149.特別な愛し子
驚き、起き上がろうとした身体を襲う倦怠感。回る視界に耐えられず再び地面に伏せれば、無理をしないでとかけられる声はまだ遠のいていない。
頭を押さえ、息を吐き。何度か繰り返して、ようやく落ち着く。
その間も頭の中で繰り返されるのは少女の口から出た言葉。もう聞くことはないと思った、己の姓。
「どう、して」
「あの男の人たちが言っていたの。ディアン・エヴァンズって、あなたのことでしょう?」
無垢な瞳に見つめられずとも否定はできない。それは間違いなくディアンの名で、彼の姓だ。
そして……彼らがディアンを狙っていた、なによりの証拠。
だとすれば、ますます目的がわからなくなる。いや、浮かぶのは一つ。『候補者』としての価値だ。
罪が露見して危ぶまれるのは王国の者。ならば、この誘拐は国が絡んだものなのか。もしそうなら問題どころの話ではない。
誘拐を補助し、他国に対して人身売買をおこなっているなど。ただ黙認しているだけとしても、これ以上ない協定違反だ。
もし口封じのために攫ったのなら……いつまでも無事でいられるとは限らない。
ここで殺しても死体は海に放り投げればそれですむ。もしそうなら猶予はない。
「エヴァンズって、あのエヴァンズでしょう? 教会に属している話は聞いていなかったのだけど、勉強不足だったらごめんなさい」
こんな小さな子でも、その名を知っているようだ。
いや、年齢の割にはやや聡明そうにみえるのは、どうしても妹と比較してしまっているからなのか。
本当に申し訳なさそうに謝る少女に笑いかけられるのも、きっとその影響なのだろう。
「いや、一緒にはいるけど、教会の関係者じゃないよ。 ……どうして?」
「だって、妖精さんが見えたから助けに来てくれたんでしょう?」
彼女が妖精たちになんと言ったかは不確定だが、おそらくは教会に助けを求めたはずだ。
シスター……いや、トゥメラ隊の者なら妖精の姿も見えただろうし、普段から助けを求めるように教えられているはず。それがシスターではなく自分だったのは、よほど焦っていたからだろう。
納得しかけて、忘れかけていた疑問が浮かぶ。
トゥメラ隊が見えるのは愛し子だからだ。……だが、同じ愛し子でも意味の違うこの少女は、なぜ見えている?
「……今でも、妖精は近くにいる?」
「うん、いるけど……いつもの子と違うから、お話ししてくれないの」
原因を突き止める余裕はないと、少女が指差す方向を見る。僅かに明るいそこ。輪郭すら見えなくとも存在しているのだろう。
人見知りをしているのか、それとも海という場所が関係しているのか。判断はできず、可能性にかける以外に方法はない。
「僕らの声は、聞こえていそう?」
「うん、たぶん……」
自信がないのは、無反応だからだろう。それでも試す価値はある。
……とはいえ、意味は伝わってくれるか。
「……『中立者』、あるいはエルド。どちらかの名前に、反応は?」
視線はディアンから空虚に。それから再びディアンに戻り、緩く振られる。
伝わらないのも無理はない。『中立者』は教会に付けられた称号で、一般的には知られていないのだから。
名前だって偽名ならば、彼女たちが知らないのも当然。
街にいた妖精ならわかったかもしれないが、今は彼女たちにも分かる名称でなければならない。
人間と関わりのない。むしろ、嫌っている可能性もある彼女たちに対しても。
エルドではだめ。『中立者』でもだめ。残る一つは、それこそ可能性の話になる。
あえて明らかにすることはなかったが、思い浮かんでいたこと。そう、あと伝わるなら……もう、あの名前しかない。
「……ラミーニアの街に滞在するインビエルノ様に、伝言を頼みたい」
光が動く。その表情が見えずとも、反応があるだけで十分。
「『候補者』はここに――」
「――あっ、待って!」
悲鳴が先か、それとも光が消えたのが先か。言い終わるよりも先に薄暗くなった景色に、吐き出した息は落胆から。
……妖精は、頼みを聞くことはない。聞くとしても、それは気まぐれ。
分かっていたが、こうも呆気なく希望が消えると虚しさも込み上げないとは。
「行っちゃった……」
「彼女たち、どんな顔だった?」
「……凄く、嫌そうだったわ」
