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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第八章 『精霊の花嫁』の兄は

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235.望み望まれ、その結末

 風の音は、ディアンの喉から漏れたものだ。息のなり損なったものは、きっと彼の耳にしか届いていない。

 崩れ落ち、すすり泣く少女にも。それを呆然と見つめる父親にも。静かに見下ろす女王の耳にだって。

 メリアはずっとそう望まれてきた。否、産まれる前から定められた盟約を守る、その為だけに生まれてきたのだ。

 だからこそ、ヴァンも母親も、ダヴィード王も、街の者も。メリアに接する誰もが彼女をそう呼び、それを求めた。

 精霊様に嫁ぐのは名誉であると。だからこそ大切な存在なのだと。だからこそメリアは今まで愛されてきた、愛され続けてきた。

 それがどれだけ歪であろうと、それがフィリアの加護の力も相まってのものだとしても……その根本は、確かに存在していたのだ。

 もし否定していたなら。『花嫁』であろうと許されないと咎めることができたなら。誰かが、正しく彼女を導くことができたなら。

 仮にフィリアの加護があったとしても、この結末だけは避けられたであろう。

 メリアを『精霊の花嫁』だと言い続けたのはディアンも同じ。彼女をここまでしてしまったのは……自分も、同じ。


「確かにお前は愛されて育ってきたであろう。なんの不自由もなく、なんの苦痛もなく。こうなるに至った経緯に、お前もまた被害者であることを認めよう」


 威厳のある声に、僅かに含まれる哀れみ。フィリアの加護はメリアが望んで与えられたものではない。

 自分でも気付かない間に、周囲を魅了していたことを……誰も止めることができなかったのだって。

 止める余地はあったはずの教会が、そうしなかったことも。なにもかもが噛み合わなかったせいだ。

 幼い頃から言い続けられた役目は、それこそ洗脳に近いだろう。

 メリアにはそれしかなかった。そうだと許され続けてきた。そうではないなんて言われても、理解できないのは当然。

 それでも、罪は裁かれなければならなかった。彼女のために、苦しめられた者のために。この過ちを繰り返さないために。


「だが、真に愛しているのであればこそ、過ちは正されなければならない。その過程で痛みを生じることもあろう。時には憎まれることもあろう。だが、それを恐れて慈しみ優しく接するだけでは、ただの愛玩と変わることはない。お前が受け続けてきたそれは、娘としての愛ではなかったのだろう」

