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14.幼なじみたち

「では、また後で。……ペルデ、頼んだよ」

「は、はい」


 柔らかな声に、優しい眼差し。同じ父が息子に向ける視線でも、こうも違うものか。そもそも性格も立場も違うのに比較する意味もない。

 なおも強張る声が聞こえる中で扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。早くて半時間、長くて数時間。

 どれほどかかるかわからないが、まだディアンの戦いは始まってすらいない。

 少しでも落ち着こうと、椅子に向かおうとした足が溜め息によって阻まれる。出所は、もはや見るまでもない。


「どうしてあの人までここにいるのよ」


 苛立ちを隠しもせず、憎々しげに扉を見つめる姿はとても可愛らしさとはかけ離れている。さっきまで彼女を褒め称えていた者たちが見れば、今度はなんと呟くのだろうか。

 実際に口にせずともその心中は大きく変わるだろうと、ありもしない展開を連想するのは現実逃避か。


「あの人ではなく、司祭様とお呼びしなさい。それに、理由は先ほど話されていただろう」

「あ……相変わらず、父さんが苦手なんだね」


 扉からディアンへ、そうしてペルデへ視線は移り、うるさい小言は存在ごと無視される。

 苦手の一言で片付けていい対応ではないが、どうせ聞いてはもらえない。

 怒りを抱いた様子もなく、話し相手になってくれるのならそれでいいと。腰を沈めた椅子だけが柔らかくディアンを労ってくれた。


「だって、目が……まるで血の色みたいで気持ち悪くて、怖いんだもの」


 ためらうことなく吐き出される暴言に額を押さえる。ここに父がいれば間違いなく叱られただろうが、既に彼は司祭と共に部屋を出た後。そもそも、ヴァンがいる場で口走るほどメリアも愚かではない。

