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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第一章 始まり

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21.隠されていたもの

 寒さに目を開けば、見えたのは暗い景色だった。

 微睡む意識でしばし考え、それから机に突っ伏して眠っていたことに気付く。

 見えないのはそのせいだと身体を起こし、それでも明るくならない世界にしばし、呆ける。

 なにも書かれていない黒板。等間隔で並ぶ椅子と机。窓から差し込む月の明かり。

 それらをゆっくりと見渡してから――サァ、と血の気が引く音が響く。

 勢い良く立ち上がったせいで倒れた椅子を気にかけることなく、荷物を掴んだところで、飛び出そうとした足が止まる。

 ……もう、今さらだ。

 寝過ごしてしまったことも、門限を破ってしまったことも、もう取り返しはつかない。

 どんな言葉も父には通用せず、叱られる未来は変えようがないのだ。

 ここまで眠るつもりはなかった。そもそもうたた寝なんてするつもりは……いや、いいや。

 首を振り、椅子を元に戻す。改めて荷物を持ったところで吐き出した息はあまりにも重々しい。

 疲れていたなんて言い訳だ。どうすればいいかわからず悩み疲れたせいだなんて、それこそなんと言われるだろう。

 これで丸一日食事を抜かれたことにもなるが、それだけで済むとも思えない。

 虚しいのは胃か。事実を噛み締める胸中か。どちらも満たされず、進み始めた足は数時間前と変わらず重い。


 誰もいない廊下を白い光が照らす。本来なら教師が見回り、残っている生徒を帰すはずだが……使っていない教室までは見ていないのか。それとも、それがディアンだったからか。

 下手に見つかれば怒られるのは自分だと、気持ち抑えた足音もどこか虚しい。

 今が何時かはわからないが、少なくとも教会に向かうには遅すぎる。既に扉も閉められているし、向かったところでいるとも限らない。

 司祭との約束も破ってしまい、いよいよ気が滅入っていく。大切な用があったはずだ。いつまでもこないディアンを案じていただろう。

 明日こそ必ず伺わなければならない。もしかすれば明日の朝食まで抜かれ、いよいよ空腹で倒れるとしても……彼の話を聞くまでは、耐えなければ。

 意志を固めても叱られる未来は変えられず、心は重いまま。進む足は入り口にまで辿り着いて、握ったノブが固いことで再び止まる。

 ……施錠されている。当然だ、本来ならここには誰もいないはずなのだから。

 閉じ込められたかと焦るも、教師棟からなら外に出られると思い出す。出くわす可能性は高くなるが、ここで一晩明かすつもりは元よりない。

 窓を開けたまま帰るのは、その教師も全員帰ってしまった時だけだ。幸いにも確かめるのにそう距離は離れていない。部屋に明かりがついているなら、まだ望みはある。

 希望が見えたところで中庭を経由し、辿り着いた先から漏れる光が一筋。

 これで外には出られると、胸を撫で下ろすには少々早い。踵から踏み出し、音を立てぬよう。だが、なるべく早く通り抜ける。

 ここさえ抜ければ出口はすぐそこにある。その後のことは帰りながら覚悟を決めるしかない。


「――ディアンのことか」


 ……そう自分を宥められたのは、己の名が聞こえるまでのことだった。

 通り過ぎた扉の中。僅かに開いた隙間。覗くべきではないと理解しているはずなのに足が戻る。

 眩しさに目を細めたのは数秒だけ。明るさに慣れた瞳が捉えたのは、一カ所に集まる教師たちの姿だ。どれもがディアンに関わりが深い者たちばかりで、無意識に呼吸まで静かに。


