158.大切な人
どれだけそうしていただろうか。実際はほんの十数秒にも満たない時間だったかもしれない。
だが、見かねたゼニスが手に鼻先を擦りつける程度にはそうしていたようだ。
冷たい感触に下を向き、それから膝をついて頭を撫でる。また気を使わせてしまったと、そう思っていればふと視界の端が明るくなり、視線が部屋の中央へと戻る。
光源は、ララーシュが子どもたちと繋いだ手の隙間から漏れていた。輪になるように繋ぎ合った手を介して、柔らかく温かな光が広がっていく。
目を閉じ集中する姿はまるで祈りのようだ。温かいと呟いたのはどの子であったのか。見ているだけでも、それが優しいものであると知る。
「……あれは、『お裾分け』?」
呟けば、肯定するように声なく吠えられる。
自分を加護してくださってる精霊の力の譲与。魔力の干渉。……相手の体調や気力を整えるための、簡易的な魔術。
いつぞやエルドにされた説明を思い出し、もう二週間前のことなのかと感慨に耽る。
これが本来の光景なのだろう。昔のまじないと言っていたが、名前が違うだけでそう古いものではないのかもしれない。
あるいは、教会と関わりがあるから誰かから教えてもらったのかもしれないが……。
光に照らされる子どもたちを見ても、やはりディアンには誰が愛し子かの判別がつかない。
髪や目に変化があるのはほんの一部で、ララーシュほどわかりやすいのはいない状況。だが、ここにいるほとんどが愛し子なのだろう。
「……ゼニス」
名を呼べば青がディアンを見上げる。聞けば教えてもらえるだろうが、子どもたちに聞こえていい内容ではない。
しばらく見つめ合い、それから息を吐いて、なけなしの知識を振り絞る。
『……この中に、愛し子は何人ぐらいいる?』
青が瞬いた理由が、間違った言葉を使ったからでないと信じたい。
古代語もあれから随分と上達したはずだ。道中暇つぶしがてらに教えてもらったし、簡単な単語ならば多少自信もあるが……ゼニスから返事らしき反応はない。
『半分? 六割? ……七?』
もしかしてそれ以上かと、数を重ねたところで泣き声が一つ。否定であればわざわざ声を出す理由はない。
……八割。むしろそうでない者の方が多いなんて、偶然とはいえない。
狙って攫ったのは間違いないとして、問題は彼らがどうやって判別して連れてきたかだ。
そもそも、誰がどんな加護を授かっているかは、基本公開されることはない。特別な家系や爵位持ちは例外だが、原則家族以外に伝えられることはない。
本来ならディアンもそうであったが、英雄の息子ということで、本人の意に関係なく洗礼を公開された形になったのだ。
そうでなければ、本当ならディアンが『加護無し』であることは、身内しか知らずに済んだのだが……。
話は逸れたが、ララーシュやメリア、それからサリアナのように髪や瞳にその特徴が出ている者ならともかく、それ以外で判断する手段はないはずだ。
もちろん、教会に問い合わせれば分かることだが、教会だって無差別に公表することはないし、加護を授かった者の名簿管理は厳重に行われている。
愛し子だという噂が広まるのは確かに早いが、その信憑性を確かめるのには膨大な時間がかかるし、それだけで誘拐まで実行するとも考えにくい。
考えられるのは、やはり関係者……それも、国の者が手引きをしたとしか……。
『……これが、この国の犯した協定違反の一つ?』
これだけではないだろうし、きっと他にもあるだろう。だが、返事がないのは答えられないのか、それとも違うのか。
あるいはこれ以上の、看過できない罪を……この国は犯してしまっているのか。
もしそうなら。その罪の証明にこそ『候補者』が必要ならば。
『……本当に、僕はその証拠に?』
声はない。首も振られない。だが、見つめる青がなによりもそうだと伝えてくる。
本当に曝かなければならない罪。その証明ができるのは、ディアンだけなのだと。
「お兄さんもこっちに来て」
俯く前に呼ばれ、再び彼女たちに視線を向ける。手を離しているので光はなくとも、子どもたちの顔色がよくなっているのは間違いない。
自分にも『お裾分け』をしてくれようとしているのだ。その気持ちはありがたいが……おそらく、その気遣いは無駄にしてしまうだろう。
「いや、僕は……」
「そこにいると寒いでしょう?」
早く、と手を招かれて苦笑する。頭によぎるのは、エヴァドマでの一件だ。
あの時みたいに気持ち悪くなる程度ならいいが、負荷魔法をかけられた影響がまだ残っているうちから試すのはリスクも大きい。
いや、万全の体制であってもなにかしらの影響は受けたはずだ。
ディアンの行く手を阻むようにゼニスが移動したことからも、その予想は間違っていないはず。
問題は、この優しい提案をどう断るかだが……。
「気持ちは嬉しいんだけど、僕は……」
「ああ、そいつにお裾分けはしなくてもいい」
扉が開く音に、弾かれたように振り返る。見なくても分かる声の主に対してそうしてしまったのは、その無事を確かめたかったからだ。
