284.素晴らしい御方
「アケディア様にとっては誰でもよかった。……でも、アタシは違う」
もう何百年も前、まだ彼が人間であった頃の記憶。思い出している声は重く、されど顔は悲観に暮れず。
「……アタシが育ったのは教会の運営する孤児院で、物心ついた頃からそこにいたの。衣食住が揃っているだけ恵まれていたけど、いい記憶はないわね」
今も各地にある、教会の行っている支援の一つ。事情があって孤児となった子を保護するための施設は、旧ノースディアにも存在していたはずだ。
ディアンは同行した記憶はないが、サリアナが慈善活動として訪問していることは、何度か会話にもでてきた。
成人を迎えるまでには、大半が施設を出て自立していく。ディアンが知っているのはその程度。
「養子を求めてくる人もいたけど、少なくともアタシを引き取ろうとする人はいなかったわ。同じ孤児院の連中も、ちょっと裁縫ができる程度で女々しいとか男らしくないだとか、ほんっと価値観が狭かったわ」
「裁縫の才は、その頃から?」
「まぁ、みんなの服を直したり、ボロ切れを集めて人形のドレスを作ったりする程度だったけど……たまにくる金持ちの服については、何日も考えたことはあるわね」
今でも、裁縫や仕立て自体は女性の仕事であることが多く、男性は打ち合わせや交渉に出てくる程度。
今がそうなら、数百年前も同じ。なんなら、風当たりは今より強かったかもしれない。
「言っとくけど、別に自分が特別とは思ってなかったわよ。単に、あの場所が私と合わなかっただけ。馴染むために自分を抑えるなんて馬鹿馬鹿しかったし、どこかには自分の場所があるって確信していたもの」
当時から癖のある性格だったようだが、マティアの言うことにも一理ある。
組織に属しているならともかく、当時彼はまだ子どもで、周りも似たような年齢の者ばかり。
我が出るのは当たり前だし、それを抑える必要がない環境といえばそうだろう。
協調性がないと咎められたかもしれないが……それが彼の良さでもあることを、ディアンは理解しつつある。
「だから、こんな場所早く出ていって、もっと広い場所に行きたいと思ってた、そうすれば、私を受けていてくれる人がいるって信じてたもの。まぁ、たとえ見つからなくても、もっと綺麗なものやすごい服を見て、それを自分で作れる場所さえ手に入ればそれで良かったもの。……あの日、あの人に出会うまでは」
それは虚勢ではなく、負け惜しみでもない。当時、幼いながらもマティアが抱いていた夢なのだ。
簡単にいかないことは彼も分かっていただろう。 ディアンにその知識がないので、どこまで彼が通用していたかはわからない。
だが、もしそうなったなら……きっと、歴史は変わっていたに違いない。
だが、そうはならなかったのは、ディアンも知っている通り。
「あの日のことは今だって覚えているわ。跪いたアタシを光が包んで、何もかも見えなくなって……そうして、私はアケディア様と出会った」
漏れる息は、当時の感動を思い出しているのだろう。ディアンが経験したのとは違うが、それが本来の『選定』なのだ。
自分を選んだ精霊との、初めての顔合わせ。それこそが、『選定者』となった何よりの証拠。
「あの日のアケディア様は本当に……本当に、美しかった。あんな綺麗な方、この世界のどこを探したって会えないと確信したわ。もちろん、今の可愛らしい姿だって最高だけど! ……本当に、こんな言葉では説明しきれないぐらいに、素晴らしかったの」
まさに、マティアの脳裏には当時の光景がありありと蘇っているのだろう。
光の中に紛れることなく、確かに存在するかの者を。自分を見つめるその瞳を。この世界の何よりも勝る、その強い力を。
その時に見せた姿が、今の姿とは違っていても。それをディアンが知ることはないとしても。それはマティアだけのもの。アケディアに選ばれた者だけが、知っていればいいこと。
