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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第四章 たき火を囲んで

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116.ごちそうさまの、その後で ★

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「戻ってもよかったんだぞ」


 すっかり夜は更け、鳥の声すら聞こえず。故に、珍しくエルドの方から切り出したその声もよく通る。

 薪が爆ぜるその上に乗っていた鍋は今はなく。役目を終えた中はすっかり空で、もう一滴たりともそこには残っていない。

 普段おかわりをしないディアンも、今回ばかりは食欲に負けたらしい。

 エルドが二杯で、ディアンが二杯半。最後にかき集めた分を素直に受け取ったことも考えれば、本当においしかったんだろう。

 あれだけの肉だ。年頃の男なら嬉しいに決まっている。その証拠に、ゼニスの傍らで眠る姿はとても健やかだ。

 昨日から山を登り、騒動に巻き込まれ。ほぼ徹夜で朝を迎え……そのうえで、あんな追い打ちまで。

 これで疲れないというのが無理な話。顔に出さないよう頑張っていたようだが、二人の前では虚勢にも等しい。

 あえて指摘しなかったのは、それもまた優しさからだろう。そうして、たき火の明かりから遮るよう、彼の背中へピッタリと寄り添うのも同じく。

 ……というよりも、ゼニスにとっては光除けではなく見つめる男から隠す方が目的だろうが。


「残念でしたね、可愛らしい愛し子と二人きりになれずに」


 尻尾がディアンの上に乗せられていなければ、地面に叩きつけるぐらいはしただろう。シーツのかわりにしては小さすぎるが、無いよりはマシというもの。

 布からはみ出した足を温めるよう伸びた白は、エルドの視界にはやや眩しい。だが、目を細めた理由はそうではない。


「茶化すなゼニス。わかってんだろ」


 エルドだって、見限られてもおかしくないことを言った自覚はある。

 長い付き合いもあるし、それなりの信頼関係はある。だが、連れだって歩くようになった切っ掛けは、そうするように命じられたからだ。

 エルドは拒んだし、ゼニスだって致し方なく従っているだけ。本当に、腐れ縁という言葉がここまでしっくりとくる関係もないだろう。

 まだこうして共にいるのは、これといって離れる理由がなかったからだ。そう、切っ掛けさえあればいつだって別れられる関係。

 当時ほど命令に強制力はなく、ただそのままになっていただけ。

 あの時離れられても不思議ではなかったし、むしろそうなるとさえ思っていた。

 だが、今もこうして彼はそこにいる。ディアンを守るように、エルドから遮るように。


「あのまま二人にすれば、本当に手籠めにしかねませんでしたからね」

「まだ言うかお前……」


 冗談ではなく、本気でそう思っているのだろう。名前の通り、蒼は容赦なくエルドを突き刺し体温を奪っていく。

 多少の寒暖差は平気とはいえ、精神的なものとなると話は別。


「だから、そんなことしないっつってるだろ」

「口で言うだけならなんとでも」


 ……先ほど信頼関係はあると言ったが、撤回すべきだろうか。失笑され、明らかに身内にしていい対応ではない。

 あるいは、これこそが信頼の証とでもいうのか。

 ここまで言われても怒りではなく困惑が勝るあたり、あながち間違いではないだろうが……。


「それに、私が同行しなければリヴィも女王も納得しませんでしたよ」

「……あの娘か」


 名乗りをあげ、エルドを睨みつけた瞳が蘇る。

『中立者』ではないと公言した相手に向けるべき目ではないが、彼女たちの怒りに触れたのはエルドの方だ。

 その経緯も感情も理解できる。ゼニスが離れたなら、間違いなく総出で止めようとしただろう。

『中立者』についての情報こそ司祭たちにも伝わっているが、ゼニスがエルドの監視役と知るのは上層部のみ。

 逆に言えば、女王にほど近いものなら誰だって知っていることだ。

 ゼニスが目を光らせている間なら、過ちは起こらない。だからこそ、彼女たちは渋々納得し問いかけたのだ。

 本当に、彼を迎えるのかと。


「それで? この一連はあなたの気まぐれですか? それとも本気で?」


 そして、想定通りその問いはゼニスの口からも。

 もう何度も繰り返してきた問答だ。そして、返す言葉が変わることはない。


「だから、それはこいつが……」

「あなたは」


 ……だが、問いかける側はそうではない。

 遮られ、口を閉ざし。即答できずとも、見据える蒼が許すことだって。


