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16.秘め事

 光が散れば、消えるのはかつての記憶だ。

 幼い顔つき。紡がれる可愛らしい願い。一生懸命ディアンを見つめる大きな瞳。その全てが消えても、鼓膜を揺らす幻聴までは消えてはくれない。


「……は、?」


 その疑問は、音になったのだろうか。いや、なっていなくとも聞き返すなど失礼だ。

 確かにこの耳に届いていたのに。だからこそ、聞き間違いかと思っているのに。

 それがたとえどんな小さな音だったとしても、たとえ姫の耳にまで届いていなかったとしても。

 誰も、ディアンのことなど気にかけていなくたって。


「本当は卒業の日に伝えるつもりだったんだけど、あなたがあまりにも自信を無くしているから……あっ、お父様には内緒にしてね! 先に教えたなんて知られたら、お父様の楽しみがなくなってしまうわ」


 うまく取り繕ってねと、笑う姫の言葉をやはり理解できない。

 聞こえている。それが間違っていないことだって、今証明された。それでも、何一つわからない。わかるはずがない。

 考えようとする度に頭が拒否している。いっそ聞き間違いであれと、嘘であってくれと、縋りたくなる手を握り締め、なんとか思考を振り絞る。

 騎士団に、入る。……誰が? そんな簡単な答えさえ、今のディアンには導き出せない。

 今の流れでは一人しか。自分しか、いないのに。


「は、はは……姫様も、そんな冗談を仰るとは」


 喉は渇き、笑いは引き攣る。冗談ならなんと質の悪い。言っていいことと悪い事がある。

 だが、それも彼女なら許される。王女であるサリアナなら。本当に、冗談なら。


「信じられない? でも本当なのよ」


 期待した言葉は出てこない。冗談だと、嘘だと、信じたのと。そう馬鹿にされた方がどれだけよかったか。どれだけ、救われたか。

 強張る手に絡む指が気持ち悪い。滲む汗を拭うこともできず、顔を覆うことだって許されない。


「もう騎士団長には話を通しているわ。もちろん、彼らも知っていることよ」


 彼ら、と言われた背後を見る。二人を見守っていた騎士、その両名の表情は強張り、僅かに視線が揺れる。


「……姫様の仰るとおりです」


 新顔と、見慣れた顔と。固い声で答えたのは後者だった。ひどい顔だが、ディアンの表情には劣る。

 頻度は少なくとも、長年の付き合いだ。彼がこんな冗談に乗ることは考えられない。

 言わされている可能性はその一連で散り、頭の中がぐるり、渦巻く。

 当然だが、騎士というのはなりたいと思ってなれるものではない。

 その門は狭く、そして厳しいものだ。試験に合格し、更に見習いとしての期間を得て、ようやく一人前と言われるようになる。

 その先に振り分けられる所属も様々で、護衛を任せられるのはその中でも精鋭と呼ばれる部隊になる。ディアンが目指さなければならないのも、もちろんそこだ。

 受験資格は十八歳を超えた者。そして、入団が許されるのはほんの一握りの優秀な人間。

 剣術だけでも、魔術だけでも、知力だけでもならない。その全てを兼ね備えた者こそが、栄誉ある騎士団に入ることを許されているのだ。

 例外として、実績がある者。学園での上位者であれば成人前に試験を受けられるし、合格すれば卒業を待たずに入団も可能だ。

 ……だが、ディアンはそうではない。そうではないからこそ、この状況がわからない。


「ですが、試験も受けぬままでは周囲が納得しません。それに、いくら陛下がそう仰っても、父が認めません」


 なんとか並べた言葉は、本当に意味のあるものであったのか。途切れ途切れで、息も苦しい。だが、そう、誰も納得しない。納得、するはずがない。

 どんな貴族であろうと、試験の免除など聞いたこともない。それも落ちこぼれの、役立たずの平民がなんて!

