閑話①とある日の王宮書庫にて
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昨日よりAmazonにて書籍の予約が始まっております!
発刊日:6月9日
出版社:ツギクルブックス様
イラストレーター:松本テマリ先生
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また、今後公開予定の番外編に少し関係している短編を公開いたします。
楽しんでいただければ幸いです!
それを見た瞬間、とうとう自分の頭を疑ってしまったペルデを誰が責められただろうか。
座学の時間になり、赴いた大書庫。いつもの席に座っていたディアンの頭部。
その黒が見慣れない布に覆われていただけならば、その榛色が見開かれることもなかった。
ピン、と立った黒い三角。それは布から生えているようにも、貫通しているようにも見える異様な物。
見覚えこそあるし、それを何と呼ぶのかもペルデは理解している。
だからこそ、なぜディアンの頭にあるのかが理解できず、臀部にある細長い物にも注目したまま。一度止まってしまえばもう距離を縮めることはできない。
瞬き、目元を揉み、改めて異様な光景を見やる。端から見ればペルデの方が異常だろうが、彼からすればやはりディアンこそあり得ない状態だ。
均等に並んだ二つの三角と、ピンと伸びた棒のような何か。ふわふわの毛に覆われたそれは……どれだけ見直そうと、獣の耳と尾。
猫ではなく犬科のものと推測できるが、問題はそうではなく。確かに過去にバケモノと称したこともあるし、今でもそうだと思ってはいる。
『選定者』になった以上、もうその身体は人間とは呼べないものだろうが……だからといって、外見が獣に近づくなどあり得るのか?
ない、とは言いきれない。言いきれないが、ペルデの幻覚である可能性もまだ大いにある。
この最近、自分の限界に近い量の知識を詰め込まれている自覚はある。
王宮の書庫、それも管理者直々に教育していただけるなど破格の待遇だ。これまで何人もの『選定者』を教育してきただけあり、詰め込む加減も絶妙である。
ゆえに疲れていないと言えば嘘にはなるが……どうやら、周囲の反応を見る限り幻覚ではない様子。
意識しないように努めながら、されどチラチラとディアンの頭部……もとい、耳に反応しているのは一人や二人ではない。
パタ、と尻尾が揺れる度に遠方で抑えた声が漏れる。実際に揺れる音など聞こえていないし、それは距離に関係ないことも察しがつく。
周囲こそ控えめだが、真正面からそれを見守っているイズタムに関しては無遠慮に見ている。普段通りに穏やかに見えて、明らかに活き活きとした笑みで。それはもう穴が空きそうな程に。
擬音にするならニッコニコだ。子猫だとか、子犬だとかを見て和んでいる若い女性と変わらぬ目。
いや、彼女からすればディアンも、そしてペルデも赤子と変わりないが……文字通り、今のディアンが子犬として見られているのは間違いない。
これでペルデだけに見えていると説得されて、信じてやれるほど道化にはなれない。
溜め息を堪え、静かに空気を漏らすに留める。
そうして踏み出した一歩は、ピン、と立った獣耳に再び止まることとなった。
「ペルデ」
己の名を呼び、そうして控えめに振られる尾に唸らなかった自分を褒めたい。甲高い悲鳴のなり損ないは、やはり遠くの方から。
その間もパタパタと振られ続ける尾は、犬の反応と合わせるなら……なんとも複雑なところ。
心かしか布の下に隠れているはずの瞳も輝いて見えるのは、それこそ幻覚であると思いたい。
「……それ、どうしたの」
あえて言葉を濁して問いかけたのは、イズタムの無言の牽制があったからこそ。
まだ黙っているように、と。そう笑顔で牽制しつつも、気付かれても構わないとも思っているだろう。まだ隠せるのなら隠しておきたい、といったところか。
