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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第一章 始まり

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27.決裂

 頭を揺さぶる高音は横から叩きつけられるように。ディアンの叫びを容易く掻き消した拒絶は、彼のその背後から。

 明け放れていたままの扉の先、可憐とは言い難い形相で睨む少女の、歪んだ口から出たものだ。


「なんでお兄様にそんなこと言われなくちゃいけないの!」


 足音は荒く、口調は淑女とは言い難い。

 一体どこから聞いていたのか。いつからそこにいたのか。そんな疑問など、容赦なく浴びせられる言葉の前では些細なもの。


「お父様もお母様も必要ないって言ってるじゃない! 加護もないくせに『精霊の花嫁』についてどうこう言わないで!」


 叫ばれる度に耳鳴りが反響し、頭がぼやけていく。あんなにも強く固めた決意は揺らぎ、顔をしかめるほどの痛みは頭の奥から。

 抗えたのは、抱いていた怒りの残り火があったから。ふつりと沸き立つ熱が、ディアンを突き動かしたから。


「っ……加護の有無は関係ない。これはお前だけの問題じゃないんだ!」

「お兄様はいつもそうだわ! お父様やお母様に構ってもらえないから、そうやって私にひどいことばかり! 愛されないのはお兄様が弱いせいなのに、加護ももらえない落ちこぼれのくせに! 愛されている私を嫌って、意地悪ばかり!」


 ひどい、ひどい、ひどい。

 繰り返されるごとに、言い返そうとする度に、痛みが増していく。

 明らかな違和感。思考を放棄しようとすれば和らぎ、頭の中が飽和していくかのような感覚。自覚すれば、それがいかに異常であったのか。今のディアンなら理解できる。

 なにかがおかしい。なにかわからないけれど、それでも……なにかが、絶対に。


「嫌われているのはお兄様の方よ! サリアナも、ライヒも、ペルデも! お母様もお父様もっ! 誰もお兄様なんて愛さないわ!」


 こんなにも罵声されているのに、否定されているのに、なにも心に響かない。辛いとも悲しいとも思わない。

 それが真実だとしても、苦し紛れの言い訳ではディアンを傷つけることなど、できはしないのだから。


「……では『精霊の花嫁』たり得ぬお前は、本当に精霊に愛されるとでも?」

「なっ……当たり前よ! だって私は!」

「『花嫁』のうちはいいだろう。だが、『花嫁』でなくなった後は?」


 怒鳴り返すことも、黙ることもない。淡々と告げる声は冷たく、されど弱いものではない。

 思っていたどの反応とも違い、たじろぐ妹の姿だけは可愛らしいものだ。

 欠点のない外見にそぐわぬ、十六とは思えぬ幼い言動。年に釣り合わない精神。

 見るだけなら。愛でるだけなら、それでよかったのだ。そうやって生き続けることができたのならば、なにも変わらずにいられたのなら、それで。

 今までは気付かなかった。気付こうとさえしなかった。

 だが……もう、知らぬままではいられないのだ。

 ディアンのことも、メリアのことも、なにもかもが。


「精霊になるというのに、その存在を知ろうともしない。人間を見守る立場になるというのに、それすらも興味がなければ無駄だと言う。そんな精霊を……精霊になったお前を一体誰が崇め、信仰し、愛するという?」


 今まで言わなかったのは、傷つくと分かっていたから。言えなかったのは、そこまでして伝えることではないと思っていたから。

 現実を知り、ひどいと泣き、そうして喚く妹の姿などみたくなかったからだ。

 どれだけ嫌われていようと、どれだけ馬鹿にされようとも、彼にとってはたった一人の妹。そんな姿を好んで見たいほど、ディアンは落ちぶれてはいない。

 だが、もはや猶予はない。知らなければならない。どれだけ残酷であろうと、どれだけ辛くとも。

 彼女はディアンの妹である以前に、『精霊の花嫁』なのだから。


「祈ったところで救いもせず、見守ることすらもなく、慈しむこともない。そんな精霊など誰が想い続ける? 何年もの月日が流れ、お前が人であった頃を知る者が死ねば、精霊に嫁いだ事実以外はなにも残らない」

「だからなんだっていうのよ! 私は『精霊の花嫁』なんだから、崇められなくたって関係ないわ!」


 じくじくと頭が疼く。だが、それは今までとは違う痛みだ。

 原因もわからぬまま締め付けられているものではなく……理解していないという、心労からくるもの。


「『精霊の花嫁』は過去にもいた。お前の存在を知らない民にとっては、そのうちの一人でしかない。どれだけ伝記で綴られようと、讃えられぬ精霊は忘れ去られる運命だ。……そして、精霊にとってそれは死にも等しい」