「なに……? なんの、話……?」


 ひどい、痛いと、泣き続ける少女には理解できないだろう。告げられ、気付きを得たヴァンがどれだけ項垂れようと、全ては終わった後。

 そう、これはディアンがどうしようとも、きっと変わらなかった結末。


「誰からも愛されたいと望んだのはお前だ。だが、お前を真に愛し、導こうとした唯一の手を拒んだのもまたお前自身。……恨むのであれば、己の選択を恨むことだ」


 手が上がり、それを合図にメリアが抱えられる。もう意識もないのか、引き摺られても呻く声すら聞こえない。

 崩れ落ちたヴァンは、その後ろ姿を呆然と見送るだけ。

 だが、まだ全ては終わっていない。これはまだその序章。真に裁くべきは、もう一人。


「こうなることは、最初から予想していたな?」


 脈略のない問いは、控えていたトゥメラ隊に投げかけられたものではない。娘の末路を、なにもできぬまま見つめるしかなかったヴァンでも、震え続けたダヴィードでもない。

 それはたった一人。なにも変わらなかった少女に対して。

 メリアが『精霊の花嫁』ではないと告知され、焼き印を押される光景を眺め、そうして今に至るまで。

 ただ静かに、その一部始終を見ていたサリアナにのみ注がれる。

 自分も同じ末路を辿るかもしれない恐怖もなければ、全てを諦め受け入れる様子でもない。


「……遅かれ早かれこうなることは分かっていましたが、この目で見ることになるとは思いませんでした」


 呟いたその一言さえ、ここが断罪の場であると忘れさせるほどに普遍である。

 周囲から痛い程の殺気が向けられていなければ、まるで世間話でもしているかのような雰囲気だ。

 彼女の瞳は濁ることなく、透き通った青のまま。不意に笑みを浮かべたかと思えば、膝を折って頭を垂れる。手が自由なら、見事なカーテシーを披露していたことだろう。


「お初にお目にかかります、オルレーヌ女王陛下。既にご存知でしょうが、名乗りは必要でしょうか?」

「不要。見てくれだけの敬意も同様に。お前の化けの皮は既に剥がれている」

「――そうでしょうね」


 口調は互いに素のまま。一人は睨み、一人は微笑み。とても裁かれている者とは思えぬほどに、サリアナは落ち着ききっている。

 それは、トゥメラ隊の一人が広げた物を目にしても変わることはなく。 


「これに見覚えがあるな。先日誘拐を企てたアンティルダの者も、お前と同じ物を持っていたことは判明している」


 光に照らされるそれは、一見すればただの薄汚れたローブだ。

 煤に塗れたような薄い灰色。だが、反射する光は込められた魔力によるものだ。

 前はほとんど感じられなかったそれも、今のディアンならわかる。……だが、同時にローブの存在自体を認識しにくい。

 そこにあると分かっているのに、あまりにも存在感が薄い。異常なまでに強い魔力が込められているのに、その正体を本能が拒んでいるかのようだ。

 掴まれたままだった肩が僅かに痛む。それは、握り締めるエルドの感情を表すもの。


「この場で嘘が通用せぬことは理解しているだろう。……この忌々しい異物は、あと何枚ある」


 そして、怒りはロディリアも同じ。淡々とした響きは感情を抑え込んだ反動だ。

 女王としてではない。精霊として許せないのだと、見下ろす金は微笑む顔を歪ますことはない。


「わからないわ。作ったのは私じゃないもの」

「だが、素材は渡したな?」


 挑発にも、誤魔化しとも取れる発言だが、その言葉以上の意味はない。

 この場において嘘は通用しない。だからこそ、黙秘するならばそもそも言葉にも出さないのだ。

 指摘され、唇が歪む。だが、それはより美しい笑みの形に変わっただけ。


「本当に、天才とはよく言ったものだ。その知識が正しく使われたならば、フェガリの加護の名に恥じぬ偉人として歴史に刻まれただろう。……だが、お前は踏み入ってはならぬ領域を荒らした」


