖国に至っては、逆に教えられているぐらいで――)」
『そうじゃないわ、ペルデ』
静かに。されど、強い響きに思考が止められる。続きを聞きたくないと願っても、音のない言葉をどうやって遮れただろう。
『……あなたとグラナート様の隔たりが、簡単に埋まらないのは分かっているわ。任務とはいえ、彼の行動が全て正しかったとは言えない』
従事者として。同じ任務を遂行していた者としては、言うべきではない言葉だ。
これが他の者なら、勝手な言い分に怒りを抱いただろう。だが、ペルデに語りかけているのはミヒェルダだ。
教会で暮らしていた間、ペルデをずっと気にかけ、接してくれていた彼女だからこそ、グラナートの思考もペルデの葛藤も知っている。
『今も、従事者として忠実である姿に思う事があるのも知っているわ。……だけど、彼がずっと、あなたの身を案じていたことだけは疑わないで』
咎めるのではなく、まるで懇願のように語りかける。だからこそ、湧くのは怒りではなく、言いようのない感情。
思い出すのは、気を失う前の光景。ペルデの代わりに人質になろうとした姿。
聖国に移住して、毎週あの家に戻ってきた自分と時間を持とうとしたこと。そして……先ほども、そうすべきではないと理解しながら、ペルデの元に来ようとした。
ペルデだって言われずとも分かっている。彼がそうするに至った全てを否定できるほど幼くもない。
他者から見れば、ペルデが意地を張っているだけだと。そう認識されていることも、理解している。
全ては断罪の日に明かされた通り。理由も、葛藤も、必要性も明かされ、わだかまりは消えた。
……だけど、受け入れられない。
子どもだと思われようとも、大人げないと言われようとも、いかに正しさを説かれようとも。あの言葉だけは受け入れられない。
『ペルデ』
名を呼ばれる。ミヒェルダではない、あの日のグラナートがペルデを呼ぶ。
白に埋め尽くされた世界で、ペルデだけを拒否するような景色の中。歪んだ赤がペルデを見て、語りかけてくる。
忘れたくとも忘れられない。解放されない。ずっと、ずっと。
『それでも私は、お前を、』
「ペルデ」
息を吸う。喉を舐める熱は、すぐそばから漂う苦く甘い香りのせい。
見上げた男は前を向いたまま。だが、深緋はペルデに向けられ、絡んだと認識した瞬間、下へ戻る。
「面白いのが来たぞ」
促されるまま見た先、最前に進むのは平民と思われる夫婦。男の腕に抱かれているのは、一歳にも満たない幼い子ども。
何の変哲も無いはずの……だが、確かに引っ掛かる違和感。
「オルレーヌ港より参りました」
深く腰を折り、再び見えた顔に浮かぶのは緊張と確かな喜び。
それは、敬虔な信者とも、単なる興味とも違う。ディアン本人へ向けられたもの。
オルレーヌ港。夫婦。子ども。重なるピースは、母親の笑みと共にピタリと嵌まる。
「貴方様は覚えていないでしょうが、我が子に祝福を授けてくださったことに、改めて感謝の意を伝えるため参りました」





