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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第七章 聖国

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185.加護、抗い、そして

「なにをしているの、早く捕まえてって言ってるのよ!」


 メリアの悲鳴じみた声に兵士が動く。もはや猶予はなく、突きつけられた剣先が半透明の壁に阻まれる。

 障壁を張れたことに安堵する間はなく、その範囲を一気に広げて押しのける。取り囲む輪に乱れが生じ、人が通れる隙間ができたのをディアンは見逃さなかった。


「早く逃げろっ!」

「こ、こっちだよ、早く!」


 店員と目が合い、叫ぶと同時に声がかかる。駆け抜けた影が店内に入るのを目視し、障壁の範囲を一気に縮めたのは意図してのこと。

 ディアンが続くわけにはいかない。逃げる場所などないし、店内などもっての他だ。

 被害はここで留めなければならない。否、そもそも逃げられるなんて考えていない。

 相手はサリアナだ。学園でも随一の魔術の使い手。本気になれば、ディアンなど太刀打ちできない。

 それこそ、こんな障壁など意味を持たない。それでも、兵士を食い止めることはできる。

 障壁の色が濃くなる。違う魔力を感じても、その正体を確かめる必要はない。ゼニスも同じ考えだと、そう理解できれば十分。

 あと少し。あと少しのはずだ。これほどの騒動が伝わっていないはずがない。

 教会との距離がどれほどか分からない。それでも、あと少しのはずなのだ。

 彼が来るまで。エルドが帰ってくるまで、この場をもたせる。なにをされても、なにが起きても、捕まるわけには、

 ――そこまで考えて、心臓が破裂した。


 違う、まだ臓器はそこにある。そこで脈を打っている。そうだと錯覚するほどの痛みに、呻く声すら出せなかったのだ。

 膝が折れ、崩れ落ちる。打ち付けた頭の痛みよりも息ができぬ混乱が勝り、折り曲げた身体に入る空気はない。

 違う、吸っている。吸っているはずなのに、呼吸しているはずなのに、押し潰された胸が痛くて、苦しくて、なにも理解できない。

 藻掻く手足が痺れていく。頭が回らない。漠然とした恐怖が全身を覆い、その感覚すら鈍っていく。

 点滅する視界に見えるのは額を擦りつける地面だけ。

 この感覚をディアンは知っている。だが、これは今までの負荷との比ではない。少しでも気を抜けば意識を手放してしまう。

 突き立てた爪の痛みさえ滲んでしまう。苦しい、苦しいのに息が、できない……!


「ねぇ、ディアン」


 ゼニスが吠える声も、近づくような音も、誰かの悲鳴も、なにもかも。

 全ての音が曖昧で、ぼやけて、聞こえているのにわからなくて。なのに、その声だけは。その懇願する声だけは、忌々しいほどに鮮明に響く。


「あまり長くここにはいられないの。だから……話はゆっくり、帰ってからしましょう?」


 ねぇ、と。我が儘を宥めるような声に、苦しみは胸元から喉へせり上がる。

 無数の手に全身を押さえつけられているようだ。胸も、首も、足も、頭も、手も。ディアンのなにもかもを奪うように。全てを潰してしまうように。

 音が遠ざかり、視界を黒が覆う。嫌だ。嫌だ。……いや、だ、

 違う、違うのに。帰りたいのは、帰る場所は違うのに、どうして、

 動かない。苦しい。痛い。逃げなければ。逃げなければ、いけないのに、

 意識が遠ざかる。嫌だ。戻りたくない。いきたくない。あんな場所で生きたくない。

 こんな別れ方なんて、そんなの――!