「『中立者』として彼を連れて行くのではないと宣言し、他の精霊を牽制したあなた自身は、どうお考えですか」


『中立者』ではない。教会の従事者ではなく、本来あるべき立場からの発言であるとエルドは言った。

 リヴィたちが納得したのはゼニスの行動もある。だが、最も大きいのは……他でもないエルド自身が、そう発言したからだ。

 その言葉が彼女たちの怒りに触れると理解しながら、そう言わなければならなかった。

 そうでなければ、エルドの視界の先にディアンはおらず、こうして穏やかな時間は過ごせなかっただろう。

 ……そこまでして、彼に旅を続けさせたい理由を。否、共にいたいと思う理由を、本当はエルドだって分かっている。

 分かっているからこそ、それを口に出すことは許されないのだ。

『中立者』ではないと宣言したからこそ。余計に。


「どっちにしろ、選ぶのはこいつだ」


 だからこそ、口から出るのはいつもの言葉だ。

 エルドがどう思おうと、これからなにが起ころうと、エルドは彼の選択を尊重し、見守り続けるだろう。

 それが最善でなくとも。誤った道だと知っていても。その結末が分かっていたって。

 求めるのなら助言もしよう。救いを請われれば手も出そう。人が人として助けられる範囲を超えぬよう、彼のあらゆる妨げにならないよう。

 ……だが、最後に選ぶのはディアン自身だ。決断するのは彼であり、エルドではない。

 エルドの意思が、彼の意思を遮ってはならない。決して。

 そう、決して。


「またそれですか……まったく」


 エルドも言い飽きたが、ゼニスだって聞き飽きただろう。

 溜め息は深く、逸らした視線はやや上に。そこに思い浮かべた場所がないとわかっていながら向けてしまうのは、かつてその地へ向かおうとした時の癖か。


「もう話題になっているでしょうね。あそこは噂に飢えてますから……。それも身内ともなれば、今ごろパトゥサ様が吹聴して回っているかも」

「……あり得そうだから止めろ」


 豪腕に並び、俊足を司る存在。豪快さを形にしたのがブラキオラスとすれば、噂話を具現化したのはまさしくパトゥサだろう。

 ゼニスの足も相当速いが、一つ山を超える間に十も二十も駆け抜けるような相手では敵うわけもない。

 よく言えば足の早すぎる情報屋。実際はただの噂話好きの暇人だ。

 いや、精霊界では大抵が暇をしているので、パトゥサだけを示すのは不適切かもしれないが……ともかく、恰好のネタを黙っておくなど彼にはできないだろう。

 それこそ宴会中だったなら、ブラキオラス本人が宣言の一連を鑑賞させていた可能性もある。

 あの頭の中を揺さぶられるような豪快な笑い声が響く気がするのは、本当に幻聴であろうか。


「いいえ、実際そうなっているでしょう。他の誰でもないあなたが、まさか選択できずにいるとは……」


 ああ、嘆かわしや。なんて大袈裟に首を振られても否定はできない。

 たとえエルドが選択できないのではなく、ディアンの判断を待っているのだと言い訳したところで、ゼニスにとっても他の精霊にとっても同じように見えるのだろう。


「……今の判断に、後悔はしていない」

「今まではそうでしょう。では、この後は?」


 苦し紛れの抵抗も、反論されてしまえば返せる言葉はなく。沈黙はとても心地いいとは言えないもの。

 場を繋いでくれるかと期待しても薪は爆ぜることなく、火は静かに揺らめく。

 数秒か、十数秒か。結局、逸れた薄紫を引き戻したのはゼニスの溜め息。


「どうであれ、聖国に着くまでこの子のそばを離れませんから、そのつもりで」

「俺じゃないのかよ」


 思わずそんな突っ込みを入れてしまったが、蒼はどこまでも涼しげだ。

 愚問だと言わんばかりに向けられた視線は、まさしく名前の通り極寒のよう。


「そうでもなければ、女王もトゥメラ隊も納得しないでしょう? 非難されるのはあなた一人で十分です」

「そこまで信用がないか……?」


 これでも誠実に生きてきたつもりだがと、吐いた息は理解を含めてのこと。

 エルド自身ではなく、もはやそれ以前の問題だ。ディアンが『候補者』で、エルドは『中立者』ではないと宣言した。

 だからこそ、彼女たちは恐れている。その最悪を。自分たちと同じ結末を。

 ……それを理解しているはずの男が、同じ道を辿らせようとしていることを。


「ところで、先ほどのですが」


 あえてゼニスが指摘しないのは、言うまでもないと判断したからだ。故に、その口から出るのは別の問いかけ。


「先ほど?」

「『花嫁』様についてですよ。……あそこまで話したなら、説明しても良かったのでは?」


 エルドに対しての嫌味はこれまでもいくつか。だが、それは気心が知れている間柄だからこそ。

 腐れ縁とはいえ、多少の無礼が許される程度の関係は築けている。

 だが、それ以外の……それも、ただの人間相手にわかりやすい皮肉を用いるのは、ゼニスにしては珍しい。

