210.三度目の洗礼
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今話を最後までみた後に32話「洞窟」を見返していただくと、より楽しめるかもしれません。
この短い間に、どれだけ驚けばいいのか。
初めて見る王宮の外観。すぐに乗り込んだ馬車の内装。辿り着いた建物の規模。そして……両開きの、扉の先。
天井から降り注ぐ光は惜しみなく。静寂は耳に痛いほど。
配置だけ見れば、扉から伸びるカーペットも、その両側にある長机の列も、他の教会と差異はない。
だが、観客席のように壁際に配置された座席は、それだけでも二階分はあるだろう。奥に向けて広がるような形になっているのは、より見やすくするためなのか。
カーペットの先に説法台はなく、あるのは短い段差と半円型の空間。
そして――間違いなく、ディアンが見てきた中で一番巨大なオルフェン王の像だった。
王都に飾られていたのでも優に三メートルは超えていたが、明らかにそれ以上だ。
もし幼い頃に見ていたなら、それこそ威圧されて動けなくなっていただろう。
「す……ごい……」
「ここがこの国で一番大きい礼拝堂になります。特別な時にのみ使われるので、普段は開放されていません」
思わず立ち止まったディアンを導くよう女王が先導し、その後ろを騎士がついていく。続いてエルドが隣へ並び、背を押されてようやく前へ。
入った箇所でもその巨大さを認識していたのだ。近づけばより圧迫感は増していく。
「一度目の洗礼は各地の教会にて行われ、二度目は十八歳を迎えたその日にこの場所で行われます。全国へ御触れを出し、各国の要人を招集し、望むのなら平民も制限することなく。『選定者』の意思が変わらぬことを、そうして精霊界へ渡っていくのを見届けるのが本来の流れ」
ここに入れるのは許可した者だけだが、と補足をしながらも進み続ける通路は見た目以上に長く。
歴代の『選定者』もこうして歩き、その間大衆の目に晒されていたのかと考え……つい、一度目の洗礼と重ね見てしまう。
ただでさえ圧されているのだ。恐怖も緊張も、あの時以上のものになるだろう。
すでに加護を得ていると分かっても、想像するだけで身がすくみそうになる。
あの瞬間、あの時こそが……ディアンの苦難の始まりだったのだから。
「この洗礼をもって『選定者』はこの地を離れる定めですが、一度目も二度目も正式に終わったとは言えません。故に、今回ばかりは例外も許されるでしょう。あちらへ渡るのは全てが片付いた後です」
ここから人が増えることはないし、見ものになることもないと知らされ、安心はしたもののまだ気は抜けない。
正式ではなくとも、ディアンにとっては実質三度目の洗礼だ。そもそも、通常の洗礼だって完璧に覚えているとは言い難い。
嫁ぐために行われる儀式……となると、どうしても身構えてしまう。
「あの、僕はなにをすれば?」
「他の洗礼と変わらない……と言いたいところですが、あなたの場合は例外でしょう。通常の洗礼は司祭に向かって、この礼拝堂ではあの像に向けて宣言を行いますが……」
段の手前に差し掛かり、振り返った女王の視線はディアンの隣へ。その相手を確かめる必要はない。
「ここに相手がいるのなら、精霊本人に向けて誓うのが道理でしょう。……本来の洗礼の通りに」
それこそ、精霊がまだ人の世界にいた時のようにと。瞳はディアンに戻り、金は紫を貫く。
「この場合の洗礼とは、いわば精霊との婚約。あなたが同意し、女王である私が承認することで正式に『選定者』となります。……覚悟は?」
後悔しないとは、もう確認されなかった。あとは前に進むだけだと、指し示す道は眩しいほどに照らされ、目を細める。
緊張はある。ほんの少しだけ恐れも。本当に自分に務まるのかという迷いだって、無いとは言えない。
……だが、それもエルドの瞳を見るまでの話。
なんたって、努力することだけは慣れている。それが愛しい人と一緒なら、どんな事であろうと。きっと乗り越えられる。
そうだとエルドが信じてくれるなら。そうだと、自分が応じようとする限り。
力強く頷けば、女王も同じく頷き返す。ゆっくりと段差を踏みしめ、数歩もせず辿り着いた中央。見上げた精霊王は、ディアンとエルドでは捉え方が違う。
