314.交渉
強く打ち鳴らす音が響き、蒼を従えた女王が道を裂く。
先陣を切る彼女が止まれば、声を務めるイズタムがジアードと対峙し、リヴィ隊長が女王の身を守る。
「事態が把握できるまで待つようお伝えしたはず。ましてや、病人の前で騒ぎ立てるなど。どのようなおつもりか、ジアード王」
剣は納められ、結われた髪が翻る。もうペルデに顔は見えない。
だが、呼びかけられた男の唇が歪み、細められた深緋が笑んだことを、榛が見逃すことはなかった。
「この期に及んでまだシラを切るつもりとは。全て精霊の仕業であると言えば納得するとでも?」
「何のことでしょう」
「もうまどろっこしい真似は止めたらどうだ。どうせこの人間にも声を聞かせているのだろう? 代弁ではなく、その口で、我らの土地を欲したことを認めたらどうだ」
「……我々が不毛の地を欲しているとでも?」
声は変わらず、イズタムの声によって紡がれる。だが、それは代弁ではなく彼女自身の言葉として。
沈黙した女王。その布の奥で隠れた顔は見開かれているのか、歪んでいるのか。何も変わっていないのか。
「精霊に犯されていない地は、唯一我がアンティルダのみ。人間界を掌握したいと精霊が望んでいるのなら、お前たちはどんな手を使ってでも手に入れようとするだろう」
「精霊にとって、魔力の枯渇した地に価値はありません。求める理由など……」
「奴らに道理など通用しないことは、誰よりも女王陛下がご存知のはずだ。それとも、最初にこの地を奪ったことが正当な理由の元で行われたとでも?」
強まる魔力の中、脳裏をよぎるのはアンティルダについて綴られた禁書。
失われた地。そう呼ばれるまでに至った経緯。ペルデを背に庇うグラナートも知らぬ、禁じられた歴史。
たとえ過去でも事実は変わらないと、滲む怒りは背中越しであっても伝わる。
「どうであれ、貴殿らが私を殺そうとしたのは疑いようもない事実」
「ジアード王。確かに聖国とアンティルダの間では不可侵の盟約が結ばれていることは事実。そうでなくとも、我々が貴殿に対し、害を成す理由は……」
「ならばなぜ、我々の送還を最後にした? 真っ先に追い出したいはずの我らをこの地に留め、何も関係ないそこの子どもを同席させた理由はなんだ」
振り返り、見据える瞳と視線が絡み、目は逸らさず。グラナート越しに見据えた深緋は、ペルデを焼きつかせて前に戻る。
「元より、アンティルダは他国との交流はなく、唯一繋がりを得たノースディアは制裁の名目の元、聖国の配下となった。ここで俺の首を断てば、晴れてアンティルダも手中に収められるわけだ」
「精霊が門を閉じる以上、ノースディアは人の住める地ではありません。現状は、これ以上の被害を防ぐための措置であり、侵略とは異なります」
「私は民の総意を述べたまで。その門についても、細工ができるのは精霊か、その奴隷であるお前たちにしかできぬ行いであろう? そこの子どもと共に襲わせれば我々を騙せると思ったのなら、あまりに浅慮というもの」
「我々を侮辱するか!」
「リヴィ」
だが、それ以上の発言は、彼女を諌める声で遮られる。イズタムの声ではなく、彼女自身の唇で紡がれた声で。
淡々とした響きに感情はない。背を伸ばし、睨みつけている瞳も見えることはない。
されど確かに絡み合い、外れることはなく。
「……確かに、今の状況ではそう勘ぐられても仕方のないこと。されど、現状貴国が納得するだけの理由を持ち合わせていないのも事実。今は精霊王へ告訴し、原因を突き止めているとしか答えられない」
「あくまでも、アンティルダを強奪しようとした事実は認めないと?」
「貴殿らが信じまいが、精霊界側に問題があるなら門が使えないことは事実。その間、貴殿らはここに滞在することになる。不可侵の盟約は有効といえ、言葉が過ぎればその限りではない」
一斉に引き抜かれる刃。その数は、アンティルダが連れた人数を遙かに陵駕している。
数でも実力でも、アンティルダが敵う要素はない。実力行使にでないのは、それが奴らの狙いだからだ。
だが、危害をくわえず無力化させることは可能。盟約は破られず、危害を与えたとも言わせない。
「……なるほど。結局どう訴えようと、精霊の思惑通りというわけか」
声に混ざるのは怒りではなく、侮蔑でもない。むしろ、この展開を予想していたという余裕すら伺え、ペルデの困惑が増す。
ただ不満を述べるためだけに、これだけの騒ぎを起こすはずがない。
わざわざここまで来たのが女王を引き摺り出すためなら……本当の狙いは、ここから。
「さすが戦の精霊、シュラハトの娘。勝つためには手段を選ばぬとは。だが、私も無策で来たわけではない」
含まれる嘲笑は、ロディリアがシュラハトに抱く感情を理解しているからこそ。僅かに膨らむ魔力が肯定し、分かりきった反応には目もくれず、男が懐を探る。
警戒する周囲を鼻で笑い、取り出したのは手の平大の丸い物体。まるで常闇を思わせるほどに黒いそれは、辛うじて見える凹凸で石だと知る。
吸収した全ての光を反射するように溢れた白が形を作り、色を得て、眼前へと晒される。
ここではない違う場所。倒れる複数の人間。その中でも焼きつくのは、同数の蒼。
誰かが叫んだ言葉は、映し出された光の中にいる者の名だろう。同時に映った男たちの服装は、唇を歪ませ嗤う男と似たもの。
「彼女たちに何をした!」
