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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第六章 聖国までの数日

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173.知り合い

 ――雨が降っている。

 微睡みから引き上げられる中、真っ先に感じたのは轟々と打ち付ける音の凄まじさ。

  壁越しに聞こえる風も、天を裂くような雷の音も、とても尋常なものではない。

 もし扉に目を向けていたなら、その僅かな隙間から強烈な光が差し込み、一秒も経たぬうちに轟音が響いていることも理解しただろう。

 だが、目を覚ましたディアンに視認できたものは……なにもなかった。

 文字通り、なにも。輪郭すら浮かばず、まるで光が閉ざされているかのよう。

 夜まで眠ってしまっていたのかと、そう考えた矢先に再び落雷しても光はなく。本当に見えていないのだと気付いたのは何秒後のことか。

 そんな状況のせいで自分がなぜ眠っていたかを思い出すのにも時間がかかり、ゆっくりと記憶を辿っていく。

 船に乗り込み、嵐が来て……エルドが、行ってしまった。

 外から聞こえる音からして嵐は去っていない。まだ海の精霊の怒りが収まっていないのだ。

 風も雷も、雨だって凄いのに、船の揺れを全く感じていない。

 倒れる前でも多少感じていたのに、乗っている間に身体が慣れてしまうことがあるのか。

 考えても答えは出ず、吐いた息は重い。

 ……だが、あんなに感じていた圧迫感は消えている。

 倦怠感こそ強いが、吐き気もないし気持ち悪さもない。これも眠っていたからかと切り上げようとした思考は、目元に感じる温もりによって引き戻される。

 そう、温度だ。自分のものではない、他者から与えられるもの。

 見えていないのは目元を覆われているせいだと気付き……だが、違和感に眉が寄る。


 触れているのはエルドのはずだ。それ以外の相手ならゼニスが威嚇するはずだし、そもそも近寄らせようとはしないだろう。

 柔らかく、優しい感覚。馴染み深く……だけど、違う。

 なにがと言われても言葉にできず、それでも漠然とした違和感を与えられている。

 知っているはずなのに知らない。安心できるはずなのに、落ち着かない。

 矛盾する感覚に戸惑い、瞬いてもやはり見えるものはなく。吸い込んだ空気に感じ取れる匂いもない。

 だが、ゼニスがいるのだからエルドのはずだと。そう心を落ち着かせようとして――頭部に感じていた柔らかさが、彼ではないことに気付いてしまう。

 起き上がろうとしても無意味に力んだだけで、手を払い除けることもできず。

 いや、そもそも焦ったのは一瞬だけだ。僅かに跳ねた身体は弛緩し、そうして与えられる温度を受け入れる。

 温かい。……だが、この温もりは皮膚ではない。

 確かに手は触れているが、体温としてはディアンの方が高いまである。

 だから、温かいと感じているのは……馴染み深いと感じているのは、与えられているのが体温だけではないから。

 手のひらから目元へ。そうして身体中に染みこんでいくこれは魔力だ。治癒魔法に似ていて、だけど違うもの。

 そう、きっとこれは……いや、これがお裾分けなのだろう。

 他人の魔力には馴染まないはずなのに、干渉されても気持ちが悪くなるどころか、受け入れるごとに落ち着いてくる。

 そう、知っている。この感覚を、この魔力をディアンは、知っている。


「……ゼニス?」