出て行く前と同じ表情。歩く動作も違和感なく、どこも怪我をしていないと判断してもまだ安心しきれず。
「そいつの加護は、他の精霊と相性が悪いんだ。下手に与えようとすると、逆に気持ち悪くなっちまう」
「エルド! ……け、怪我は」
思った以上に声を張ってしまい、恥ずかしさで次の言葉が小さくなってしまう。
信じていると見送ったのに、これでは嘘を吐いてしまったみたいだ。
そんなつもりではないと言い訳するのは憚られ、赤くなる顔を誤魔化すこともできず。耳を擽る吐息にますます熱が込み上げてくる。
「大丈夫だって言っただろ? 船も今、街の方に引き返してる最中だ」
「ダガンは……」
「派手に暴れ尽くして、今は甲板で気絶してる。ついでに睡眠魔法もかけておいたから、どれだけ小突いたって昼までは起きないな」
誇張ではなく、本当にそうなのだろう。懸念していた問題が片付き、やっと肩から力が抜ける。
「どれぐらいで着きそうですか?」
「具体的にはいえないが、夜明けまでには着けるはずだ。それまで残党がいないか見回ってくる。……大人しく待てるな?」
もう他に心配することはないのだからと、言い聞かせるようなそれに苦笑する。信頼されていないのではなく、安心させるためだとわかっても、なんともいえない。
「……はい」
「よし」
軽く頭を撫でるそれは、今度こそ子ども扱いか。自分より下の子どもたちがいるのにと、そんな文句も出ないのは恥ずかしさよりも嬉しさが勝っていたからだ。
どんな形であれ、彼が無事で、自分に接してくれる。
恥ずかしくないといえば嘘になる。だけど、それ以上にやっぱり、嬉しい。
「陸が見えたら知らせに来る。……ゼニス、頼んだ」
吠える声が一つ。そうして再び部屋を出て行ったエルドを見送り、吐いた息は深い。
敵も無力化され、進路も変わった。あとは、エルドが方角を間違えていないことを祈るだけ。
とはいえ実感は湧かず、気分を静めるためにもう一度息を吐けば、見かねたゼニスに袖を引かれてその場に座る。
柔らかな白は身体の横を通って後ろへ。そのまま半周し、横に寝そべったゼニスの頭を撫でれば少しだけ気が落ち着いてきた。
エルドもそうだが、ゼニスもまたディアンの扱いに慣れていると思うのは気のせいではないだろう。
こうして支えられたのも、一度や二度の話ではない。そして、ゼニスがここまで落ち着いているのなら……本当にエルドは大丈夫なのだ。
「……大切な人なのね」
やっと身体の力が抜けたところで、再びかけられた声に顔を上げる。
薄暗い中、一際目立つ金は輪を保ったまま。その緑だけが、真っ直ぐにディアンへと向けられていた。
大切な人。……ああ、そうだ。
そんな一言では片付けられないほど、ディアンにとって大切な存在だ。
「……うん」
「お兄さん、あの人に伝える前に私のところに来てくれたんでしょう?」
「結果的には、そうなっちゃったけど……」
本当は伝えるつもりだったなんて、後からならいくらでもいえる。
あの時は必死で、だからそんな余裕はなくて……結果、エルドもゼニスも心配させることになってしまった。
今こうして無事なのは、彼らが助けに来てくれたからだ。そうでなければ今頃どうなっていたか、考えるまでもない。
「あの……巻き込んでしまった私が言っちゃいけないけど……」
言いにくそうに視線が下がり、語尾も弱まる。だが、伝えなければならないと再び絡んだ瞳は揺れることなく。
「陸に着いたら、お兄さんはあの人に謝らなくちゃいけないと思うの。だって、大切な人を心配させてしまったんだから」
「……それ、は」
「そもそも、私が助けを求めなければ、こんなことにはなってないんだけど……大切な人を不安にさせたり、心配させたりするのは、やっぱりいけないことだと思うから……」
続いている言葉は、正直あまり入ってこない。
そう、理解してもまだディアンは彼に謝れていない。不安にさせたことも、心配させたことも、まだなにも謝れていないのだ。
「……君が悪いわけじゃない」
「でも……」
「あの人を不安にさせた僕が悪い。……ゼニスも、ごめん」
もう一度、寄り添う存在に謝れば、返事はパタリと揺れる尻尾だけ。背を撫でても噛み付かれることはなく、許された……のだと、思いたい。
ああ、でも……謝る相手は、やっぱりあの人だ。許されなくても、話をしなければならないのは、あの人なのだ。
「陸に着いたら……ちゃんと、話をするよ」
謝罪も、疑問も。そして、これからのことも。
まだ自分が彼を『エルド』と呼べる間に。まだ、あの人の隣に並べられるうちに。
「……協力してくれる? ゼニス」
ぴん、と耳が立つ。ゆっくりと見上げてくる蒼。そこに込めた感情は読み取れず。だが、小さく鳴いたその声が肯定であることだけは、理解できた。
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