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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第一章 始まり

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29.夜道

 門を抜ければ、もう明かりはない。晴れていれば月が唯一の道しるべだが、今日はどうやら顔を見せたくない日らしい。

 雲の向こうに隠れるかどうかは、精霊の気分次第。

昔からの言い伝えがどこまで正しいかはさておき、今日はそのまま姿を隠していてほしいと願う男は少なくともここに一人。

 途中で確認した時刻は日付を越えてすぐ。酒場も静まり、誰も彼もが眠りにつく時間。道を行くのは酔っ払いか見回りの兵士だけで、その人数だってあまりに少ない。

 見張りは物音で難なくおびき寄せ、離れている間を狙って抜けたのが数分前のこと。

しばらくは追いかけてくるのではないかと警戒していたが、それも明かりが見えなくなるまでの間だけ。

 一人でここまで来るのは初めてだ。見慣れた景色、見慣れた場所。違うのは、もう二度とこの道を見ることがないという覚悟。

 開けた場所から森へ。左右を木に囲まれているが、道はレンガで舗装されているし、一本道なので迷うことはない。このまま何事もなければ、予定通り夜明けまでには辿り着けるだろう。


 向かい風に身を震わせ、息を吐く。強くはなくとも、冷たいそれは容赦なくディアンの体温を奪っていく。

 下着を合わせても着ているのは二枚。昼間ならともかく、夜にこれは薄着すぎたようだ。フードこそ最優先だが、それ以外の衣服になるとどうしても後回しになってしまう。

 不快感を覚えるだけで、生きていくのに支障はない。さすがに全裸にはなれないが、寒さぐらいは我慢しなければ、ここから先は生きていけない。

 まずはフードを。それから剣を。余裕があれば食事を取って……それが無理なら、水だけでも確保しなければ。

 あれもこれも足りないが、全てを買い足すには財布の中が心許ない。なんとか資金を稼ぐ方法も見つけなければ。

 指先に息を吐きつけ、僅かな温もりを貪る。

 喉も渇いているし、胃袋なんて固形物を食べたのはもう二日前のこと。夕方に飲んだ紅茶がなければ、今ごろ穴が空いていたに違いない。

 金さえあれば満たせる欲求はいくらでもある。だが、現実は既に襲いかかっているのだ。

 ギルドに入れば簡単な依頼で食い扶持を稼げる。

 だが、ディアンにとっては敵陣に自ら捕まりに行くようなものだ。外見が知られている以上、この手は使えない。

 では個人で仕事をもらおうにも、大抵の仕事はギルドを通して行われる。その方が確実だし、手間もない。

 身元が判明していない者に頼むのは、よほど焦っているか頼めない仕事かの二択だ。そんな依頼はろくなものじゃないし、最悪の場合は金だけでなく命まで取られかねない。

 大袈裟な話ではないのは街で聞こえる噂の数からも証明できるだろう。

 あとできることと言えば、魔物を狩った戦利品を売るぐらいだが……それも、受付は大抵ギルドになっている。

 個人で引き取るのは日用品で使われる物ぐらいだが、需要が多ければ供給だって多い。わざわざ依頼しなくとも、その場で買えるのが大半だ。

 そもそも、ギルドを通さずに仕事をもらおうとしている時点で怪しい人間だと証明しているものだ。

 子どもならまだしも、ディアンはもう十七。外見だけなら成人と相違ない。小遣い目的は通用しないし、むしろ怪しいと通報されるのが目に見えている。

 分かっていたが、稼ぐためには外見を変えるしかない。髪はもちろん、できれば瞳も。

 ……が、染髪剤は普及していないし、材料だってこの付近では手に入らない。

 変化薬なんてもっとだ。その一本で、今のディアンが欲しがっている全てが叶う上にお釣りまでくる。

 魔法もあるが、悲しいことにディアンが扱うには精度が怪しまれる。成功する確率も低いし、上手くいっても毎回同じように変えられる保証はない。継続時間だって、慣れていない者では数分から数時間と幅が広すぎる。

