23.憶測
通されたのは、意外にも普通の客室と変わらないところだった。王城に比べればいささか質素ではあるが、言われなければ教会内部とはわからなかっただろう。
目の前に座っている男がローブを脱いでいるならばなおのこと。改めて、ここが彼らの……司祭たちの居住空間であると認識し、胸に陰りが差す。
本来ならディアンが訪れていい場所ではない。それもこんな遅くに、なんの約束もなく。
心拍が落ち着くにつれて、その後悔は膨らんでいく。勢いで来るべきではなかった。問われたところで、司祭様も困るだけなのに。
そもそも信じてくれるのだろうか。
証拠はまだ手に握り締めたまま。気付いて整えても皺は戻らず、まるでディアンの胸中を現しているかのよう。
「砂糖とミルクは?」
俯いたディアンに投げられる問いは軽く、それがわざとであるのは考えるまでもない。
まだここに、この部屋で座らされて数分も経っていないのに、数時間も過ごしたような錯覚を抱くのは、まだ収まりきらない焦りのせいなのか。後悔からくる居心地の悪さからか。
「あ……だ、大丈夫です」
「じゃあ、少し甘めにしておきましょう。その方がおいしいですからね」
いらない、と答えたはずの言葉を湾曲されたのも、おそらくわざとだろう。
透き通った赤茶色がみるみるうちに濁り、たゆたう水面に波紋が二つ。そうして差しだされたカップから漂う香りが、優しくディアンの鼻腔をくすぐる。
誘われるまま手に取り、掻き混ぜてから口の中へ。舌に残るほのかな甘みに自然と息が深くなり、喉を通る熱さに力が抜ける。
自分の身体が冷え切っていたのを自覚し、広がる温かさにようやく頭の中も落ち着き始めた。これが一日ぶりの食事になると気付けば余計に。
「……ほんとうだ、おいしい」
「お菓子があればよかったんですが、あいにく切らしてて……次までには用意しておきますね」
とっておきのお店を知っているんだと、交わす会話はまるで普段と同じだ。勉強の後の雑談と同じ、穏やかで優しい一時。
「……ペルデのことは、私から謝らせてください」
続いたのは。本当に次はあるのかと笑うまでの僅かな間。カップを置いた司祭が、その笑みを消すまでの、ほんの数秒のこと。
手元が揺れ、中身がこぼれそうになる。皺にまみれた書類からやっと手を離し、両手で包んだそれは温かく、ゆっくりと鼓動を落ち着かせてくれる。
「まさかあの子があんなことをするとは……」
「……僕も、少し驚きました。でも気にしていません」
建前ではない。本当に、怒りよりも驚きの方が勝っているのだ。あのペルデが、互いに夢中であったとはいえあそこまで声を張り上げ、魔法まで放ってきた。
いつも誰かの後ろについて、意見を合わせようとする姿しか見ていなかったが……彼も、ちゃんと主張できる時もあったのだと。
それほどまでに嫌われていたということもあるが、それだけのことをした自覚は十分すぎるほど。
彼にとっては、この場所に来られるのは家の中に入り込まれたも同然だ。一般開放されている部分でも相当嫌だっただろうに、無理矢理押し入ろうとしたのだから……その点に関してはディアンが悪いのであって、ペルデを責めることはできない。
「今回は僕が悪いんです。……どうか、彼を怒らないでください」
「……その気持ちだけ、受け取っておきます。ですが、私がいないと嘘を吐いたことも、危害を加えたことも、そう簡単に許してはならないことです」
そして、そう答えたグラナートの考えも理解できる。正当な理由無しに一般人を攻撃するなど本来はあり得ないこと。まだ成人を迎えていないペルデが正式に従事していないとしても、世間はそうは見ないだろう。
ただでさえ先日の一件がある。門だけでも許されないことなのに、それが重なれば……ディアンの懇願だけで収められるものではない。
どのような理由があろうと、間違いは正さなければならない。本人がどう思っても、どれだけ気に食わないとしても、守るべき規則は存在する。
そして、それは決してねじ曲げられていいものではない。
……でも、それはペルデに限ったことでは、ないはずで。
「彼については、君が気にしなくてもいいんですよ。……それより、気分は落ち着いてきましたか?」
意図的に逸らされた話題を追いかけることはできず、緩く頷く。様々な感情で絡まり合った脳内は、与えられた温もりで比較的落ち着いてきたようだ。
「……はい、ありがとうございます。こんな時間に本当にすみません。答えをいただけたらすぐに帰りますから」
「時間なら気にしなくていい。後で君の家に使いの者を出して、一晩預かることは伝えておきますから」
思わずカップを落としそうになり、慌てて机に置き直す。ソーサーに掠れた底が歪な音を立てたが、割れなかったのなら気に留めることではない。
「そんな、そこまでしていただく必要は……! 教えていただけたらすぐに帰りますから!」
無理矢理押し入ったとはいえ、こんなに大事にするつもりはなかった。本当に、答えが得られたらすぐに戻るつもりで……泊まるだなんて、そんなこと!
「あんなに必死で来た君を、そのまま帰せると?」
「ですが、司祭様にこれ以上迷惑をかけるつもりは……っ父に叱られます!」
自分の息子が親友の元へ押しかけているなんて知れば、間違いなくヴァンは怒り狂うだろう。夕食抜きなんて生易しい処罰ではすまない。この教会に近づくことすら禁じられるかもしれない。
そうなれば、ディアンが精霊について学べる場所が無くなってしまう。黙って通おうとしても、周囲の目がそれを許さない。
ここしかないのだ。ディアンの求める知識があるのはここしか……グラナートの元にしかないのに。
今ならまだ、遅くまで出歩いていただけですむ。
それでも相当怒られるだろうが、この場所を取り上げられることに比べれば、その程度なんでもない。
「本当に、これ以上ご迷惑をかけるつもりは……っ……お、ねがいします。父には……言わないでください……」
深く、深く頭が下がる。願ったところでグラナートは聞いてくれないだろう。親友の息子について伝えるのは、同じ息子を持つ父として当然の行動だ。
本当にヴァンが心配しているかは関係ない。だが、グラナートはそう判断するだろう。父の親友だからこそ。ディアンを、よく知っているからこそ。
俯いたせいで顔は見えず、その表情が笑んだままかはわからない。だが、肌を突き刺すような空気は正面から流れてくるもので。目の前の男が怒っていることは見ずとも明らか。
ただでさえ押しかけ、その上にまだ願おうとしている。身勝手な振る舞いに、グラナートが怒るのだって当然だ。
怯えが悟られないよう口を強く閉ざし、手を握り締める。答えを聞くのは恐ろしくて、されど耳を塞ぐこともできず。
小さな溜め息は強く鼓膜を震わせ、跳ねる肩を誤魔化せないまま。爪は治ったはずの火傷へ深く、深く食い込んで。じわり、痛い。
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