13.王城
ただでさえ『精霊の花嫁』が外に出るのは大がかりであるのに、それが王城からの招集となれば余計にだ。
城からやってきた馬車は三台、うち二つは護衛であり、ディアンたちが乗るのはその間に挟まれた最も豪華な馬車だ。
乗り慣れていないディアンでも分かるほど、内装も装飾も細部まで凝られている。
車輪から伝わる衝動こそ防げていないが、それでも一般に普及している物とは比較にもならない。そうでなければ、今ごろ斜め前に座っている妹は痛いとしか喚けなかったはずだ。
安全のために窓を隠しているレースを寄せることはできないし、開けるなどもってのほか。
光こそ通しても外の風景を見ることはできず、移動の間暇を潰せるようなものはない。
誰よりも大切な御身であれば厳重な体制も理解できる。だが、この体勢では逆に居場所を知らせているようなものだ。
厳重に守られているのを知っている上で襲う者はいないだろうが、数さえ集めればなんとでもなるし、隙を突こうとすれば方法などいくらでもある。
安心感こそあっても最善手であるかは別だ。とはいえ、陛下の配慮に異議はない。ただ、最初から城にいたのならここまでする必要はなかっただろうと、そう思うだけ。
豪華とはいえ狭い内部では、妹の声がよりよく通る。一方的な会話は、ヴァンが相づちをうつので辛うじて成立しているが、ほとんど独り言のようなものだ。
そのほとんどを聞き流し、揺れる光を眺め続ける。あとどのぐらいで着くかの予測も立てられないなら、考えられるのはこの後についてだけ。
サリアナが来るなら、間違いなくラインハルトも来るだろう。彼はディアンとサリアナを二人きりにはさせたくないし、それ以上にメリアに会いたいはずだ。
話せば不快にさせるが、無視も不敬。傍観に徹することができるのが一番だが、これまでの傾向から考えてそれは不可能に近い。
いや、そもそも自分が行く時点で殿下の機嫌は最悪だ。メリアという特別な存在がいることを差し引いても、嫌味のいくつかは覚悟しておくべきだ。
嫌味で済めばよし。さもなくば、怒られるのは自分。
妹が泣くことなく、そして怒ることもなく。楽しい思いだけをさせて帰る。簡単なはずなのに、今のディアンにとってはあまりにも難しい。
これなら古代語……精霊たちが過去に使っていた言語を学んでいる方がよっぽど楽に思える。
ある程度はグラナート司祭から教えているが、今は失われた言葉。資料も少なく、それだって簡単とは言い難い。
……だが、本はディアンの話を聞くことはないが、叱ることだってないのだ。
「ディアン、分かっているな」
そうしているうちに城に着いたのだろう。車輪が止まり、促された馬の声が聞こえる。
静止した身体に感じる圧よりも、向けられる視線の方が強く、苦しく。もう何度も聞かされた忠告は、痛いほどに。
……信用されていないのは、それまでの自分の行いがあってこそ。今のディアンに、落ち込む権利も悲しむ権利もない。
返事をするよりも先に扉が開き、真っ先にヴァンが下りる。続いてメリアが差しだされた手を取り、最後に出るのはいつだってディアンだ。
真っ先に目に入るのは壮大な城の外観ではなく、通路を挟みこちらを見る何人もの兵士の姿。正確にはディアンではなく、メリアとヴァンの二人を見ていると言うべきか。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
その内の一人が先導し、進むと同時に囲まれ圧迫感に眉を寄せる。厳重であるのはもはや仕方ないにしても、これではまるで重罪人を搬送しているようだ。
おまけ程度に囲まれるのも普段通り。一応輪の中には入っているが、歪な円であるのは誤魔化しようもない。
先を歩く父は動じる様子もなく、メリアも同じく緊張している様子はない。この後にあるお茶会が楽しみでしかたないと、そう言ったところだろう。
ヒールで刻まれる足音は高らかに響き、進むごとにディアンの気分は落ち込んでいく。
それは、妹がこのあと何をしでかすかという不安なのか、会わなければならない彼らに対するものなのか。答えは出ずとも、止まらぬ限り目的地から遠ざかることはできない。
廊下は長く、そして出くわす人数は多い。誰もが頭を下げ、道を譲り、囁くのだ。
あれが『精霊の花嫁』様だと。なんと可愛らしい方かと。
その度に妹の機嫌が良くなっていくのは、後ろ姿からでも分かる。『花嫁』といえど王城に招かれる頻度は低い。初めて見る者がいたって不思議ではないし、そう呟いてしまうのも仕方ない。
他の場所と違い、続けてディアンに触れられないのは比較的気楽とも言える。それでも、好んで来たい場所では決してないのだ。
「こちらでお待ちください」
そうしているうちに、ある一室に辿り着く。謁見の前に必ず通される客室だ。馴染み深い場所に、懐かしさより動悸が勝る。
心構えもできないままノブは捻られ、次々に足を踏み入れる。
ヴァンが入り、メリアが入り……そのまま椅子に向かうはずだった足が、その場で立ち止まる。
「ああ、こんにちはヴァン」
まだ部屋に入れていないディアンが戸惑ったのは、その声が聞こえるまでの一瞬だ。