 その場凌ぎならともかく、それで通すとなれば……やはり、現実的ではない。

 食事は教会が行っている配膳でまかなえるかもしれないが、それも毎食ではないし野宿の場合は使えない。

 野草や木の実で凌ぐのも限界がある。狩りなんて、それこそ道具が無ければ厳しい。

 溜め息が漏れるのも当然。しかし嘆いたところで問題は解決されない。

 分かっていて飛び出したのは自分だ。あの場にとどまれないと判断したのも自分だ。ならば、どうするかを考えるのだって自分しかいない。

 通り抜けていく風が再びディアンを冷やし、どれだけ息を吐いても指先は温まらず、心の中も冷えていく。

 体温の低下、空腹感、疲労。考え事をするには最悪の条件だと笑う余裕は、少しだけ。

 ろくに答えが出ないなら、しなければならないことだけ考えるべきだ。そう、前に進む。ただそれだけ。

 そう終わらせるはずだった思考は、届いた音で遮られる。


 ……足音。

 自分のものではない。抑えているが、確かにそれはディアンの背後から聞こえたものだ。

 一人ではないが、正確な人数は不明。気付かれたと悟られないよう、再び吐いた息の温度は感じない。

 盗賊、強盗、ならず者。候補はいくつか挙がるが、どれも違うだろう。

 こんな場所で待ち伏せなど割に合わない。今からでも王都で酔っ払いの懐を探った方がよほど儲かるだろう。

 ならば、彼らの狙いはディアン自身。

 ――あまりにも早すぎる。

 いつかは気付かれるとは思っていたが、家を出てまだ十数分も経っていない。

 外の見張りは眠っていたし、誰かが部屋を尋ねてくる気配だってなかった。来ないと確信していたからこそ、こんな不十分な状態で家を抜け出したはずだ。

 しかし、澄ませた耳に届く音はディアンを追いかけるもの。距離はさほど離れていない。気付いていることを知られれば、一瞬で詰められてしまうだろう。

 どうしてすぐ捕まえないのか。そんな疑問は後でいくらでも考えられる。

 ……いや、逃げ出したのに気付いてから追いかけてきたにしては静かだ。

 慌てて来たなら尾行する理由はそれこそない。すぐに捕まえて引き戻せばいい話だ。

 ディアンに気付かれぬまま、その行き先がどこかを突き止める。そう、それはまるで……監視と同じ。


 ストンと、腑に落ちる。そうだ、何故今までその発想に至らなかったのか。

 いくらディアンが悪い意味で有名でも、情報が出回るのは早すぎた。

 昼のうちにあったことが夜には伝わっているなんて、一度や二度ならともかく、毎回となれば不自然だ。

 そう、それこそディアンを見張り、その行動を報告でもしていなければ。絶対に。

 メリアを叱る時も、一昨日も、あまりにも都合が良すぎる時に現れた。これをただの偶然で片付けてはいけない。

 ギルドは様々な依頼が集まる場所だ。それこそ、ギルド長自ら雇うことだって……ないとは言えない。

 誰かが聞けばやり過ぎだと、考えすぎだと笑うだろう。昨日までのディアンなら、同じように馬鹿馬鹿しいと否定した。

 だが、今の父なら。彼ならばやりかねない。六年間自分を騙し続けていた彼ならば。

 どれだけ頑張っても数時間かかる道のりも、馬車ならば十数分もかからない。慌てて追いかけずとも、居場所さえ分かっていれば連れ戻せると。そういうことなのか。

 ああ、家を出ることは想定していなかっただろう。だが……つけられていると理解した今、それは時間の問題だ。

 もしかすると、既に報告されているかもしれない。今ディアンの後ろにいるのが全員だなんて考えはあまりにも甘いのだ。

 舌を打ちたい気持ちを抑え、なんとか突破口を探る。無駄な抵抗だとしても、ここで撒かなければ……それこそディアンに未来はない。

 道は一本道。左右は木々に囲まれ、暗がりになにが潜んでいるか目を凝らしただけではわからない。

 この近辺こそ根元が見えているが、道から外れるほどに生い茂った草が全てを隠すだろう。

