101.昼食は無し
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外に出た途端、貫いたのは眩しい日差しだった。既に太陽は空高く、それだけで何時間も待っていたことを知らされる。
体感より長かったことに驚きを抱く間もなく、前へ進む足は手を引かれるまま。
早く彼女たちから離れたかっただけならもう止まってもいいはずなのに、真っ直ぐ出口に向かう足が緩まる様子はない。
普段は気にならない歩幅も、こうも早まればその差も広がっていく。エルドは普通に歩いているつもりでも、ディアンにとってはもう小走りだ。
「えっ……エルド」
たまらず名を呼んでも、振り向くことも止まることもない。聞こえていないのか、無視をされているのか。見かねたゼニスが一つ吠えても、足は先へ進むばかり。
荷物こそ持っているが、このまま町を出て行くにはあまりにも早急すぎる。
ディアンが懸念していることは既に済ませているのかもしれないが、問いかけたくとも反応がなければ声にも出せず、目は揺れる後ろ髪を見上げるだけ。
必死についていく足が縺れそうになる中でも、不意に聞こえた音を聞き逃すことはなかった。
見知った姿は、向かおうとする出口から遠く。しかし、こちらに向かってきているのは明らか。
どう考えても今のまま出て行けば間に合わず、それによって先ほどの疑問は晴らされた。
「エルドッ」
一度目より強い声は、引き留めたい理由が他にできたからだ。決して聞こえぬ声量ではなかったはずなのに、足はますます強く踏み出される。
思わずつんのめり、バランスを取って数歩前に。転びこそしなかったが、距離は遠ざかっていくばかり。
「ちょっ……エル、ド!」
踏ん張ろうとも思えないほどに力は強く、ゼニスが前を遮ろうとすれば危うく蹴られそうになる。唸るのも当然だが、その抗議も聞こえていないのだろう。
普段なら、このまま素直についていったかもしれない。彼女たちの姿が見えなければ、今だってこんなに止めようとは思わなかっただろう。
だが、それではいけないと。そう思うのは、今までの話を聞いてきたからこそ。
彼女たちのためにも。そして、エルドのためにも。このまま去ってはいけないと……覚悟を決めた手は、前に突き出される。
「っ……エルド!」
「だっ……!?」
実際に音が聞こえていたなら、それはもう見事な衝突音が聞こえていただろう。
言葉にするならガンッ! と表せられるほどに、頭から勢いよく突っ込んだ男がそこでやっと止まる。
見やったそこに、半透明の壁。ちょうど町と山道の境目に張られたことに対しては偶然だが、一歩でも先に進まれていれば止めることは難しかったはず。
ゲートを遮るように展開した障壁は、エルドの力なら簡単に解除できる。それでも振り返り見下ろしたのは、そうしたのが連れている相手だと理解しているからこそ。
「おい、なにす――!」
「なにをしているのか聞きたいのはこっちの方です!」
彼の言葉を遮るのはこれが初めてだ。普段はそんな無作法、ディアンはしようとも思わないししたくもない。
だが、そうしなければならないほどのことを、今まさにエルドは行おうとしている。
「だからそれは、」
「あなたは!」
手を振り払い、そのまま指差す方向にはエルドを待っていたあの老夫婦の姿が。そこに息子の姿はおらず、その姿を探す余裕など端からない。
「かつての恩を告げたい者に、顔を合わせぬまま去るのが礼儀だというのですか!」
紫は見下ろす光を睨み、噛み付き、問いかける。本当にそれでいいのかと。こんな一時の感情に振り回され、彼らを無下にすることが正しいのかと。
交差する光はしばらく見つめ合い……先に、見下ろしていた方が目蓋を伏せる。顔を覆い、吐かれた溜め息は深く。
「…………悪い」
沈黙は長く。しかし、それでは終わらず。呟かれた謝罪は自分にではないと視線で訴えれば、一瞬だけ合わさった視線もすぐに逸らされる。
向かうと思われた足はその場に留まったまま。動かないことに抱くのは疑問ではなく、確信にも至らない可能性。
「ここで待っていますから」
ついていかないし、そうするべきではない。その時間は当事者だけで共有するものだと、ディアンの足は動かぬまま。
ついてはいかない。だが、同時にどこかへ行ったりもしない。目を離した隙に一人で山を下りることもなければ、彼女たちの元に戻って聖国へ向かうこともない。
ここにいると、言葉にしたところでようやくエルドが進み始める。
見送った背中が夫婦と合流したのを視認し、障壁を解除した身体に襲うのは僅かな疲労感。
大した負担ではなかったのに、と。白を切る気にもなれない。これは身体的ではなく、精神からくるものだ。
振りほどいた手。そこに残る熱がまだ冷めない。じわじわと残る余韻は痛みなのか、困惑なのか。握り締めても緩和されず、寄っていく眉間が不意に与えられた刺激に開放される。
湿った感触と僅かな冷たさ。それから柔らかな毛の感触。ゼニスに鼻先を押しつけられたと気付けば、唇も自然と緩んでくる。
……本当に、聡明すぎる獣だ。
「ゼニス。……お手」
しゃがみ、視線を合わせ。上向きにした手を一つ。
気を紛らわすのに付き合ってくれるのならとうかがえば、見上げた蒼はどこか困った様子。それでも応えるように上げてくれた手を握り、肉球の堅さを確かめた後にもう片方も。
彼にとっては、あまりにも稚拙な遊び。エルドに命じられてもしないだろう一連は、ディアンに同情してか、甘やかしてくれているのか。
「……いい子」
その心情を真に理解はできず、開放した手で頭を撫でれば、心地良く細まる瞳の中で笑みは苦笑へ変わる。
……本当に、自分はなにをしているのだか。
改めて町を見れば、昨日とはあまりにも印象が違う。一つ建物が吹っ飛んでいるのだから当たり前ではあるが、そうではないもっと根本の所。
教会がダガンたちを確保し、今は余罪を洗っているところだろう。証拠はどこまで集められるのか。どこまでその罪を償わせることができるのか。
教会だけではなく、この町に対して行った全てを。教会には関係ないところも。ここに住む人たちが真に望む処罰を、どこまで与えられるのか。
ひとまず溜飲は下がるだろう。被害の大半も、教会が補助を行うはずだ。ただし、その費用は聖国ではなく、王国で補填させるはず。
これもエルドが言っていた協定違反の一つに入るのだろうか。彼が女王陛下に報告すべき罪の……だが、それはほんの一部。
真に裁かれるべきは隠されたまま。本来なら、その事象自体、ディアンが知る事はなかったはず。
昨日までは。否、先ほど……ああ呼ばれるまでは。
代わり映えのない景色に再び見下ろす白は眩しい。
……そういえば、昨日倒れているとき、ミルルにも庇われたのだった。
あれからあまりにもめまぐるしく、ろくにお礼を言えていない。今から探す時間もないし、彼らもそれを望んでいないのかもしれない。
もし次に機会が巡り会えばと、何気なく見やったエルドがふと、こちらに振り向くのを見る。
「――ディアン」
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