 怒られるという自覚があって口にしている。だからこそ質が悪く、手に負えない。


「そ、うだね……僕も、ちょっと怖い、かな」


 それは本心か、それとも合わせてくれたのか。ぎこちない笑みは愛想笑いか緊張か。読み取れない揺らぎを見定めようとして、押し寄せる疲れにそっと諦める。

 怒らない理由はわからないが、諦めでないことは確かだ。怒っても無意味だと理解できるほど会っていない。

 それこそ、こうして話をするのもいつぶりになるか。正確な期間は誰もわからないだろう。

 自分が苦手とする相手の本拠地。そこに行かなければ会えない相手。下手をすれば、サリアナやラインよりもその空白は長い。


「ペルデだけでよかったのに。あの人もいたし、お兄様もいるし、最悪だわ」


 溜め息は止まらず、悪意は右から左へ抜けていく。

 いや、呟いたのはわざとではなく本心だろう。だからこそ、そこにディアンがいても気にせずそんなことが言えるのだ。

 言われた側がどう思うかなど関係ないし、怒られるとは露とも思っていない。


「そ……そう、だね」


 そして、ディアンの思っていた通り。ペルデは自分の父がどう言われても気にせず、ディアンが邪魔であることを肯定する。

 違うのは、その視線が気まずそうに見えるところだろう。本心ではなく、妹に合わせているだけだと言いたいのか。

 絡んだ視線を外したのはディアンだ。まともな会話を交わさずとも、一応は幼なじみ。その性格も、考えている事も想定がつく。

 その場の傾向に合わせるのは、良いように言えば臨機応変で、悪く言えば優柔不断だ。

 肯定すると決めたなら堂々としていればいいのに、違うのだと縋るような視線は幼い頃から変わりない。

 傷つかない、といえば嘘になる。だが、構えばまた逆上すると理解している上で火種を撒くほど気力はない。

 向けられる茶色から外したついでに室内を観察する。

 火の付いていない暖炉。飾られた絵画。燭台と花瓶。どれもこれもが磨き上げられ、照明に目が霞む。

 本があれば時間を潰せたのに、この空間には文字の一つだって存在しない。


「ディアン! メリア!」


 叶うのであれば、司祭たちの話が終わるまで書庫で過ごしたいと。抱いたささやかな願いは、己を呼ぶ声によって打ち砕かれる。

 鼓動が跳ね、身が強張る。立ち上がる動作が遅れたのは、呼吸すら止まってしまったから。

 幸いにも、すぐに反応できなかったことを責める者はいない。メリアも、そしてペルデも、今入ってきた少女――サリアナへの挨拶に夢中だったからだ。


「サリアナ! 久しぶりね!」


 王女相手にため口など許されない。だが、やはりそれを咎める者も、罰する者もいないのだ。

 ペルデも、呼び捨てにされた姫も、サリアナの後ろから続く殿下も、騎士も。誰一人として。


「元気そうでよかったわ! ディアンからは変わりないと聞いていたけど、なかなか会えないから……」

「ライニも元気だった? 本当に久しぶりだわ!」


 もう司祭に会った記憶も不快感も消し飛んでいるだろう。呼び捨てどころか愛称で呼ぶ妹の不敬を指摘できないことこそ失礼なのかもしれない。

 だが、ディアンにできるのはその和やかな光景を傍観するだけだ。一言でも呟けば、途端に非難の嵐に巻き込まれることになる。

 わざわざディアンを使わずとも交流ができているのなら、少しでも長く、関わらない時間を増やす。

 それぐらいは……望んだって、いいはずだ。


「ああ、久しぶりだねメリア。前に会った時よりも素敵なレディになっている」


 もしここが学園だったなら、女子生徒の悲鳴が一つや二つ響いたはずだ。

 愛おしいと言わんばかりに細められた瞳に蕩けるような声。実の妹にさえ、あんな態度はとっていないはずだ。

 わかりやすい愛情表現に、いよいよ視線は遠くへと移る。直接関わるよりはマシだが、されど苦痛であるのは変わりない。

 いや、もしかすればこのまま認識されず、四人だけで茶会を始めてくれるかもしれない。

 そうすればディアンは一人ここに残ることができるし、殿下を不快に思わせることも、妹への苦言もしなくて済む。

 だが、それが許されないことを理解しているからこそ、この後向けられる感情に耐えるべく、少しでも意識を逸らそうとする。

 ああ、そうだ。先ほど司祭から話があると言われたんだった。今回の要件に絡んでいると察しているが、肝心の内容はなんなのか。

 妹……いや、『精霊の花嫁』に関することには間違いない。その上で王家も絡むとなれば、可能性があるのは聖国への移住だろう。

 本来『花嫁』は、その存在が確認された時点で聖国が保護するようになっている。理由は言わずもがな。それが一番安全で、間違いがないからだ。

 大昔。それこそ伝記で綴られるほどの時代であれば、本人の望む国で過ごしていたこともあったが、様々な理由で命を落とした者は何人もいる。

 手記が残っているからこそ判明しているが、現在に伝わらなかったものを含めればその数はもっと増えるのだろう。

 ゆえに『花嫁』と確定してから嫁ぐまでの十数年間、聖国で過ごすことが両間の誓約によって定められているのだ。