 掠れた声を雨音が掻き消す。彼は獣だ。だから、人間の手でないのは分かっている。

 だが、エルドでないなら彼以外には考えられない。

 裏付けるように指が食い込む。ほんの僅かな圧はすぐに薄れ、数拍と置かずに落ちてきたのは小さな息。


「彼はここにはいません」


 ――聞こえてきた声は明らかに人のもの。だが、戸惑いよりも安堵が勝ったのは、その低音があまりにも心地良く響いたからだ。

 鼓膜から胸の奥に染みこんでいくような……たとえるなら、乾いた大地に与えられた雨のような。

 外の荒々しいものではない。もっとゆっくりと、落ち着いたもの。

 ああ、そうだ。雨ではなくこれは……雪だ。


「すこし……所用で離れています」


 あからさまに嘘だと分かる言葉でも警戒心を抱けないのは、そうであると気付いているから。

 確信めいた予感は、この目を解放されれば証明されるだろう。白い髪と、蒼い瞳が脳裏によぎる。そこに含まれた感情は、きっといつもと同じ。

 なぜこうなっているのか戸惑いはある。でも、それだけだ。

 獣の姿であろうと、人の姿であろうと。彼がゼニスであれば、これはいつも通りの光景だ。

 エルドが帰ってくるまで待っているだけ。ただ、それだけのこと。


「……エルドは」

「彼もまだしばらくかかります。……嵐が落ち着いている間に休んだほうがいい」


 言い切るなり、雷の音が響き渡る。落ち着いているというには随分と賑やかだ。

 彼も言っていて苦しいと思ったのか、吐く息にどこか躊躇いが混ざる。きっとその眉は寄せられているのだろう。

 雨は激しく、風の音は強く。だが、やはり船自体は穏やかそのものだ。

 揺れを感じていないのではなく、そもそも揺れていないのか。これもエルドの力のおかげなのかと、考えてもやはり答えは出ず。


「あなた、は」

「私は……ただの知り合いです」


 それ以上でもそれ以下でもないと、濁す言葉にはやはり無理しかなく。思わず笑ったのは、本当にディアンだけだったのか。

 身体のことを考えれば、彼の言う通り眠ったほうがいいのだろう。次に目を覚ましたときこそ、エルドが戻っているかもしれない。

 その時にはもういつもの姿に戻っているのだろう。そして、こうして会話することも叶わなくなる。

 そうと分かって眠りにつくのは……少しだけ、勿体ない気がする。


「……あの人と海の精霊には、なにか繋がりが?」


 眠りに落ちる前。エルドは確かに『あいつ』と称した。個人として知っていなければ、そうは呼ばないだろう。

 彼であれば知り合いであってもおかしくない。むしろ、そうでなければ今の状況に説明がつけられないのだ。

 ただの関係なら。ただの、知り合いであるのなら。


「それは私の口から話せることではありません。……そういう約束ですから」


 落胆しないのは、ディアンも聞けるとは思っていなかったからだ。

 だが、その拒絶こそが予想を裏付けている。

 帰ってきて聞けるかはわからない。知ったところでなにかが変わるわけでもないし、この状況の打開にはならない。

 ……それでも、エルドの抱えているなにかに触れることは、できるはず。


「ゼニスも、こうなると……わかっていたと、思いますか」


 彼の知り合いとして問いかければ、少しだけ笑った気配がエルドの影と重なる。

 長年一緒にいると笑い方も似るのだろうか。……でも、やっぱり少し違う。


「周囲に影響を与えることに目を瞑れば、いつかは聖国に向かえたでしょう。それでも数日かかったでしょうが……こうなると分かった上で、あえて船へ誘導したのには正気を疑います」


