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99.『候補者』

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 聞き返す言葉は、口から出ることはなかった。

 勘違いだと思われたそれは、名前を呼ばれたことで否定される。

 ディアン。ディアン・エヴァンズ。

 どうやったって聞き間違えるはずがない。それは、紛れもなく自分を指しているのだから。


「ぼ、く……を? で……ですが、僕はただの一般人で……」


 心当たりは、ない。だが、可能性はいくつか。

『精霊の花嫁』の兄。かの英雄の息子。王族と幼なじみで……不正の、証拠。

 あの時、エルドはとぼけた。証拠なんて見せていないと。勘違いしたのは、向こうのほうだと。

 ――だが、彼は否定もしなかった。

 答えを与えられなかったのはディアンも同じ。


「『中立者』様が戻られないのであれば、貴方様だけでもお連れするようにと」

「今の状態で門を通るのは無理だ。身体が負荷に耐えられない」

「多少の不調は仕方のないこと。そして、これは貴方様への処罰でもある。……彼を苦しめているのは、他でもない貴方様だ」


 今度こそ、はっきりエルドの声が詰まる。

 否定できない。だけど肯定もできない。睨まれ、歯を食いしばり。そうしている間に、隊長の視線はディアンへと戻される。


「できうる限りの対処は致します。どうかご理解を」


 状況が理解できない。門を通る? 身体への負荷? ……僕を苦しめているのは、エルド?

 ……否、否。それは違う。それだけは、違う。

 教会の内情に関してディアンが知ることは一つもない。

 助けてもらったことも、教わったことも数えきれないほど。襲われたことは確かにあったが、それだって害を成そうとしてではない。

 エルドがディアンを苦しめてきたことなんてなかった。一度も。そう、たった一度だって!