ディアンはかつての恐怖の象徴として。エルドは、怒りの相手として。
されど誓う相手は隣に。かの王ではなく、互いに。
二人の前に回り込んだ女王は一度だけ目を伏せ……そうして、金は再び二人を見据える。
「――これより、『候補者』ディアン・エヴァンズの洗礼を行う」
凛とした声が静寂の中に響く。鼓動は一層強く、吐く息は僅かに震える。
降り注ぐ光が増したように思うのは、ディアンの気のせいではないだろう。
「アピスとシュラハトが娘、女王ロディリアがこの洗礼を見届けましょう。かの者の決断に異を唱えることは、すなわち精霊への異と同義。何人たりとも妨げることは許されません」
従来であれば、集められた各国の要人が。そして見守りたいと集まった国民に向けての言葉だ。
そうしてここで決断を迫られるのだろう。精霊界に向かうか、人としての生を送るか。自分がどのように、生きていくのか。
……そして、その答えはもう、決まっている。
「では、誓いを。……汝を加護する精霊へ」
どちらとなく向き合い、視線は交差する。
あの夜、あの洞窟の中で見つめた輝きはディアンの目の前に。ずっと焦がれ続けてきた存在は、そこに。
「……いや、」
あの日のように足を折り、地面に膝をつこうとする肩が優しく掴まれる。否定の言葉に覚えた恐怖は、握られる手の感触でゆっくりとほどけていく。
「立ったままでいい。……いや、違うな。立っていてほしい」
「ですが……」
二度目の時はディアンが形から入ったからだが、今回は正式なものだ。
女王の御前でもある。形式だけでも整えるべきではないかと、戸惑うディアンを見る男の眉は下がっていく。
「膝を折るのは、教会が精霊への尊敬の意を示すために広めた作法だ。女王が見届けていれば、どんな形であれ正式だと認められる。……だから、そのままでいてほしい」
それとも実感が湧かないかと、無理矢理笑った顔はどこか歪で、繋がった手から伝わる震えはお互いに。
「……俺に、誓ってくれるんだろう?」
精霊ではなく、エルド自身に。彼だからこそ共に在りたいと、そう語った通りに。
だから対等なままで。このままで言葉を交わしてほしいと願う男に、どうして膝が折れただろう。
つられて笑う顔は、同じく歪なものだっただろう。それでもエルドの表情は和らぎ、震えは収まっていく。
弱くもなく、強くもない力に繋がれたまま。僅かな沈黙さえも心地良く、笑みが消えてももう恐れることはない。
「始めるぞ」
途端、光が満ちる。ゆっくりと、だけど確実に。
全ての音が消え、耳鳴りのような異音がディアンを支配する。だが、上から押さえつけられる威圧感はない。もう震えることもない。畏れは、そこにはない。
あるのは見つめる薄紫。あの日と同じ、ディアンが求め続けた願いなのだから。
「……第二の生を歩む者よ。汝、その使命を何と心得る」
ゆっくりと、息を吸う。そう、吸っていると実感できる。問われていると理解できる。
柔らかく、温かな光の中。答えなければならないという焦燥感だって、どこにも存在しない。
繋いだままの手を握る。強く、強く。その衝動は、ディアンが心の底から願うからこそ。
ああ、そうだ。何度だって誓おう。決してこの想いが変わることはない。この決意を違えることはないのだと。
「悔いのない生を。誰かに強いられるのではない、自らの意思で選ぶ生を。――僕の意思で、あなたと共に在ることを」
見開いた薄紫が揺れる。だが、それだって一瞬だ。
噛み締めるように。受け止めるように。伏せられた光の中、映るのは見上げる己の姿。彼に愛された、同じ光が瞬く様で。
「……しかと、聞き届けた」
強く手を握り返される。それからほどかれた片手は頬へ。あてがわれる温もりがエルドの魔力であると理解すれば、身体は歓喜に震える。
「私もお前に誓おう。この先の長い時を、お前と共にあることを。いつか訪れる最期の日まで、お前を……愛し続けることを」
染みこんでいく。刻まれていく。彼の加護が。ずっと求め続けていたものが。
ディアンの意思で欲しかったものが。そして、エルドが焦がれ続けてきたものは、この瞬間に。
「――汝に『選択』の加護が、あらんことを」
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