 遠回しな問いかけに対するのは、やはり遠回しな回答だ。

 分かっていたし、こうなるよりも待っていた方がマシだと知った上で、あのベールを取り出させたということだろう。

 待っていればまた襲われたかもしれないし、最悪……ないとは思うが、王都から誰かしら来た可能性もある。

 戻るつもりはなくとも対峙できるかと言われれば、事前に分かっていたってどうなるか分からない。

 それでも、ここで命の危険に晒されるよりはマシだ。ディアンだって分かっていたなら何日でも待っただろう。

 ならば、なぜ。ゼニスはそうと分かって提示したのか。


「……これを言うと誰かに怒られそうですが、悔いなく生きるというのは、一人では難しいことです」


 瞬いた目に映る景色はない。故に、映っているのはかつての記憶だ。

 一ヶ月前。あの夜、あの洞窟でエルドに告げた洗礼。騎士を諦め、あの家を出ると決めた自分の新たな誓い。


「どれだけそう心がけても、道を誤っていると自力で気付くのは稀なこと。忠告する者がいても、聞く耳を持たなければ同じことですが」

「……後悔している?」


 この船に乗るという選択を取らせたことかと問いかければ、見えていないのに首を振る姿が映る。その否定に混ざるのは、己に向けてのものではない。


「最もらしい理由をつけてますが、このまま行けばいずれは。そうなると分かっているのに見過ごせるほど、ゼニスも薄情ではありませんから」


 指しているのが自分ではなく、エルドであると。そう理解した途端に鼓動が強まり、息が止まりそうになる。

 あのまま聖国に向かえば彼が後悔する。だから、この船に乗らせようとした。

 その繋がりはわからなくても、それがエルドを思っての行為であることには違いない。


「とはいえ、馬鹿になにを言っても通用しませんがね」

「……ばか」

「頑固者とも意気地無しとも言えますけど」


 思わず復唱してしまえば、フォローどころか追い打ちがかかってくる。容赦ない言い様には親しみも含まれていて、いつものやり取りが容易に思い出される。

 ディアンの耳には吠える声にしか聞こえないそれも、本当はこんな感じだったのだろう。


「ディアン」


 そうして、普段は見上げるだけの瞳はなく。与えられるのは、自分の名を呼ぶ声。


「私ができることも、あなたに伝えられることも限られている。そのうえで言えることは……あなたはもう少し、我が儘になるべきだ」


 囁かれる言葉は、まるで出来の悪い子どもに対するものだ。だが、そこに嫌味や嘲笑はなく、あるのは優しさと仕方ないと諦めるような柔らかさ。


「わがまま、って」


 繰り返してしまうのは、どうしてもその助言が受け入れがたいからだ。

 もう十分、自分は願いを叶えてもらった。本来ならエヴァドマで終わるはずだった旅をここまで引き延ばし、彼との関係も変わることなく。

 戦えず、ろくに戦えない自分をここまで連れてきてくれた。その時が来るまで『中立者』ではなくエルドとして接していいのだとも。

 これ以上なんて望めない。これ以上は……望んでは、いけない。

 満足だ。満足しなければ。だって、どれだけ願っても、それは得られない。


「……迷惑に、なってしまう」


 彼に負担を強いたくないなんて最もらしい理由で誤魔化しても、本当は自分が傷つきたくないだけだ。

 こんなこと、彼には言えない。言えるはずがない。だって、伝えたところで……辛いのは、自分なのだから。

 そうならないと分かっている。そうならないと、知っている。どれだけ願ったって、その時が来ることを。ディアンは分かっているのだから。


「あなたの欠点は、聞き分けが良すぎるところでしょうね」


 呆れるような声に侮蔑はなく、それこそ幼子に対するものと同じ。いや、彼らにすれば自分など赤子も同然だろう。

 否定すれば声が震えてしまうと噤み、それでも受け入れることはできず。


「一緒に過ごせるのもそうですが、甘えられるのだって今のうちですよ」

「ですが……」

「悔いなく生きるのでしょう?」


 心臓が指先で叩かれたようにトクリと跳ねる。吸い込んだ空気の冷たさに息を呑んで、やはり、否定は出ず。

 望めない。望んではいけない。……だけど、


「ぼく、は、」

「まだ嵐も続きます。……聖国まで長いですから、今のうちに休んで」


 触れたままの手が、また温かくなっていく。流し込まれる魔力に微睡みを覚えても、突き刺さった言葉に意識を手放しきれない。


「ゼニス」


 彼はただの知り合い。返事などないと分かって、それでも聞きたかった。聞かずにはいられなかった。


「僕は……あの人と一緒にいたいと望んでも、許されるのでしょうか」


 そんなどうしようもない願いを。叶うわけのない望みを。口にしても、困らせるだけと分かっているそれを。

 本当は……本当は、離れたくはないのだと。そんな、我が儘を。


「……それを言う相手は、私ではないでしょう?」


 本当にどうしようもない子だと、ディアンに落ちる吐息は柔らかく、優しく。

 おやすみと、呟かれた声に意識が落ちていくのを止めるものは、もうなにもなかった。

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