127.それは終わりではなく
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――寒い。
意識が浮上し、真っ先に抱いたのはそれだ。
肌が感じ取れるのは冷たさと固さ。跳ね返る息すら凍っているかのよう。
跳ね返る、ということは自分はうつ伏せに眠っているということだ。
痛む頭に呻き、それから目を開く。地面との距離が近すぎるせいで見えないのかと思った景色は、単純に光量が少ないからだと気付くのにそう時間はかからなかった。
遅れてやってくるのは鼻につくカビの匂い。それとは別に酸味を感じるようなそれは……腐臭だろう。
僅かな草の匂いは、石畳にこびり付いた苔からか。あるいは、服に染みついた残り香か。
ゆっくりと身体を起こす。その動きでさえ頭は割れるように痛み、咄嗟に額を押さえても楽にはなれない。
多くの時間を割いて、もう一度辺りを確認する。
無差別に石が敷き詰められた地面。同じ素材で作られた分厚い壁。シーツすらないベッド。狭い空間。そして……鉄格子。
暗闇に慣れた瞳でわかったのはそこまでだ。
明かりもなければ人の気配さえない。だが、ここが地下室であり……どこかの牢獄であるのは、間違いなく。
であれば、次に浮かぶ疑問は決まっている。なぜ、自分はここにいるのか。
痛みの合間で思い起こすのは、限られた記憶だ。
あの後、父――いや、グラナート司祭の命に従い荷をまとめ、一睡もできぬまま夜を明かし。
最後に、司祭からだとシスターに渡された荷を受け取り、目的地に着いたら開けるようにと厳命され。そして……最後まで司祭と顔を合わせることはなく、別れの言葉も交わせぬまま、用意された馬車に乗ったはずだ。
どこに連れて行く予定だったか、これからペルデがどうなるかも、一切知らされていなかった。であれば、ここが教会の地下で、既に罪人として扱われていたとしても不思議ではない。
ペルデは知るべきでない情報を知り、それを不用意に伝えてしまった。それがペルデの意思でなくとも、そう望んでいなかったとしても、教会はそう判断しない。
悪いのも罰せられるのもペルデであり、その過程はどうでもいいのだ。
馬車の中で眠ってしまい、そのまま起きなかった彼をそのまま牢へ放り込んだとしても……やはり、湧くのは怒りではなく諦めだ。
思い出すのを止め、息を吐く。それでも痛む頭は、内側ではなく外からだと気付いたのはその後のこと。
手をやったそこに付着する色はない。だが、指先で辿るそこは僅かながら膨らみ、歪な形を伝えている。
放り込まれた時に打ったか? 否、起きた時ペルデはうつ伏せだった。顎が痛むならまだしも、後頭部はどうやったって当たらない。
そもそも、一晩眠っていなかったからといって、起きないほど熟睡できるだろうか。自分がどうなるかわかっていない状況で、そこまで図太い神経をしている自覚はない。
じくり、じくり。脈と共に巡る痛みに、思考が遮られる。その合間で拾い繋ぐのは、僅かな記憶。
確かに自分は馬車に乗って……ああ、そうだ。途中で止まったのだ。
そこから扉が開けられて、それで……誰かに、掴まれて……。
記憶をなぞるように腕が痛み、それ以上に頭痛がひどくなる。連鎖的に足まで痛むのは、地面に引き摺り下ろされた時の記憶か。
そう……そうだ。自分は誰かに襲われたのだ。抵抗もできないまま殴られ、気絶して……。
ミヒェルダは? 彼女が馬を操っていたはずだ。無事に逃げられたのだろうか。それとも一緒に捕まっている?
