198.王宮の廊下
ひたり、ひたり。素足は滑らかな廊下を進み続ける。
日の落ちきった城内を照らすのは蝋燭とも月とも違う幻想的な光。それが魔法で照らしているものなのか、それとも妖精たちの光なのか。
残念ながらディアンに判別することはできないし、後ろからついてくる護衛に問うこともできなかった。
ゼニス――否、インビエルノを探すに際し、一番懸念していたのは部屋から出してもらえないことだったが、特に引き止められるでもなく。むしろ自由に歩いていいのだと微笑まれ、拍子抜けしたほどだ。
後ろから付き添う影は二つ。リヴィ隊長ではないが、彼女たちも見覚えのある顔だ。交代で勤務に当たっているのだろう。
こんな夜中に働かせてしまっている罪悪感はあるが、彼女たちも立っているより歩いた方が気が紛れる……かも、しれない。
理由も必要性も分かっているのに、ついてくる足音に慣れない。常に護衛されていたメリアも同じ気持ちだったのか。あるいは、日常過ぎて気にすることもなかったのか。
求めているのはそんな答えではなく、探し人の居場所。彼に会うための唯一の糸口。
きっとゼニスにも反対されるだろう。呆れられ、怒られて。でも、最後には協力してくれるはずだ。
確信はない。ただ、そうであって欲しいという希望。だが、彼だって言っていたではないか。もっと我が儘になるべきだと。
助言通り、自分の欲求を通そうとしているだけだ。相手が違っていても構わない。むしろ、そう強請るように助言したのはゼニス本人だ。
エルドに会わなければならない。会いたいのではない。会う必要があるのだ。
自分が選択するために。この思いを彼に、伝えるために。
……なんて決意を何度固めようと、手段がないことは変わりない。
トゥメラ隊を説得できるとすればゼニスだけ。そして、そのゼニスの行き先を知っているだろう相手は……ディアンを導いてくれる、この柔らかな光のみ。
後を追っていることは気付いているはずなのに、護衛が止める様子はない。分かっていて見逃しているのか、単に散策しているだけと思われているのか。
いや、ただ見守るように命令されているのかもしれない。
会うのを禁じているのはエルドであって、ゼニスは禁止されていなかった。
だから止める理由がないだけかもしれないが……エルドに会いに行こうとしても、彼の協力がなければうまくいかないだろう。
色々考えてもやることは変わらない。耳慣れぬ己の足音は滑らかな床を進み、硬質な音がそれに続く。
違和感があるのは、素足越しに伝わる温度がないからだ。いや、足だけじゃなく体感している温度がこの場にそぐわない。
いくら屋内でも、こんな薄着では肌寒さの一つも覚えるはずだ。ここは山頂付近で、雪が積もっているのだって目視した。
この王宮にその類の魔術がかかっているのか。あるいは、ディアンの身体が『人』から離れようとしているのか。
その答えも……もうすぐ、問うことができるはず。
緊張と疲れ。二つが混ざった息は白くならず、足音に混ざって消えていく。
それにしても、いつまで歩き続ければいいのか。
離されているのは想定していたが、ここまで広いとは思ってもいなかった。
ノースディア城も相当だったが比べ物にならない。単に通い慣れていないのもあるだろうが、それを含めてもだ。
同じような景色がずっと続いている。もう何度角を曲がり、階段の上り下りを繰り返したか。実は同じ所をぐるぐると回り続けているだけなのかと不安になるし、そうでなくても部屋に戻れる自信はない。
その場合は彼女たちが護衛から案内人に変わるだろうが――と、そこまで考えたところであけた場所に入り、聞こえる水の音に足を止める。
両側に設置された、緩やかな曲線を描く階段。吹き抜けとなっている二階部分から滝のように流れる水。勢いはそのまま床の下へ流されているのか、飛沫の音こそ聞こえどその様子は見えず。
魔力を封じられていても、意識すれば妖精が見えたのと同じく、この水に含まれた力も感じ取れる。女王陛下が聖水と称していたものに違いない。