「いつかこんな日が来るとは思っていたが……」


 吐かれた溜め息は深い。首を振る動作だけを見れば呆れられていると思ったが、その表情は昼間と同じく痛々しいもの。

 こんな日、とは無記入で出された用紙に対してなのか。他に要因があるのか。

 その発言だけでは判別できず、さらに耳を澄ませようとするディアンをなにかが止めさせようとする。

 これ以上は見るべきではない。見ていいものではない。

 それは良心か、頭の奥から響く頭痛か。あるいは、名称できない第六感なのか。

 それでも開いた瞳は光の先を見つめ続け、足は一歩も動くことなく。耳は、小さな音でも拾おうと必死に立てられたまま。


「ただ調子が悪かっただけかもしれない。明日追試を受けるようには伝えたし、そちらを報告するしか……」

「それでも書かなければどうする。こんな内容をお伝えするわけにはいかんだろう」


 鼓動の音が強まり、頭痛がひどくなっていく。

 報告。……それは、誰に対して行われるものなのか。

 もしディアンの父親に対してなら、この程度で動じるとは思えない。

 この際、直接伝えていたことは脇に置いておこう。問題は、どうして彼らが戸惑っているかだ。


「むしろ、今までよく耐えたじゃないか。こんな仕打ちを彼が受ける道理は、」

「言うな! ……あと半年すれば彼も報われる。それまでは隠し通さねばならないことは分かっているだろう」


 半年すれば、報われる? 半年後になにがある。なにを隠し通す必要がある。

 これ以上聞いてはいけない。だけど、まだ理解できていない。聞かなければ永遠にわからないままだ。

 見過ごすわけにはいかない。でも、これ以上聞いてはいけない。

 頭痛は警鐘のように。引き留めるようにディアンの内で鳴り続けて、それでも足は動かない。動かすわけにはいかない。


「明日の結果を待って、それから報告しよう。……いつものように、それは金庫に保管しておいてくれ」


 疑問が浮かぶやいなや一人が動き、どこかへ歩いて行く。

 ……金庫? 試験の結果を、わざわざそんな場所に? それも、ただの平民のものを?

 それが全員ならまだ分かる。だが、机に積み上げられたそれは他の生徒のもののはずだ。

 それなのに、彼らはわざわざディアンのだけを仕舞うと言っている。どうして、そんな必要が、ある?


「本当に可哀想に」


 けたたましい鼓動の中、哀れむ声が聞こえる。

 クラスメイトから投げられるものとも、殿下から吐き捨てられるものとも違う。心の底から同情する、耐え難い声が。

 早く去れと、自分の中の何かが叫んでいる。今なら間に合うと、なにかが、突き動かそうとしている。

 だが、動けない。動くわけにはいかない。この疑問を明かせるのは、今しかないと分かっているから。


「――いままで満点だったのに」


 音がした。叩きつけられる扉の音が。違う、叩きつけたのは自分だ。自分の手で、開け放ったのだ。

 踏み込んだ部屋の中、驚愕した教師たちが自分を見つけ、焦る姿が遅く感じる。

 視線は一カ所に。棚の下、しゃがんだ男の手の先。そこから見える、紙の束。


「な、なぜここに……きょ、許可なく入ることは禁止して――!」


 思い出したように叫ぶ声も聞こえない。ディアンから咄嗟に隠す姿しか、もう目に入らない。

 立ち止まっていられたのは、その小さな扉に手をかけられるまでの間だった。

 手の中に溜めた魔力を机上へ放ったのも、それが風魔法であったことも、全ては夢中だったからこそ。飛び散った用紙が視界を奪い、全ての視線がディアンから逸らされる。

 衝動のまま駆けた足が遮られることも、伸ばした手を邪魔するものもない。

 無理矢理こじ開けたその先。乱暴に掴んだ束の重ささえも、もはや些細なこと。


「このっ……返すんだ!」


 掴みかかる腕を交わせたのは、もはや奇跡だろう。勢い余ってつんのめる身体に足を引っかけ、倒れたところで大きく距離を取る。

 片手を突き出し、慌てて障壁を張る。試験で一度も成功しなかったのにと、己の底力に驚く余裕もない。

 薄く、脆弱な盾。剥がそうと思えば一瞬で剥がされてしまうほどの強度しかないだろう。

 でも、それで十分だった。ディアンがそれを。隠されていた書類を流し見るだけの時間は、それで。


「――なん、だ、これ」


 実際に見えたのは数秒だ。紐を解き、支えきれなかったいくつかが床に散らばっていく。そのどれもが、過去にディアンが回答した試験で……その全てが、合格点に達している。

 いいや、ほとんどが満点だ。そう誰かが言ったとおり、目に通す全てにおいて丸の数は遙かに多い。

  最近のものだけじゃない。それこそ、入学当初のものだって。

 全てに目は通していない。だが、もう十分だ。これがいかに異常であるか理解するには、十分すぎたのだ。


「どういう、ことですか」


 絞り出した声が、震える。もう制止しようとする手はない。障壁が崩れても、ディアンを咎める声は一つも。一つだって。


「なぜ、告知されている点数と違うんですか。どうして僕のだけ金庫に隠してあったんですか」


 問いが震える。それは衝撃なのか、怒りなのか。ディアンにもわからない。わからなくても知ってしまった。知ってしまったなら、問い詰めなければならない。

 誰もが目を逸らし答えようとしないことに、握りつぶされる紙を気遣うことなど到底不可能。


「……答えてください、先生。なぜ、僕の成績を改ざんしていたんですか」

「っ、それは……」

「理由があるからこそ、こんな暴挙に至ったんでしょう? ……国王陛下も納得される、正当な理由が……!」


 合わさった瞳が再び逸らされる。それでも睨みつけていなければ足元から崩れ落ちてしまう。拳に力を入れていなければ、きっと殴りかかっていた。

 そう、理由が無ければ納得できない。こんな……こんな理不尽な仕打ちを、どうして納得できるというのか!


