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15.中庭

 長い廊下をわたり、開かれた扉の先。飛び込む光の量に怯み、目を細める。

 雲一つない空、容赦なく照らされる太陽。すかさず傘を差しだされても、できあがった影がディアンに被さることはない。

 自らの手で庇った網膜は、やがて外の景色を映し出す。

 真っ直ぐに続く石畳、雑草など一本だって見当たらない地面。進むディアンたちを祝福するかのように揺れる花は、どれ一つとっても美しく咲き誇っている。

 木も、花も、全てが調和された空間。数年前と全く変わらない光景。


「いい天気ね。これなら、外でお茶にしてもよかったかもしれないわ」


 整えられた何本ものトピアリーを通り過ぎていく人数は多い。

 先を進むサリアナに取られた手は繋がれたまま。自分の足で歩いているはずなのに引き摺られているように思えてくるのは、内に抱く感情のせいだろう。

 歩く度に揺れ、煌めく髪は日陰の中でもくすむことはない。一部だけバレッタに止められた後ろ髪が閃光と共に小さくなる。否、単にいつぞやの記憶を重ねただけ。

 あの時は……こんな風にゆっくりではなく、走っていたような気がする。それも、こんな大勢ではなかったはずだ。

 後ろから続く騎士は二人。付き従うメイドも二人。だが、声を発するのはサリアナ一人だけ。

 当時は迷路のようだと思っていた構造も、成長した今では案外単純だと知らされる。

 右へ、左へ。幾度か曲がった先で、ようやくディアンの足が止まる。否、止まってしまった、と言うべきだろう。

 容赦なく照らす太陽に目を焼かれる。白く染まる視界の中、見えたのはかつての光景だ。

 可愛らしい兎型のトピアリー……今はもうただの丸であるそれに面影が残っていなくても、ディアンはこの場所を覚えている。思い出して、しまっている。


「覚えてる? よくここで、二人きりで話をしたでしょう?」


 立ち止まったのを、思い出に浸っていると解釈したのか。クスクスと笑う声は上機嫌で、その姿が妹のものと僅かに重なる。


「本当はこのトピアリーも前と同じにしたかったけど……さすがに可愛らしすぎるから」


 連鎖的に思い出すのは、動物を模ったのがここの一点だけではなかったということ。違う場所にはなるが、リスに、鳥に、猫もあった。

 幼い姫を喜ばせようと、殿下が庭師たちに命じて造らせたのだったか。確かに見た目は楽しいが統一感はない。そして姫も、ディアンも、もうあの頃ほど幼くはない。

 腕を引かれ、再び前へ。やがて聞こえてきた水の音に、庭の中心部に来たことを知る。

 城下町のに比べれば小さくとも、施された装飾は比較にはならない。透き通った水が天に向かって広がり、反射する光が虹を作り出す。

 メリアが見れば間違いなく喜ぶだろう光景も、見る者がいなければただの背景と変わらない。

 サリアナはディアンを見つめ、ディアンもサリアナを見返す。片や嬉しさを隠しきれないと笑い、片や頭痛に苛まれ眉を寄せる。互いの表情はあまりにも違いすぎた。


「たまにしか会えなかったけど、いつだってディアンと話すのは楽しくて、嬉しくて……ずっとこんな日が続けばいいって思っていたの」


 空よりも透き通った青は、まるで自ら光り輝いているかのようだ。思い出に浸り、笑い、感情のまま口にする少女はおとぎ話に出てくる姫そのもの。

 ああ、正しく彼女は姫ではある。悪い意味ではないが……まるで、夢を見続けているような印象を強く抱かせてくる。

 こんな姿を見せるのが、ラインハルトやディアンたちの前だけとは分かっている。

 公然の場所では凛とし、王女に恥じぬ姿だって何度も見てきた。だが、本当に同一人物かと疑われる程には差がありすぎて、ディアンですら違和感を抱く。

 全ては好意から来る行動だ。勘違いでも、都合のいい妄想でもない。

 あの日から……あの時からずっと。ディアンは彼女に好意を抱かれている。

 友人としても、一人の男としても。いっそ違っていたなら、少しはこの戸惑いも消えたのかもしれない。

 瞬く度に長い睫毛が煌めき、そよ風がディアンの頬を擽るかのよう。

 まさしく精霊の祝福を受けた美貌。英雄の子どもとして恥じぬ魔力の高さ。一流の教育により身につけた教養。

 何一つとして欠点のない美女。それも王女に想いを寄せられ、断れる男はどれだけいるのだろうか。

 その数が多かろうと少なかろうと、ディアンが抱くのは喜びではなく戸惑いばかり。

 相手は王女で、自分は平民。本来なら話すらできるような相手ではない。幼なじみであるのも、そもそもが国王と自分の父親が英雄という共通点があったからこそだ。

 王族であるサリアナと違い、ギルド長の息子であるディアンには地位もなければ誇れるものだってない。偉いのは父であり、自分ではないのだ。

 これがメリアならまだ分かる。『精霊の花嫁』に選ばれた特別な存在。

 いつか人をやめ、精霊になる彼女が、王族と同等の待遇を受けるのは当然のことだ。だが、ディアンは違う。ディアンだけは、違うのだ。

