174.未だ止まず★
外は苛烈さを増していた。
大粒の雨はその身に穴を開けると思うほどに強く、風は身を切り裂かんばかり。頭上で鳴り響く雷もいつ落ちてくるかわかったものではない。
そんな音の中、聞こえるはずのない寝息は男のすぐそばから。姿が変わろうとも聴覚までは劣らず、その青年が安らかに眠っていることを知る。
いつ起きてもいいようにと目元を隠していたし、実際に姿は見られていない。だが、結局は無意味だったと苦笑するのも何度目か。
今の状況で知り合いと名乗るのは無理があったが、それが無くともディアンは気付いていたはずだ。
警戒されるよりはいいと、見つめる寝顔が光に照らされる。
今のは随分と近かった。障壁を張っていなければ直撃していたかもしれない。
この様子ではまだ暫くかかるだろう。船全体はエルドが、より強固にするために室内をゼニスがそれぞれ障壁を展開させてもこの影響力。
誤って扉を開ければ、それこそ命の保証はできない。いや、それ以前にとっくに転覆しているだろう。
障壁の維持自体は何も問題ないが、だからといってこの状況が長引くことは望んでいない。
最低限の被害とはいえ、ただの人間に影響がないわけではない。実際、避難させた船員たちも魔力の影響を受けているせいで顔色が悪い。既に倒れている者の姿も散見される。
少しでも気力が残っていれば、突然現れた見覚えのない男に言及していただろう。白い髪に、蒼の瞳。それでも、あの獣と同一とは思わないのだから。
とはいえ、この障壁は彼らを守るためというよりも、この青年を守るために展開している。
多少マシになったとはいえ、その身を苛む疾患はまだ根強く残っているのだ。他の精霊の魔力に脅かされれば、多少影響は受けるもの。
しかし、そうするだけなら人に擬態する必要などなかったし、魔術を使うのに姿形はそもそも関係ない。
それなのになぜ、ゼニスがこの姿でいるかといえば……それこそ、エルドのせいである。
あいつと話をつけてくるから、この姿になってディアンのそばにいろ。なんて言われて、呆れるなという方が無理だ。
反論もできぬまま早々に出て行かれ仕方なく従ってはいるが、あれで認めていないというのだから本当にどうしようもない。
とはいえ気持ちも理解できる。すでにディアンは、人と呼べないほどに影響を受けているのだ。
恐らくは本人も自覚しているだろう。その意思がなくとも他者を惹き付けてしまうことを。あの時の兵士の様子がおかしくなったもの、そのせいなのだと。
本来なら、最初の洗礼で愛し子と認定された後、その制御の方法を教わる。
何年もかけて訓練し、抑えつけ、そうして人としてまともな生を送れるようになるのだ。
そこまで影響を与えるほどの愛し子は少なくとも、可能性がある者は受けている。彼の妹だけが唯一の例外としても、本来ならばそうして生きていくはずなのだ。
それを、今まで加護を与えられていなかった青年に、いきなり抑えろというのは無理は話。
本人にその自覚がないのだから、気付いたとしても抑止できるかといえば別の話だ。
とはいえ、ディアンは優秀だ。方法さえ学べばすぐに習得してしまうだろう。
だが、それを教える訳にはまだいかない。彼がそうと知れるのは、それこそ……全てがエルドの口により明かされる時になるだろう。
それまでできることは、人に近づかせないこと。そして、彼の顔を見せないことだ。
話さず、顔を晒さず。聖地を経由し、オルレーヌへと向かう。まさしく、かつての巡礼と同じ。
これでは『海』が怒るのも無理はない。否、今頃女王陛下もお怒りのことだろう。
無関係な人間を巻き込み、タラサが怒ると理解しながら海を渡るなどあり得ない。事態が落ち着くまで身を潜め、門を通るべきだったと。
悪手であることはゼニスだって分かっていた。
あの時点で教会に入れないとしても、こうして危険を冒すよりも待っていた方が良かったことなど、言われずとも分かっている。
だが、こうでもしなければ……そう、同じ精霊と話でもしなければ、あの愚かな男は自覚しないだろう。そして、それはディアンに対しても言える。
あの頑固者が、なぜここまで認めようとしないのか。なぜそこまでして、ディアンから離れようとするのか。
その理由も、信念も、ゼニスは理解している。それでも、納得するかは別の話。
そうであると貫くのは構わない。
精霊と人の契り、その結末を何度も見てきた。その苦痛も、悲しみも、嘆きも。彼はずっと見届けてきていた。
幸せになった者も確かにいる。それでも、それは人の道から外れているのだ。
だからこそ契りを交わさないと誓い、人を見守り続けてきた。その信念を変えるほどの相手に出会い、ここまでの寵愛を与え……それでも、離れようとする。
本当に不器用な男だ。だが、それはディアンも同じだろう。
我慢することばかり強いられ、認められず。頭が回る分、先に理解して口を噤んでしまう。甘えることが苦手で、口にすることだって滅多にない。
人間で言えばもう成人。だが、エルドにとってもゼニスにとっても、まだ子どもと変わらない。
幼い頃からそう育てられてきたのだから仕方ないことだ。そして、その一端がエルドにあるとしても……やはり、似た者同士と言える。
だからこそ惹かれてしまったのかと、彼らの出会いを思い返す。
幾度も切っ掛けはあった。そしてこれが、あの愚かな男に気付かせる最後の機会だ。
目を逸らそうと答えは既に出ている。あとは、それを認めるだけなのだと。
いいや、きっとあの男はこれでも変わらない。最後までディアンに選択を委ねるのだ。
人としての道を選ぶことを。彼自身の意思で。
その結果、あの男は納得するのか。それとも、本当に後悔するのか。それこそ、その瞬間が来るまで分かることはないだろう。
ゼニスが何を言おうとあの男は変わらない。
……だが。
『一緒にいても、いいのでしょうか』
哀れな程に震えた声を。望んではいけないと、そう言い聞かせる子どもの精一杯の願いを思い出す。
もし、それをあの男に伝えたなら。その口で望むことができたのなら。きっと望む答えは得られるのだろう。
聖国に着き、女王との謁見を終え、そうして全てが明らかになっても。まだディアンがそう望むのであれば、きっと。
だが、ゼニスがそれを伝えるわけにはいかない。
誰にも邪魔されずに選択させる。その信念を裏切れるほど、ゼニスも薄情ではない。
彼にできるのは見守ることだけだ。彼と、そしてこの青年の最後を。彼らが、なにを選び、どの結末へ辿るのかを。
……だが、あれぐらいの助言なら許されるだろう。
精獣に愛し子という概念はない。それでも、気に入った相手に肩入れぐらいはする。
彼らにとっても一ヶ月は瞬きのような時間でも、共に過ごした相手に絆されるのには十分な期間なのだから。
濡れた目元を拭っても寝息が乱れることはなく、されど強まる風が音を掻き消す。
……嵐はまだ、終わりそうもなかった。
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