254.精霊界
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先日より、各コンビニプリントにて、書籍部分の前日譚のSSが公開されております!
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また、発売までおおよそ一ヶ月となりましたので、なるべく更新しようキャンペーンを始めます。
三日に一度のペースにはなりますが、お付き合いいただければ幸いです!
緊張と不安に苛まれようと、一晩経ってしまえば正午までは早い。
扉を抜けた先、待ち構えていたのはアーチ状に積み上げられた石だ。緑にも桃色にも見える光も、その形状も、未だに見慣れることはない。
この部屋に来るのは港街から王宮へ渡ってきた初日以来だ。意図して避けていたわけではないが、他に近づく理由もなかった。
……それが、こんな日を迎えるなど想定もしていなかったこと。
「来ましたね」
その門の前、既に待っていたロディリアが二人を出迎える。その金が見つめるディアンの姿は普段と大きく異なる。
身に付けている物こそ似ているが、刺繍に込められた魔力は精霊界の影響を受けないために施されたもの。腕と足に着けられている物も同じく。
首だけは自由だが、それはエルドから送られた首飾りがあったから。それも無ければ、首という首は全て輪に覆われてしまっていただろう。
頭どころか鼻先まで隠してしまうほどに大きなフードも、重い布で誂えられたもの。薄茶色の地味な装いに馴染み深さを抱くのは、旅の途中で着ていた物に似ているからか。
とはいえ、これではまともに前も見えないと文句を言うつもりはなく、そもそも見る必要はないのだと伝えたエルドの手を握ったまま。
そのエルドは、普段と変わらぬ姿だ。いや、聖国に着いてからは着ていなかった旅装束に戻った、と言うべきだろうか。
この最近は見上げることばかりだったゼニスも、今回ばかりはディアンの足元に。
自身の恰好を除けば一ヶ月前に戻った感じがして、それでも心を占めるのは未知に対する緊張ばかり。
頭から足の先まで。最後にロディリアが確認したことで、万全であると証明される。その表情こそ無であっても、抱いている感情はディアンと同じ。
見送りの影にペルデの姿がないのに安心したのは、ここの魔力に耐えられないと分かっていたからだ。
昨日の負荷からは回復していると聞いていたが、門は人間が近づいていいものではない。
彼と話ができるのは……帰ってきてからになるだろう。
「向こうにつけば、あとはアピス様が率いてくださいます。まだ人間とはいえ、いずれお世話になる方。くれぐれも失礼のないように」
あなたなら大丈夫でしょうがと、そう付け足す言葉の後に視線は僅かに下へ。
「……それと、フィリア様のことは聞いていると思いますが、アプリストス様にも気を付けて」
「強欲の……?」
聞き慣れた二つの名のうち、後者に反応するのはディアンもエルドも同じ。
トゥメラ隊に所属する女性たちの父親。強欲を司る精霊。
数多の人間を伴侶として迎え……そして、そのほとんどが報われることはなかったという。
「一度目の洗礼の時、ディアン様を迎えたいと名乗った精霊は多かったですが……特に執着したのは彼と聞いております」
「ですが、フィリア同様婚姻を禁じられているはずでは……」
今では一夫一婦。それも、フィリアとアプリストスに限っては精霊王によって婚姻すら禁じられている。それは人間であろうと例外はないはずだ。
故に、望んだところでそもそも認められないはずだと。そう指摘しても、女王の視線は険しくなるだけ。
「それで素直に聞き入れる者であれば……」
「……奴は最後まで渋っていたからな。手を出してこないとは限らない」
手を握る強さが増し、自然と握り返す。 フードのせいで目は合わないが、僅かに緩んだ唇に少しだけ気も和らぐ。
今回会うとは限らないが、警戒しておく相手ではある。この先も……そして、この後も。
「常にヴァール様から離れないよう。……くれぐれも、お気を付けて」
「……はい、行ってきます」
別れの挨拶が済めば、門までの道を空けられる。
どちらともなく歩き出し、門の手前で止まれば、控えていたトゥメラ隊が魔力を流し始める。
空洞の向こうに見えていた壁は光に包まれ、肌を刺す魔力に身が強張る。
一ヶ月前は、通っただけでも相応の負荷がかかっていた。身体が弱っていたのもあるが、今の自分でどれだけ耐えられるのか。
そうでなくとも、まだ禁忌であるという認識が抜けきらない。近づいてはならないもの。見ることすら許されないもの。
……だが、いつかこれすらも慣れてしまうのだろう。
「ディアン」
いつまでも歩き出さないディアンに、優しい声が降り注ぐ。不安と、後悔と、折り重なった薄紫は光に照らされ美しく、温かく。
