118.メリア・エヴァンズ
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いくら幼なじみといえ、王族に駆け寄り、あまつ飛びつくなどあってはならないことだ。それも王太子殿下ともなれば、不敬罪で処されて当然。
ここにディアンがいれば、咎めることこそ諦めても眉を寄せていただろう。その役割は今、表情に出さずとも監視している蒼の騎士たちが請け負っている。
胸元にもたれかかり、涙を流す姿だけなら可憐な乙女だ。しかし、その振る舞いは幼子も同然。
否、まだ親という抑止がいるだけ子どもの方がマシだろうが、この場においてその行動を諫める者は存在しない。
冷ややかに見つめる彼女たちは元より、腕の中に飛び込まれた青年自身だって。
メリアにとって、これは不敬ではなく当然の行い。そして、ラインハルトにとっても当たり前の光景。昔からそうだったように、今までも、これからも変わることはない。
それはメリアが『精霊の花嫁』ではなく、彼にとってもっと特別な存在だからこそ。
涙に濡れた瞳には、ラインハルトの姿は普段と変わらないように見えただろう。少しでも注意深く見ていたなら、その青の瞳が怒りを孕んでいたことに気付いたはず。
だが、今のメリアは。否、今でなくともメリアが考えられるのは自分のことだけ。故に、そんな感情の機敏など感じ取れるわけもない。
「……メリア、大丈夫か?」
「ライヒ! この人たちが私にひどいことをするの!」
柔らかな問いに対するのは、キンキンと響く喧しい声。
早くなんとかしてほしいと、早く元通りにしてほしいと訴えるそれはラインハルト以外には不快でしかない。
「お父様にもお母様にも会うなって……この部屋からも出してもらえないのよ!? 私は『精霊の花嫁』なのに、どうして!?」
もたれかかる男の表情が険しく、恐ろしいものになっていることを、ひどいひどいと泣きつく少女は見ていないし、周囲を囲む騎士も見てはいない。
不快と怒りはすぐに胸の奥へ潜め、優しく肩を掴み起こす。その顔に浮かぶのは、少しでも愛する少女を落ち着かせようとする微笑み。
そう、他のやつならばともかく。メリアにこんな姿を見せるなどさせてはいけない。
ただでさえ教会によって傷付けられている彼女に、これ以上の憂いを抱かせてはならない。
そう男が考えていることも、懸命に訴えるメリアが知ることはないだろう。
「メリア、ヴァンギルド長は任務のためにここには戻って来られない。エヴァンズ夫人も、彼を支えるため共に任地へ向かった。危険な場所に君を連れて行くわけにはいかないから、かわりに彼女たちが君を守っているんだ」
言い聞かせる口調は、妹に対するものよりも柔らかい。否、実の妹にさえこんなにも優しく語りかけたことはあっただろうか。
こう言わなければ納得しないという理解と、寄せる想いからの無自覚。
だが、どれだけ説明しても、メリアの口から出るのは拒絶と疑問だ。
理屈ではない。理由でもない。現状をなんとかしてくれないなら、それ以外は全て無駄。納得なんてできない。それはメリアが求めた答えではないのだから。
「そんなの聞いてない! いきなりいなくなるなんてひどいわ! なんでいつものメイドも騎士もいないの!?」
「それは……っ」
次の言い訳を紡ぐよりも先に、ラインハルトの喉が引き攣る。視線はメリアの瞳からその腕に。今にも折れそうな手首に嵌まった灰色へと移っていく。
腕輪と呼ぶには長く、ブレスレットと言うには無骨すぎるそれに施された装飾はなにもない。
そうだと知らなければ地味なアクセサリーにしか見えないだろう。実際メリアはなにも知らぬまま、疑いもせずその手に着けている。
とはいえ、彼女も望んでそうしている訳ではない。強要されていることにも気付いていないだけだ。
「メリア、これはいったい……」
「これ……?」
話を遮られたのに不快を示さなかったのは、予想していない質問だったからだろう。