「今は、まだ何も。ただ不可侵の盟約を破った者たちを捕らえただけのこと。貴殿らが良からぬ事を企まなければ、我々も手を出すつもりはなかったが……」
「……その魔術は、門の使用に抵触するもの。この時点で大罪であると理解しているのですか」
今にも斬りかからん殺気を、辛うじてイズタムが抑える。教会の従事者が遠方と声を交わす際は交信石を用いて行っている。
だが、ジアードが出したそれは自分たちの知る鉱石ではなく。ましてや、オリハルコン以外で空間を繋ぐことは不可能のはず。
それが可能であるとすれば、それこそ、あのローブと同じく禁忌に触れた可能性だって。
「それは精霊の配下にある国に限ってのこと。それに、この術を作ったことが罪ならば、既に償われている。……ああ、償われている最中と言うべきか」
「……サリアナか」
「定期的な交流のため手紙ではなく直接声が聞きたいとは、私の婚約者は実に愛らしいだろう? ……いや、今は元であったか」
ク、と喉の鳴る音。重なるのは聞こえるはずもない笑い声。今はこの世界にいない罪人。全ての元凶。
最期まであのバケモノに執着した女が、どうやってアンティルダと連絡を取り合い、ディアンを拐かすよう指示していたのか。これが、その答え。
「処罰を下した罪人の余罪を追及するのは勝手だが、現状を忘れたわけではあるまい」
僅かに揺れる光の中、使者として遣わせたはずのトゥメラ隊は倒れたまま。
「それが真実とは限らない。あの罪人の力があったなら、虚像を作り出すことも可能」
「確かに証明は難しい。仮に真実であっても、見捨ててしまえば問題はない。彼女らも、今更命など惜しくなかろう」
言い合う間も、光の中では担がれる姿が映し出される。
意識はない。だが、息はあるようだ。
……今は、まだ。
「とはいえ、乙女の血を無為に流すつもりはない。我が国なりにもてなすだけだ。精霊の血が混ざった娘であれば、さぞよい子を授かるだろう」
膨れ上がった魔力が喉を塞ぎ、呼吸が遮られる。代わりに与えられた不快感は心臓を押し潰し、脳の中で膨張して痛みを引き起こす。
女王一人だけではない。イズタムも、リヴィも、ミヒェルダも。ここにいる全ての女性、全てのトゥメラ隊から向けられた怒りだ。
決して踏み込んではならない領域を、土足で踏みにじる発言。
伴侶とするために子を成させ、人としての尊厳を奪い取ったシュラハト。欲しいままに人間を伴侶に迎え、その全員を死に追いやったアプリストス。
たとえ全員に同じ血が流れていなくとも、誰もがその行為を憎み続けている。
人質がいなければ、既にその首は胴から離れていただろう。
今も皮一枚で繋がっていると、気迫に押された男たちが顔を強張らせる中、ジアードだけはわらう。
「不可侵の盟約があろうと、我らの間の溝は埋まらぬ。そのうえで、私は全てを講じてここへ来た。貴殿らも、相応の覚悟をもってアンティルダに足を踏み入れたはずだ。……違うか?」
返答はない。事実、それは女王も考えていたはずだ。
されど、儀式に招く以上、門を開くことは必然。そして、今のアンティルダに門がない以上、現地に赴く必要があった。
表だって危害をくわえないにしても、あらゆる場合を想定し、リスクを理解したうえで彼女は命じ、そしてトゥメラ隊も相応の覚悟で臨んだはずだ。
されど、彼女たちにとって花を散らされることは、命を奪われる以上の屈辱。
そうならぬためにロディリアはこの王宮を閉ざし、彼女たちもまた必要以上に姿を晒すことはなく。限りなく異性を遠ざけ、過ちが起こらぬように徹底していた。
二度と同じ過ちが起こらぬように。もう二度と、自分たちのような存在が生まれることのないように。
もし脅かすというのであれば、それこそ互いに血を流し、滅ぼすことも厭わないだろう。
……それこそ、他国から侵略と捉えられ、破滅に向かおうとも。
「我々を脅そうとも、原因が判明するまで門は開けないことは事実。元より、不毛の地の略奪は貴殿の誤解だ。我々に危害をくわえたところで、貴国を罰する名義を得るのみ」
「誤解というには都合が良すぎる。あの一撃、私でなければ死んでいただろう。そこの子どもが生きていることも信じがたい。……それも、都合よく助かったと言うつもりか?」
蘇る記憶がペルデの首をより締めつける。思い出せないのに、覚えている。触れてはならないはずの何か。人が見てはならないもの。
確かに感じた死の気配。与えられるべきではない幸福感。脳裏にちらつく紫。ペルデが恐れ続けていたものたち。
込み上げる吐き気を、歯を噛むことで押し止める。俯きたくないと願うのは、睨みつけた先に交わらぬ赤があるからこそ。
「だが、我々とて血を流すつもりはない。本当に誤解を解きたいというのであれば、そちらも誠意を見せるべきだろう」
「……何が望みだ」
人質を取られ、精霊界からの返答は未だなく。言いがかりであろうとも、それを正すだけの材料もない。
正当な理由があるとはいえ、ノースディアの末路は他国の疑念を抱かせるには十分過ぎるもの。
それを払拭するために行った儀式で、聖国がアンティルダの略奪を企てていたと広められれば、今度こそ民の信頼は潰えるだろう。
そこまで追い詰め、望んだ言葉を引き出した男がロディリアから顔を背ける。
見据えた先。グラナートとミヒェルダの身体に遮られていても、その深緋はペルデを貫き、笑う。
「原因がわかるまで解放しないと言い張るのなら、その原因とやらが判明するまで、そこの子どもを傍に置かせてもらう」





