177.加護の始まり
「え……?」
突然の問いに困惑し、瞬く。
最初に加護を与えた精霊。……それこそ、この世界に住む者なら誰もが知っている。
「オルフェン王、ですよね……?」
「いや、オルフェン王は生命こそ造ったが、加護自体は与えていない」
否定され、記憶を掘り起こしても答えを聞いた覚えがない。
教会の書籍、学園の授業、グラナートとの会話。どれにも引っ掛からずに眉を寄せる。
最初に加護を与えた精霊。そんな存在が伝わっていないなんてあり得るのか。
もし、その存在自体が知られていないなら。歴史の中から、消えてしまったの、なら。
「……もしかして、前に言っていた三人目の……?」
オルフェン王の分身。今は二人と言われているが、本来はいたかもしれない三人目。
その名も、司っている力さえもわからない、かの精霊ではないのか。
「いいや、同じ分身であるデヴァスだ」
惜しかったなと苦笑され、それから納得する。
オルフェン王の最初の分身、その片割れである炎を司る精霊。確かに彼なら、最初に加護を与えていても不思議ではない。
「最初から、生き物全てが精霊を崇めていたわけではない。むしろ本能的に恐怖を抱く存在が殆どだった。もう一人の分身であるフィアナは例外だったが、それは彼女の魅了に惹かれていたからだろう」
それは、聖国にしかない資料の中から語っているのか。まるで実際に見てきたように語る口調に、浮かぶ可能性を抑えつける。
考えてはいけない。……気づいては、いけない。
「生命の数が増えるにつれて精霊の数も増えたが、そのほとんどは強大な力を使う存在を恐れ、自ら近づくことはなかった。精霊もそれらの存在はそこにあるモノとしか捉えず、大半が積極的に関わろうとはしなかった」
「そう、なんですか……?」
おとぎ話として伝えられる創世記。誰も詳細を知ることがなかったからこそ、曖昧にぼやされ続けた歴史。
嘘だと疑うことすらない。彼が語るのであれば、それは真実のはずなのだから。
「やがて精霊に各々の力が露見するようになれば、余計に生き物は近づかなくなった。その時の精霊は無関心の者がほとんどだった。自分たちの諍いで彼らに危害があろうと、そこに在るものがどうなろうと関係はないと」
「それが、どうして今のように?」
かつてエルドが言ったのは、精霊は人を愛でていると。だから加護を与えているのだと。
この始まりから、どうして今に至ったのか。とても想像ができないと問えば、薄紫が一つ瞬く。
「今でこそ人に馴染みやすいようにと同じ姿を取っているが、当時あれは炎そのものだった。触れれば熱く、痛みは長く。最初こそ物珍しくとも、すぐに離れていく。そんな中で近づいてくる生き物がいれば……きっとデヴァスでなくとも、興味を惹かれただろう」
おもむろに手が広げられ、その中で小さく火が灯る。まさしく、当時のデヴァスはこれと同じ造形だったのだろう。
触れていなくとも温かく、明るく。しかし、触れれば熱く、痛い。そうだとディアンが知っている。
初めて見た記憶なんてそれこそ覚えていないほど遠いのに、当時の生き物の気持ちを想像するのはあまりにも難しい。
「他の生き物と同じように、ソレもすぐに去ると思われていた。不可思議な造形に惹かれ、触れて、痛みを恐れて離れていくはずだと。……だが、そうならなかった」
風に吹かれ、炎の先が揺れる。彼が作り出したものでなければ、あまりの近さに危機を感じただろう。
それはきっと、当時も変わらず。
「ソレに恐怖がなかったわけではないだろう。近付き、触れて、そうして危ないモノとも理解していたはずだ。それでも、ソレは共に在ることを望んだ。……その強すぎる力故、限られたモノしか近づこうとしなかったデヴァスにとって、それは少なからず変化を与えた」
揺れる。火が、炎が。まるでその感情を表すように。その頃を、思い出すかのように。
「ある日、デヴァスは問いかけた。『私の力は全てを照らす光にもなれば、全てを無に還す闇ともなる。決して万能ではなく、己を害する刃にもなるだろう。それでも私を求めるか』と。……そしてソレは、人は力を得ることを選んだ。俺が知っている限り、それが初めの選択だった」
手が傾けられ、落ちてきた炎を咄嗟に両手で受け止める。手のひらに触れる前に止まった明かりから伝わるのは、心地良い温もり。
炎はだんだんと小さくなり、そうして世界は薄暗くなる。もう扉の向こうに見える景色に、赤はない。
「そこで精霊は知ったのだ。求められることを、その力が役に立つことを、そうして感謝されること。加護を与えなければ得られなかったその喜びを。選び、選ばれ、受け入れられる幸せを」
広げたままの手に、エルドの手が重なる。炎よりも熱く、優しく、力強く。