 確かにディアンの屋敷でも四六時中騎士たちが護衛しているので、致命傷はおろかかすり傷一つ付くことはない。

 どこに行くにも、なにをするにも、必ず誰かがそばにいる。だが、それでも絶対安全とは言いきれないのだ。

 聖国の、それも王宮ともなれば仕える者は選りすぐりの精鋭のみだ。

 常在する騎士はもちろん、メイドや下働きに至るまで。厳しい審査と信頼を勝ち取った者だけがいることを許されている。

 そうでなくとも、城は女王陛下直々の防壁により外部からの侵入はほぼ不可能。間違いなく、この世界で考えられる最も安全な場所なのだ。

 だからこそ、聖国としてはメリアを移住させたいし、そうするべきと主張している。実際屋敷にまで迎えに来た記憶は一度や二度ではない。今回もその説得なのだろう。

 そう、本来ならメリアは屋敷に留まっていてはいけないし、それをノースディア側が寛容してはいけないはずだ。

 それでも、彼女がこの国に残っているのは――。


「どうしたの、ディアン」


 顔を上げたのは、名を呼ばれたからか、その距離が近すぎたからなのか。

 無意識に下がろうとした足が、手を取られたことで引き留められる。両手で包まれた片手に感じる力は、あまりにも、強い。


「あまり元気がないようだけど……どこか具合が悪いの?」


 真っ直ぐ見つめる青を逸らすことはできず、短く吐いた息は乾いた舌を潤すことはない。

 向けられる視線は、四つ。一番鋭いのが誰のものか、確かめるまでもない。


「い……いえ、少々寝不足で。どうか、気になさらないでください」


 指先が冷たくなっていく。それは握られ、阻まれた血流だけが原因だったのだろうか。

 咄嗟についた嘘に胸が痛む。だが、素直に来たくなかったからだなんて答えるわけにはいかない。

 それに、声をかけるほどひどい顔をしていたのだろう。なんでもないと誤魔化すことはできなかった。


「まぁ、夜更かしでもしていたの? なら、眠気覚ましに少し歩きましょう」


 それでも大丈夫だと、なんでもないと。だから手を離してほしいと。

 どれだけ願いを込めたところで、ディアンの望みが叶えられることはやはりないのだ。


「いいえ、どうかお気になさらず。少し休めば平気ですので、先に――」

「先に三人で始めていて。私はディアンと中庭に行ってるわ」


 言葉は遮られ、視線は鋭くなる。取られたままの手を振り払えず、扉へと誘導される足を踏ん張るのが精一杯。

 頭の中によぎるのは、妹の面倒を見ろと言っていた父の言葉だ。彼女のそばを離れるわけにはいかない。


「いいえ、本当に大丈夫です。それに妹が……」

「ライニもペルデもいるんだから、お兄様がいなくても構わないわ」


 ねぇ、と同意を求められた二人の返事など耳にも入らない。メリアならそう言うだろう。小言がうるさい相手がいなくなる方がいいのだと、その笑顔は隠すこともない。


「ほら、メリアもそう言っているから」

「っ……ですが、」

「ハッキリ言われなければわからないか?」


 それでもなお、食い下がろうとしたディアンに突き刺さる声。思わず向けてしまった視線の先、向けられた青は同じく鋭く、憎々しく。


「メリア嬢は、お前がいない方が休まると言っているんだ。ここには誰かと違い、己の実力を理解した本物の騎士がいる。身の安全は保証しよう」


 むしろお前がいる方が邪魔だと鼻で笑い、手を払う仕草に抱く怒りはとうに尽きた。

 サリアナと二人きりにさせたくないはずなのに、中庭に連れて行くことは止めようとしない。自分の妹ではなく、メリアを優先させたのだろう。

 昔からそうだったと懐かしむ気にもなれず、ディアン自身も選択を天秤へかける。

 離れるなと言ったのと同じ口で、妹の機嫌も損ねるなと父は言った。だが、そばにいる限り彼女の言動に反応してしまう自分では、また『意地悪』をしてしまうだろう。

 そして、父はこうも言った。殿下と姫に失礼がないようにと。

 視界にも入れたくない相手と、そばに居てほしいと願う相手。同じ空間にいながら両名の願いを叶えることは、落ちこぼれのディアンにはあまりにも難しいことだ。

 揺らぐ選択は、自分の手を離さない姫の方へ傾く。そう、父に怒られないまま全員の希望を叶えることはできない。だが、その程度を少しでも軽くするのであれば……このまま、姫の命令に従うのが、一番マシなのだ。

 そう納得させようとしても、まるで頭の中が飽和したように思考が鈍る。

 一番マシのはずだ。だけど……なにか違う、ような。


「さ、ディアン。行きましょう」


 そんなディアンに構わず、手を引く少女がディアンを催促する。兄の嫌味を咎めないのは、一緒にいられる喜びが勝っているからだろう。

 ラインハルトがメリアに構っている間、自分の邪魔をされないと理解しているのもある。その為にメリアも呼んだのかと考えたって、この結果が変わるわけでもなく。

 踏ん張っていた足から力が抜けても、ヒールが刻むリズムに比べてその足取りは重いまま。

 誰もディアンの言葉など待たず、背後で扉が閉まる音が聞こえた。

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