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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第五章 一ヶ月後

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142.海港都市 ラミーニア

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 次にその顔が上がったのは、それから何時間経った後だったか。

 気づけば太陽は真上を通り過ぎ、朝食どころか昼食さえも抜いた状態。一度も休まず、会話もなく、だというのに疲れを感じていないことに対する疑問さえも抱かず。

 故に、そんな驚異的ともいえる集中力を削いだのは……慣れない匂いが鼻先を擽ったからだ。

 湿った水のような。だが川とは違う、もっと濃いなにか。臭くはないし、不快でもない。

 記憶にないのによぎる単語は、潮の一文字。


「どうした?」


 あまりにも鼻を鳴らしていたからだろう。立ち止まり、振り返ったエルドに首を振る。その目をやはり直視できず、俯いてしまったことを悔いても手遅れ。


「い、いえ……慣れない匂いがして」

「……ああ、もう近いからな」


 そして、そんなディアンの反応に、エルドはやはり変わらず。早々に前に戻った身体は、いつものように答えを口にする。

 とはいえ、今回は答えのようで答えではない。近い、ということは匂いの元をエルドは知っているということだ。

 見やったゼニスの顔にも不快感は見えず、知らぬはディアンだけらしい。


「そろそろ見えてくるだろ。……ああ、ほら」


 登り続けていたなだらかな丘。その終着点で指差す方向。

 追いついたディアンの正面に映る――一面の光。

 それが、遙か遠くまで続く水面だと認識できなかったのは、この光景を見るのが初めてだったからだ。

 頬を撫でる風はより一層濃く、まだあんなにも遠いのにこんなにも香る。

 知らなければ巨大な湖とも思っただろう。だが、いくら文献や絵画でしか見たことがなくとも、勘違いするにはあまりにも違いすぎる。

 光の狭間、揺れる波。浮かぶ船は子どもの玩具のようで、しかし視認できるということは相当に大きいことは想像に容易く。

 あまりの眩しさに瞬き、息を呑む。

 その広さにも驚くが、その手前に広がる町並みだって王都に匹敵するだろう。

 橙色に統一された屋根。いくつか目立つ建物のどれが教会なのかは、まだここからではわからない。

 ぐるりと取り囲む防壁を境に、小さいながらも建物の数は多く、その色も増えている。

 動いているのはそこにいる人々だろう。

 なにもかもが想像以上で、あんなに落ちていたはずの気分が高揚する。

 これが、海。ここが……この国の、端。


「授業で習ってても、見るのは初めてだろ。あれがノースディア東端、ラミーニアだ」


 ――海港都市、ラミーニア。ノースディア最大の港で、この国の流通のほとんどが集約している場所。

 他にも港街はあるが、他国への船が出ているのはここだけだ。陸でも続いている国もあるが、よほどの事情がなければ全員がここを目指す。

 移民も商人も、そして冒険者も。王都の次に栄えていると言っても過言ではないだろう。

 家を出て一ヶ月。あの日、死にかけて……彼と出会って、一ヶ月。

 ディアンはとうとう、この国の終わりを目にしたのだ。


「初めての海の感想は?」

「……すごい、です」


 もっと他に言いようがあったはずなのに、口から出たのはそんな当たり障りのない言葉だ。

 だが、本当に……本当に、なにもかもが想像以上だ。


「中に入ればもっとすごいぞ。全体的に建物の密度が高いからな、王都より圧迫感はある。迷子になったらあっという間に路地に入り込んじまうから離れないように」

「それは、あの手前の方の……?」


 見た感じ、壁の内側はあまりそうは感じないが……実際は小さな建物に埋め尽くされているのかもしれない。


「たしかにあっちの方が狭いが、テントか仮設拠点がほとんどだ。それも朝になりゃ大半が消えるから、迷子になるほどじゃないな」

「えっと……?」


 テント、と聞いて過ぎるのは野宿だが、町の目の前でそうする理由がわからない。貿易の拠点なのだから、宿の数だって十分ではなくとも相当あるはずだ。

 注視すれば、確かに列が形成されている横で新たなテントが張られているのが見える。門は開いているようだが、進みは随分と遅い。

 いや、遅いどころかまったく進んでいない……?