落ち着かぬ鼓動。荒い呼吸。耳を澄ませても聞こえるのは己の内から響くものだけだ。
逃げたのか、それとも別の場所に捕まっているのか。
捕まえるということは、目的がある。殺すならあの場で十分だ。わざわざこんなところに運ぶ理由はない。
生かしておくだけのなにかがあるはずだ。誘拐か、無差別か。それとも、教会に恨みを持つものの犯行か。
いや、馬車に教会を表す印は刻まれていなかった。どうみたってみすぼらしいボロいもの。中にペルデがいるなんて、それこそ知っていなければわかるはずもない。
そもそも昨日の今日だ。仮にペルデを狙ったのだとしても、情報が伝わるのがあまりにも早すぎる。
それこそ……まるで、見張られていたかのような、
――カツン。
響く音に、肩が跳ねる。意識を向けた先、微かに揺らぐのはランプの光だろう。
近づく音と共に光の揺らぎが小さくなっていく。
音が反響し、甲高く聞こえるそれはヒールではなく……それでも、聞き慣れているもの。
「ああ、起きていたか」
光量が増し、そうして影がさす。ランプをかかげ、声をかけ、そうして……薄ら笑う男を見上げる。
「……でん、か」
呟く声こそ力なく。だが、怯えも驚愕も、サリアナの時に比べればあまりにも小さい。
疑問は上がる。だが、同時に予想もしていたことだ。いつかやりかねないと、そう考えていたことが現実になっている。
……問題は、なぜそれが、今であるか。
「……その様子を見るに、想定できていたということか」
まるで吐き捨てるかのようなそれは、予想が外れたことに対する不満からか。
驚き戸惑う姿を期待していたのにと、つまらなそうにペルデを見やる男の顔は忌々しさを隠そうともしない。
だが、それはペルデ本人ではなく、教会に対するものだ。
サリアナはディアンにしか興味がなく、ラインハルトは教会を憎んでいる。その理由こそサリアナと変わらず……だが、まだ落ち着いていられるのは、やはり目の前にいるのが彼女ではないから。
ラインハルト一人なら、なにも喋らずにすむ。ペルデの意思で止められる。あんな訳の分からない感覚に襲われることはない。
だが、それでも疑問は残る。やってきたのは彼一人だ。本来なら監視がいるはずなのに、どうしてその姿が見えないのか。
どうやって目をすり抜け、ペルデが教会を追い出された事を知り……ここまで、連れてくることができたのか。
「どうやって監視を……」
「お前が知る必要はない」
鼻で笑い、切り捨てる声に滲む嘲笑。お前のように口は軽くないと、そんな侮辱も含んでいるのか。
ふつ、と湧いた怒りを晴らすよりも、しなければならないことは明らか。
「彼女はどこにいる」
「彼女? ……ああ、御者の女か。どうでもいいことだ」
本当に言葉の通りなのだろう。彼にとってはどうでもいい……つまり、ミヒェルダが教会関係と知られていない可能性がある。
そのまま逃げたか、金を握らせて黙らせたか。どちらにせよ、彼女が無事ならばそれでいい。
たとえ、ペルデを助けに来ないとしても。それを、グラナートに伝えないとしても。
……いや、伝えたところで関係の無い一般人を助けるほど教会は慈悲深くない。
捕まっていないのなら、それでいい。一つ不安が消えても、それを顔に出すことはなく大きく息を吐き、芝居を打つ。
下手なそれでも無いよりはマシ。騙されようが騙されまいが、それこそペルデには関係ない。
鼓動は僅かにも落ち着かず、それでも思考は少しだけ整理できた。
「……目的はなんだ」
見当は付いている。だが、予想と確信には埋め切れぬ溝がある。
埋めるためには問わなければならず。自分を見下ろす青から、目を逸らすことも。
「今のお前から聞けることに価値はない。その時が来れば出してやる」
「いくら殿下といえ、罪の無い一般人を監禁できるとでも?」
「罪ならあるだろう。王女に対する暴行、および殺人未遂。これだけで縛り首には十分過ぎる」
痛みと共に思い出すのは、昨日サリアナを突き飛ばした時のこと。二人きりしかいなかったはずの部屋。他に見ている者などいなかったはずなのに、なぜ。
考えても答えは与えられず、まして目の前の男からなんて。
「自ら監視を抜け出したことを証言されるつもりで?」