ディアンのダメージはそこまでではなくとも、少女にとっては致命傷である。ただでさえ頼れる者はいないのに、それがディアンのせいでいなくなってしまったのだ。
本当に、とことん選択を誤っている。
「ごめん、僕のせいだ」
「ううん……名前が出た時から凄い顔だったから……お兄さんのせいじゃないわ……」
健気に首を振り否定をするが、間違いなく原因はそれだ。
海に属する精霊が人間を嫌っているなら、妖精も同じだろうと。そこまでは予想できたが、それ以前の問題だったとは。
一体インビエルノ――否、ゼニスが彼女たちになにをしたというのか。記憶を掘り起こしても該当する記述は思い出せず、吐いた溜め息は自然と重くなる。
この少女……いや、おそらく他にも誘拐されている子どもたちだけでも助けられればと思ったが、状況は厳しい。
「インビエルノ様って、精獣の……?」
「……よく知ってるね」
呼び名は違うが、分類的には同じだ。しかし、あえてそう呼ぶ者も……そもそも、彼自身の存在を知る者は少ない。
愛し子であればその辺りの知識は学んでいるのだろうか。それでも知っていることに驚けば、少女の顔に笑顔が戻る。
「レーヴェン家たるもの、このぐらいのことは当然――あっ」
純粋に喜べるというのは、それだけ努力したと自覚していることでもある。自信を持って胸を張ったと思えば、なにかに気付いたように見開かれる緑。
その一つ一つが、やはり似ているのに違う。
「ごめんなさい、私としたことが……私はララーシュ。レーヴェン家の長女よ」
堂々たる名乗りだ。だが、ディアンは貴族の名には疎い。服装からして平民でないのは推測できてもそこまで。
「いいところのお嬢さんとは思っていたけど……あまり詳しくなくて」
「いいえ、いくらレーヴェン商会といえど王都までは……あっ、でもラミーニアでは一番の商会で、本当にあの、誇張ではなくてお父様は凄くて……!」
慌てて付け加える姿は、まるで隠し事が露見し恥ずかしがる少女のよう。
いや、確かにまだ少女なのでそれは間違っていないが、あまりにも受け答えがしっかりしているので見た目と中身がちぐはぐな印象を受ける。
普通の子なら、こんな状況でここまで気丈には振る舞えないだろう。あるいは、ディアンにそう気付かせたくないだけなのか。
どちらでもないと知ったのは、その笑顔がみるみるうちに萎れてしまってから。
「……お父様、私がいなくなって心配しているわ」
スカートを握る指先は強く、俯いた顔は暗く。……やはり、不安な気持ちが無くなったわけではない。
「ダメね、気をつけていたのに誘拐されてしまうなんて」
「……君が悪いわけじゃない」
「ええそうよ、私は悪くないわ」
慰めるための言葉に、予想外の肯定。そう悪いのは攫った奴らであって彼女ではない。ないが、こうも正面から言われると戸惑ってしまう。
「それでも、狙われていると分かっているからこそ、私は守りやすいように過ごす義務があるの。そのためにお父様もお母様も、教会の人たちだって私を守ってくれるの。さすがに寝ていただけで攫われるなんて思わなかったけど、それでも心配させていることには変わらないもの」
怒ったかと思えば落ち込み、意気込んだかと思えば溜め息。コロコロと変わる表情は、とても演技とは思えない。全てが本心で、全て偽りの無い言葉なのだろう。
「私になにかあれば、私を助けてくれてる人たちが悲しんでしまうわ。だからこそ、私は無事に、何事もなく家に帰る義務があるの。不安だけど、泣いたって落ち込んだって仕方ないわ」
とはいえ、できることなんてないけれど。と、最後に大きく息を吐くのはここまで言い切った疲れか、落胆か。
だが、その想いは十分ディアンには伝わった。
「君は……強いね」
おそらく十二前後。丁度、ディアンが学園に入学した頃と同じ齢。自分がそうであった時に、同じ目に遭ってここまで気をしっかり持てただろうか。
心配させていると、だから帰らなければと。そう確信できるほどの余裕を抱けただろうか。
不安に怯えながら、それを表に出すことなく。情けなさを感じながらも、こんな笑顔を見せるだけの気力は……はたして。
「レーヴェン家の長女だもの。これぐらいで落ち込んでいたら、立派な商家の娘とは言えないわ」
