247.ペルデの願い
「――はっくしょっ!」
盛大なくしゃみと共に上体が揺れ、背中は再び背もたれへ。その一連を見守るミヒェルダの視線は、呆れよりも微笑ましさが勝っている。
唐突に始まった雪合戦は激しさを増し、当てた当てられたの均衡を考えられていたのも最初のうちだけ。
迎えに来たゼニスが雪を巻き上げ二人共々倒さなければ、もはやどちらかが倒れるまで死闘は繰り広げられていただろう。
大人げなさ半分、達成感が半分。初めてにしてはいい感じだった、なんて満足していられたのも束の間。
あれよあれよと揃って着替えさせられ、毛布で包まれたまま暖炉の前に連れてこられるまで十分もなかっただろう。
もう寒さの欠片もないが、内側からも温めなければと。ペルデの手に握られたマグからは、スープのいい匂いが漂う。
そういえば朝食もまだだった、なんて。そんなことに今更気付けるほど、笑える状況ならよかった。
ペルデがここまで温められているのなら、『選定者』であるディアンはそれ以上に。
むしろ、今回に限っては過剰すぎると。そう訴えることすら、今の彼には許されない。
「……エルド」
呻くような声は、知らなければどこから響いたものか特定できなかっただろう。
それがペルデと対になる正面。腰掛けた男の膝の上、抱えられた毛布の中からなんて、一連を見ていなければ信じがたいこと。
隙間無く包まれただけではなく、エルドの膝の上に乗せられ。いわゆる横抱きの状態のまま、しっかりと指を絡ませ手を握られているのがディアンであるなんて、到底。
「エ、ルド……っ……」
訴えるような声は、エルドの方が悪いような印象を抱かせる。
まだ接触に慣れていない青年の手をしっかりと握り、顔を隠すことも許さず、仮にも幼馴染みの前で見せつける形になっているのだ。
ひどい、と言われれば確かにひどい。ペルデも怒られていたが、ダメージとしてはディアンの方が遙かに大きいだろう。
「あの、もう温まりましたから……おろしてください……」
「なんか聞こえたか」
「いいえ、私にはなにも」
恥ずかしさで声は震えていたものの、十分聞こえる大きさだったはずだ。実際、その一連を聞いているペルデの目は呆れたものになっているし、ゼニスだって同じく。
だが、彼から一番近い位置にいるエルドも、ペルデの横にいるミヒェルダも、むしろ聞く気はないと言ったところ。
片方は微笑ましく、もう片方は……それなりに怒ったもの。
それは声からも、チクチクと肌を刺す雰囲気からも十分に伝わるもの。
だというのに触れる手つきは優しくて、恥ずかしさと怖さでディアンの情緒が乱される。
「エルド、あの……ご、めんなさい……せめて、膝の上だけでも……」
「聞かない」
「エルドっ……!」
無視されないだけマシなのか、直球で伝えられたのに嘆くべきか。
握る手はますます強くなり、絡まる指の一つ一つが熱くてたまらない。
汗を拭いたいのにそれすらも叶わず、さらには顔まで覗き込まれてしまえば呻きすら出ない。
「いいから黙ってここにいろ、馬鹿。……しばらく離れてくれるな」
最後のは懇願に近く、不安にさせてしまったと気付かされれば、もう文句の言葉だって出ない。
ラインハルトの件もある。本当はずっと傍にいたいのを自重しているのだから、せめて無防備な真似だけはしてくれるなと。
叱られ、心配され。もう一度呟いた謝罪に返答はなくとも、柔らかな眼差しと深い息だけで伝わってしまう。
「お熱いことで」
だが、それを強制的に見せつけられているペルデにとってはたまったものではないだろう。
まだ少なくとも憎んでいる相手と、自分が巻き込まれる要因になった人物だ。嫌味の一つだって言いたくもなる。
呆れ、スープを啜る表情を直視できず。そうでなくとも、頭から被せられた毛布のせいでエルド以外ろくに見られそうにはない。
「ペルデ・オネスト」
「……ただのガキ同士の戯れでしょう。それとも『中立者』様ともあろう者が、この程度でお怒りになりますか?」
「いや。……すまなかった」
開き直ったというより、もはや挑発に近い。そもそもお互い様だと言い返すペルデに対し、さすがに叱るかと慌てて名を呼ぼうとして……先に紡がれた謝罪に、一瞬の静寂。
「我々の問題にお前を巻き込んだことは、俺の責任でもある。……この謝罪で済む話ではなくとも、謝らせてほしい」
薪が爆ぜ、薄紫と茶色は交差する。その一瞬、ペルデがどんな顔をしていたか。やはりディアンは見られないまま。
ようやく頭の毛布を外し見た表情は、先ほどと変わらぬ呆れ顔で。
「もう謝罪は聞き飽きました。何度言われようと、今までのことは変わらないんですから、必要ありません」
許すつもりもないがと、空になったカップを渡す顔は落ち着いたもの。
