114.必要性
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「……はあ」
気の抜けた声が出てしまったが、ディアンもわざとではない。
誤魔化すにしては真剣な顔だ。しかし、身構えたにしてはあまりにも……的外れというか、なんというか。
「あのな、笑うなとは言ったが呆れろとも言ってない」
ジト目で睨まれるが怖くはない。どちらかといえば、これは照れ隠しのようなものだ。
自分で例えておいて恥ずかしがるのはどうかと思うが……。
「やっぱり、一夫多妻なんですか?」
「やっぱりってなんだよ」
「いえ……その理由だと、誰も彼も嫁にされそうだと」
どんな基準で精霊が選んでいるかはわからない。人間界には人間の、精霊界には精霊の秩序があるのだろう。その仕組みをディアンが知ることはできないし、教会だって全てを把握しているかは定かではない。
だが、その理由だけで『花嫁』を迎え入れているなら……本当に、誰もがそうなる可能性があるだろう。
「だからこそ、精霊にとっても人間を迎え入れるってのは特別なんだよ」
少なくとも、ディアンより詳しいエルドの表情は複雑なまま。吐いた息は、どう説明するか考えているものもあるのだろう。
「どいつもこいつもなんてなったら、それこそキリがないだろ。望んだからといって、必ず娶れるわけでもない。最も、婚姻を望んでいない奴も少なくないが……基本的に好意的だし、ニュアンスはともかく愛してもいる。でなきゃ、加護なんて与えたりしない」
そうだろうと同意を求められても、素直に頷けないのはディアンだけだ。
その理屈で言うなら、自分はどの精霊からも愛されていないことになる。実際にそうなのだろうから否定はできないし、でも肯定もし難い。
加護がなくとも生きてはいけるし、戦うこともできる。……だが、与えられるはずの物がないという落差は、やはり大きい。
「精霊としても無事に迎え入れたいし、抵抗なく来てもらいたい。だからこそ、精霊界についての知識の摺り合わせが必要だってことだ」
そんなディアンの心境はさておき、ようやく話は原点に戻る。
『花嫁』が聖国に向かわなければならない理由。その必要性。色々と蛇足はあったものの……これで、一通り納得はできた。
「別の国に嫁ぐのと同じように考えればいい。それを嫁いでから馴染むか、その前に学ぶかの違いだ」
「……そうなんでしょうが、規模が違いすぎるような」
「たとえ話ってのは、多少大袈裟のほうがいいんだよ」
そうなのだろうかと首を捻りかけ、そういうことにしておこうと顔はそのままに。単に思考を放棄しただけだというのは、ディアンだけがわかっていればいいこと。
「ってわけで……『花嫁』だから勉強がいらない、なんてのはとんでもないことだ」
口調も変わらず、表情も差異なく。だが、鼓動が早まったのは瞳に籠もる光の強さか。それとも、その答えにだったのか。
「別の国に嫁ぐのだって相当苦労するってのに、それが精霊相手となれば余計にだ。ただでさえ少ない期間で全てを詰め込まなくちゃならないってのに、遊びほうけてる暇なんかない」
言葉に混ざる棘は、それを許していた大人たちへ向けてだろう。その対象が一人なのか、全員なのか。それは誤差でしかない。
その環境を許していたこと自体が、咎められるべきことなのだと。
「……十二年でも、足りませんか」
最初の洗礼から二度目の洗礼まで。子どもが大人と呼ばれるには十分すぎる期間だ。その間を教育にあてがってもまだ足りないという。
いや、王太子教育や上位貴族の教育もそれぐらいはかかるだろう。
同じ次元で考えてはいけないのだろうが、知らないものをたとえに引き出すことはできない。
そう考えれば、十二年という月日も足りないのは当然。
「実際にどう教育が進められているかまでは関与していないが……精霊の名前と、なにを司っているかは覚えておく必要はあるだろうな」
「どれくらい……?」
「あー……大精霊は当たり前にして、どこまでだ……? まぁ、全員だろうな」
軽く言われたが、精霊がどれだけ存在しているか知っていての発言とは到底思えない。
中央協会に貯蔵されていた分でも何百冊とあったのだ。それが本国となれば……それこそ、何十年かかっても読み切れるだろうか。
名前だけでなくその役割ともなれば、それだけで頭が痛くなってくる。その範囲は、間違いなく精霊名簿士よりも膨大で途方もないのだろう。
「それとは別に、人間としての教育も並行して行うからな。聖国と出身国だけでなく、全ての国の文化と言語、それから政治と情勢もか? 土地そのものに宿った精霊もいるから、まったく無関係って訳にはいかない」
「……十二年で……?」
「さすがに毎日勉強漬けってわけじゃないから、色々差し引いても十年か? 今言ったのは一例だし、他にもあるだろうしな」
減った猶予と、更に増やされた内容。最初に知ってから挑むとなると気が遠くなるが、教育が始まるのは六歳からとなれば……まだ、なんとかなりそうな気もする。
だが、それは幼い子どもの頃からの話だ。
十年以上もつぎ込むべき内容を、あと数年で叩き込むのは不可能に近い。それまでの基本知識があるならともかく、メリアは大精霊の名すらまともに羅列できないかもしれない。
絶望的だ。精霊界との亀裂が生じることだって考えられる。
「……な? どれだけおかしいか、わかったろ?」
青ざめたディアンの顔がその答えだ。ここまで言われればさすがに理解もできる。今の状況は、あまりにも、マズすぎると。
「だから、お前が妹を咎めたことはなにも間違っていなかったし、むしろ正しいことだった」
「……だ、だったら、どうして……教会は……なにも……」
安堵よりも焦りが勝る。このことは何度も……そう、何度もグラナートには伝えていたはずだ。
どうにかしてほしいという願いではなく、世間話の一環としても。『花嫁』がまともに精霊の名すら紡げないことを、言葉を濁しながらも彼には伝わっていたはずだ。
そして、グラナートがそれを女王へ隠していたとは考えられない。
それなのに、なぜ教会はなにもしなかったのか。どうして、エルドにそれが、伝わっていなかったのか。
「ただのおしゃべりに、これ以上は言えないな」
明確な拒絶は、明かすつもりはないということだ。つまり、それは話せないということ。
追求する意味はないと告げられ、寄せた眉は元には戻らず。
「ああ、陛下は把握していたが……俺が知らなかったのは本当だ。『花嫁』には、あまり関与したくなかったからな」
「それは、どういう……」
「それより、お前にもう一つ聞きたいことがある」
女王陛下に仕えながら関与したくない。その矛盾を指摘するよりも先に問いが重ねられれば、ディアンが声を張ることはできず。
「なん、ですか」
改まった問いだが、姿勢は正すことなく。だが、それが先ほどと違うものであるのは、見据える薄紫からも分かること。
「お前が姫付きの騎士になるように言われた切っ掛けは覚えているか?」
……だが、その内容に首を傾げたのは。やはり、ディアンは悪くないと思う。
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