 ……ならば、やるべきことは、一つ。


 気付かれぬよう歩みを止めないまま瞼を伏せ、魔力を手のひらに集中させる。握り込んだその中に反発する圧を限界まで抑えて、息を吸う。

 チャンスは一度。それも、一瞬。少しでも躊躇えば捕まってしまう。武器を持っていない自分が複数人相手に勝つ見込みはない。

 人数も不明。その全ての目を欺くことはできない。

 ……ならば、その目を塞ぐ以外に方法はないのだ。

 振り返り、掲げた拳を開く――その瞬間、世界が白に染まった。

 強烈な光が瞳を焼く。瞼越しでも相当なのに、直視した彼らの痛みはいかほどか。

 姿は見ないまま、呻き声を聞き流して木々の中へ。ようやく目を開けば、光はまだディアンの背後から世界を照らしていた。眩しくとも、直視しなければそれは味方だ。

 一気に来る疲労感に息が詰まり、それでも足を止めるわけにはいかない。一瞬だけ目を潰すはずだったのに、想定よりも魔力を使ってしまった。

 後悔は後にするものだ。だが、反省するのは安全が確保されてから。遠くで叫ぶ声が聞こえなくなってから。


「探し――絶対に――!」


 高い音は、おそらく女性だ。聞き間違いかもしれないし、実際は男性かもしれない。

 だが、そんなことは確かめなくたっていい。彼らが、あるいは彼女らがディアンを追いかけていた。それが確定した今、もうディアンを引き留めるものなどなにもないのだから。

 光が消え、視界が黒に染まる。微かな輪郭だけを頼りに進む足が何度か躓きかけても前に、ただ前に。


 どのぐらい走り続けたのか。時間も距離もわからず……だが、いよいよ肺が限界を訴えたところで、酷使した足も止まることを許された。

 近くの幹に手をつき、大きく息を整える。咳き込み、俯き、不快感ごと飲み込んで。激しい血流の音の中、他の音が聞こえないか耳を澄ませる。

 足音はない。押し殺した息も聞こえない。

 ディアンは素人で、相手はプロ。この程度の索敵でわかるとは思っていないが、気休めでも鼓動を落ち着かせる効果はあったようだ。

 獣の声どころか、物音一つしない。風もなければ木の葉が揺れることもなく、やかましかった心臓の音は徐々に静かになっていく。そうすれば、聞こえるのはディアンの呼吸だけ。

 撒けたと判断するには早いが、ひとまずは安心していいだろう。そして、その余裕が長く続かないこともディアンは分かっている。

 方向からして行きたがっている場所は目星が付くはずだ。見失ったところで先回りされれば、ここまでの苦労も水の泡。

 向かいたいのは東だが、それはヴァンたちも予想できているだろう。次に近いのは北だが……どう考えても朝までには辿り着けない。

 夜が明けてから追ってくるとすれば、逃げ切れる可能性が残っているのはやはり東。

 長居ができないとしても、換金して最低限の装備を調えるぐらいならできるはずだ。食事は……状況を見て、諦めることも視野に入れよう。

 きゅうきゅうと鳴いている腹を無視し、空を見上げる。月は変わらず顔を隠したまま。星も姿を現さない。

 方角を知る術はなく、来た道を思い返したところで無意味。溜め息は自然と口から漏れて、魔力不足の疲労感が全身に回り始める。

 少し開けた場所だが、依然周りは木に囲まれ、地面は歩きにくい。

 野宿をするなら十分な広さではあるが、ディアンは休みたいのではなく進みたいのだ。

 向かう方向を間違えれば、それこそ全てが無駄になってしまう。

 こうして迷っている時間だって惜しいほどなのに、どこへ向かうのが正解か確かめる方法だってない。

 なんとか道に出たとしても、方角が分からなければそれこそ……。

 どうしようもない現状に、焦燥感ばかりが積もる。

 落ち着かなければと頭を振るディアンに届いたのは、救いの声ではなく――乾いた、なにかの音。


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