 大きな瞳が今にも落ちてしまいそうだ。見開かれた目蓋はあまりにも分かりやすく、そして隠すことなく、ディアンを睨みつける。


「嘘よ! 精霊は不死身だわ、死ぬわけがない!」

「自分の存在を留めるために加護を与え、その力の対価として信仰させる。……それすらも知らない花嫁とは」


 青ざめ、赤くなり、そうして口は開閉を繰り返す。なにも紡げない唇に、もはや呆れも哀れみも抱かない。


「たしかに精霊は不死身だ。だが、絶対の存在ではない。今は誰もがお前を許し、なにをしても愛するだろう。だが、それも永遠ではない。愚かな花嫁など誰も許さない。そんな精霊など誰も愛することはない!」

「うるさい、うるさいうるさい! 嘘よ、全部お兄様の嘘に決まっている!」


 髪を振り乱し、叫び、否定するその姿のなんと醜いことだろう。真実を認めようとしないその様は、到底『花嫁』とは呼べない。


「そうやって逃げたところでなにも変わらない! 僕のせいにしてても、お前が変わらない限り忘れ去られる日は必ず来るんだぞ!」

「違うわ! お兄様が悪いのよ! 私を騙そうとするお兄様が! 全部、全部お兄様が悪いんだから!」


 もはや自分でもなにを喚いているかわからないのだろう。

 ただ聞きたくないと、それなのに黙らないディアンをどうにかしたくて駄々を捏ねているだけ。

 意味なんてない。理解しようともしない。耳を塞ごうとする妹に、押し潰された奥歯が悲鳴を上げた。


「いい加減に――!」


 ――突然、光が散った。

 鈍い音と共に、頭の中が膨張したような錯覚。

 ボウ、と響く余韻に混ざる甲高い耳鳴り。頬に感じる熱。襲いかかる浮遊感。地面から離れる足。力の入らない腕。

 横に流れていく景色を、とても長い間見つめていたような気がして……自覚した瞬間、音が戻った。

 白黒に点滅する世界。その合間に見えた床は目の前に。自分の体勢を理解できず、揺れる視界を見る目は本当に開いていたのか。

 地面に倒れていると、理解できたのはそこに足があったから。痛みが遅れてやってこなければ、殴られたと認識できなかっただろう。

 誰になんて。考えるまでもない答えを求めたのは、それを受け入れられなかったからこそ。


「……と、うさ、」


 見上げる。見上げた、はずだ。本当にそうできているかもわからないが、その顔を確かに見たはず。

 されど見えるのは、巨大な影が自分を見下ろす姿。父と同じ瞳の、だがなにかがちがう、存在。


「いい加減にするのはお前だ……!」


 濁った瞳が見下ろしている。震える声が怒鳴っている。

 遠くから聞こえる悲鳴のような声は、いつの間にか来た母に妹が泣きついたからだろう。


「妹に対してなんという態度か! たとえ兄といえど、彼女は『精霊の花嫁』。そんな暴言を吐いていい相手ではない!」


 鳴き声が木霊している。父が、なにかを喚いている。

 聞こえているのに理解できない。鈍い痛みは頬よりも頭の奥底から。飽和する脳が、ディアンの全てを麻痺させていく。

 無様に這いつくばるディアンに差しだされる手はない。故に、地を削る爪を緩める必要だって、ない。

 引くことのない頬の熱がディアンを引き戻す。違和感は強く、もはや抗えぬほどに。


「メリアに謝れ、ディアン!」

「……いいえ」


 滲む鉄の味に、唾ごと血を吐き出す。

 膝に手をつき、立ち上がった身体は目眩に支配されたまま。ふらつく身体を支えたのは、奥底に残っていた正気。揺らぐことのなかった、その奥底。

 大きくぶれる世界で、見上げた金は鋭いまま。されど、その濁った光に頷くことはできない。

 なにかがおかしい。なにかが、ちがう。

 その正体はわからない。それでも、ここで彼女に謝ることだけは、違う。


「あやまる、のは、あなただ。ぼくは……まちがって、ない」


 言い終わるや否や、飛んできた手に髪を掴まれる。引っ張られる頭皮の痛みに呻き、何本か抜けていく音が鳴き声に掻き消されていく。


「ああ、可哀想なメリア……! ディアン、どうしてそんなひどいことができるの!」

「っ、ひどい、のは……父さんたちのほうだ……!」


 痛みで思考がままならない。ろくに反論することもできない。

 真実を知ろうとせず、ただ愛で、何物にも傷つかないように真綿で包んだまま放置するのが正解だというのか。

 その脆弱な殻がいかに燃えやすく、広がった火を止める術などないと知って見捨てるのが、正しいというのか。

 それを指摘することが残酷というのなら……今まで自分がされてきた全ては、なんだというのか!

 再び光が散る。踏ん張ることもできずに受けた拳は、ディアンの脳を揺さぶるには十分すぎるもの。

 地に倒れ、込み上げる吐き気に呼吸もままならず。無理矢理起こされた身体は、無理矢理抱き起こされなければ立ち上がることもできない。


「反省するまで部屋から出すな! 食事を与えることも許さん!」


 揺さぶられ、無理矢理引き摺られながら聞こえた父の声は遠く。泣き声の不快さに気を取られたのが、意識を手放すまでに抱いた……ディアンの、最後の記憶だった。


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