精霊界から直接流れてきているという話だった。つまり、この流れを遡れば源水……もとい精霊界に繋がっている所に着くのだろう。
ここに来た時の記憶を思い返しても、門の周囲にそのような仕掛けはなかったように思う。そもそも通ってきた門自体が、あんな高い場所にはなかった。
となれば、もう一つ門が用意されているのだろうか。そこから直接流されているのなら納得できるが……と、すぐに思考が反れてしまうのはディアンの悪い癖である。
気付けばあんなに近くにいた光は階段の上に。そうして巨大な扉の向こうへと消えてしまい、思わず漏れた声は水音が掻き消してくれたのだろうか。
少なくともディアンの耳には届いたので、護衛たちにも届いてしまっただろう。
覗き込んだ階段の上。謁見の間に備え付けられているのと同じく、重々しい雰囲気の両扉。それぞれを守るように立つ騎士の姿も同じだが、より威圧感を与えられている気がするのは錯覚ではない。
光に反射する七色はオリハルコンの証。下界で見ようものなら目眩がしていただろう。普通の扉一枚……いや、教会の身分証を作るだけでもどれだけの金額がかかることか。
聖国だからこそ為しえた事とはいえ、なんの意味も無くここまではしないだろう。つまり……あの先にこそ、隠したいモノがあるということ。
それは聖水の源泉というだけではなく、最もディアンから遠ざけたい物も含めて。
予想していなかったわけではないが、こうして視認すると困惑してしまう。
一緒にいるのだろう。それは同じように謹慎させられているのか、単に傍にいるだけなのか。後者であったとしても、ここで待ち続けることはできない。
とはいえ、女王にとってはゼニスも同罪。エルドを止めなかったし、エヴァドマの地では肩を持ったも同義。
順調にいくとは思っていなかったが……だからといって、諦めるわけにもいかない。
こうして滝を眺めて時間を稼ぐのもいつまで通用するか。
「気になりますか」
思わず肩が跳ねかけて、なんとか抑える。今見ていたのは滝の行き先であって、その源流ではない。だから、ディアンがなにを考えていたかは……多分、バレていないはず。
「この王宮を流れている水は、あそこから流れているのでしょうか」
「はい。ご覧になりますか?」
「えっ……?」
思わず瞬き、問い返し。だが、笑みは変わらないし、視線が示す先も違わない。階段の上、厳重に守られた扉の先。探している相手がいるはずの部屋へ。
「い……いんで、しょうか」
これ幸いにと、そのまま乗り込むだけの度胸はない。
聞き間違いではないかと耳を疑い、しかし聞き返すこともできず。そんな当たり障りの無い確認をしても、答えた本人どころかもう一人まで微笑ましい表情に。
「この王城内で、貴方様が入ってはならない場所はほとんどございません」
「女王陛下からのお許しもでております」
驚きと、戸惑いと、そして言葉に含まれる否定に落胆も。
ほとんど、ということは例外も存在する。その場所こそ、ディアンが最後に目指さなければならない場所。
そして、今は止められなかった……つまり、この先はハズレということだ。
落胆したのも一瞬。導いていた光が扉の向こうに消えたということは、ゼニスはそこにいるはずだ。
どうやって精霊界からこちら側まで届けているのか、単純に気になるのもある。
水だけとはいえ、世界を超えられる仕組みだ。もうこんな機会、二度と訪れないかもしれない。
好奇心と知識欲に負け、階段を上るごとに感じられる魔力も強くなっていく。それでも止めないのは、見張りだけでなく後ろからついてくる彼女たちも同じ。
恐る恐る触れた扉から伝わる温度はやはり無く、想像以上に軽い感覚に驚いたのも少しだけ。
静かに開いた扉の先から差し込む光の強さに目を細めたのは一瞬。
見開かれた紫に映っていたのは――文字通り、満天の星であった。
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