「もしそうでなければ、陛下はさぞお嘆きになるでしょう。この国の未来のため、自ら設立したこの学園で。信頼していた教師たちが生徒の成績を改ざんしていたなど……!」

「は……話したところで誰も信じんぞ!」

「ええ、そうでしょう!」


 誤魔化しきれないと判断した男が張り上げた声を、ディアンの同意が掻き消す。怯んだのは思わぬ返答に対してだったのか。本当に、それだけだったのか。


「たかが平民の成績を、それも長期間にわたって改ざんする理由など理解されません。そんな主張を信じる者は、学園に限らずとも確かに少ないでしょう。……だが!」


 言われずとも理解している。真実を伝えたところで苦し紛れの言い訳だと、とうとう気が触れたと言われるだけ。まともに取り合う者はいない。

 今こうして実際に見ているディアン自身がなによりも信じられないのに、一体誰が聞いてくれるというのか。

 それでも。……ああ、それでも!


「――心お優しいサリアナ様であれば、こんな落ちこぼれの世迷い言でも真摯に聞いてくださるだろう」


 目の前の顔が引き攣っていけば、幻聴が頭の中を掠めていく。囁くのは自分だ。自分自身だ。己の力だけで真実を明らかにしないなど、なんと卑怯な男だと。

 それでも、明かさなければならない。どんな手を使ったとしても、このままなにもなかったことにさせてはいけない。

 知る権利がある。否、ディアンは知らなければならない。それがどんな内容であったとしても。それが……自分の理解の範囲を、越えていたとしても。


「陛下が信じなくとも、サリアナ様であれば信じてくださる。謁見を願い出れば学園でなくともお話しする機会を頂けるだろう。真相を隠すのは容易でも、六年間の試験結果を捏造するのは、さすがの先生方でも苦労するのでは?」

「……我々を脅すつもりか?」

「可能性を申し上げただけです。質問に答えていただけるのなら、僕もわざわざサリアナ様……いえ、陛下の手を煩わせるようなことはしません」


 睨み、睨み返し。優勢にも思える状況は、ディアンの方が劣っている。相手は複数、証拠はまだ手の中とはいえ、取り返されればそれこそ打つ手が無くなる。

 自分たちの失脚がかかっているのだ。命こそ取らずとも、怪我を負わす程度は厭わないはずだ。

 まだ入り口は塞がれていない。語るのが先か、襲われるのが先か。逃げるとすれば扉ではなく、窓でなければ逃げ道は、


「……その国王陛下からのご命令だ」


 思考が断ち切られる。芯のある回答が動揺する声に紛れ、目を、開く。


「おいっ、なにを……!」

「いつかは露見することだった。もはや隠す必要もない」


 空気が変わる。あんなにも肌を突き刺していた感覚が引き、誰も彼もから力が抜けていく。その表情も態度も、どう見ても諦めから来るもの。

 でたらめをと、罵るはずだった口は閉じたまま。俯く姿は全てを肯定している。

 ああ、それとも騙されているのだろうか。そっちの方がよほど信じられる。


「……どういうこと、ですか」


 答えた教師が歩き出し、身構えたのも数秒。しゃがみ、金庫の中から取り出された封筒は……王家からの通達に使われるもの。

 押された蝋印だって間違いない。家に届くものと、何一つだって違わない。


「六年前、君が入学するのと同時に受け取ったものだ」


 差しだされたそれを広げ、文字を追う。さすがに陛下の文字までは見覚えはないが、封書が届いている時点で疑うつもりもない。

 難しい言い回しであっても、書かれているのは簡単なことだ。そこに含みも、湾曲できる言い回しもない。

 己の成績を定期的に王家へ報告し、公表する結果は低く改ざんすること。たった、それだけ。

 疑いようもない。目の前にあるのは本物だ。本当に陛下がそう命じたのだ。ただの平民であるディアンの成績を捏造することを。

 それが、真実。それが、ディアンにまで隠されていた理由。


「……なん、で、こんな」


 それでも首を振る。信じられないのではない。信じたくない。示されてもなおわからない。

 どうして陛下はそう望まれた。なぜ、こんなことを。他の誰でもなく、自分にだけ。……一体、どうして!


「我々も理由は伝えられていない。だが、君が卒業するまで隠し通すようにと……王命とはいえ、君には辛い思いをさせた」


 すまない、と下げられる頭を見ても納得ができない。できるわけが、ない。


「っ……でも剣は……それに、魔術だって……!」


 その二つは、単に数字を書き換えればいいだけではない。実際に実力が足りなかったのは、言い逃れはできないだろう。


「その度に我々が魔法で妨害していた。……君にも、心当たりがあるはずだ」


 だが、そうではないと。否定され、謝られ、目眩がする。


「……まさか、身体が重くなるのも、目眩も……息ができなかったのも、全部……?」

「……すまない、ディアン」


 力が抜けていく。まだこうして立っていられるのが不思議なほどに。

 それでも紙を手放さずにいたのは意地だったのか。それすら、ディアンにはわからない。わかるはずがない。もうなにも、なにひとつだって。

 求めている答えは、その真意は、わかるはずがない。

 わかるとすれば……わかる者がいるとすれば――それは、ここにはいない。

 衝動のまま廊下へ飛び出すディアンを呼び止める声は響かなかった。


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