 軋むのは、握り締められた椅子の持ち手。白く震えるのは指先のみ。その声は、どこまでも凛と響き、問いかける。


「答えよ。……一体、何人の妖精を犠牲にした」


 漏れた声は、誰の耳にも入らない。繰り返される言葉の意味を答えてくれる者だって存在しない。

 もう一度見やった光。どこか馴染みを感じる魔力は、この数日特に感じていたものだ。

 当然だ。それは、ここに来てから常にディアンの周囲にあり続けたもの。シャラリと揺れる音は、彼女たちの羽ばたきにあまりにも似ていて。


「おかしなことを聞くのね」


 首を傾け、問い返す仕草は見た目通り少女のように。細まった瞳はどこまでも透き通ったまま。

 吐き出す言葉だけが、どうやったって噛み合わない。


「見かけた虫の数をいちいち覚えているとでも?」

「貴様っ!」


 殺気だったリヴィを女王が仕草だけで制する。剣先など向けずとも、その殺気は十分過ぎるほどに満ちている。


「殺していないわ。ただ貰っただけよ」


 感じていないはずがない。それなのに、彼女はなにも変わらない。まるで世間話をするような調子で、なんの弁明にもならぬ言葉を重ね続ける。


「妖精が羽をもがれる苦痛は死にも等しい。実際に命を落とした者がどれほどいると思っている」

「いなくなっても気付かないならその程度でしょう? 彼のために必要だったことよ」

「彼?」


 開き直った態度であれば、まだ理解もできただろう。だが、やはり彼女は変わらない。

 否、その笑みはより深く、美しく。紅潮した頬は、それこそディアンが何度も見てきたものと同じ。


「もちろん、ディアンのために決まっているでしょう?」


 変わらないことこそが、異様であるのだと。そう自分に訴えかけたペルデの言葉が蘇る。

 うっとりと見上げる眼差しは、決してディアンを捉えたものではない。それなのに、視線が重なっている錯覚からは逃れられず、滲むのは汗か、恐怖か。

 見えるはずのない妖精を捕獲し、更にはその羽を捥ぐなどという大罪。今広げられている分を作るだけでも、何匹が犠牲になったというのか。

 その凶行が自分のためなどと、微笑むサリアナに目眩がおきる。

 まだ妹のように言いがかりを付けているならマシだった。だが、彼女は心からそう思っている。全ては、ディアンに関わることなのだと。


「……お前に関して、一通りの証言は得た。そこにいるペルデ・オネストからも、お前が洗脳し連れてきた兵士からもな」


 名指された彼の顔に動揺はない。怒りもない。恐怖も、戸惑いも、なにも。まるで女王と同じく、こうなることを予想していたように。


「お前と対峙し、ようやく分かった。禁忌とされた魔法をそこまで扱える手腕は、まだフェガリの加護で説明がつこう。だが、その執着心は固執していただけでは成り立たぬ」


 門を使ったことも、メリアを連れてきたことも、ペルデを今まで洗脳し続けたことも。ディアンのため、だけでは説明がつかないはずだ。

 だが、本当にそれだけならば。それが彼女を突き動かした理由であるなら、そもそもの前提が誤っていたことになる。

 他に目的があるのではない。……その為だけに行動できる衝動こそが、そもそもの根本なのだと。


「答えよ。貴様、誰の加護を賜った」


 たった今、フェガリの加護だと言ったばかりの口が問う。その真意を理解できるのは、限られた一部だけ。

 そこにディアンもペルデも含まれず。されど、問われた本人は理解できている。しているのだと、その表情は語っている。


「名も知らぬ精霊の名を述べることはできないわ」

「やはり、二人から賜っていたことを自覚していたな」


 返答はない。緩やかに持ち上がる唇、僅かに下がった眉。細められた目の奥、開かれる瞳孔は全てを引き込むかのように暗く、重く、なのにどこまでも澄みきっている矛盾。


「ダヴィード。貴様も気付いていたな?」


 視界の端、哀れなまでに震える男が、より身体を大きく跳ねさせる。もはやそこに一国の王としての威厳はなく、怯えた男がいるのみ。


「ち、ちが、知らない。そんな、二人の精霊からなどっ……!」

「ええ、お父様に隠しておく度胸はないわ」


 保身を遮る声は、まるで他人事のよう。まるでバケモノを見るような瞳を向ける男に、娘は穏やかに微笑みかける。


「だから気付く前に私を遠ざけたかった。……そうでしょう? お父様」


 間違っていないはずと、確かめる声には引きつった悲鳴が返される。その反応こそが全てを肯定していた。


「交流のないアンティルダとの婚約、不審には思っていた。あちらから打診があったとしても、お前たちに交易以外の利点はないはずだと」

「確かにあの国から取れる鉱石は希少価値としては高いけど、それはオマケね。私を精霊の力の及ばない場所まで遠ざけるための方便とも言えるかしら」


 教会の恩恵を受けられる代わりに、どんな盟約にも縛られない唯一の場所。

 そんな場所が存在するならば、それこそアンティルダしかない。

 遙か昔、精霊がこの地を去った頃より、聖国とアンティルダは不可侵の盟約を結んだ。アンティルダ国内に限り、いかなる事象も許され、干渉することはない。

 教会の恩恵を得られるということは、つまり精霊の加護も与えられないということ。国の大半は砂に覆われ、緑はほとんどないという。

 なぜその盟約が交わされたのか。それでもなぜ人が生きていけるのか。全ては謎に覆われ、良い噂は聞こえることもなく。

 それなのに、なぜ婚約を結ぶに至ったのか。確かにディアンも疑問には思っていたが……まさか、この国から遠ざけるためだったとは。


「加護が及んでいる限り、国を乗っ取られるとでも思っていたのかしら。確かにそう考えた時もあったけど……女王になるより、あっちにいった方が色々と都合がいいもの」


 だからいらぬ心配だったと肩をすくめ、息を吐き、拘束されたままの手を顎に当てる。その一連も、いつもの通り。


「でも、お父様が臆病なおかげで私はディアンと一緒にいられたのだし、そこには感謝しているわ。私が大人しくするなら、平民の一人ぐらいどうなっても構わないものね?」


 それがたとえ親友の息子でもと、その言葉は実際に音になったのか。幻聴であったのか。

 ヴァンは呆然としたまま。ダヴィードはもはや否定すらできず。少女は笑い、女王は見下ろす。


「お前はあまりにも多くの罪を犯しすぎた。門の不正使用。多数への禁忌魔法の使用、それに伴う未成年者への殺害未遂。我が国への不法侵入。なにより、妖精の捕獲並びに殺害。……もはや、人間が裁く範疇は超えている」


 それは精霊からの裁きがあると。そう伝えられても彼女の笑みは変わらない。なにも変わらない。


「それら全てが、ディアン・エヴァンズを手に入れるためであったと?」

「あら、それは違うわ。だって、」


 ディアンのためと、そう語ったばかりの口が否定する。

 今までで一番頬を綻ばせ、うっそりと細まる目。その瞳が、彼女を加護するもう一人の精霊と同じものへと変わる。

 メリア・エヴァンズと同じだった、緑へ。フィリアの愛し子の証は、そこに。


「――最初からディアンは私のものですもの」


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