「……大丈夫です」
安心させるよう、微笑み返す。嘘ではない。怖いし不安でもある。だが、エルドが傍にいる。彼と一緒にいるのなら、恐れていても大丈夫。
「ただ、通った後に歩けなかったら、すみません」
「その時は抱き上げてやる。……だから、大丈夫だ」
互いに同じ言葉を囁いて、まるで自己暗示のよう。でも、それは嘘ではないからこそ温かく、胸の奥へと落ちていく。
大丈夫。……そう、大丈夫。
彼と一緒にいるのなら。自分がエルドの傍から離れないのなら、何も怖がることなどないのだと。
互いに目を合わせ、笑い。そうして踏み込んだ瞬間、世界は白に染まる。
一瞬の前後不覚。浮遊感は次の一歩を踏み出せば目眩に変わり、ふらつく足はすかさず肩を抱かれて支えられる。
ぐるぐると視界は回るが、一ヶ月前に比べれば程度は軽い。フラついてはいるが自分の足で立っているし、ちゃんと世界も見えている。
……と、安堵したのは次に息を吸うまでの一瞬だけ。肺を満たす空気は重く、世界の歪みが強くなる。
頭の上を突き抜ける不快感は酩酊感にも似ている。フワフワとしておぼつかず、酒と違うのは高揚感がないところか。
「大丈夫か」
声をかけられ、それから馴染み深い感覚に息を吐く。無意識に握っていた首元と、すぐ近くから感じる温かさ。
エルドの魔力をゆっくりと噛み締め……やっと少し目眩が落ち着いてくる。
辺り一面の白。等間隔に並んだ柱。それだけなら王宮から移動していないと思い込んだが、果ての無い天井を見れば嫌でも違うと示される。
実感はない。だが……この身体は、間違いなくここが人間のいられる場所ではないと突きつけている。
「……すいません、少し、調子が」
もう少し時間を置けば楽になるだろう。身体がこの空気になれるまでの間だ。
だが、何もないのにこれだけ影響を受けるとなれば……実際の謁見では耐えられるのか。
「大丈夫だ。少し休んでから――」
「まぁ無理もないよね! まだ契りを交わしてないんだから」
頬に手を添えられ、囁かれた言葉が聞き慣れない声で遮られる。
認識し、フードを下に引かれ、腕の中に閉じ込められるまで数秒もあっただろうか。
甲高い響きは、少年特有のソプラノだ。しかし、聞こえてくる足音は二つ。抱かれた状態では目視もままならず、元より見る必要はないと抱きしめられたまま。
「時間通りピッタリ! これで来なかったらどうしようかと思ってたよ」
弾む声はまっすぐ近くへ。僅かに腕が緩み、盗み見た足元に映るのは二人分の足。一つは大人、一つは子ども。裾の長いスカートと、太ももまでのズボン。
子ども姿の精霊を思い浮かべようとして、うまく候補が挙がらないのはまだ頭が回らない証拠か。
「でも、そんな重装備でなくてもよかったんじゃない? 少なくとも僕は顔を見てるわけだし――」
「……息災であったか」
次に言葉を遮ったのはエルドだ。だが、語りかけた先は少年ではなく、その隣にいた……おそらく、女性に向けて。
布擦れの音はお辞儀の仕草だろう。抱かれていた肩の力が緩んだことで警戒する必要はないと知り、されど聞き慣れない口調にまだ鼓動は落ち着かないまま。
「……はい、変わりありません」
返された答えは、やはり女性の声だった。真のある、凛とした声。その響きにロディリアの面影を見つけ、すぐに否定する。
彼女がロディリアに似たのではない。……ロディリアが、彼女に似たのだと。
「この度のこと、我々の力が及ばず……」
「……いや、お前を責めるつもりはない」
首を振り、否定する動作にも嫌悪感はなく。その態度からも彼女が誰か予想はできても、まだ確信を持つには至らない。
持てたところで顔を見せるべきではないだろうと俯く視界に入るのは、横についていたゼニスの姿。
「インビエルノ様も、ご無沙汰しております」
返答は頷きだけ。そうしてディアンを見上げる視線につられ、前にいる二人の視線も自分に注がれることを自覚する。
「そうそう! アピスは頑張ってくれたんだから責めないでよね! ……さて、ディアン君」
唐突に与えられた答えと、呼ばれた自分の名。一瞬脳が追いつかず、返事ができずに力んだだけに終わった身体は再びエルドの腕の中へ。
「話しかけるな」
「んー……僕が言えたことじゃないけど、嫉妬が過ぎるんじゃない? 何も初めましてじゃないんだし、挨拶はちゃんとしないと! ディアン君だってそう思うでしょう?」
ねぇ、と。隙間から覗き込もうとする少年の顔が見えずとも、求められる同意に少しずつ思考が戻ってくる。
これが初めての対面ではなく、そしてアピス様を呼び捨てにした上に親しく接している男。一ヶ月前の記憶と重ならずとも、これだけ揃っていれば相手は推測できる。
『……もしかして、シュラハト様ですか?』
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