299.守るために ☆
いつも閲覧いただきありがとうございます。
今回で精霊界訪問編終了になります!
本日まで見守っていただき、ありがとうございました!
「婚儀を執り行え、ヴァール」
その脳裏によぎるのは、人払いのされた謁見の間。
ひしめき合っていた精霊たちの影は一つもなく、残った影が二つ。
全ての精霊の祖であるオルフェンを、かの者に最も近い分身が睨み付ける。
「言ったはずです。一年の期間を設けた後に執り行うと。ロディリアとの対話で、あなたはそれに同意したはず」
「事情が変わった。……禍々しい力の気配がしている」
視線は鋭いまま、寄せた眉は疑問の意味合いが強い。
この男がそう称するのは、定期的に起こる魔物の大繁殖。その兆候が見られるときだ。
数百年単位に人間界を襲う災害。名目上は、その危機に対抗するために愛し子へ特別な力を授けることになっている。
そこに別の意味があったとしても、知るのは教会と精霊たちだけ。そして、危惧しているそれは暫くこないはずだ。
他でもない。その大繁殖から始まった一連が、エルドとディアンの出会いに繋がったのだから。
「スタンピードは二十年前に起こったばかり。何かの勘違いでは」
「たかが思い込みで人間を呼び寄せるとでも? お前もここに戻り、感じるものがあっただろう」
目を逸らしたのは見下ろす白に怯んだのではなく、心当たりがあったからだ。
無数の視線の中、誰の者でもない異様な気配。群れに紛れて特定することはできず、されど確かに異質なもの。
意識しなければ勘違いだと無視するほどの小さな違和感。
常時であれば脅威にもならない。……だが、決して無害ではないもの。
「それに、他の精霊たちの執着もある。人間界にいたとて安全である保証もない。……ようやく手に入れた愛し子を失いたくはなかろう」
それは、親が子を諭す響きに似て、されど異なるもの。
元は同じ存在、分身として別れた力。だが、その思考は重なることはなく、ならば信念も同様に。
「たかが一年、待つ意味がどこにある」
ふつり、怒りが湧く。理解されぬと理解し、故に離れると誓った場所。
そう、彼らには理解できない。その一年が人間にとってどれだけの意味を持つのか。
人であるうちに過ごすその短い時間こそが、己の愛し子にとってどれだけ大切なものなのか。
あの時、エルドはその命令を振り払い、ディアンとの帰還を急いだ。
……だが、実際に問題は起きてしまった。
人間界に戻れず、この地に滞在を強いられ。ディアンを苦しめるだけではなく、その命だって失いかけた。
ディアンが覚えていないという精霊。あのヴェールを与えた者が、オルフェン王の言う禍々しい力の正体だろう。
なぜディアンに接触しながら逃したか。その動機は不明でも、単なる偶然ではない。何かの狙いがあって、そうしたのだと。
エルドも本当は理解している。この胸の内にある全てを諦め、儀式を執りおこなう事こそ、あの時のディアンにとっては最善だったのだと。
これも一つの選択なのだと。結果の一つなのだと。そうすれば、彼を無駄に苦しめることもなく、辛い思いをさせることもなかった。
……ディアンを、怯えさせることだってなかった。
守ると言いながら、実際に自分は何をしただろう。全てが後手に回り、報復さえフィリアに奪われてしまった。
いいや、もしあの場で妨害されていなければ、それこそディアンを怯えさせていただろう。あの男の原形がなくなるまで、何度だってその拳を振り下ろしていた。
それでも足りないほどに。今だって、その怒りはエルドの中に燻り、昇華できていない。
だが、それはアプリストスだけではなく、自分自身への苛立ちを含めて。
結果としては、エルドはディアンと共に戻ってこれた。婚儀は予定通り、ディアンも無事なまま。
望んでいた通り。それなのに胸の内が晴れない。踏み潰され、乱れ、掻き混ぜられたまま。ぐらぐらと揺れて、定まらない。
それが悔いから来ているのだと、エルドは自覚している。
本当にディアンを守りたいのなら。真にそう願っているのなら、婚儀を少しでも早めるべきだ。
それこそ、ディアンの覚悟さえ決まっていれば、すぐにでも執り行える。
シュラハトの言う通り、ロディリアの元で学べる大半は精霊界で過ごす内に知れること。その知識をエルドが補うこともできる。
なにより、彼は共にこの世界に戻る。綿密に知る必要はないのだ。
そして、別れを惜しむことだって。……その事実だけを見れば、ないに等しい。
ディアンを思うのなら。本当に彼を愛しているのなら、ディアンがどう思おうとも儀式を強行するべきだと。エルドは理解している。
――それでも、どうしても惜しんでしまうのだ。
ディアンが人である事実を。彼がまだ人である間でなければ得られぬ経験を。
伴侶となってからでは惜しむこともできない、この一瞬にも近いあと僅かな期間を。エルドは、求めてしまっている。
ディアンの伴侶としてではなく、精霊として。エルドをエルドたらしめた、その光の強さに。
散々他の精霊を狂っていると称しておいて、結局は自分も同じ。
それでも、振り払えない。愛しているのに抗えない。
今すぐ迎え入れたいと思えば思うほどに、ディアンにこの瞬間を生きてほしいと願ってしまう。
葛藤し、悩み。そうして、後悔しないために選び取るその力強さを。その輝きに、抗うことができない。
……その点で言えば、アケディアを責めることはできないのだろう。
形は違っていても、その本質に差はないのだから。
人でなければ愛せないとかと問われれば、間違いなく否定できる。それこそフィリアに断言することだって厭わない。
だが、それはエルドの感情や理性で抑えられるものではない。本質的なもの。精霊として求めてしまう性。
そのせいでディアンを傷付け、苦しめている。それは今までも、そしてこれからだって。共に生きていく以上、それを避けることはできないのだろう。
それでもいいのだと受け入れてくれるディアンに甘え、救われているのは……誰でもない、エルド自身。
頼っていいといいながら、実際に頼っているのは自分。
本当にひどい男だ。情けないと罵られても当然。守ると豪語しておいて、結局できることはあまりに少なく。
……それでも、何もしないわけではない。
ディアンはエルドを選び、誓ってくれた。共に生きるのだと。エルドを受け入れてくれるのだと。
ならば、今度こそ。なにがあろうとも、彼を守らなければならない。
たとえこの選択が、いつかディアンに恨まれるとしたって。彼の信頼を裏切ることに繋がったとしたって。
ディアンを守るために。彼との未来を、紡ぐ為に。
「……すまない、ディアン」
頬を包む手を握り返し。微笑み返したはずの顔がうまく笑えていなかったことを、紫の光が伝えていた。