「前の『選定者』が作った物を頂いたんだ。旅の間はずっとフードをしていたから、無いと逆に落ち着かなくて……」
発言通り、落ち着きなさを表す耳の動きにやはり幻覚ではないと確信し、されどそれを本人に伝えることもなく。見当違いの返答に納得する。
前の『選定者』。つまり、アケディアの伴侶となった人間は色々と変わり者だったらしい。
精霊に嫁ぐとなれば、変人ぐらいでなければ務まらないのだろうが……数多くの者を見送ってきたこの王宮でさえ語り継がれる程には、相当に奇抜であったらしい。
その内の一つが被服関係だ。アケディアの伴侶は、最初の洗礼の時からアケディアを美しく着飾るのが使命だと豪語し、イメージ画だけでも数千枚書き上げ、実際に作り上げてきたという。
完成品も試作品も数え切れないほど。その中には、現在のトゥメラ隊の鎧も含まれているという。
ペルデに武術はわからないが、当人曰く機能性と美しさを兼ね備えているとのこと。実際の変更までには色々と問題があったらしいが、現在も採用されていることを見るにセンスはあったようだ。
人間界の物を持ち込むのは限度があると、実際に持っていった完成品は数点。残りは全てこの王宮に残され、今でもどこかに保管されているとかいないとか。
つまり、ディアンが今身に付けているのも、その試作品の一つなのだろう。
今でこそ絶滅したが、精霊がこの世界を去って間もない頃は、獣人と呼ばれる種族がいたという。
文字通り獣と人間の血が混ざり合った者。魔物とは異なるが、その外見故に迫害され時には精霊信仰の贄にされ、存在自体も精霊記でなければ綴られていない。
ペルデでさえ習ったのだ。ディアンも、そしてアケディアの伴侶もそれを知っただろう。そして、何をとち狂ったかそれを再現した……といったところか。
真相こそ聞かねばわからないが、概ね間違っていないと思われる。本人が気付いていないところを見るに、感覚はないのだろう。
本物と差異はないが、おそらく魔力による投影。
触ったところで本人に伝わることはない。……が、感情はしっかり反映されるようだ。
「……とりあえず、今は隠す必要もないんだし。外したら?」
「いえ、これでディアン様が落ち着くというのなら無理に外す必要もありません」
まだ振り続けている尾にぐ、と溜め息を押し殺し。隠したいというより、隠れたい相手がいないのだからと咎めれば、すぐさまイズタムから否定が飛び込んでくる。
実害がないならペルデも放置しているが、こんなディアンの姿をあの精霊が許すはずがない。
確かに他の精霊に比べれば寛容かもしれないが、それでも独占欲は強い。半分精霊である彼女らなら耐えられるだろうが、ただの人間である自分がその巻き添えを食らうのは御免被る。
とはいえ、わざわざ指摘するのも癪。大人しく外してくれるのが一番だが、彼女は何を考えているのか。
「陛下は宮殿内が汚れるのを嫌っておりますから、ゼニス様も普段は人を模しておりますし……時にはこういった癒やしも必要なのですよ」
なんならあなたの分も用意させましょうかと、微笑む彼女の言葉はとても冗談には聞こえない。そんな方向の巻き添えもごめんだと、首こそ振らずとも否定は全力で。
「よほどお疲れのようですね。少し休まれてはいかがですか」
「休息なら、先ほどから充分いただいております。皆も同様に」
同意を求められて頷くのは数名。されど否定した者はこの中に何人いたか、きっと指折り数える程もいないだろう。
聖国の王宮。その中枢ともなれば、苦労も疲労も計り知れないが……これで癒やしが得られるとは、やはりペルデには考えられない。
その点も含め、やはり精霊と人間は異なるのかと。そう考え始めるのは、現状から目を反らそうとしているからか。
「……知りませんよ」
「それも含めてですよ」
それなら理解できるはずもなく、ならばこれ以上考えることもない。