 僅かな力を振り絞り、胸を掻いた指に触れる温もりに、息を吐く。

 暗がりに差す光。胸元から溢れる温度。染みこんでいく魔力は柔らかく、優しく。

 世界に色が戻り、見えたのは橙色の光だ。それはディアンの胸元、かけていた首飾りから、惜しみなく広がる。

 戻ったはずの視界が滲んで、ぼやけて。だけど光は消えない。ディアンの手の中、確かにそこに存在している。

 エルド。エルド、エルド。……エルド。

 何度も、何度も。繰り返すごとに力が増していく。

 倒れるわけにはいかない。連れて行かれるわけには、いかない。

 だって、すぐに戻ると言ったじゃないか。ここで待っていろと。

 だから……だから、あの人のところに戻るのだ。絶対に。

 腕が震える。だけど、起き上がれる。立ち上がれずとも前を向ける。

 睨み付けた先、僅かにその青が開いたように見えたのは……見間違いでは、ない。


「っ……ぜに、す」


 負荷魔法の影響は彼にもあるのだろう。障壁はなく、その牙と爪で立ち向かおうとする彼に無事を伝えても気休めだ。

 周囲は囲まれたまま。最たる脅威は、眉を寄せて悲しげな表情でディアンを見つめたまま。


「ディアン」


 困った人だと、仕方のない子だと。そう隠そうともしない不快な声。その対応の差に感じ取る恐怖は、もうディアンの身体を震わせることはない。

 耐えなければ、それこそ呑み込まれてしまう。そう理解していたから。


「お願いだから、これ以上困らせないで」


 だから早くと、手が伸びれば痛みが増す。同時に兵士が詰め寄り、剣先が張り直した障壁に弾かれる――前に、その影がなぎ倒されていった。

 悲鳴は周囲から。倒れた本人たちから呻く声はなく、鎧が擦れ合う音が幾十にも重なりながらディアンの背後へ向かっていく。

 輪は崩れ、状況を理解するよりも先に強烈な冷気に身が縮む。

 振り返った先、できあがったのは巨大な氷の塊だ。

 否、それは文字通り押し流され、積み重なった兵士たちが凍ったものだと気付いたのは、地面ごと固められていたから。

 全身ではなく身体の一部。それでも動きを封じるにはこれで十分だろう。

 ゼニスの障壁がなければ自分たちもあの一員になっていたのか、それとも彼らだけを狙っていたのか。

 ズボンに沁みる冷気と水。それぞれが違う術者であることを、ディアンは視認していた。

 突如現れた水流にて押し流した兵士を氷漬けにしたのはゼニス。

 そして、津波を引き起こしたのは……ディアンの目の前、サリアナの後ろ。まだ手を掲げたままの、男で。


「な、なに、するの、よ!」


 背後から聞こえる甲高く震えた声。よく見れば積み重なる山の端、巻き込まれたらしいメリアの姿はそこに。

 着込んだドレスの容量が減っているのは水を吸ったからだ。それが冷気によって凍っていく姿は、見ているだけでも寒くなる。

 足の一部が固まっているのか、離れたくとも離れられないようだ。

 喚き立てるメリアも、ゆっくりと振り返るサリアナも。この事態を引き起こした本人を見つめる。

 困惑と、怒り。そして……彼が最も恐れる青が対峙する。


「――ペルデ」


 呼ばれた男が。この事態を引き起こした本人の肩が跳ねる。それでも視線は鋭く睨み付けたまま。息は荒く、その恐怖を押し殺すように。

 なぜペルデが自分たちを助けたのか、真意はあくまでも予想でしかない。

 だが、その顔だけでも肯定している。彼は、サリアナの味方ではないことを。


「……なにをしているの。手伝ってくれるっていう約束だったでしょう?」


 それはディアンに対するものよりも冷たく、そしてその行動が理解できないと言わんばかりに淡々としたものだ。

 約束とは名ばかりの脅迫だったのだろう。ペルデをここに同行させるだけの理由。その脅威が去っているようには到底思えない。

 それでも、焦げ茶色の瞳はその強さを増す。まるで怯える獣のように、それでも逃げることなく立ち向かう姿を、ディアンは知らない。

 この一ヶ月で変わったのは、きっと彼だけ。


「遊んでいる時間なんてないの。早くディアンを連れ戻してきて」

「っ……!」


 強かった光が淀み、苦々しい顔がディアン達へ向けられる。そうして踏み出された足は重々しく、ふらつく動きは危ない。

 再び唸るゼニスがこれ以上前に出ないよう静止したのは、その様子が明らかにおかしかったからだ。

 他の兵士たちよりはマシでも、これも彼の意思ではないのだ。サリアナの魔術のせいだと分かった上で、危害を加えるわけにはいかない。

 できるのは防御だけだ。いや、最悪でも気絶でとどめなければ。彼になにかあれば、グラナート司祭が……!


「ゼニス、ダメだ。彼を傷つけては……!」


 唸りは強くなり、手は向けられる。魔力の圧を感じ取り、形成されていく水の球に身構える。

 十数人いた兵士を吹き飛ばすほどの威力だ。ディアンの張れる障壁ではそもそも物理しか防げない。かといって、ゼニスのだって効くかは定かでは。

 

「っ……く、そ……!」


 だが、その球が放たれる様子はなく。反対の手で下ろそうとしてもビクともしない。

 歯を食いしばり、腕に爪を立て、それでも微動にせず。かといって魔力を解放することもできないままでは、いつ暴走してもおかしくはない。

 あの腕ごと凍らせればあるいは……そう考え、ゼニスを呼ぶよりも先に響き渡る悲鳴に目を見開く。

 紫に反射する光は、ペルデの腕だ。勢い良く上がる火の手、蒸発した水が彼の手先を覆い、消されながらも轟々と広がるその炎。


「ぐあああぁっ……!」

「っ、ペルデ!」


 蹲まる彼に駆け寄る力はない。腕を押さえ、呻き、歯を食いしばり。藻掻く姿を、見つめることしか。

 異なる属性の魔術を、二つ同時に繰り出すなど相応な負担だ。それ以前に、己の腕を焼くほどに抗うなんて。

 それほどまでに強い拒絶。そこまでしなければ、抗えないほどの魔法。どちらの意味でも背筋が凍り、震えを誤魔化すことはできない。


「まぁ驚いた」


 本当に驚いているのだろう。だが、やはりその声は変わらぬ調子で。故に、あまりに異常で。言い知れぬ恐怖が、ディアンを絡め取って離してくれない。


「あなたにも、そんなことができるなんて」

「だれ、がっ」


 それは魔術の多重発動か。それとも、己を傷つけてまで抗おうとした行動に対してか。

 投げかけられたペルデが蹲ったまま顔を上げる。その視線はディアンからは見えずとも、強い光を携えていることは間違いなく。


「おまえの、いうことなんか、聞くか……っ、バケモノ……!」

「……はぁ」


 睨まれ、罵声され、それでもサリアナの表情は変わらず。小さな溜め息は、あまりにも軽い。


「最初からこうしておけばよかったわ」


 ふわり、手が上がる。まるでお菓子を選ぶように軽く、ほんの少しの迷いを乗せて。

 ――ディアンが認識できたのは、そこまでだった。

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