「その時に、アタシは理解したの。アタシがあの孤児院にいたのは……いいえ、アタシが生まれたのは、あの方に出会うためだって。アケディア様にお仕えして、あの方をより美しくするためなんだって」
「アケディア様にも、そう誓ったのですか?」
「当たり前でしょう? だからこそ、私はここにいることを許されているんだから」
もし他者が聞けば、作り話と笑ったかもしれない。経緯を知っている女王は、当時怒りを通り越して呆れた可能性もある。
だが、マティアは本心からそう望み、誓い。そして、アケディアはそれを受け入れ、愛し子とした。
どんな経緯であろうと選定が為された。……そして、その認識は、その当時のまま変わっていないのだろう。
伴侶として受け入れられたのではなく、アケディアに仕える者として傍にいることを許されているのだと。
「これで分かったでしょ? アケディア様からすれば、私は適当に選んだだけの相手。傍に置くのに支障がないと判断しても、そこに恋愛感情はないのよ」
「……でも、あなたは違う」
ディアンへの説明は、同時にマティア自身に言い聞かせているものだ。そうやって諦めようとして、諦めきれず。だが、受け止めるしかないのだと、繰り返されてきたもの。
そう思わなければ苦しいのだと理解しながらも、そうだと期待してしまう。
それは、かつてのディアンが無意識に蓋をしていたこととも、よく似ている。
「……当然よ、愛しているわ。出会った瞬間から私はアケディア様を愛しているし、崇拝している。だけど、アケディア様は違う」
僅かに抱かれた怒りは、されど否定には至らず。気持ちに嘘をつくことはできないのだと、俯く瞳は暗く、重く。
「そもそも、アケディア様は他者への関心自体が薄いの。常に眠っているか、起きていても疲れていることが多いから当然でしょうけど……最近は回復してきたけど、それでも起きている時間は少ないわ」
「お加減が良くないのですか?」
見たのは謁見の場で彼に抱えられたアケディアの姿。
外見の印象に捉えられていたせいで表情までは覚えていないが、言われてみれば、だるそうな顔をしていた気もする。
あの時も不調に悩まされていたのか。
それでも謁見に来たのは、精霊王の命令なのか。あるいは、その目で確かめたかったのか。
そもそも、そのアケディアの不調に妖精の減少が関与しているのは、少なからずディアンも原因ではないのだろうか。
「アタシと出会う前からずっとそうよ。そもそも、精霊記で怠惰と語られているのは、この妖精樹を管理するのに力を酷使しているからよ。アンタだって疲れてる時にあれこれしようとは思わないでしょ?」
「それは、そうですが……」
結びつきがどうにも整理できない。アケディアが信仰を必要としない理由は分かったし、確かにこの巨木を保つのに膨大な力がいるのも理解できる。
でも、精霊は基本眠ることはないはずで……それも、彼女が特別だと言われる所以なのか。
回復と出力が釣り合っていないなら、不思議なことではないが……その辺りもエルドから後で詳しく聞けるだろうか。
「ともかく! 数百年一緒にいたアタシでさえ会話した記憶だってあんまりないのに、アンタが来るって知ってからアケディア様はずっと気にしているし、しかもあんなの見せつけてくるし!」
キッ! と勢いと共に視線の鋭さも戻ってくる。
あんなの、とは……いわずもがな、件の謁見だろう。つまり、あの時の憎悪は、アケディア絡みの嫉妬が大半だったということか。
だとすれば、見当違いであったことだって、マティアは既に分かっているはず。
「あなたもあの場にいたなら見ていたはずです。僕はエルド……いえ、ヴァール様以外に嫁ぐつもりはありませんし、他の精霊の愛し子になる気だってありません」
「それでも! アケディア様はあんなに素晴らしいのよ!? 目移りしたっておかしくないでしょ!?」
それこそ惚れた弱みというものだ。
ディアンにとって、アケディアは謝罪する相手ではあっても、やはりエルドに代わる存在ではない。