あの精霊に見つかったときに巻き込まなければいいと呟けば、その一連も含めて楽しみなのだと返され、いよいよ理解はできそうにない。
「あの……?」
理解できないのはペルデだけでなく、渦中にいるはずのディアンも同じく。
周囲の違和感には気付いているだろうに、はぐらかされて確信には至っていないのか。そもそも自分に獣の耳と尾が生えているように見えるなど、気付けという方が無理な話。
それを指摘してやらないあたり、イズタムと同じだろうが……それは癒やしではなく面倒からくること。
「俺は言ったから」
忠告はした。なら、あとはそっちの問題だと席に着けば、不思議そうな瞳に見つめられるが合わせてやる気は毛頭ない。
何もせずともこの様子なら遅かれ早かれディアンも理解するだろう。
そう切り捨て、用意されていた本を手に取った……ところで、ペルデの予想よりも遙かに早くその瞬間が訪れることを、聞こえてきた足音で知る。
視界の隅、意識しまいと決意したばかりの耳が上を向き、次いで振り返る顔こそ普段と変わらず。
「――エルド」
されど、呼ぶと同時に勢い良く振られる尾に喜び以外の感情を疑う余地はどこにあったのか。
もし感触があればペルデの身体は強打に襲われていただろう。そうでなくとも、勢いはそれこそ風が起きんばかりに。
まさしくご主人に出会えた犬そのもの。興奮した息づかいはさすがに幻聴であったが、その姿が重ね見えてもおかしくはない。
正直、この反応は想定内。普段からあれだけ目の前で見せつけられているのだ、予想できないはずがない。
問題は、この状況を目にした精霊がどう反応するかだ。
横目で見やった男は硬直したまま。目は顔よりも上に固定され、それから何かを耐えるような音も僅かに。
「……ディアン。それ、どうした?」
悩んだのは数秒。そして、実際に問いかけたのはペルデと同じく濁す言葉。違うのは、最初からある程度の確信があるか否か。
さすがにいつもと違う反応に思うところがあるのか、尻尾の勢いは落ち着き、控えめにペルデの腕を叩くものへ。
それでも止まらないあたり、なんと分かりやすい幻覚かと吐き出す息は音にはならず。
「あの、頂いたんです。前の『選定者』が作った物だそうで……」
恥ずかしいときに顔を隠すのに必要だった、とまでは言わずとも、そもそも論点はそこではない。
それだけで全てに合点がいったか、薄紫の視線は揺れる尾から上に戻り、この一連を和やかに眺めているイズタムへ。
「……イズタム」
「弁明するなら、渡したのは私ではありませんが……想像以上によくお似合いでしたので、つい」
ディアンをある意味見物にしていたことについて悪びれた様子もなく、出来心であったと述べる間も周囲の視線は揺れる尾に注目したまま。
イズタムだけでなく、他の者も同意見か。精霊相手とはいえ、よく知った相手なら恐れも抱かないのか、それ以上に癒やしが欲しかったか。
やはり感性はわからず、ただの人間であるペルデは傍観に徹するのみ。
自分の知らぬうちに伴侶の愛らしい姿を公開されていた苛立ちと、切っ掛けがなければ見れなかっただろう事実と、彼女たちの代わり映えのない環境に少しでも変化をもたらしたいという同情と。
エルドからすれば複雑だろうが、自分の中で折り合いがついたのか。やがて吐かれた息に、跳ねた尾が足の間に挟まろうとして椅子の下に潜るのも視界に入ってしまう。
意図して努めているペルデでさえ見えているなら、注視しているエルドに見えていないはずもなく。
「あ、の……ダメでしたか……?」
「ダメじゃないが……」
着けること自体に問題はない。
もし二人きりであったなら人目も気にせず存分に触れ合っていただろうが、そんな可愛らしい姿を他に見せたくないというところだろう。
ここでなければ。ここでさえなければ。他に人がいないのであれば、本当に何の問題もないと。
「ヴァール様。まだ本日の過程が終了していませんので、お待ちいただけますか」