「あそこに並んでるのは全員審査待ちだ。んで、審査が終わるのは日暮れまでだから……あと二時間程度か。窓口はいくつかあるが、今日中に入れないと判断した奴からよりよい場所を陣取って明日に備えてるってわけだ。で、あの辺りの一帯は、そんな奴ら相手に商売をしているところだな」


 歩き出したエルドに続き、横について説明を受ける。その心中に気まずさはなく、疑問は更に増えていく。


「審査というのは、基本的にはなにを?」

「荷物と敷地内へ入る理由、当人の身分証明と荷物。それから、指名手配にかかっていないかだな」


 指折り数えるそれも、ほんの一部なのだろう。

 あとはなにがあったかと唸るも、細かすぎて出てこない様子。


「ほとんどは問題ないが、文字通りここが水際には変わりない。輸出が禁じられている物品、危険物、ひどいときには人身売買……あの手この手ですり抜けようとする奴がいるせいで、通行審査は時間がかかる」

「人身って……奴隷は聖国との盟約で禁じられているはずでは」

「それでもやる奴はやるんだよ。だから、どの国の港もああやって足止めを食らうのが普通だ」


 吐いた溜め息はこれから待たされる時間に対してか、それとも盟約が守られていないことに対してか。

 『人が人の尊厳を奪うことなかれ』

 教会が今の体制を整える前までは存在していたが、同意の有無も関係なく、奴隷としての扱いと、それにともなう売買は禁止されている。

 子どもへの虐待と同じく、精霊の授かりものを人間が害してはならない……ということだが、何事も例外はある。

 犯罪者が罰則として強制労働に課せられているのもそうだし、そもそも盟約を守っていない国も……一つだけ、存在する。

 いや、かの国に関してはまさしく特例中の特例だ。奴隷制度だけでなく、他の盟約のほとんどが適用されていない。

 話だけ聞けば嘘だと思うだろう。だが、実際にその国は存在し、そして教会の恩恵を受けない代わりに教会からの制限も受けない。

 なぜならば――。


「といってもギルドの上位ランク、大手の商会相手には専用門が設けられているから、あそこまで待つことはないな」


 ほら、と指をさされた先。馬車を引いた一行が脇道にずれていくのを捉え、思考が切れる。

 ずいぶんと大所帯だ。あれで普通の列に並べば、それこそ一時間は潰れかねない。


「でも、審査はするんですよね」

「当然。むしろ、ああいうデカいところのこそ警戒するべきだな。馬車の影という影、木箱の一つ一つまで厳重にチェックされる」


 むしろ正面より時間がかかるなと言う口ぶりは、実際にそれだけ待たされたかのよう。

 ……いや、本当に待たされたのだろう。というか、まさしく自分たちも今からそれぐらいかかるのか。


「今からだと、明日の昼頃までかかるでしょうか」


 行列は絶えず、最後尾に並んだところで時間内に終わるとは思えない。大人しく野宿にくわわるべきだろう。

 よい場所はもう取られているから、明日の昼というのも希望でしかないが……。


「いや、少なくとも夕方までには入れるぞ。つか、そんなに待つなら急いだ理由がないだろ」


 おいおいと呆れた目で見つめられ、苦笑され。高揚感だけではないなにかが、薄紫によって与えられる。

 今度こそ目をそらしてはいけないと気をたもとうとし、エルドの方から視線を外されて意気込む必要もなくなる。


「普段は並ぶが、たまには権力ってのも利用しないとな」


 おもむろに探った懐から取り出されたメダルの輝きに、一つ瞬く。

 見る角度によって色彩を変えるそれは、たしかに権力の象徴であろう。

 だが……。


「……そんな使い方して、いいんですか?」

「追っ手と勘違いして襲ってきた奴へ見せつけるよりかは正しい使い方だ」


 待たなくていいのは助かるが、これでは不平等ではないかと。そんな咎めるディアンに対し、エルドは口端を上げてくつりと笑う。


「……もう忘れてください」


 それに関しては、もはや黒歴史とも言える。本当に、必死だったとはいえ当時はひどかった。

 あの対応が間違っていたとは思わないが……それでも、忘れたいかと言われたら首を縦に振るしかない。

 とはいえ、そんなことに限って忘れられないのが人というもの。

 ……なにより、あの時の答えをまだ与えられていない。

 洗礼は。この身に加護は与えられたのか。だとすれば誰からで、それは……本当に、自分が思っている相手であるのか。

 もうあと少し。待ちわびていた答えは、すぐそこにある。

 だけど、それは。その時にはもう、彼は。


「なかなか忘れられんな」


 クツクツと笑う声が遠ざかる。慌てて歩調を戻しても顔を覗き込むことはできず、大人しく後ろをついていくだけ。


「……本当に、忘れられん」


 唇の動きもよめず、音もなく呟かれたそれがディアンの鼓膜を揺することはなく。

 ……どんな感情が込めらていたかだって、誰も知らないまま。

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