 彼がいなければ、彼に導かれなければ自分はここにはいない。彼が助けてくれなければ、とっくにただの肉と化していた。

 彼がいたから。エルドがディアンを助けたからこそ、ディアンはここに立っている。

 ……それなのに、どうしてエルドはそんな顔をするのか。

 眉を寄せ、言葉をつぐみ、目を合わせようとしてくれないのか。

 それこそが答えなのだと。どうして……ディアンに、示すのか。

 なにもわからず、考えられず。考える時間なんて最初からなく。迫られる選択は、すでに定められているようなもの。

 それでもと、振り絞る頭が浮かぶのは耳慣れぬ名称に対して。

 候補者。そう呼ばれるためには、前提とする事象があってこそ。


「……僕は、なんの候補に選ばれているんですか」


 答えは得られないと理解しながら口にしたそれはあまりに小さく。


「すべては女王陛下にお尋ねください」


 ……そして、返されたそれはあまりに力強く。

 留まろうとしている理由がディアンにあるなら、聖国に行く理由もまたディアンに付随する。

 彼が同意すればエルドもついてくるだろう。結果、エルドは命令に背くこともなく、陛下の望みも叶えられる。

 最初から向かうつもりだったのだ。望んでいた形ではなくとも終着は同じ。……否、こうなってしまえば精霊名簿士になるという目標は諦めるべきだろう。

 もはやディアンの意志とは関係なく事態は進んでいる。

 それを彼が知れる立場になくとも。それを、ディアンが望んでいなくとも。

 国と教会。あまりにも巨大すぎるそれに、どう関与しているかわからなくたって。もうディアンに拒否権はないのだ。

 いつかはこうなったのだろう。

 きっとあの家を出なくとも、あのまま従い続けていたとしても。昨日この町に辿り着かず、襲われている彼らを見捨て山を下りていたとしたって。

 そう、それがただ早まっただけ。むしろ今までが遅かったのだ。

 ディアンを助けてくれたあの時から、戻るように言い続けられていたはず。

 それを引き延ばしてしまったのは……彼を困らせてしまったのは、それこそディアンのせいだ。

 そもそも、最初から聖国に向かうつもりだった。ただ、それが少し早まっただけだ。

 エルドは任務を終え、陛下の反感を買わずにすむ。全てが丸くおさまって、あるべき形に戻る。

 考えるまでもない。これが一番いい方法だ。そもそも、ただの一般人であるディアンに拒否権は存在しない。

 だから、これは仕方のないこと。従わなければならないこと。

 ……これ以上を望むのは、いけないこと。


「ディアン」


 だからと、同意を示すよりも先に名を呼ぶのは耳慣れた声。跳ねた肩は誤魔化せず、無意識でも目を合わせてしまったことを後悔する間だってなく。

 温度のない色に見据えられ、息を吸ったのか、吐いたのか。すぐに逸らしても薄紫はディアンを見つめたまま。逸らされないまま。

 もう一度見てしまえば揺らいでしまう。認めてしまう。本当は嫌だと、この口から溢れてしまう。

 聖国に行けば、もう彼とは会えない。今こうして行動を共にできるのは、エルドがディアンを連れて行くと約束したからだ。それさえ果たされればもう会えない。会うことは許されない。自分はもう、彼と謁見を許される立場には、なれない。

 納得しなければならない。本来ある形に戻らなければならない。だから、これはディアンのわがままだ。口にしてはならない欲望だ。

 どうしてそう望んでいるか、ディアン自身にその自覚がなくとも。音にすることだけは、絶対に。


「ディアン、」


 それなのにエルドは呼び、心は揺れる。

 暴かれるのを恐れ、揺らぐことを怖がり、顔は伏せたまま。許されるならこの耳だって塞いでしまいたかった。

 でも、それはできない。するわけにはいかない。エルドがなぜここまで拒絶するのかわからなくても、彼のために折れると気付かれては、いけないのに。


「悔いの無い人生を全うすると誓ったのは嘘か」

「――違うっ!」


 目を見開く。貫く薄紫、温度の宿らぬその瞳の更に奥。見てはいけなかった真髄からの光は網膜に反射し、脳の奥を焦がす。

 ジリジリと焼かれる耐えがたい温度はそのまま衝動へ変わり、部屋を揺るがす音となった。

 否定はあまりに強く、鼓膜を破らんばかり。それでも止まらない。押さえられない。違う、それだけは違う。

 確かに自分は誓った。この口で、この意思で、嘘偽りなく全うすると!

 ままごとのような、その場凌ぎの洗礼。その答えが生の終わりでなければ確かめられないと知りながら、それでも誓いを立てた。

 嘘なんかじゃない。自分はたしかに、あの日、あの時、彼に誓った通り!

 ああ、それでも!


「っ……あなた、が」


 逸らしたい。だけど、逸らしてはいけない。見ていなければならない。だって、彼が見ているから。彼が見て、求めているから。

 理屈ではない。本能で理解している。ディアンは、それを、許されていないのだと。

 目の前が滲むのは疑われたからだ。あの決意を、あの宣誓を彼に否定されたから。

 堪えたくとも溢れる感情を抑えたくて、エルドを見つめ続けても世界は滲むばかり。

 違う。違うのに。こんなつもりは、なかったのに。

 それでも言わなければならない。彼に、エルドに。これは、自分で選んだことなのだと。その切っ掛けが、たとえ彼なのだったとしても。


「僕のせいで罰せられる、のは。……いや、だ」


 零れた感情。同時に、鮮明になる世界。震える声を呼吸ごと止めても、なにもかも手遅れなのだろう。

 顔は俯き、もうその表情を見ることはできない。怒っているのか、呆れているのか。悲しんで、いるのか。

 ディアンにはわからない。……それでも、後悔はしない。

 だって、自分で選んだのだ。彼のためにそうするのだと。誰のためでもなく、自分のために。自らの意思で。

 限られた選択だったとしても、それしか選べなかったとしても。それを手に取ったのも、その理由を見いだしたのだって、自分自身だ。

 だから、後悔はしない。たとえこれが最後になろうとも。

 いつまでも忘れられずにいたとしても。それが、自分が選んだ選択なのだから。


「……わかった」


 返事は、ただそれだけ。それで終わりだ。この旅は……彼との関係は、それで。


「では」


 促され、頷く。その顔をもう一度上げることはできなかった。

 目線は合わないまま、足は前に進む。向かうのは扉の先、エルドの背後、彼女たちが通ってきた門の元へ。

 まともな会話もこれが最後と予感していても言葉は出ず。進むごとにエルドが近く、遠くなる。

 通り過ぎる直前。その顔を見ないように。見てしまわないように。揺らがないように。目を強く、強く、閉じる。


「――なら、罰せられなければいいんだな?」

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