納得するしかなかった部分もあっただろう。それを含めても、ペルデは受け入れ、向き合った。彼は自分で答えを見つけたのだ。
背筋を正し、手は前へ。そうして改めて向き合ったペルデが、呆れた顔のまま笑う。
「少しでも悪いと思っているのなら、願いを聞いてもらっても?」
「ディアンがここを去るまで滞在することなら、俺も別に構わないが」
「それは女王陛下に叶えていただいたこと。――精霊である貴方様にお伺いしているのです」
笑顔が消え、鷲色がエルドを見据える。僅かに詰めた息は緊張からだ。
その心境は、滞在の旨を女王に伝えた時の比ではないだろう。
本来ならこうして対面することだってあり得ない存在。巻き込まれなければ関わることもなかったはずの、畏れるべき相手。
そんな存在に、厚かましくも願いを叶えてもらおうとしている。それも自分を加護する精霊ではない相手に。
下手をすれば精霊への不敬であることをペルデも理解しているはずだ。
沈黙は数秒か、一瞬か。聞こえた溜め息はディアンのすぐ傍から。手を通じて伝わる魔力に、怒りの感情はない。
それは『中立者』ではなく、精霊として向き合おうと。エルドの中で無意識に切り替わったもの。
「善処する。なにが望みだ」
「お伝えする前に一つ。サリアナ・ノースディアの処分はどうなっていますか」
間髪いれぬ問いに、僅かにエルドの眉が跳ねる。
想定していたうちの一つ。答えるのは容易だが、それをディアンの耳に入れてもいいのか。
僅かに悩み、落ちた視線はディアンと絡むなりすぐに前へ。紫の力強さに、いらぬ葛藤であったと悟ったのだろう。
「加護を封じた後、精霊界にて妖精たちが復活するまでの養分として利用される」
「……そんなことが、可能なんですか?」
「分かりやすく例えるなら種のようなもんだ。畑と違い、栄養がなくとも時間さえかければ姿を取り戻すことができるが、魔力があればその期間も短くなる。とはいえ、アケディア一人の魔力では賄いきれないからな。……無いよりはマシだろう」
なんだか懐かしい気分になるのも、大袈裟な説明のせいか。
たとえのせいで、地面から直接引き抜かれる彼女たちの姿が浮かんでしまったが、実際はもう少し普通だと信じたい。
いや、実際どうなのかは問題ではない。
「生きたままで?」
「苦痛と恐怖の中、なるべく長く意識を残したまま糧とするのがアケディアの望みだ」
「随分と安易なことで」
「余命を考えても五十年以上、死ぬまで拘束されたまま搾り取られる。人の生から考えれば、これでも相当と思うが」
精霊であれば、たかが人間の一人どうすることも容易いだろう。
エルドの言う通りおぞましい終わりには違いないが、ペルデは首を振って否定する。
「それだけでは、あの女の処罰としては足りません」
「ラインハルトのように四肢を捥げと? まぁ、血肉も使えないこともないが……」
「あなたはサリアナの執着心を侮っている。彼女がその程度で諦めると、本気で思っているのですか?」
あまり望ましくないと、渋る声は再び否定によって遮られる。
見据える瞳に滲むのは恐怖ではなく、されど誇張でもなく、確信だ。
十数年。サリアナに関わり続けた彼だからこそ、そうだと断言できる。
普通の人間であれば耐えられない仕打ちでも、サリアナは耐えきってしまうと。その理由を、知っているのだと。
「フィリア様の加護があったとはいえ、あの女は十年以上も『選定者』様に執着していた。それこそ、なにが犠牲になろうと構わず、命を奪うことだって厭わない。『選定者』様のためであれば、どんな苦痛であろうと霞むでしょう」
ディアンだけではない。彼女によって狂わされた人間は、それこそ数え切れない。
ペルデも、メリアも、己の父だって。ありとあらゆる人物を巻き込み。妖精さえその手にかけてでも、彼女はディアンを求め続けた。
ディアンのために必要な、されど些細な犠牲であったと。本気でサリアナはそう考えている。
そんな彼と二度と会えない。……それだけで、あの女が諦めるとはペルデには考えられなかった。
たとえその手段がなくとも、万が一にも逃げだす方法がなくとも。ディアンがサリアナのものにはならないと、そう当人の口から告げられたって彼女は諦めることはない。
「『選定者』に抱く想いが残っている限り、あの女が真に苦しむことはありません。そして、『選定者』が彼女を覚えている限り……それは、サリアナにとって希望になり得る」
「……なにが望みだ」
二度目の問いに、鷲色は一度だけ瞬く。
変わることのない強い光。真っ直ぐに向けられるそれは、エルドとディアンの、両方へ。
「サリアナの――」
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