耳触りのいいテノール。ギルド長である父を呼び捨てにできる相手。そして、妹が怯むとなれば……その相手は、一人しかいない。
「先に来ていたか、グラナート」
父が進み、ようやくできた空間に身体を滑り込ませる。
扉を閉める間もメリアは立ち止まったまま。その表情は隠す気もないほどにしかめられ、先ほどまでの上機嫌は司祭の登場によって吹き飛んでしまったようだ。
普段通り、柔らかな笑みを浮かべたまま出迎える彼の横から影が伸びる。ディアンの予想通り、ペルデもこの場に招待されていたようだ。
「先ほど着いたばかりだよ。……ああ、こんにちはディアン。それとメリア嬢も」
柔らかな視線は、ヴァンから二人へと移される。されど返事は一人、ディアンのものだけ。答えなければならないもう一人は、ヴァンの後ろに隠れて睨みつけたまま。
眉間を狭めたのは、睨まれた司祭ではなくディアンだ。どういうわけか、この妹は司祭に対してよくない感情を抱いているらしい。
彼が彼女に何かしたとは思えない。したとしても……それは、彼女の思っているような意地悪やひどいことではないだろう。
「メリア、挨拶は」
あまりにも失礼だと咎めるのはディアンの役目だが、今回その言葉が出たのはヴァンの口からだった。
珍しいと思うこともない。司祭……かつての戦友に絡むことは、さすがの父も叱るのだ。どちらかといえば注意にしか聞こえないが、メリアにはその違いもわからないだろう。
ますます眉間は寄せられ、視線は合わさらない。絞り出すような挨拶はとても聞けたものではなかったが、それで許すあたり父はメリアに甘く、そして司祭様は優しい。
「息子のペルデだ。会うのは久々だろう?」
「こ、こんに、ちわ」
ほら、と背を押されたペルデが弾みで一歩進む。声も震え、視線も噛み合わないが……ディアンにすれば、妹のものよりよほどしっかりしている。
縮こまっているのは緊張か、怯えか。割合としては後者の方が多いだろう。
見た目でいうなら、間違いなくヴァンはペルデが苦手とするタイプだ。身長こそ変わらないのに、こうして並ぶと幼く見えるのは顔つきのせいか、雰囲気のせいか。
考えるよりも先にグラナートに手を招かれ、無意識に父を見る。
後ろに隠れている妹に構っているのを確認してから近づくなり口の横に手を添えられ、内緒話の合図に耳を差しだす。
「気になることがあるんだろう?」
思わず顔を戻せば、そこにあったのは普段と違う笑顔。悪戯に成功したような、少年のような、ディアンの思考など見通していると言わんばかりの表情に、少しの戸惑い。
「……今回の招集は、司祭様が?」
「ええ、私がお願いしたんです。さすがに陛下を呼びつけるわけにはいきませんからね」
結局どう反応すれば正解かがわからず。素直に疑問を声にすれば、満足そうな声に己の予想が当たったことを知った。
本来、教会はどの国にいても女王陛下以外の招集には応じない。それは命令権が聖国にあることを示し、己の君主以外に従わないという意思表示のためだ。
緊急時は別としても、それは司祭の息子であるペルデにも該当することだ。
彼も確かに幼なじみで、英雄の息子でもある。だが、彼もまた教会の関係者であり、従うべきはノースディア国王陛下ではなく、オルレーヌ聖国女王陛下だ。
茶会とはいえ命令による招集と変わらない。拒否権の有無にかかわらず、彼はここにいるべきではない存在だ。
しかし、それはあくまでも王家側の要望によるもの。そして、司祭であるグラナートがいるということは……今回の集まりを望んだのは教会側だ。
そう、茶会はカモフラージュ。娘である姫の要望を叶えたかった陛下のお心もあるだろうが、それは自分たちを招く口実に利用されただけのこと。
いや、正確にはメリアをこの場に連れてきたかったのだろう。もし素直に教会に呼ぼうものなら、彼女が行きたくないと駄々を捏ねたことは火を見るよりも明らか。
わざわざ招集をかけるほどの内容で、メリアに気付かれぬよう集める理由。だとすれば、今回の議題は彼女に関係することで間違いないだろう。
いまだ父の後ろに隠れている『花嫁』を盗み見て、再び司祭へ視線を戻す。ディアンが言いたいことは、その一連で十分伝わったはず。
「それも含めて、後で話したいことがあるんです。こちらの用事が終わった後、時間をもらっても?」
「はい、大丈夫です」
「ありがとう。……構わないね、ヴァン」
「……好きにしろ」
張った声は、確認よりも念を押す印象の方が強く感じる。ダメとは言わせないと言われた先の金色はすぐに伏せられて見えなくなる。
どうでもいいと、声にされずともその態度が全てだ。本当に興味はないのだろう。
今回の話を早く終わらせたいだけかもしれないが、怒られなければディアンにとってはどちらでもいいこと。
短いノックの音に、全員の視線が扉へ集まる。開かないまま告げられたのは、謁見の準備が整ったという旨。
ノブに手をかける前に、ヴァンがディアンを見やる。
言葉にされずとも、貫く視線だけで伝えたいことは嫌というほど伝わってくる。
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