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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第六章 聖国までの数日

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171.出港

 呻きは制止の声によって掻き消され、圧迫される腕の痛みから逃れることはできず。布越しに合わせた瞳に息を呑む。

 ギラギラと異様な光を放つ双眸。瞳孔さえも開き、真っ直ぐにこちらを凝視するそれは、船の中で襲いかかってきたあの男と同じ。


「そこの男はいい。だがお前は残れ」

「おい、なにを言ってる!」


 同僚が剥がそうとしても腕は微塵も動かず、強まる指は腕に食い込む勢いだ。軋んだのは肉か、骨か。痛みのあまりに声すら出ず、抵抗もままならない。


「魔術でなくても偽る方法はある! これは命令だ、逆らえば反逆罪で――!」


 正気を疑う声さえ煩わしいと張り上げる声はやかましく、腕は今にも折れると錯覚するほど。


「っ、やめ……!」

「――ぎゃああっ!」


 拒絶は、再び男によって遮られる。だが、それは意味のある言葉ではなかった。

 男の手が逆に掴まれていると気付いたのは、自分が痛みから解放された後のこと。

 だが、それは同僚でも、加勢しようとした魔術師でもなく……ディアンの背後にいる人物の手によって。

 途端、辺りが薄暗くなる。否、それは後ろから差す光があまりにも眩しすぎた故の錯覚だ。

 そこに光源がないことを知っている。それなのに網膜の奥がチカチカと点滅し、鈍い痛みすら感じている。

 汗が流れるのは緊張ではなく恐怖からだ。

 見てはならないもの、感じてはいけないもの。それなのに逃げられないことに対する、どうしようもない逃走欲求は満たされずに息さえままならない。

 響くのはディアンの網膜が焦げる音ではなく、男の腕から。

 その骨が軋み、ひび割れ、そうして折られようとする断末魔。それは決して幻聴ではなく、確かにディアンの耳に届いている。

 このままでは折れてしまう。否、折れるだけですむなんて、どうして断言できる?

 だって、これはあの時と同じだ。乗り上げ、殴り続け、そうしてトドメを刺そうとした時と同じで――!