たとえ何を言われようと、何をされようとも、ディアンはエルドだけの愛し子。彼だけの伴侶。その選択が覆ることだけは、絶対にありえない。
だが、実際に愛している人が関心を抱いているマティアにとって、言いきれる保証はどこにもないのだ。
「儀式が終わればアケディア様だって興味を無くすと思っていたのに、いつまでたっても帰らないわ抱こうとしないわ……だから、アケディア様と出会ってもアンタが弁えるようにここまで連れてきたのよ!」
アケディアの為にここまでしていることを。
アケディアに相応しいのは自分だと、それさえ認識すれば、言い寄られたとて断れるはずだと。
その焦りからの凶行だと明かされ、短絡的な思考に呆れを抱く。
あの謁見は自分たちが望んだわけではなく。そして、あの誓いは確かに、必要な相手への牽制にはなった。
だが、同時に不要な誤解も招いたのなら……必要以上にマティアを怒ることはできない。
許すこともできないし、罰は受けてもらう。それでも、ディアンにも責められる部分は、確かに存在しているのだ。
それは、決断を下せぬエルドも同じ。
「弁えている精霊でさえアンタを求めたのよ。……アケディア様だって……」
「……不安を煽ったことは謝罪します。でも、アケディア様が見にいらっしゃったのは、僕への恨みからではないのですか?」
そう、そもそも好まれる理由は一つもない。
実際にディアンが手を下したわけではないが、サリアナがあんな凶行に走ったのはディアンを手に入れるため。
あのローブを作るのに、どれだけの妖精が犠牲になったことか。……それも、少なくとも二着。ディアンを連れていこうとしたアンティルダにも存在しているだろう。
あれ以降報告はなく、事態がどうなっているかディアンは把握していない。
エルドには伝えられているのか。あるいは、進展がないのか。
不可侵の条約がその妨げになっているのだろう。盟約に縛られない代わりに、精霊の加護を与えられない国。
サリアナが脅威であったのは、彼女が二人の精霊から加護を賜っていたからこそ。
その恩恵が得られない彼の地が、そこまでしてサリアナを得たかった理由。
その真の目的は、一体なんなのか。
「なんでアンタをアケディア様が恨む必要があるのよ」
ふと、逸れかけた思考が疑問に戻される。
それこそ聞かれるまでもないはずなのに、訝しげな瞳は心底不思議そうにディアンを見つめる。
「アピス様から聞いていないのですか?」
「アンタの面倒を見るよう言われた以外覚えてないわ。興味もなかったし」
悪びれなく言われ、そういえば興味がないことにはとことん無関心であったということも思い出す。
特に、ディアンに対して見当違いな嫉妬を抱いていたのだ。聞き流されていても不思議ではない。
対応としては不適切ではあるが、やはりそれを咎めるのはディアンではなく。そして、今でもない。
「……説明すれば長くなります。とにかく、僕よりもマティア様の方がアケディア様に意識されているはずです。マティア様はそう思わないかもしれませんが、アケディア様だって適当な相手に儀式をするとは思えませんし」
それも、まだ人間であるディアンの思考でしかないが、精霊にとっても愛し子……それも、伴侶に選ぶだけの相手は特別なはずだ。
たとえアケディアが人間の直接の信仰を必要としない存在でも、好意を向けられて何も抱かないとは考えにくい。
体調が芳しくないならなおのこと。それでも儀式を行ったのなら、その時点で既に特別な存在と言える。
彼の不安は、その関係に自信がない故のもの。数百年の間に固まった思考が、この程度でとけるとは思っていないが……。
「……て、ない」
「え?」
納得していない顔までは想定通り。
だが、吐き捨てるような言葉と、逸らした瞳に思わず問い返せば、強い銀色はディアンを睨み付ける。
「っ……だから、してないわよ! 気付いたら全部終わっていたんだからっ!」
「…………はい?」





