155.大騒ぎ
「――てめぇら! 真上でドタドタ騒ぎやがって!」
扉が壊れたと、そう錯覚するほどに強い音と、それ以上の怒号。もし身構えていなければ、驚き怯えていただろう。
わかっていてもこの迫力なら、後ろで耳を塞ぐ気配がしたのも当然だ。
見えていないがゼニスだって不快そうに顔を歪めているし、ディアンだって耳の痛さに眉を寄せている。
唯一普通なのは、それを正面から受け止めたエルドだけだろう。
「一体なんの――ってめぇは!」
「おう。先日ぶりだな」
状況がわからずとも、目の前にいる男が誰かは判別できたようだ。床に倒れた仲間へ目をくれることなく、檻へ入ってくる勢いはまさしく牛のごとく。
加護封じがなければ檻も壊す勢い。いや、あの真っ赤な顔なら、今でも引きちぎって武器にしかねない。
巨大な身体では狭すぎる入り口に、無理やり身をねじ込むようにして入ってきた姿はやはりデカい。障壁も貼れない状態では対峙したくない相手だ。
先ほどまでなら、これだけで身がすくんでいただろう。どうすればいいかと混乱し、彼女だけでも助けようと足掻いて、恐怖でろくな行動もできなかっただろう。
今でも怖くないとは言えない。だが、それでも普通でいられるのは、エルドがここにいるから。ディアンの目の前に、いるからこそ。
「犯罪奴隷にしちゃ、随分と自由に出歩いているじゃないか。そもそもお前は鉱山送りのはずだが?」
「誰のせいでこうなったと思ってやがる!」
一歩一歩が激しく、床板が踏み抜かれそう。彼からすれば全ての元凶だ。恨むなと言うのがおかしい話だが、そもそもが逆恨みという話。
「俺がなにをしなくとも、お前の罪は曝かれていた。裁きが少し早まっただけのことだ」
「うるせえ! 全部てめえのせいだろうが!」
エルドの言う通り、あの時点で教会は動いていたし、ディアンに関係なく罪は露見していただろう。
だが、怒りをぶつけられる相手がエルドしかいない今、そんな正論が届くわけもない。
むしろ冷静に諭そうとすればするほどに逆上し、いつその拳が振り下ろされてもおかしくはない。
「てめえもガキ共と一緒に奴隷送りにしてやる! そこの犬も、ガキも! 全員まとめて、俺様にたてついたことを後悔させてやる!」
矛先はディアンだけではなくララーシュにまで。彼女に関しては全くの無関係だと、その醜い姿が映らぬよう顔を隠すよりも先に聞こえたのは聞き慣れぬ呼吸音。
鼻でわらったそれは、ゼニスではなくエルドから。
「そういうお前も奴隷だろうが。加護を使っても勝てなかったのに、どうにかできると?」
「きっ……貴様ああああ!」
エルドらしかぬ挑発だ。そして、こんな簡単なものに乗ってしまう男は、やはりあの時と全く変わっていない。
意図があっての行動と予想していても、振り上げられた拳に鼓動が跳ねる。
大丈夫。エルドならなにか策がある。わかっていても、衝動が胸から駆け上がり音となる。
「――『やめて』!」
だが、実際に響いたのは名を呼ぶディアンの声ではなく、少女の制止だった。
怯えて咄嗟に出ただけなら気にもならなかった。振り下ろされた拳が触れる前に止まったのもエルドの力なのだと、そう思い込んでいただろう。
しかし、ダガンとエルドの間に半透明の壁はなく。それ以前に、馴染み深い感覚に目を見開く。
重く、鈍いなにか。じわじわと広がり、のし掛かるような感覚。頭の中から滲みだしていく痺れ。
考えなくてはいけないのに、靄になっていく。この感覚を、ディアンは知っている。覚えている。何度も何度も味わって、何度も何度も諦めた。
忘れるわけがない。忘れられるはずがない。
この身体は、これを……確かに、覚えている。
「ぁ……っ……!」
震える声に靄が晴れる。気付けばダガンの腕はだらりと垂れ下がり、あんなにも険しかった顔は力が抜けている。
その目がもし閉じていたなら、眠っていると思っただろう。あるいは、僅かにでも肩が動いていなければ……その虚ろな瞳に、死んでしまったのかと疑っただろう。
当然ながら死んでいないし、眠ってもいない。
だが、先ほどまでの勢いは失われ。ただそこに立ち尽くしているだけだ。
まるで……そう、魂が抜け落ちてしまったかのように。
「わ、たし、また……っ……」
震える声は腰の後ろ、両手で押さえた少女の口からだ。くぐもっていても後悔と恐れまでは食い止められず、青ざめた顔はダガンのそれよりもひどい。
「……いや、今のはタイミングが悪かっただけだ。お前じゃない」
首を振り、足を引き。やってしまったと、声なく繰り返している少女を否定するエルドの顔もまた険しい。
だが、それは少女のものより軽く、どちらかというと凡ミスをした時と同じもの。
静観しているゼニスはそんなエルドに呆れるばかりで、比例しない反応に困惑するのはディアンだけ。
「で、でもっ……」