 なぜ陛下がそう決断されたか、愚かな自分ではその思考を察することなどできない。だが、そんな不誠実な方法をあの父が許すはずがない。

 あくまでもディアンの……ディアン自身の力で試験に合格し、そうして実力によってサリアナを守る義務を得る。

 それが父から望まれた自分の姿だ。それ以外に許されていない、自分の未来なのだ。

 なぜこんな話になっているかは分からない。それでも、進言しなければならない。撤回を。正々堂々と、騎士団への入団資格を問うてほしいと。


「大丈夫よ、ディアン」


 本当なら今すぐにでも駆け出し、そうお伝えしたい。それなのに、目の前の少女は微笑んだまま、根拠もなく大丈夫だと囁く。

 握られる手が、頭の中が、なにもかもが気持ち悪い。口元を覆わずにいられたのは、そんな姿を見せてはいけないという意地から。


「このことはギルド長もご存知なの」


 だから大丈夫だと。なにも心配はいらないのだと。笑う顔が歪む。

 直視できぬそれから目を外せなかったのは、伝えられた言葉が今度こそ理解できなかったからで。


「……ちち、が……?」

「ええ、そうよ。ヴァンとも話をして決まったことなの。誰にも文句は言わせないし、ディアンが気にすることなんて一つもないの」


 歪む。歪む。歪んでいる。

 ぐるぐると回る景色に、どうして立っていられるかが不思議なほど。揺れているのは自分か、視界だけなのか。

 父が、知っている。あの父が、ヴァンが、それを認めた。認めたうえで、話が、進んでいる。

 首を振ろうと言われた言葉は変わらない。どれだけ否定したくとも、その言葉はディアンの中を埋め尽くしている。

 あの父が。不正を嫌い、誠実を求めるあの父が。こんな入団を……許す?

 なにかが違う。なにかが、おかしい。それでも、その正体などディアンにはわからない。わかるはずがない。

 認められない。そんなの誰が、誰が認めるという?


「……いいえ、いいえ認められません、そんな……他の者の反感を買います。試合にも勝てず、魔術だってろくに扱えない。座学だって誰よりも劣っている者が、騎士になるなど……!」

「でも、お父様もヴァンも認めたわ。騎士足り得る人物だって、今までの努力が認められたのよ!」


 振り絞る声は、それ以上の激励で掻き消されていく。違う、違う。そんなこと、あってはならない。許されてはいけない。こんな形でなんて望んでいない!


「さすがにすぐ本隊には入れないけれど、でも見習い期間が終わればすぐに私付きの騎士に――」


 姫が何かを喋られている。だが、もうなにも頭に入らない。聞かなければならないのに、聞いて、理解して、そうして知らなければならない。なぜ、どうして、こんなことになっているのか。

 なぜ、こんな話に? いつから……どうして?

 なんの功績も残していない。なんの成果もない。優秀であるどころかなにより劣って、それなのに……どうして!

 喜びなどない。これは戸惑いだ。そして、怒りだ。抱き続けた理想の打ち砕かれる絶望だ。

 騎士とはそうあるべきだ。そうあるべきだと教わってきた。

 誠実であり、厳格であり、なにものにも揺るがぬ強さを、誇りを。そうして、ようやく頂ける名誉であるのだと。

 どれでもない愚か者が、そのどれでもない自分が。今の自分が入るなどどうして、納得できるというのか!


「じゃあ、私からの少し早いお祝いと思って? それなら、あなただって受け入れられるでしょう?」


 声に出ていたのか。それとも、出さずとも目が全てを語っていたのか。

 どちらでも関係ない。こんなこと、受け入れられるわけがない。


「おい、わい……?」


 それでも、混乱よりも僅かに、疑問が勝る。

 なんの祝いだ。なにかに優勝したわけでも、祝日であるわけでもない。一体なにを祝うというのか。


「あら、ディアンったら忘れているの?」


 混乱したままのディアンを、やはり姫は柔らかく微笑んだまま見つめる。クスクスと笑う声は、美しいのに煩わしいほど頭の中で響く。


「明後日にはあなたが――あら?」


 答えが、疑問によって消える。視線はディアンから横へ、その背後へ。

 何事かと思った途端、耳に届いたのは足音だ。一人や二人ではなく、複数人。少なくとも五人はいるだろう。

 振り返った先、遠くに見える通路に色とりどりの花。それよりも賑やかな色彩を放つ、見慣れた者たち。

 先に茶会を始めていたはずの三人。笑顔で歩き続けるラインハルトとメリアに対し、後ろに付き従うペルデと召使いたちの表情は硬い。双方の表情の差に、滲む不安は気のせいなのか。


「お兄様たちだわ。一体どうしたのかしら……」


 言うや否や、駆け寄るのはサリアナも気になったからだろう。ようやく解放された手首はやけに冷たく、自由になったとしても向かう場所は同じく彼らの元。


「お兄様、どうしたのですか?」

「……ああ、ここにいたのかサリアナ」


 近づけば、よりその異様さが際立つ。殿下に腕を組んでいる妹よりも、自分たちに気付いたペルデの怯えようの方に意識を取られるぐらいだ。

 見られてはいけない場面を見られたと、その顔が全てを語っている。


「先にお茶をしていたんじゃ? どこに行くの?」

「そ……それ、は……」

「そうだ、サリアナも一緒に行きましょ!」


 答えようとする声まで震え、哀れみさえ感じてくる。そんなにも恐れることとはなんなのか。

 言葉にならない不安が膨れ上がっていく。どうかこの予感が外れていてほしいと、願うと同時に響くのはメリアの喜々とした提案。


「行くって、どこに……」


 尤もたる疑問に、メリアの笑みが曇ることはない。花が咲いたような微笑みのまま、まるで太陽のように明るい声で彼女が告げる。


「今から門を見に行くのよ!」

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