商家の娘にここまでの胆力が必要かはともかく、ふふんと胸を張る姿は幼女とは思えないほどにしっかりしている。
「……でも、今日のはいつもと違う気がする」
しかし、誇らしい顔が曇ると共に呟かれた言葉は、やはり不穏なもの。
「いつもって?」
「自分で言うのもなんだけど、私って小さい頃からよく連れて行かれそうになっていたの。お父様との競合相手だったり、その……影響を受けた人だったり。でも、そういう人たちって詰めが甘いから、大事になる前にはみんなが助けてくれるんだけど、今回はそういうのじゃなくて……これだって、今まで着けられたこともないのよ」
首元に触れれば、慣れない器具に可憐な溜め息が一つ。その細い身体に似つかわしくない道具は、その手首にも。
「その腕輪も?」
華奢な手首に対して、違和感のある銀の輪。年頃の少女が着けるとは思えないそれは……言ってから気付いたが、片方の手にしか嵌められていない。
枷であれば両手に着けられているはずだし、そもそも太さが違う。幅は大人の指一本あるぐらいか。
「いいえ、これは司祭様からいただいたものよ。私と、私の大切な人を守るための、大事なお守りなの」
「……お守り?」
よく見えるようにと差しだされたそれは……無骨に見えていたが、よくよく見れば細やかな装飾が施されている。
否、それは装飾ではない。魔法で隠されているが、いくつも綴られた古代文字だ。
初期の頃に使われていたもので、解読はできない。しかし、文字を追うごとに煌めく光に、それが銀ではなくオリハルコンであることもディアンは理解する。
司祭様から賜った。……すなわち、それは聖国から与えられたものだ。ただの装飾品であるとは思えない。
「私が賜った加護は特別で、いろんな人に影響を与えてしまうの。攫われたり、変な人が寄ってきたりするのはそのせいだって……だから、私が制御できるようになるまでは、この腕輪が抑えてくれるって」
指先でなぞった表面が、水色とも桃色とも言えない光を放つ。知らなければ本当に、ただの飾りのようにしか見えないそれ。
だが、そうではない。そうではないと分かっている。それを与えなければならない理由が、彼女にはあるのだと。
「これがあっても誘拐されたり、私を娘と思い込んだ人が現れたり……司祭様が言うように、影響を与えてしまっているのだけど……」
昔よりは減ったと苦笑する顔は、確かに人を魅了するだけのなにかがある。造形が整っているだけではないなにか。惹き付けて止まないそれ。
メリアに似ている。でも、違う。もし二人が並んだなら『精霊の花嫁』に思ったのは彼女の方だろう。
それはおそらく……。
「君が愛し子だから?」
「……ただの愛し子なら、ここまでじゃなかったって」
誘拐されている現状よりも、それは辛い響きを伴ってディアンの耳に届く。
そうでなければよかったと。心の底から願う声が。
「私を加護してくださっている精霊は特別だから……だから、全部変わってしまったって」
「変わったっていうのは、その髪のことかな」
「違う! 全部よ! 髪も、目も――顔だって、全部!」
強い否定に。続けられた言葉に息を呑む。
髪や目は、愛し子ならよく聞く話だ。だが、その顔まで変わるなんて初めて聞いた。
そんなことあり得ない。いや、実際にそうだからこそ、目の前の少女は悲しんでいる。そして、ディアンは幼い頃の妹とその姿を重ね見てしまっている。
似ている、なんてものではない。やはりそれは……それは、同じだ。同じ顔だ。
動悸が増し、頭が痛む。あり得ないと否定するのは簡単だ。拒絶するのは、放棄するのは。
だが、今必要なのはそれではない。そして、今から聞くことだって、この状況を考えれば適切ではない。
「……君を」
それでも、声が止まらない。聞かなければならない。可能性を。求めていた答えの鱗片を。
あり得ないとしても。あり得ないと信じたくとも、ディアンは問わなければならないのだ。
「君を加護している、精霊の名は」
真剣な瞳が緑を貫く。その強さか、あるいは名を口にすることへの戸惑いか。
伏せられた顔が上がることなく、されど唇はゆっくりと開く。
……しかし、その声は扉の軋む音に遮られてしまった。
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