「魔法に耐性がない奴に二人がかりだ。原因はお前じゃないし、今回はこれでいい。安心しろ、腕輪が壊れてないなら加護が暴走しているわけじゃない」
怯える少女に言い聞かせる間も置いてけぼりだ。単語を拾い、意味を推測し、それでも埋められない疑問に視線は二人の間を行き交う。
緑は自身の腕輪に向けられ、エルドはそんな少女からディアンへと視線を移す。慰めるように訴えられ、小さな肩を撫でても分からないことばかりだ。
懐かしくも不快な感覚。加護の暴走。怯えるララーシュ。
繋がりそうで繋がらない。否、繋げたくない。その答えに、まだ……今はたどり着きたくない。
深く考えるのを、状況のせいにして止める。そう、答えは後でもいい。今は、これからどうなるかだ。
「エル――」
呼ぼうとした名前が遠くからの足音に掻き消される。慌てて駆けつける音だ。それも一人ではない。
薄紫と目が合い、それから指は口元へ。沈黙の合図に口を閉ざし、じっと扉の先を見つめる。
やがて開かれた先からは黒い影が二つ。どちらも彼らを率いている者でないと分かっても、それがなんの役に立ったというのか。
「お前、どこから……!」
まずは突っ立っているダガンを。そうして開け放たれたままの鉄格子を見て、中央に立つエルドの姿を捉えた男たちが構える。
響いたのは、懐から短剣を引き抜いた音だ。光の反射が見えないのは、薄暗いだけではなくその剣身が黒に染められているせいでもある。
見えなくとも分かるのは、それがアンティルダ国で流通している武器のほとんどがそうだと知っているからだ。
軽く、加工しやすく、それでいて強靱。武器にするに、これ以上うってつけの鉱石はないだろう。
かの国でしかとれない鉱物だ。この国では高級品に位置するがそれは滅多に流通していないからであり、いくらでも取れる側にすれば値段など関係はない。
湾曲した刃は、切るよりも貫く方を想定しているのか。殺意の高さに少女が悲鳴をあげ、顔ごとディアンがその光景を隠す。
こんな状況でも、ダガンは立ったまま瞬きすらしない。
それを視認できていたかは分からずとも、異様に映ることは変わらず。そして、それはディアンだけの感覚ではない。
「おい、なにを突っ立ってる!」
邪魔だと突き飛ばされた巨体は、僅かに数歩動くだけ。されど衝動としては十分か、虚ろだった瞳に光が戻る。
そうして、エルドに定まるはずだった視線が彷徨う。まるでなにかを探すように、困惑の浮かぶ顔は左右に振られて挙動不審だ。
「どこ行きやがっ……あぁ?」
その顔が定まったのは、まさしく今突き飛ばそうとした男が視界に入ってから。邪魔だと喚く男の肩を掴み――次の瞬間には、その影が壁に弾き飛ばされていた。
比喩ではない。あまりにも唐突で、受け身も取れなかったのだ。鈍い音が響き、少女の顔を隠していたことを安心できる状況ではない。
「なにをする!」
「あ? ……なんでもう一人いやがる!?」
それを見た残りの男がダガンに対峙し、武器を向けられた本人は怯むどころか逆上している。だが、口走る言葉に脈絡がない。
「こんなので俺様を騙せるとでも思ったのか!?」
「おい、なにを言って……!」
向けられた刃も見えないのか、突き進む姿は獣のごとく。言葉は通じないと突き立てるよりも早いのは、ダガンの一撃だ。
文字通り吹っ飛んだ影が反対の壁に激突する。彼らも戦術には長けていただろうし、実際に対峙したからこそ強い相手だと知っている。
だが、それはあくまでも普通の相手であればだ。ダガンのような規格外の相手では、どんな者でもこうなってしまうのか。
音だけでは状況がわからないと、頭を上げようとする少女を引き続き隠し。聞こえた盛大な舌打ちに身を強張らせる。
「くそっ、ガキどもは逃げたか……」
視線は絡むが、すぐに外される。ディアンたちだけでなく、エルドもゼニスも視認できていないのだろう。
それは彼女の加護ではなく、エルドの魔術であるのは……彼の反応を見れば間違っていない。
「どうせ船の上だ、逃げられねぇ。見つけたら絶対に……」
「おい、なにを騒いでいる」
続きを聞きたくないと眉を寄せるよりも先に増援が押し寄せる。視認できただけで三人。見えないだけで、廊下にも何人かいるのだろう。
「ど、どうなってやがる……!」
影がどよめき、同時にダガンが吠える。むしろそれは向こうの台詞だろうと、そんな突っ込みが聞こえるわけもない。
「くそっ! あれも偽者か!? 俺様を馬鹿にしやがって……!」
「なにを言って……!」
「うるせえ!」
飛びかかられた一人が扉の向こうへ殴り飛ばされ、その横にいた男が持ち上げられてから地面に叩きつけられる。
残るもう一人が逃げ出し、廊下の駆け足が増える。勢いよく後を追いかけた獣の雄叫びと悲鳴は遠ざかり……残ったのは、あまりにも悲惨すぎる惨状。
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