113.基準とは
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「婚姻を結ばずとも、誰かが常駐すれば……それこそ、教会から特使として向かわせれば……」
「ただの人間が門に近づくだけでも危ないってのに、常駐なんてしたらそれこそ死んじまうだろ」
呆れたように言い返され、失念していたことを恥じる。
そう、精霊界で人は生きていけない。だから伴侶となる人間は人ではなくなり、精霊と同じ存在となる。
どのような過程でそうなるかはわからないが、そうする方法があるのは間違いない。
「たとえば、希望者を募って……その者を『花嫁』と同じく、精霊界でも生きていけるようにすれば――」
「……で、どうやってその中から選ぶ」
「ど、うやってって……」
僅かに目が細まる。薄紫の温度が低く、突き刺すようなものに思えるのはディアンの錯覚か。
鼓動が跳ね、汗が滲む。言葉がどもれば、その光はより強く、冷たく。
「ただの伝達係でも精霊に仕えられるのは確かに名誉なことだ。それこそ、世界中から希望者が殺到するだろうな。だが、必要なのは一人だ。そのたった一人を、どうやって決める?」
問われ、考え、答えはでない。
世界中ともなれば、その負担は計り知れない。試験を行うにも莫大な時間がかかるし、費用もかかる。
ただ相手に仕えるだけではないのだから、それ以降の教育だって。
だが、エルドが責めているのはそこではない。
……そう、ディアンは責められている。
「教会が選ぶのか? だとすれば、その基準はなんだ」
「それは……」
「一番魔力が多い者か。それとも信仰深き者か。容姿。知識。体力。身体に特徴のある者。あるいは無い者。若いのか老いているのか。なにを優れているとして、なにを劣っているとする?」
口早に言われ、否定も肯定もできず。指先が冷える感覚を誤魔化そうと、ズボンを握ることもできない。
追求してはいけないことだと理解したところで、エルドの怒りが収まることだって。
今までも呆れられることは何度もあった。怒られることは確かに少なかったが、どちらかといえばそれは説教に近いものだ。
ディアンに非があり、反省を促し。なにが悪かったか理解すればすぐに終わったもの。
だが、今のこれは……切っ掛けこそ明白だが、教訓めいたものではない。
浅はかな考えだったかもしれない。だが、エルドが怒っているのはそれ以上のなにかだ。
それがわからない。わからないならば、ディアンは困惑するしかない。なにが、ここまで彼を怒らせてしまったのかと。
「自ら志願する者もいるだろうが、基準が決まれば犠牲になる大半は子どもだ。精霊に仕えることこそが存在意義だとすり込まれ、利用される。実際の恩恵などなくたって、それだけで他者を引きこむだけの価値が生まれるからな。なにも実子に限ったことじゃない。子を持たないなら孤児院で品定めするなり、誘拐するなりいくらでも方法はある」
空気が肌を刺している。内側から刺されるような感覚に息も浅くなり、滲む汗は冷たい。火はすぐそばで盛っているのに届かず、体温は爪先から流れ出ていくかのよう。
「その基準があれば、精霊にお仕えできる。つまり、それを満たしている者はそれだけで価値が上がる。そうして湾曲された挙げ句、不当に扱われる者が出てくるだろう。見世物として、奴隷として、道具として、贄として。普通の人間が歩むべきではない最期を遂げる者だっている」
「それ、は、」
「大袈裟だと? 実際にそうして滅んだ種族がどれだけ――」
突然の音に肩が跳ねる。目の前ではなく、足元。立ち上がらぬまま、されど顔をエルドに向けたゼニスの声は十分すぎるほどに。
「……悪い、たしかにちょっと大袈裟だった」
僅かな沈黙の後、呟かれた声は落ち着いたものだ。肌がヒリつく感覚も、視線の冷たさもない。
硬直していた身体から力が抜け、小さく吐いた息に反応したのはこの空気を遮ったゼニス一人。
ディアンの手に頭を擦りつけ、小さく鼻を鳴らしてから寝直すのはエルドへの当てつけか。
「とはいえ、処置をしたところで人間が精霊界で生きていくのはそう簡単なことじゃない。たとえ本人の意思であったとしても、そもそもの常識から違うんだ。身体が馴染むのだって何十年とかかるし、負担も大きい」
あからさまな態度に怒り直すこともなく、溜め息の後に説明は続く。
「精霊がやらかそうとする頻度だって多くはないんだ。そんなことのために、わざわざ『人』の道を踏みはずさせるのは……望んじゃいない」
それは教会の意向か。エルド自身が、なのか。
問えず、答えは与えられず。視線は再び火元へ落ちる。
理屈は分かった。ただの人間ではいけない理由だって納得しよう。
……それでも、心の奥にもやがかかるのは。まだ落としきれないから。
普通の人間ではだめ。だが、『花嫁』だって最初は普通の人間だ。
そこから徐々に精霊界に馴染んで『人』ではなくなる。嫁ぐのだから当たり前だと言われればそれまで。
精霊の抑止のために迎え入れる。契約結婚のようなものだ。感情ではなく利益を優先させるのは、それこそ貴族であれば普通に行われている。
庶民でさえ、恋愛結婚かと言われたらそうではない。そう、だから相手が精霊であろうと、理不尽だと言いきる理由にはならない。
精霊は自分たちを止めるために人間を引き入れ、人間は精霊の恩恵を授かる。互いの利害も、一応は一致している。
……それなのに、なぜ。
「もっと特別な理由が欲しいのか?」
視線を上げる。問われたからではなく、そうであると無意識に認めたからだ。
跳ねた心臓を誤魔化せず、合わせたばかりの目が泳ぐ。
そうだ。ディアンは求めている。伴侶という名誉にふさわしい理由を。絶対に、婚姻を結ばなければならないと思えるだけの理由を。
精霊になるという過程だけなら、花嫁も普通の人間も同じだ。
同じく『人』としての生を止め、同じ存在へと変わる。そうして互いを支え、支えられ、生きていくのであれば同じはずだ。
ただ、それが結婚であるか契約であるかの違いだけ。そして、一夫多妻ではないのだから、人間一人につき精霊も一人だ。
嫁いだ後にどのような生活を送っているか、それこそ知る術はないが、婚姻で縛られるのは相手も同じのはず。
今まで深く考えてこなかったが、エルドの言っている通りの目的とすれば……少し、複雑なところもある。
「……契約結婚と思えば、なんとか」
「あー、いや……今の説明だと確かにそうなるんだが……」
今度はエルドが納得しないようだ。唸り、腕を組み、しばし考えた後に頭を掻き混ぜ、再び溜め息。
「これは俺の口から言うのもなんだが……その……」
随分と歯切れが悪く、自然と眉が寄っていく。それをどう捉えたか、今度はエルドの視線が合わなくなる。
ディアンほどさまようことはないが、ここまで誤魔化されるのは初めてではないだろうか。
「笑うなよ?」
「……なんでしょう」
「あー……その……」
聞いてからでないと判断ができないと促せば、手はうなじをさすり、それでも落ち着かずにもう一度息を吐いて。
「全員が全員そうではないが、基本的に……精霊ってのは、人間が好きなんだよ」
……ようやく出てきた言葉に、ディアンは自分がどんな顔をしているかわからなくなってしまった。
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