「そんなもの、どうとでもなる。それに、お前がサリアナを害したことは事実だ。ただの庶民に対する罰に教会が関与する権限はない。……それがたとえ、司祭の息子であろうとな」
「……それなら、僕に人質としての価値がないことも理解しているだろ」
あからさまな挑発に乗るほど精神は削られていない。ラインハルトの狙いなど、それ以外には考えられないからだ。
仮にペルデが教会に従事したとしても、それで聖国が折れるなどとは考えられない。人質に取ったところで、聖国はその決まりを破ることはないだろう。
従うべきは女王陛下。そこに私情が交ざることはない。
「教会相手にしてはな。……だが、息子相手にはどうだ?」
瞬き、凝視し、沈黙する。その一連をどう捉えたか、男の表情はますます歪み、笑う。
「いくら司祭といえ、唯一の身内に対する情はあるだろう。多少無茶な要求でも呑むだけのな」
教会相手ではなく、グラナート個人を脅迫するつもりらしい。
たしかに、聖国に従順とはいえ人だ。その感情までを完全に制御することは不可能。
家族の命が握られている状態なら、多少なりとも揺らぎはするだろう。それがどれだけ優秀で、忠実だったとしても。
命令に従い、十数年間ずっと。息子を蔑ろにしてまで、対象を見守り続けてきた男だったとしても。
……そう。もしそれが、グラナートでなければ。かつて父と呼べた相手でなければ。
「……なにがおかしい」
そう言われるまで笑っていたことの自覚はなく。だが、歪んだ唇は元に戻らない。
ああ、本当に。他の誰かならペルデも迷ったかもしれない。だが、そうならないことをペルデは既に知っている。知ってしまっている。
「殿下にしては浅慮だと思っただけですよ」
「なに?」
「そもそも、僕がなぜ教会を追い出されたか考えなかったんですか?」
グラナートは言った。ここには戻るなと。もう教会の敷居をまたぐなと、彼は確かにペルデにそう伝えた。
父ではなく、祭司として。息子に対してではなく、教会に害する者として。グラナートはそう命じたのだ。
そこに親子の情はない。否、もはや親子とも呼べない。
「もう僕はオネストと名乗ることはできない。ただのペルデだ。……グラナート司祭に、息子は存在しない」
「ああ、サリアナのせいでそうなったんだったか……」
忘れていたと、白々しく呟かれる言葉に焦りも怒りもない。わざとらしく懐から取り出し、そうしてペルデに見せつける姿には、むしろ余裕すら。
「はたして向こうもそう思っているかな?」
指で摘ままれた便箋。白く光を反射する表面に描かれている一つのサイン。
何度も見てきた。何度も、それが綴られるのを眺めてきた。見開く瞳でどれだけ凝視しようと、その文字を……彼の名前を見間違えるはずがない。
「それはっ……!」
声が荒ぶり、咄嗟に抑えても遅く。火に照らされた顔が醜く歪む。
「なんだ。そんな顔もできたんじゃないか」
ようやく望んでいた反応を得たと、悪魔は笑い、それをペルデに見せつける。その距離は遠く、伸ばしたところで手に入ることはない。
「わかっていても証拠を掴むまでは動けないとは、教会というのも面倒なものだな。なにを焦ったかは知らんが、見つけられなければ後手に回るしかない」
そこに何が書かれているかペルデはわからない。渡された荷物に中に忍ばされていたのだろう。
教会から追い出される者に対しての言葉など見当もつかない。だが、それを目の前の男に知られたことは痛手。
そして、火に炙られた紙は瞬く間に燃え尽き。二度と、ペルデが知ることはできなくなる。
より明るくなったのは数秒。刹那の光が消えれば、鋭い眼光が悪魔を睨み付ける。それを、男はただ嗤うばかり。
こんなものではラインハルトの鬱憤は消えない。それはこれから晴らしていくものだと、残った燃えかすを踏みにじる力は強い。
「……なにをするつもりだ」
もう一度、ペルデが問う。答えられないと知りながら。少しでも、冷静を取り戻すために。
だが、得られるはずのない答えは鼻で笑う音と共に。歪み、嗤い、憎しみを込めて。ペルデへと告げられる。
「試してみようじゃないか。お前の父親の、忠誠心とやらを」
そんな分かりきった結果に自笑すら浮かばなかったのは、ペルデなりの意地だったのか。
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