 とはいえ、エルドが答えないのは本当にどれのことを言っているか思い至らないからだが。


「大抵のことは話しただろ? 保護の必要性と、こいつの指摘が間違ってないことと……」

「『花嫁』の相手がわからないなんて、あり得ないことは?」

「――ああ、それか」


 数える指は止まり、ほどける。

 ようやくわかったと顔も緩み、しかしその薄紫の光は強まる。忘れていたわけではない。ただ、今のディアンに説明する理由がなかっただけ。

『花嫁』に限らず、全ての人間に行われる洗礼で精霊の名が明かされないことはない。

 貴族や王族の上級階級なら秘匿にされることもあるが、それでも司祭と精霊名簿士がいる以上、誰にも知られないことは不可能。

 教会の権限がある者なら名簿の閲覧も許可されているし、人の口には壁を立てられないものだ。

 人に隠すことはできても、自分も知らないまま……なんてことは、絶対にあり得ない。

 それが伴侶となる相手ならば、本人の意思に限らずその精霊の名は公表されることとなる。それが代々続いた習わしであり、変わることのない伝統。

 本当にその名がわかっていたなら。本当に……洗礼が、行われていたのなら。


 ディアンは言った。妹の洗礼は、関係者のみで行われたのだと。

 彼の父。当時の司祭とグラナート。国王。そして、当事者である妹。そして、当人は名を教えてもらえなかったと話し、それを全員が信じた。

 ……それこそ、まさにあり得ない話。

 説明も、真相を隠したまま矛盾点だけを伝えるのは容易いだろう。それがいかにおかしいことか知らせるだけなら。それだけで終わるなら。

 だが、ディアンはそこでは終わらない。

 考え、考え、考え抜いて。今答えが出ずとも、事あるごとに思い返して。そうして、いつか答えを導き出す。

 粘り強く、諦めない。剣の腕だって悪くないし、頭の回転も速い。

 あんな環境で過ごしていなければ秀才とも呼ばれていただろう。

 英雄の息子として恥じぬ存在だと。まさしく、ヴァン・エヴァンズの息子だと。

 それが、どこで狂ってしまったのか。

 父か、妹か。それとも……彼に執着する、件の幼なじみか。

 切っ掛けがいかに小さくとも、ここまで膨れてしまったならもう止められない。

 ……否、切っ掛けなど。本当に彼の人生を狂わせる、その始めの間違いを与えてしまったのは、紛れもなくエルド自身。

 いつもの通りになると、変わらないはずだと。その慢心こそが全ての原因で。


「……それも、聖国に着けばわかることだ。あれ以上詰め込んでたら、それこそ破裂してただろ」


 おもむろに立ち上がり、ゼニスの後ろを覗き込む。噛み付かれそうになっても怯まず、伸ばした手は、ディアンの頭へ。

 顔色は悪くない。疲労は残っているとはいえ、朝にはあらかた取れているだろう。

 ……だが、蓄積された魔術の負債は良いとは言えない。

 こればかりは自然に抜けきるのを待つしかない。聖国に着くまでにどれだけマシになっているか。

 むしろこの程度で済んでよかったのだ。本当に命を狙われた際に発作が起こっていれば、それこそディアンは今ここで息をしていないのだから。

 彼がどんな未来を歩むのか、それは彼自身でなければわからない。だが、その選択を狭めたくはないと、見つめる瞳の奥ではなにを押し殺したのか。


「……奴らも、これで大人しくなるでしょうか」

「どうだろうな。とはいえ、これでこちらの動機は得たわけだ。奴らも馬鹿じゃあないし、これ以上目立った行為はできんだろ」


 冤罪で指名手配にする時点で相当だが、それだってもう既に取り下げられている。

 この先の旅を害することはないし、もう彼らが関わってくることはない。

 会うとすれば、それこそ聖国に着いてから。全ての問題を片づけるその時だろう。

 その頃には、ディアンの苦しみも少しは昇華されるだろうか。

 否定したのは火に照らされた紫の瞳。揺らぎ、震え、拒み。それでも立ち向かおうとして傷付き続ける光。

 十二年。幼少のほとんどを費やされ、形成されたそれら。当たり前になりすぎて、どれだけ辛いことかも麻痺し、奥底へやろうとした全て。

 たった一ヶ月。旅をするには長くて、忘れ去るにはあまりにも浅い。

 それだけディアンの傷は深く。治る間もなく重ねられた痛みは強く。

 そうしたのは彼の家族だ。彼を取り巻いていた環境だ。だが、目を細める男に同情する権利はない。

 そうなる切っ掛けを与えたのは。彼の生き方を狂わせた最初の綻びは……やはり、エルドにあるのだから。

 謝罪は言葉にならず、離れた指を引き留める者もおらず。火を見つめる薄紫を見上げる蒼もまた、なにも言うことはなかった。

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