「――エルド」


 止めなければと、思った瞬間には漏れていた。

 声を出さないよう言われたのにと、後悔よりも込み上げるのはどうやったら彼が止めてくれるかの葛藤だけ。

 指は、未だ男を掴むその手の上に。よせた顔は耳元へ。

 彼にだけ聞こえるように。だけど、万が一聞こえてしまってもいいように、ディアンの出せる一番高い声で、囁くように。


『わたしは、だいじょうぶ』


 震え、絞り出したその声がいかに甘い響きを携えていたか。知るのは肩を引き寄せられたエルドただ一人だけ。


『だいじょうぶだから』


 繰り返し、ゆっくりと。言い聞かせるように、何度でも。

 彼の手を汚す必要などどこにもないのだと、ここまでする必要はないのだと。

 理解してもらえるように、聞き入れてもらえるように注がれる声が、強く抱きしめられたことで途切れてしまう。


「っ、エル……」

『お前は――!』


 理解できたのは最初だけ。後に続く言葉は同じ古代語でも訛りが強すぎて聞き取れず、目を瞬かせるしかできない。

 まるで閉じ込めるように強く抱かれ、痛みよりも衝動に襲われる。

 慟哭のような響きを頭の中で繰り返そうと、やはり意味は理解できず。そうしている間にエルドが我に返ったのか、身体は離れても手は繋いだまま。


「……もういいな」


 冷たく突き刺さる薄紫が脳裏に浮かび、それが想像でないことを彼らの表情で確信する。

 返事も待たずに歩き出せば、見えていた板はもうあと一歩。


「ま……まて! まだ容疑は晴れていない! 連れていくな!」

「いい加減にしろ! 本当にどうしちまったんだお前っ!」


 それでもなお伸びてくる手は同僚たちに取り押さえられ、二人がかりでも押さえきれない様子に今度こそ恐怖が込み上げる。

 どう考えても、ここまでディアンに固執するのはおかしい。なにがこの男をここまで突き動かすのか。

 顔を知っているのでもない。ディアンであると気付いたのでもない。それなのに、痣の付いた腕が下りることはなく。


「先ほどから黙って見ていれば、一体何様のつもりだね!」


 その光景を遮ったのはエルドの手でも、ディアンの目蓋でもなく。それまで後ろで静観していたララーシュの父親の背中だった。

 板の手前に立ち塞がり、文字通り壁となって男に対峙する姿に危機を覚え、それでも彼を止めることは許されず。


「なんだお前っ!」

「そもそも、この船は我がレーヴェン商会が所有している! その私が! 疑わしい者を乗せると思っているのかね!?」


 声を張り上げ、距離を詰め、睨む姿に周囲が何事かと目を向け始める。

 悪目立ちしていると気付いているのに、声は収まるどころかますます大きくなっていく。


「なんの関係がっ……」

「なんだと!? 教会とも直接商いを行っているレーヴェン家が、あろうことか協定違反者を逃がすのに手を貸していると疑っているのか!?」


 二人がかりで押さえられているのをいいことに指先は鼻先に突きつけられ、容赦なく刺さる間に人だかりが増えていく。

 その合間から聞こえるのは、どれもレーヴェン家に対する言葉ばかり。

 ここで言う教会は、聖国自体を指しているのだろう。直接取り引きがあるということは、教会からの信頼を得ているという分かりやすい証明でもある。

 逆に言えば、間違っても教会の不得手になることはしないということ。教会に認められるということは、間接的にでも精霊に認められたと同義。

 そして、彼らを裏切ることは精霊への不敬と変わらず。


「そもそも! 貴様らが船を止めたせいでどれだけの損失が出ていると思っている! その上で不正を疑うなど!」

「だからお前には関係がっ……」

「元を辿れば貴様らが犯罪者を逃がさなければ、こんなことにはならなかったのではないのかね!?」


 もはや反論させるつもりもないと、畳みかける声に続く賛同はそれこそ波のように押し寄せ、呑み込まんと連なる。


「そうだ! お前らが逃がしたせいでこうなってんだろ!」

「こっちが損したって補填するつもりもないくせに、ふざけんなー!」

「レーヴェン家の人が嘘を吐くわけないだろ! いい加減にしろ!」


 ララーシュの父だけでなく、野次馬までも騒ぎ出せばもう収まりはつかない。

 あちこちで不満が噴き出し、兵士たちへ詰め寄る人の勢いは凄まじい。

 現状の不満に対してはわかっていたが、レーヴェン家に対する信頼の高さがここまでであるとは。

 彼がこの街にいかに尽力し、そして住民たちに慕われているのか。これだけでも十分に伝わってくる。


「おい、アンタたち! 今のうちだ!」


 進行方向からかけられた声に意識を戻せば、船員らしき男が手振りで誘導しているのにようやく気付く。

 後ろから押される力に任せるまま駆け足で板を渡れば、足が離れるなり板は引っこめられ、陸と繋がる唯一がなくなった。


「出すぞ! 急げ!」


 錨が上がり、帆が張られるまで数秒とかからず。繋ぎ止めていたロープがほどかれれば、船はあっという間に海へ。

 群衆に揉まれながらこちらに手を伸ばそうとする兵士の姿がエルドの腕で見えなくなり、引き止める声も紛れていく。


「――どうか、お元気で!」


 その中でも一際大きく聞こえた別れの声に、腕の隙間から見えたのはこちらに手を振るレーヴェン家当主の姿。

 その手に振り返すことこそできずとも、この感謝を忘れることはないだろう。

 遠くなっていく姿に、せめて彼が無事であることを祈るのが精一杯。


「いやぁ、大変だったなぁ」


 しばらく進んだところで落ち着いたらしい船員に声をかけられ、ようやく難を逃れたことを実感する。

 ……本当に、色々と大変だった。

 もう陸地は遠く、遅れてジワリと滲むのはなにか。

 いよいよ海を渡ることへの高揚か。もう二度と会わない家族に対する何かか。それは寂しさか、清々しさか、あるいは怒りか。

 どれも当てはまらず、当てようとも思わず。ただ……後悔でないことだけは、確か。

 故に、吐き出した息がどれだけ深くとも重さはなく。


「お嬢様の恩人なら俺たちにとっても恩人だ。あとは着くまでゆっくり……」

「いや、まだ終わってない」


 だが、落ち着こうとしたのはディアンだけ。否定の言葉は強く、その顔の険しさは変わらない。


「シアン、お前は着くまで中で大人しくしてろ。ゼニスはそばを離れるな」

「大丈夫ですよ、あの様子じゃ追っ手もすぐには……」

「お前たちも早く備えろ、いつ来てもおかしくない」


 船で追いかけてくるのを心配しているのかと問いかけた口こそ違うが、その予想が裏切られたのはディアンも同じ。

 見上げた薄紫は港ではなく、向かうべき方向。なにもないはずの海の彼方を睨み、鋭いまま。

 だが、その光に……人ではない一端が垣間見えて、網膜の奥がチカリと痛む。


「備えるって、なにに……」


 ただならぬ様子に男も困惑し、エルドに肩を抱かれたままのディアンも疑問を浮かべ。唯一答えをもつ男は、そのどちらも見ることはなく。


 澄み渡った青空。その境界さえ見分けのつかない海は、どこまでも穏やかなまま。


「――嵐が来るぞ」


 だからこそ、エルドのその言葉を船員は不思議に思い、ディアンはなにかが起きる前触れであると悟ったのだ。

【馬車のシーンで入れたかった情報の補足】(ふんわりと読んでください)

 レーヴェン家が慕われている理由には、職の斡旋や子どもたちの支援、街の整備や慈善活動の寄付にも精を出し、貴族だけでなく庶民向けの良心的な店をいくつか展開しているため。

 利益で考えれば明らかに損だが、これも娘を守るための一環。

 敵をなくすことはできないが少なくすることはできるし、支持を得ればより娘にとってよい環境になる。

 ララーシュの父にとって娘が「愛される」ということは、彼女が無事に成長し、なんの危害も加えられないということ。

 その為であれば、多額の寄付も利益にならない事業も惜しくはない。それは全て娘を「愛する」が故の投資でもあるのだ。


 という、娘のためにしていることが、結果的に街の信頼を得ている的な情報を入れたかったのですがテンポの関係で保留しております。

 時間ができれば加筆修正予定です。


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