 ディアンにとってサリアナは間違いなく守らなければならない相手であり、大切に思わなければならない存在だ。

 幼い頃に父に言い聞かせられた時から、それはずっと変わらないし、これからも変わることはないだろう。

 だが、それは義務であって愛ではないのだ。

 自分が彼女より劣っているからではない。身分の差だけでもない。ディアンが。ディアン自身が、どうしてもその対象として彼女を見られないのだ。

 そして、サリアナ自身も分かっているはずだ。その抱いている感情をディアンに伝えてはならないことを。抱いているだろう望みを叶えることはできないのだと。

 それでも、そばにいてほしい。いつか婚姻を結び、国を離れることになったとしても、ディアンがそばにいてほしいのだと。

 願った当初はそこまで考えていなかっただろう。ただ純粋に離れてほしくなかっただけだ。

 ……だが、今は違う。


「もうあれから何年も経ってしまったけど……あなたが約束してくれた日のことは、昨日のように思い出せるの」


 伏せられた青、その目蓋の裏に映る光景はディアンが今朝見たものと同じだろう。

 サリアナは美しい思い出であると語り、ディアンはそれを悪夢と称した。

 あの先のことも、実際に騎士になると誓った記憶も朧気で、形にしようとすればするほどに頭が重くなっていく。

 内側から直接殴られるような痛みにたまらず顔を逸らしても痛みは引かず、サリアナの視線からも逃れられない。


「ディアン?」

「……恐れを知らぬ子どもの戯れ言です。今の私では、とても誓えません」

 そっと離そうとした手が、強く握られる。痛んだのは頭か、手首か。あるいは、真っ直ぐ貫いてくる青だったのか。


「急にどうしたの? ああ、お兄様にまたなにか言われたのね?」


 そうに違いないと姫が言えば、ディアンには首を振るしかできない。否定はできない。だが、彼だけが原因ではないのだ。


「気にすることなんてないわ。ディアンは一生懸命頑張ってるじゃない。お兄様が意地悪なだけよ」

「いいえ。そう思っているのが殿下だけではないことを、あなたもお気付きのはずです」


 耳を澄ますまでもなく聞こえる総意は、学園でも街でも聞こえる。

 誰よりも劣る英雄の息子。ギルド長の息子とは思えない落ちこぼれ。夢を追い続けて現実を見ない愚か者。

 誰もが口を揃えて言う。あんな風にはなりたくないと。あの男よりはマシであると。

 そんな者に、国を守る要など務まらないことは……どんな馬鹿でも理解できる。

 だが、姫だけではなく父もそれを望んでいる。

 必ず騎士になれと。英雄の息子として恥じぬ姿であれと。そうして、サリアナのそばにいるのだと。ずっとずっと言い聞かされてきた。望まれていた。

 だから、ディアンは騎士にならなければならない。きっかけも理由も思い出せないけれど、そう望まれているのだから、ならなければならないのだ。

 分かっていてもなにかがディアンを拒絶する。これ以上続けても父に怒られるだけだと、そう分かっているはずなのに否定する唇を閉ざすことができない。


「そんなこと……」

「姫様」


 黒が定まり、青が揺れる。困惑していると分かっていても、もうディアンは止められない。


「私の望みは、貴方様が心穏やかな日々を送れることです。どうか、これ以上私のことで心を痛めないでください」


 その言葉に嘘はない。だが、純粋な思いからでもない。

 少なくともサリアナがディアンに構わなければ、ラインハルトの怒りを買うことはないのだ。

 大丈夫だと。ディアンならばなれると。約束をしたのだからと。そう繰り返されるごとにささくれ立つ心が痛むことだってない。

 必要以上に関わることがなければ、サリアナも、ラインハルトも、そしてディアンだって。誰もが穏やかな日々を過ごせる。誰も傷つくことなどないのだ。

 本来あるべき姿に戻るだけ。それをサリアナが望んでいなくとも、それが最善なのだとディアンは知っている。

 騎士になれば。騎士に、なることができれば。

 そうしてお仕えするのに相応しい実力を備えることができたのであれば、この迷いも、鈍い頭の痛みも無くなるはずなのだ。


「これからも父の名に恥じぬよう精進いたします。ですから――」

「ディアン」


 懇願は、名を呼ばれて遮られる。怒り、悲しみ、驚き、軽蔑。そこに含められた感情は、ディアンが予想していたどれでもない。

 剥がしそこねた手が握り直される。そのうえで更に力がこもる指に気を取られれば、見つめていたサリアナの顔が俯いていく。

 だが、その頬は薄く色好き、唇は柔らかく笑んでいて。


「本当は驚かせようと思って内緒にしていたんだけど……」


 言いにくそうに、だけど嬉しそうに。この流れで紡がれるに相応しくない声に、目の前の姿が幻覚と重なる。

 どうかこの予感が違っていてほしいと、瞬くことも忘れて凝視するディアンに告げられるのは、少女の喜びに満ちた声。


「実はね……ディアンが騎士団に入ることは、もう決まっているの!」

閲覧ありがとうございます。

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