示された両手首にしっかりと装着された灰色に繋ぎ目はなく、どの角度からも鈍い光が返るばかり。
どうしてこれを着けているのかと問いかける青年に対し、メリアの疑問は僅かにずれる。
「これ、ライヒからのプレゼントでしょう? 次に会いに来るまで着けていてほしいって、手紙にもそう書いてたじゃない」
メリアが見上げていなければ。あるいはその緑が少しでも逸れていたなら、見下ろす男の表情は怒りに染まっていただろう。
今でさえ瞳の奥には憎悪と怒りが渦巻き、周囲にいる誰かを睨みつけんばかり。だが、耐えたのはメリアがいるからだ。
自分の贈り物だと信じ、騙され、今も疑っていない彼女をこれ以上不安にさせないため。
「ねぇ、私もっと綺麗なのがよかったわ! 自分でも外せないし、もう嫌!」
そうとは知らぬ彼女が腕輪を引っ張り、取れないことを示す。そんな程度で取れるのなら、本来の役割を果たすことはない。
彼女が大人しい限り、それはただの飾りだ。真実を知り、暴れ、逃げ出そうとした時。それは容赦なくメリアに牙を剥く。
一度でも目にすれば忘れるはずのないもの。子どもだって、これがなんのために使われるか知っている。
もし知っていたのなら、間違いなく抵抗したはずだ。
なぜ私がこんなのを着けなくちゃいけないの。どうしてこんなひどいことを。私は『精霊の花嫁』なのに!
だが、彼女は知らない。本来どのように使われるか、その光景を一度も見ていないのだから。
見ないように、見せないように。家族にも、周りにも避けられ続けていたのだから。
そう、だからこの件に関してだけは……彼女を無知と責めることはできず。
ある意味無邪気とも言える行動に、目の前の男がどれだけ感情を抑えていたか。それだって、彼女はやはり知ることはない。
「……ああ、すまないメリア」
心の底から申し訳なさそうに呟く男が可憐な手を取り、微笑み、そうして髪を撫でる。
昔から馴染みのある動作は、荒れるメリアの心を癒やすには到底足りない。
「それには君を守るための魔法が組み込まれているんだ。君が一人になると聞いて慌てて作らせたから、どうしても地味になってしまって……」
ヴァンがいなくなったのと、この腕輪が差しだされるまでの期間に差はない。
こんなあからさまな矛盾を指摘しないのは、それがラインハルトから贈られた物と信じて疑わないからこそ。
むしろ、今はなぜこんな可愛くない腕輪にしたのかと。そちらの不満の方が大きい。
いつもはもっと可愛い物をくれるのに。綺麗でもないし、面白くもない。
だけど、どうしても着けてほしいと書いてあったから、仕方なく嵌めただけ。
自分で外せないなら最初から着けなかったのに、どうして教えてくれなかったのかと。見当違いな不満は真実と共に黙殺され、彼女は知る機会をまた失う。
「うっかり外して、魔法が消えてしまったら困るからね。君の身を守るためなんだ、ヴァンギルド長が戻ってくるまでは着けていてほしい」
「でも、もっと可愛いのがいいわ」
せめて花や蝶の柄が刻まれていたなら、この無骨な色にも目を瞑った。
なんの飾りもない、ただただ鈍く光るだけなんて。まるで男の人が着ける物みたいではないかと。
長い睫毛に縁取られた緑が涙に塗れながら男を見上げ、懸命に訴える。そうすれば、ラインハルトがメリアの望みを断ったことはない。
食べ物も、アクセサリーも。兄の意地悪だって、ラインハルトに言えばすぐになんとかしてくれる。
ひどいことを言う兄から、いつだって彼はメリアを守ってくれた。まるで絵物語に描かれる勇者のように、彼はいつだってメリアの味方なのだ。
ラインハルトはメリアを拒まない。それを彼女は知っている。そうだとわかっている。
だって、幼い時からずっとそうだったから。これから先も、ずっとそうなのだから。
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