「自分の存在を肯定されたデヴァスを見て、他の精霊も羨ましがった。彼を皮切りに精霊たちは加護を与えるようになり……そして、か弱き存在が自分たちの力によって守られ、感謝されるうちに自己満足の行為はいつしか人間への愛護心へと変わっていった。これが、本来の加護の始まりだ」
教会ができるよりも、この世界が分かたれるよりも、ずっとずっと前。遙か昔から、その歴史は始まっていたのだと。
その形が、今とはどれだけ違っていても。その根本は変わることは、ないのだと。
「確かに、今は同意もなく与えているし、その加護が人の為になるとは限らない。だが、人は精霊を求め、精霊もまた人を求める。いまや精霊にとって、加護を与えるというのは存在意義にも近くなってしまった。自分を求める人間がいる限り、自分の存在は肯定される。……だからこそ、人を伴侶に迎えたがる精霊は多い」
精霊は自分の存在を留めるために加護を与え、その力の対価として信仰させる。信仰を失った精霊の行く末は死であると聞いていた。
それをディアンは、言葉通りの死であると認識していた。
そうではなくとも、それは今の精霊にとっては死にも近いのだろう。
誰にも認識されず、感謝されず。ただ、そこに在るだけ。
……それは、精霊でなくとも、人もきっと同じ。
「ディアン。もし赤子に火を使わせたとして、それで火事になった場合。悪いのは火か?」
「……いえ」
「では赤子か?」
「……いいえ」
雑な例えだと、いつものように笑う気はおきなかった。だから、分かりやすくていいだろうとエルドが笑うこともなく。真剣な光はまだそこに。
「確かに加護というのは、本来人の身には過ぎた力かもしれない。だからこそ苦しむ者も苦しめられる者もいる。……だが、それが悪ではない。全ては使い方次第だ」
道具がそうであるように、加護もそうだと。人と精霊の繋がりがある限りその関係は続くのだと、薄紫はディアンを見つめる。
「万能なんてこの世にはない。利点があれば欠点もある。力に溺れる者もいれば、克服する者も。……そして、加護などなくても生きていける者だっている」
今までのお前のようにと、薄く笑う男の瞳に混ざるのは、一抹の寂しさか。
「それ、は、」
「否定することも、その力に疑念を抱くことも間違っていない。巨大な力が害を成すことを恐れるのだって咎められることではない。だが、全ての人間が喜んでいないのと同じく、全ての人間が苦しんできたわけではない。人々は悩み、考え、そうして選択していく。これまでも……そして、これからも」
そうであると。そうでなければならないと、見守り続けた男が言う。この世界を、人を、そしてディアンを見守り続けたエルドが、告げる。
「人はそこまで弱くない。……そうだと、俺は信じている」
「エル……」
「ディアン」
握る手が、震える。震えている。一度伏せられた瞳の中、あの強い光はもうない。
縋るように、求めるように、怯えるように。見下ろす薄紫から、目を逸らすこともできず。
「もし、あの誓いが変わっていないのなら。あの洗礼から変わりないのなら……もう一度だけ、言ってくれないか」
照らすたき火もない。周囲を遮る岩壁もない。あの時の強烈な光も、吹き付ける風もない。
それでも変わらないのは、見下ろす薄紫と、己の内に抱いた誓い。
「……悔いのない、生を。誰かに強いられるのではなく、自らの意思で選ぶ生を、全うすること」
「――ああ」
離れた手が、背中に回される。抱き寄せられ、包まれ、沁みる冷たさに吐いた息は深く。……深く。
「それでいい。……それで、十分だ」
それだけで満たされたと。それだけで、もう悔いはないと。
顔が見えずとも、心が読めずとも、ディアンは気付いてしまう。これこそが、エルドの欲しかったものなのだと。
「っ……エルド」
「悪い。……暫く、こうさせてくれ」
締め付ける圧が増し、肺が潰される。微かな苦しさに抵抗できないのは、力が強かったからではなく。この温もりを、この感覚を刻みつけているように感じたからだ。
忘れないように。忘れられないように。なにがおきても、後悔しないように。
だから、ディアンはもう何も言わず、言えず。震える身体を抱きしめ返して、目元を強く押しつける。
今はそれで十分だった。……十分だと、思ってしまったのだ。
たとえその誓いの言葉が足りずとも。あなたと一緒にいたいと、くわえることができずとも、もはや言葉はなく。
船は静かに、なににも遮られることなく聖国へ向かっていった。
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次回、番外編を挟んでから新章となります。