先ほどよりも深い溜め息に、表情こそ変わらぬままでも尾はふるりと震える。ここまでくるといっそ哀れみも感じてくるが、助けてやるほどペルデは優しくはない。
できることはせいぜいフードを取るように進言することだけだ。そして、それは己の口からでなくとも告げられること。
「……とりあえず、今は取っとけ」
「あ、」
せめてもの策だと、伸ばした手がフードを取る。その流れで撫でられた頭にやはり獣の耳はなくとも、尾は変わらず見えたまま。
再び強打される腕に痛みも衝動もなく、故に呻きはペルデの口ではなくエルドの唇から。
「…………イズタ、」
「ダメです」
釘を刺され、呻く声は再び。だが、手を止めようとしないあたり耐え切れていない様子。
訳もわからず撫でられ続け、さすがに困惑するも時間と比例して尾の勢いは増していく。
「あ、あの、エルド……?」
どうしたのかと、問いかけても男が答えることはない。というより答える余裕がないと言ったところか。
「え、あ、な……っ……え、エルド……!?」
手は一つから二つに、そうして頬まで撫ではじめれば、いよいよディアンの顔も赤く、尾は振り切れんばかり。
顔を包まれてはせっかくのフードで隠れることもできず、苦肉の策か力一杯閉じられた瞳は微かな抵抗の証。
一見すれば嫌がっているように見えるが、やはり尾は口よりも語るもので。
「……これでもダメだってのか!?」
「もうあと半分ですから」
むしろ獣のように吠えているのはエルドの方だ、などと突っ込む者は存在しない。
耐えたいのか、自ら墓穴を掘りたいのか。その行動の矛盾を指摘する無粋な者も、同じく。
暫くの葛藤も、ディアンがその両手に触れることでようやく終わり。開放されると同時にフードで頭が隠れれば、結局自体は変わらぬまま。
震える耳と、振られる尾。真っ赤なままの頬に、この光景はいつまで続くのかと呆れるペルデに示された答えは、ディアンの悲鳴と共に。
「え、ちょっ……え、エルド!?」
肩に担がれ、慌てふためくディアンにエルドは答えぬまま。座った状態からどうやって抱き上げたのか、考えることこそ無粋というものか。
制止しながらも本気で止める気配のないイズタムの声を背に、揺れる尾が遠ざかっていくのを見ていたのは何秒のことか。
少なくとも、扉の向こうに消えるよりも先に目を反らしたのは間違いなく。
渦中の者たちが消えれば、後に残るは女性たちの喜び合う声と、しっかりと和んだらしいイズタム。そして、深く息を漏らすペルデのみ。
「……本当に知りませんよ」
先に言った通り、まだ半分も埋まっていない用紙は哀れ放置されたまま。精霊の怒りにこそ触れなかったが、教育行程に支障が出たのは間違いない。
下手をすれば女王陛下にも咎められるというのに、すっかり癒やされきったらしいイズタムの表情はむしろ晴れ晴れとしたもの。
「此度の『選定者』様は優秀ですから、この程度の遅れはすぐに取り返してくださいます。それに、ヴァール様も時には息抜きが必要かと」
「勢い余って過ちにならない可能性は?」
少しだけ、あとちょっとだけ。と、そうやってズルズルと甘えた結果、間違いを犯さないとは言いきれない。
それは精霊も人間も変わらないだろうと問うても、やはり彼女は朗らかに笑うばかり。
「ヴァール様は己が伴侶が人間でいられるこの期間を大切になさっています。自らそれを失うような愚かな真似はいたしませんとも」
それは、精霊としての信頼か。長年の付き合いとしての予感か。
ようやく吐いた息は賑やかな声に紛れて聞こえぬまま。
「ところで……同じフードがもう一つあるのですが」
「結構です」
ともかく今すべきことは、この忌々しい異物をどう断り切るかを考えることだと。
正面からも、そして周囲からも期待に満ちた目を向けられ。違う意味で込み上げた溜め息は、やはり音にはならなかったのだ。
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